科学の勝利は、わたくしたちひとりひとり犠牲を強いました。それも、非常に大きな犠牲です。
たしかに、科学は病気や苦役による悲惨さを軽減し、娯楽や利便のための道具を与えてくれたかもしれない。
しかし、科学は驚嘆すべきもののない世界にわたくしたちを置き去りにしました。
夕日はただの波長と周波数に成り果てました。宇宙の複雑さは切り刻まれ、方程式の集合と化しています。
人間としての自尊心さえもが、いまや重んじられていません。科学は、われらが地球も、そこに暮らす生きとし
生けるものも、遠大な仕組みのなかの無意味なしみにすぎないと公言しています。単なる宇宙の偶然だというのです。
私たちを結びつけるテクノロジーでさえ、逆に分断しています。誰もが電子的に世界とつながっているのにもかかわらず、
強い孤立感を覚えています。そして暴力、差別、断絶、裏切りといったものに苛まれているのです。懐疑主義が美徳になり、
シニシズムや厳格な証拠主義がひとつの見識とされるようになりました。
科学には、畏敬すべき点が少しでも少しでもあるでしょうか。
科学は、生まれてもいない胎児を調べて答えを導き出そうとする。遺伝子さえも組み替えようとする。
意味を探求するあまり、神の世界をどんどん細かく切り刻み・・・・・・・・・あげくの果てに、
見つかるのはさらなる疑問ばかりなのです。科学と宗教の古来の戦いは終わりを告げました。あなたがたの勝利です。
ただし、あなたがたは正々堂々と勝ったのではない。答えを示して勝ったわけではないのです。
人間社会を急激に別の方向へ差し向けることで勝利し、そのために、わたしたちが指針としてきた数々の
真実を骨抜きにしてしまいました。宗教は追いつくことができません。科学の進歩はすさまじい勢いです。
亀裂がますます深まり、宗教が取り残されるにつれ、人々は虚無感に襲われます。
わたくしたちは意味を求めて叫んでいます。そう、本当に叫んでいるのです。
UFOの目撃、チャネリング、霊との交信、肉体離脱体験、精神世界の探求―――この手の奇矯な概念は、
見かけは科学を装ってはいますが、実体はあまりに不合理です。
それらは孤独と苦痛に苛まれた現代人の魂の叫びなのです。
現代人はみずからの知恵におぼれ、テクノロジーから切り離されたものに意味を見いだす能力を失って
浮き足立っているのでしょう。
科学は人間を救う、とあなたがたは言う。しかし私に言わせれば、科学は人間を破滅させてきたのですよ、
ガリレオの時代から、教会は科学の飽くなき行軍を減速させようとつとめてきました。
ときには誤った方法もとりましたが、つねに善意をもって臨みました。それでも誘惑はあまりにも大きく、
人はそれに抵抗することができない。
まわりをご覧なさい。科学が約束したことは まったく守られていない。
効率化と簡素化は 汚染と混沌を生み出したにすぎません。
わたくしたち人間は、分裂と混沌のただなかにある種であり・・・・・・破滅への道を突き進んでいるのです。
科学はとは、どんな神なのでしょうか民に力だけを与え、その使い方に関する倫理の枠組みを示さないというのは、
どんな神でしょうか。子どもに火を与えるだけで、それが危険だと注意をしてやらない神とは、いったい何者ですか。
科学の言語には善悪を判断する指針がありません。科学の教科書には核反応を起こす方法は書かれていますが、
その善悪を問う章はないのです。
科学者たちは 大量破壊兵器を量産しますが世界中を飛び回って指導者たちに抑制を求めるのは教皇です。
あなた方はクローン生物を作り出しますが、人々におのれの行動の倫理的な意味を考えるよう釘を刺すのは教会です。
あなた方は人命を救うための研究と称して胎児を殺すことまでやってのける。そのような理屈の誤りを指摘するのも、
やはり教会なのです。
そして、あなたがたは一貫して、教会が無知だと言い張ってきた。しかしほんとうに無知なのは誰ですか。
稲妻の性質を説明できない者と、稲妻の恐ろしい威力に敬意を払わないものどちらでしょうか。
教会はあなたがたと心をかよわせようと努力しています。ひとりひとりへ手を差し出しているのです。
ところが、こちらが手を伸ばせば伸ばすほど、いっそうあなたがたはそれを払いのけようとする。
神が存在する証拠を見せろと言う。しかし、望遠鏡をのぞいて天国に心を向けてごらんなさい。
どうすれば神が存在しないなどと思えるのか教えてもらいたい!
神はどんな姿なのかとあなたがたは問う。どこからそんな質問が出てくるかと私は尋ねたい。
答えはひとつ、いつも同じです。あなたがたは科学の中に神のお姿が見えないのですか?どうすれば見逃せるのです!
重力の強さや原子の重さがわずかにちがっていただけで、宇宙がこういう壮大な天体の海でなく生命のない霧になっていた
はずだと断言しながら、それでもなお、神の力を見いだせずにいるのですか?
億兆のトランプの山から偶然にも正しい一枚を選んだだけだと信じるほうがたやすいなどと、本気で思っているのですか?
数学的に不可能なことを信じるほうが、自分たちにまさる偉大な力の存在を認めるよりましだ考えるほど、
人間の精神は破綻をきたしているのですか?
神の存在を信じていようといまいと、これだけは信じなくてはなりません。
種としての人類が自分たちより偉大な力への信頼を放棄する時は
おのれの行為への責任感をも放棄するのです。
信仰とは・・・ あらゆる信仰とは・・・
この世には人間の理解を超えた偉大な存在があり、私たちはその存在に対して責任を負っているという戒めなのです。