神秘の宝石騎士団2

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789ゆみ KoD
カントの本を以前よんだことがあるが、難しくて途中で放り出した。
いったいどうしてそんなものを読もうと思ったのか忘れてしまったが、
しかしその中でひとつだけ今も覚えていることがあって、
それは「二律背反」という言葉。

そのだいたいの意味は、
二つの「論理的に正当」とされる原理・推論が、
互いに矛盾し合う場合がある、ということだったと思う。
どっちも正しいのに、お互いに矛盾しているような論理、
正反対のことを言っている論理があるんだとか。
それでは何が真実なのか、まったくわからなくなってしまう。
カントはそういう例をいくつも示していた。

で、なにがいいたいかというと、
結局人間の思考というのはそういうもんでしかない、ということが言いたい。
いくら頭の良い人が物事について必死に考えたところで、
思考は二律背反の壁を突破し得ないのだし、
矛盾に突き当たって停止したまま、
本当の真理には到達することはできない、ということが言いたい。

ようするに「思考」とは真理を探究するための、
「完全な」手段にはなり得ない。
思考とは矛盾を孕んだものであるというのがカントの導いた結論だったと思う。

だから世の中には信仰というものがあるんだと思う。
むかしの賢者は、人間の思考では真理を完全に捉えることができないと知っていたのかいないのか、
まぁそういう予感はあったのだろう、
だから真理の領域を探求するために信仰に道を求めたのだろうと思う。
考えることばかりが尊くて、
信じることは愚か者のする事だと言わんばかりの暴論が、
まかりとおっているような気がしてならない。
そこでこんな駄文を書いてみる気になったわけでした。