2012年に本当にアセンションあるわけ? Part31
>>721 >>675ですが、智慧というのは仏教に由来する言葉で
いわゆる知恵とは違って、精進の末に到達できるある種の「悟り」のことのようですね。
解釈間違ってたらごめん。
でも俺的には、この「智慧」も天賦の才では無いと思う。
なので
>>675に書いた「知識は智慧のベース」という言葉も訂正する必要がないように思う。
もしかしたらいるかもしれないけどさ、生まれながらに「悟ってる」人っていないよね?
「悟る」ために「精進する」ために「知識(=教え)」って必要なんじゃないっすか?
知識よりも智慧が「上」なのは解るけど、知識よりも智慧が「先」なのは理解できないっす。
>>731 そうそう
人間はあくまで作られたものであって、
無知な初期状態から、自らを「作り変えて行く」プロセスにこそ意味がある
「知識より智慧が先」という考え方は、
「被造物」という人間の宿命を忘れ、人間を
あたかも「造物主・創造主」であるかの様な視点で捉えた考え方っぽい
プレアデス系の書物の多くは、そういうニュアンスで書かれているので、
注意が必要 鵜呑みにするとまともな社会生活を送れなくなる
(
>>711はその辺を上手く言い表していますね)
>>731だが、
>>732さんとのある種の同意を得られて嬉しく思う。
ただ
>>711さんのレスは、正直俺のような凡俗には理解できません。
よろしければ、愚民にも解る言葉で解説していただけないでしょうか?
>>733 711氏はそんなに深い考えで書かれてはいないかも知れません
「知識→思考、智慧→意識」に置換え、認識の問題として考えてみると、
この問題解決への「気付き」の切っ掛けを得られるかも知れません
「自由の哲学」
(ルドルフ・シュタイナー/ちくま学芸文庫/2002年07月10日第1刷発行)
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●第3章 世界認識に仕える思考 p.66
〜私はこれまで、思考の担い手である人間の意識について何も顧慮する
事無く、思考について語って来た。現代の大方の哲学者は、思考が存在する
以前に意識が存在しなければならないと言って、私を非難するであろう。
思考からでは無く、意識から出発せよ、というのである。
意識の無い所には思考も無いという。
その様な非難に対しては、次の様に応じない訳には行かない。
思考と意識の間にどの様な関係が存在するのかを明らかにしようとすれば、
私はどうしてもそれについて考えざるを得ないのだ、と。〜
あらかじめ意識を作り出さずに思考を生出す事は勿論出来ないであろう。
けれども哲学者にとって問題なのは、天地創造なのでは無い。
創造されたものを認識する事なのである。
従って宇宙創造の為の出発点では無く、宇宙理解の為の出発点を今、
求めている。〜造物主ならば思考の担い手となるものをどうしたら
見出せるか知る必要があったであろう。しかし哲学者は既に存在している
ものを理解する為に、確かな土台を求めなければならない。意識から出発
するにしても、その意識も思考によって考察しなければならない。
それなのに【思考】による考察を通して事物を解明する可能性について
全く無知であったとすれば、全ての努力は無駄になってしまわないだろうか。
>>734 ぱっと読んだ感じでは、全然理解できないっすwすいません。
知識と智慧ってのも深いっすね〜。
「ただいま」とか「おかえり」とか
>>711さんの原文に即して解説して頂けると、
もう少し解るかとも思うのですが・・・。
>>734さんのレスから読み取れたのは
知識→智慧という方向性だけでした・・・。
>>734さん以外でも
なんか他に読み取れた方がいたら教えて欲しいっす。
あのさ〜アセンションってよくわかんないんだけどさ
次元上昇とか半霊半物質とかさ〜
要は、現代科学で説明できる事象を比喩的に表現してるんだよね?
代替表現という認識でおk?
>>735 要は思考の重要性(天上の崇高な意識・智慧・知恵等より思考が大切
そして「知識」は思考と共に歩んでこそ得られる)って事だと思います
霊的修行が進むと思考を独立させる時が来るが、
余りに早く独立させると、トンでも無い事になる様です
プレアデス系書物然り、その他多くの阿千ション・ムーヴメント然り……
特に、阿千ション情報の(サイコさん、じゃ無くて)最古参、
「ガイア・アセンション」シリーズの小松英星氏の、昨年9月頃の
「マシュー君」とか「10月14日の大型宇宙船滞空計画通称アラバマ)」
を言い出して以降の迷走っぷり
(
http://homepage3.nifty.com/gaia-as/qa08h.html#GalacticFederation)
等は、思考を早期に独立させてしまったが故の「認識の早産」じゃまいかな
「シュタイナーコレクション2 内面への旅」
(ルドルフ・シュタイナー/筑摩書房/2003年08月10日初版第1刷発行)
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※「第1部 感覚の世界から霊の世界へ・第1講」のp.26-35より要約
・内面への旅は「驚き」から始め、次に畏敬の念→宇宙叡智の法則との一致
を内的に感じ取らねばならない そして帰依に至る
・これらのプロセス無き思考は単なる思考遊戯に過ぎない(どんな哲学も
見事な思考遊戯に過ぎない/論理的に正しい事と真実とは一致しない)
・思考と真実との一致は直ぐに生じないからこそ、 人間はルツィフェル
(ルシファー)の誘惑を経験し、その結果「不十分な認識」を手に入れ、
認識を早産させてしまった
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人間の思考が真実と一致するには、上記の諸段階
(驚き→畏敬→宇宙叡智との一致→宇宙事象への帰依)
を常に【思考】と共に辿るプロセスが必要って事らしい
ネット・サーフィンの挙句、安易なカリスマとか怪しい教祖を気取るより、
「非力な霊能力」を育成する(地味だが確実な)道を選びましょう