2012年に本当にアセンションあるわけ? Part28
もうちょっと具体的に考える必要があると思う。
たとえば、2chの是非についても、
なぜ2chを見ちゃいけないのか、という見解を自分のなかで真剣に
考える必要があると思う。
自分の場合は、2chを見ちゃいけないという理由をつくるとするなら、
ネットの対話空間が擬似的なコミュニケーションだからだと思う。
人と人が生で触れ合って感情や理性を共有して物事をなしていく過程が抜けている。
まるで一人でゲームや漫画や音楽をたのしんでいるのと同じ感覚だと思う。
すくなくとも、ゲームを開発したり漫画を創造してつくりあげたり、
音楽を他人との共同作業でつくりあげるのとは、
2chの対話空間はまったくの別ものである。
情報や知識を得るのには役立つかもしれないが、それなら図書館や本屋や新聞でもいい。
やはり生の対話ができるというのが2chの利点なのかもしれないが、
ここはネットの擬似的空間であり、生の触れ合いが欠けているのが、2chの欠点だといわざるを得ない。
だからこそ、表だって言えないことも報告し合えるという利点もあるのだが。
なかなか何が真実であるのかも分からないところが欠点である。
それと、自分的にはネットに接続して電気を浴び続けてるというのも考えどころだと思う。
食べ物に置き換えたら、食べ物を摂取し続けてるとの同じ意味だと思う。
運動に置き換えたら、情報や知識を動かないで与えられる。
自分に調和した内容や扱い方をしないと、生活道具は危険な道具になってしまう。
具体的に考えるということは難しい。
なぜなら世の中の社会は具体的にできているのであるが、
自分たちはそれを知らずとも社会は先人たちによって動かされて、
自分たちは何も知らなくても生かされているからである。
なのに自分たちは妄想や夢を見て、
先人たちの仕事を忘れて、ありもしないことを待ち続けている。
本当は、自分たちの生活は、
今も先人たちが必死に仕事をして、見守られ続けられているというのに。
このネットにしてもそうだ。
当たりまえに使ってはいるが、誰かが制作をして誰かが組みたて、
それを使わせてもらっているのに。
その想像さえできないものたちがこのスレにはいるのだろう。
見えもしない存在をとらえようとすると同じように、
現実に存在してて見ていなかったものに気づくことが重要である。
>>286 >食べ物を摂取し続けてるとの同じ意味だと思う。
なるほど メールチェックでケータイが手放せない状況もそうですね
でも(オレみたいに)チラシのウラとして使用している場合はどうなのかな
おじさん世代が子供の頃は、高橋名人が「ゲームは1日1時間!」とか、
本郷猛が「コタツに入ってばかりいてはダメだ!!」
(近藤ゆたか氏のイラストより)とか言っていたもんだが、
そういう「縛り」を一切守らなかった人間が、時として
クリエイター(プログラマー、イラストレーター、ライター)
として活躍しているのも又事実なり(少数派だが)
天才(新人類)は先人の経験則的な常識の及ばない所で作られる
……とは言え、映像が(主に人間のエーテル体に)
悪影響を及ぼすのは現実法則ですが
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・映画[Kinematograph]
通常の知覚よりも深い層に作用して、エーテル体を出目にし、
無意識を唯物論にする。映像はエーテル体を害し、感覚を興奮させる。
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「エーテル体を出目にし」の出目ってのが解らんが、
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BD%D0%CC%DC&kind=jn&mode=0&base=1&row=0 の(1)に従えば、エーテル体がバセドー病による眼球突出みたいに
なっている状態だろうか?
過剰な映像体験(及びネット接続)は良くない作用を及ぼし、
それらは思っている以上に強い作用を及ぼすという事だろうか
(洗脳の道具になり得る?)
何の? 「出自」の? でも「出目」で正しい気がするな
映像体験はエーテル体を肥大化させ、眼球を突出させる
とするなら、エーテル体に於いては、
「目が肥える」というのは例えでも何でも無く、現実という事になる
脳では無く、目こそが意識への玄関(ポータル)ならば、
洗脳は脳よりも目に対して行われるのかも
(唯物論者は脳を庇って目を隠さずw)
往々にして、洗脳されまいとする人間程コロッと引っ掛ってしまう
瞑想による思考や感情の育成は、言わば眼球にカギを掛ける様な事かも
この世は洗脳社会というより、玄関(ポータル)としての目に
カギを掛けない人が「誰かが洗脳しようとしている/洗脳された」
と騒いでいるだけの社会なのかも(集団ストーカーはその好例)