>>212 今朝起き抜けにフッと思い浮かんだのだぜ。
誰のどんな思考も何かしらの波動を発し、自ら発した波動も自分で好きに解釈しとるわけだぜ。
波動の解釈は音という波動を耳を通して様々に解釈するのと同じ原理なわけだぜ。
ということはだぜ、わしが正しいとか間違っているとか思うもの、誰かが正しいとか間違ってるとか
マナーとか筋とか空気とか思っているもの、それはつまり「美」なのではなかろうか?
美的感覚、美意識、あるいは美学でもいい、何かに不快さを感じるのは、そこに自分の求める
美学がない、美しさがない、と感じているということなのだろうか?
逆に言えば誰もが「美しさ」を求めていて、主張しているのは自分の「人生の美学」であり、
だとしたらそんな芸術家同士が美を競い合うならまだしも、美を批判し合うのはまるでもって
建設的な話じゃあないと思った次第だぜw