ちなみにまたさっきイタズラしてみたわけだが、コテ取って語尾つけなきゃ
超能力者でもない限り誰もわしをわしだと認識できないわけだぜw
するってーと、わしをわしだと思っている第三者が見ているわしというのは
それこそどこにいるんだろうか?
やはりわしの現実はわしの目や耳や鼻や口や肌を通してわしが作ってるもので、
第三者の現実もまたホントはわしとは無関係に作られているような気がしたわけだぜw
銀本によう、波動についてのお話が出てきたのだが、音という波動を耳で聞いてる時
『あなたが聞いているのは波動についての「あなた自身の」解釈だ。』とあったのだぜw
確かに音波は機械で周波数を測定できる客観的な事実なわけだけどもよう、
わが子のピアノの音に愛おしく耳を傾ける母親もいれば、「また今日もド下手糞が!」と
イライラしてしまう隣人もいれば、ゲームに熱中するあまりピアノの音が耳には入ってるが
聞こえていない隣人もいたりして、なるほど「解釈」なのだなぁと思ってみたわけだぜw