ああ出た。
要素は2116、04、今日は9月21日、IDは330
煮詰めた数字は10.4.9.3.6と言うことで…もっと煮詰めてIPは5、日付とIDは9.3.6
95 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/21(日) 23:58:59 ID:Ku7n62dm0
>>90 例えば予言は、未来起こるべきことを知るプロセスではなく、
予言されたから起こる、みたいなw
…ああ出たじゃねーやバカorz
>>自分
やってることが違うでしょうがよ
まあいいや。
神仏君と同一人物だとお疑いの方、
あるいは違う方とお間違えの方、完全な別人だってことでご了承ください。
>>95 そっちなら何とか理解の範疇だわ。
それは在り得るよね。
>>95 ある程度の集合意識に固定されちゃったら、予言の実現性は高いかも。
呪と同じ感覚…で捉えていいんだろうか。
うーん、やっぱり結構難しいな。
可逆性とネットワークを勉強してくるね。
ちょいと齧ったくらいじゃダメっぽいけど…みなさんオヤスミ。
時間の逆行から、因果関係の逆も考察できるよね。
現在から未来への時間軸で見ると、原因→結果になるわけだけど、
結果が現在あって、その原因が未来にあると。未来が現在に干渉していると言えばいいのかな?
例えば日月神示の存在は結果だけど、未来を見通した神示であるなら、原因は未来にあることになる。
日月神示は時間の不可逆性を超えていると言えるよね。
そして未来からやって来た神示を、現在(神示が示す世界から見れば過去)を生きる人が信奉し、
それに沿って考え行為するなら、未来の原因に向かって、過去が結果を出しているとも言えるよね。
これって面白いなと思います。
>>100 記念すべきレス番100の扉を、あなたが時間って言葉で開けてくれたのが、個人的にとてもうれしい。
レス番100の内容で、次の100レスの方向が決まると、自分で決めてたからw
だからアリガトウ。
例えば、目の前に数本の木があって、それぞれに糸が繋がれてる→縦糸(決まった未来・予定)
それを今、自分は横に糸を通して紡いでいる→緯糸(自分の行為行動)
自分の後ろに紡がれた織物には、さまざまな模様が入ってる→織物(因果・結果)
こんな感じかな。
タテイトで大枠の未来(予定)は決まってるから、勿論それに沿って織っていくんだけど
ヨコイトの色や状態で模様が決まる。
神示には「ア」「ヤ」「ワ」ってよく出てくると思うんだけど
アは天、ヤは人、ワは地だから、織物を現す「アヤ=綾」と「アヤ=文」は「天・人」。
「ヤワ」は柔らかいの「やわ」だし、ひっくり返ると「ワヤ」になる。
ヤ(人)がワ(地)に干渉すると農になり、土は柔らかくなるし、
ワ(地)がヤ(人)に干渉すると地震になるw
だからアヤはア(天)がヤ(人)に干渉したもの。
だから織物に例えてみたw
面白いよね。で、それなら懸命にヨコイトの方を磨こうかと言う気にもなるなw
時間の話は継続ということで…
>>102 この一戦は背後存在とは関係ない「個」のぶつかり合いだと見ていますが、
霊術合戦ともなろうものなら、それこそ弁当持参で高みの見物といきたいですw
高見の見物が一番いいですね。
お稲荷さんでも作りましょうかね。
105 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/23(火) 21:19:23 ID:UQIhXCcc0
今年は3
来年の数字は何ですか?
106 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/23(火) 21:46:27 ID:Yf7z0j/D0
>>105 今年は表が【7】で裏が(3)、
いろんな現象が次々成る(浮上する)年で、
それとバランスを取るための逆の力が(3)だと思います。
どちらかがプラスでどちらかがマイナスに働くってことではなく、
表裏どちらの数字も、互いにプラスにもマイナスにもなるようです。
来年は表が【10】で、裏が(4)です。(裏数は一つずつ昇っていきます)
4は世であり、秩序や理性でもあります。
10は祓いの数字ですから、浄化=火にまつわる事件事故も多いかもです。
で、秩序と理性が求められる。決して理性と秩序に守られた、平和な年とも言えなさそうですが…。
刑事事件関連の統計までは取ってないんで、断言まではできませんが。
来年と同じ数列の1982年はホテルニュ−ジャパン火災、1991年は雲仙普賢岳大火砕流、
前回の同数列である2000年は、有珠山と三宅島が噴火してます。
話半分で聞いてくださいw
ロムからです、数字おもしろいですねw
>>74の意識マップがよくわからないんですが、レベルやプロセスやログ、
あれは何か意味があるんですか?
自己を高めるための目安みたいにしか考えてないんですが…
109 :
17 ◆9mnRuwuPA. :2008/09/27(土) 10:17:14 ID:+8WLJ8wc0
規制に引っかかっちゃいました。
ネカフェから‥書き込みできるかな?
110 :
17 ◆9mnRuwuPA. :2008/09/27(土) 11:11:48 ID:+8WLJ8wc0
>>108 >>レベルやプロセスやログ〜何か意味が
言われて初めて気づきました。
もともと、あの本自体が日月の騎士君と会話しようと思って読んだものだったので
内容はともかく、マップは流し読みしてました‥
108さんと同じで、目安程度にしか思っていなかったので。
改めて見てみるとなかなか面白いですね。
私は愛は「泉のようにこんこんと湧き出て、尽きることがないもの」って
そんな認識なんですが、
このマップでも愛は500−五は数霊でも「出」なんですよね。
プライド175を一七五とすれば、「ひないずる」とも読めるw
一七とは自我の確立であると‥ww
照らし合わせて読むと楽しそうです。
やってみようかな。
111 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/27(土) 11:59:12 ID:eQvM9qVzO
ゾロ目♪
112 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/27(土) 14:42:54 ID:WWaO+ro60
プライドのレベルのままか。
私は普段は175〜20あたりを彷徨っていると思います。
20まで落ちると1000を通り越し(ほぼ素通り)
500前後でしばらく浮遊してる感じです。
瞑想などを利用するような方法だと、20から段階的に上がって行くものなのかな?
私はレベル(この言葉は嫌いですが)を移動する時、
必ず生活の中で、他人を介在しての移動になるようなので
「20=恥」がものすごく重要なキイになります。
恥の後には、必ず何か大きな移動がやってくる。
振り子と同じで、かけられた力(ストレス)の分だけ移動します。
「大きな恥は大きなレベルの移動を伴う」ってことでしょうか。
さて…10月に入りましたね。
2008.10.1=1.1.1と、1が三つです。いや、正確には二つの10と一つの1。
何かあるかな…?と思ったら、滋賀美濃あたりで軽く地震が。
震源地近くには「神戸」という地名があります。
2008.10.10は「10.10.10」、扉が三つ並ぶ。
最後の扉も全開になりますか。
この日付あたりで、でかい地震があるとは思えませんが。
昨日、777と綺麗に並んだ数字を見たけど、正確には777.68=35=8
どのみち、この余波が八方に広がるのは確実だけど、綺麗に数字が着地したのでびっくりしました。
私は贅沢とはご縁がなかったけど、この世界(経済)は別に嫌いではなかった。
豊かさから生まれた美しいものも、たくさんある。
この一年はとても早かったけど、ここから先はもっと早いか。
昨年の今頃は、まだラビ・バトラのサイトを見て笑う余裕があった。
ただ、ジェットコースターに乗せられてると思えば退屈はしない。
115 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/01(水) 21:32:22 ID:2ShZG4zC0
116 :
61:2008/10/01(水) 22:42:34 ID:KL8kiN7b0
0って何も無い事だとずっと思ってた。どうも違う様だ。
0って基準かな。電圧みたいなものだ。
8・9・10で10っていうのは新しい基準の0だ。
だから0+1・2・3・4・5・6・7・8・9なのだ。
あわせて10、十、神の道。
最初のゼロは空っぽではなく、すべてを内包し育む「根源」だと思う。
>>だから0+1・2・3・4・5・6・7・8・9なのだ。
>>あわせて10、十、神の道。
ネットワークは一つの「ククリ=9」だ。
9で括られた時、その時点で戸=10が出現する、または在るってことでいいかな。
開けられるために閉められた扉だ。
ゼロが在る時、そこには1から9までの数字がプログラムされていると思う。
だからだろうか。
私はひふみ神示を読めば読むほど、安心できるんだ。
1はあくまでも2への布石であって、いきなり3になったり5になったりしない。
目の前に在ること、起きることは、すべて「現在の状況プラス1」への布石だと思える。
罵倒も叱責も、誘引される恥も、イヤなこともいいことも、
万とも億ともそれ以上とも思えるほど在る「自分にはわからないこと」、
捻れたように見える矛盾もすべて、次の1を積むための小さな小さな1でしかない。
たったの1だ。10でも100でもない。
でも1を積まなきゃ、9もない。最初の10は絶対に出てこない。
法律や常識がどうとか、誰が善とか悪とかではなく
それが「受け入れる」「飲み込む=肚に入れる」ってことだと思う。
自分が在る時、10もきっと、すでに在るんだ。
みんな安心して「自分の1」を踏んでまっすぐ立ったらいい。
獣も神人も、みな死んだら根源のゼロに還る。
なら私は生きてる限り、獣のままで小さな1を積み続けるよ。
0.00000000000000(好きなだけ中略)…0.1かも知れないけどね。
さて…いろんなところが激化してきた模様。
相撲界は大麻の後は八百長…
ここ数日、私は文字も追えないほどひたすら眠かった。
井沢元彦著/「井沢式日本史入門講座 1.和とケガレの巻」を読んだ。
面白かったのでメモしとく。
聖徳太子については、その実在性に疑問が投げられているみたいだ。
私が子どもの頃は、聖徳太子は普通に歴史上の人物だった。
どっちが正しいのかわからないけど、アバウトに考えて607年に
「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」と
隋国の煬帝と対等に外交を行おうとした人が日本にいた。
そして「十七条憲法」。初出の日本書紀を信じるなら、制定されたのは604年。
十七条憲法がいつ記述されたものかも不明らしいが
それでも、日本書紀が編纂された時=720年には「十七条憲法」は確実に在ったってことだ。
井沢氏はこの「十七条憲法」の本質に言及している。
一条と十七条で、条文が同じだって。
誰が作ったものかはともかくとして、日本人の根底にあるものはこの二つの条文だと。
一に曰はく、和を以て貴(たつと)しと為し、忤(さから)ふこと無きを宗と為す。
人皆党(たむら)有りて、亦達者少し。是を以て或は君父に順(したが)はずして、
乍(たちま)ち隣里に違(たが)ふ。然れども上和(やはら)ぎ下睦(むつ)びて、
事を論(あげつら)ふに諧(ととの)へば、則ち事理自ら通ず、何事か成らざらむ。
(現代語訳)
みんないろいろと考えはあるけど、見通せている人は少なくて、自己都合でワガママ言ってる人は多いよ。
でもみんなで話し合ったら理は自ずと通るから、必ず上手くいくよ。
十七に曰はく、夫れ事は独り断(さだ)む可らず。必ず衆(もろもろ)と与(とも)に
宜しく論(あげつら)ふべし。少事は是れ軽し、必ずしも衆(もろもろ)とす可らず。
唯大事を論(あげつら)はんに逮(およ)びては、若し失(あやまち)有らんことを疑ふ。
故に衆と与(とも)相弁(わきま)ふるときは、辞(こと)則ち理を得。
(現代語訳)
物事を独断で決めるのはだめだよ。必ずみんなで話し合おうね。
小さいことはまあいいけど、大きなことは一人で決めたら間違うかもしれないから、
みなで話し合って決めたらいいよ。
井沢氏は、この根底にあるものが現在での談合になったと言う。
一社が大儲けして利を得るのではなく、
事前に話し合って、持ち回りでみなが利を得ましょうってシステムだ。
以下抜粋引用
>>今日本では、銀行の統合がさかんに行われています。(中略)
>>しかし、今のかたちが本来の姿なのだとしたら、なぜ以前の日本では
>>小さな銀行がたくさん並立できたのでしょうか。
>>それは、日本の銀行が護送船団方式を取ってきたからです。
>>ごく簡単に言うと、みんなが一番体力の弱い金融機関に合わせて、
>>むちゃなことはしないでおこうというやり方です。(中略)
>>しかし、そうしたやり方では、国際競争では負けてしまいます。
>>そのため最近は、少なくとも経済の分野では、統合がさかんになってきているのです。
談合も八百長もいかんだろうと思う。滞った水は腐敗するからだ。
いけないのは「和を以て貴しと為す」ことではなく
特定の数人、数十人だけが利を得るってところだと思う。
生き残りをかけ、厳しい競争を勝ち抜いてきた者たちが
こうしてどんどん崩れていくのを見ていると
「和を以て貴しと為す」ことの意味を考えざるを得ない。
聖徳太子が生まれたとされている推古天皇の時代、
17 ◆9mnRuwuPA.特製暦では「2.5.8」で、表裏の数字が出る時代だ。
それ以前、推古天皇即位前の欽明天皇の時代にも、「1.4.7」で表裏数が続く時代が約30年ほどある。
仏教はこの頃日本に入って、寺社が作られ、確立された。
↓
そして敏達.用命・崇峻と三代天皇が変わる20年の間、
仏教擁護派と否定派の間で小競り合いがあり、きな臭い時代を過ごす。
この時代は表数のみ。裏数が出ない時代。
↓
蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺、推古天皇が即位。「2.5.8」で表裏数が出る。
仏教興隆の詔、冠十二階制定、十七条憲法、遣隋使派遣、暦の使用、
先に出した大国である随と対等に外交しようとする姿勢など
急速に、国家が整って行くのが見える。
聖徳太子がいようがいまいが、私にとってはどうでもいい。
表裏の数字が出る時期、善くも悪くも、歴史は急速に動く。
そして、それは当たり前のことだけど、歴史はいつも人に引っ張られて為されるってこと。
そしてまた、これも当たり前のことだけど、
人によって牽引されてきた歴史は、今の我々にも密接に関係がある。
動く時期に制定されたと言われている「十七条憲法」に、日本人の本質があるとするのは
ワクワクするような事実だと思う。
>>123 自己レス
×聖徳太子が生まれたとされる推古天皇の時代〜
○聖徳太子が天子となったとされる推古天皇の時代〜
ひふみ神示には「生き通しのてんし」やら
「てんし(=天子)」のキーワードがたくさんある。
これを現在の皇室とするべきなのかについて、私は疑問を感じるんだな。
イエスの再臨だと言う人もいるね。
天子が、もうこの世に身のない聖徳太子を指すとしたらどうだかな。
この人は天子のままで亡くなってしまった。(とされている)
大国随を怒らせた「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」も強烈なキーワードとして残る。
我々の中に息づいている「和を以て貴しと為す」=護送船団方式(本質的な)が
もしかしたら「生き通しの天子」かも知れないと思うんだ。
私はミロクの世など、どうでもいいと思ってるんだ。
だからアセンションにも何の魅力も感じない。
以前「私はこの世界は嫌いではない」と書いたけど、むしろ大好きだ。
昨日、家族に「腹も減らず、食わずに生きられたら、それってすごいことじゃない?」と聞いたら
そっけない答えが返ってきた。
「そんな楽しみのない世界、なんか俺はイヤだな」w
「楽しみが欲しいなら、時々食えばいいじゃん」
「腹が減るから何食おうかと想像して、その時間が楽しいんじゃないか」
私は笑った。本当だなと思ったw
はて…妄論飛ばし過ぎなのかな。
…小学生の夏休みの自由研究にも叶わんw
それでもひたすら続く独り言。
127 :
明和高校名古屋大学河合希:2008/10/04(土) 21:55:20 ID:tc9dIOB60
みなさま
ひふみ祝詞 をどのように感じますか?
教えてください
ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる よゐつわぬ そをたはくめか
うおえ にさりへて のますあせゑほれけ
数ある 「ひふみよいむなこと」で始まるひらがな紀元説の1つにすぎない
ゴミ以下。
17の妄想で、なんの価値もない。
>>127 はてさて。
実はほぼ何も感じませんです。
「ひ〜ろ」までは確実に数だとわかっているので非常に気持ちいいんですが
そこから先は私にとってはカオスです。
朗々と謳える段階とか、そういう感覚ではないです。
個人的には大祓詞の方が好きです。
あと「よゐつわぬ」じゃなくて「ゆゐつわぬ」?
>>128 ひらがな紀元説ってのがよくわからないんで、説明してくれるとうれしい。
私にとって価値のあることが、多くの人にとって無価値であるのは認めるよ。
私は結局「みなに起きることは、すべて正しい」ということを証明したいんだと思う。
「正しい」と言うのは個人にとって善とか悪とか幸不幸(=自己都合に基づく正邪)ではない。
水は火によって沸騰し、火は水をかけられたら消える。
世の中はそれと同じように、非常にシンプルな原則に基づいて動いているってこと。
感情がエネルギーの活動だとしたら、それにもまた同じような原則が流れてる。はずだ。
水は二つのHと一つのOで構成されてる。
水素も酸素も、どっちも燃えるものじゃない?
なのになぜ、火は水の中で燃えていられないのか…水は燃えないのか…
私はそれすらきちんと説明できないんだから、今の私の段階じゃ
その「シンプルな原則」で、到底人を納得させられないのはわかってるんだ。
でも、起きてることはすべて「正しい」はずなんだ。
逃げても逃げても追ってくるから、不思議な現象に逃げ込んだり、宗教的な救いやご利益云々、
一時的に辛いことから回避、地上から足が離れることは、まったく時間の無駄なんだと言いたいんだ。
正しいのだからすべて飲み込んでしまえ、と言いたいんだ。
逃げたら問題が消えるわけじゃない、リセットできるわけじゃない。
もっと大きく複雑になって、やがては追いつめられることになる。
追ってる人に追われてると思い込んでるけど、実は自分で追わせてるんだ。
だから、飲み込めないほど大きくなるその前に、全部ごっくんしてしまえばいいんだ。
でも、そんなこと言ったって、逃げたい人たちには届かないだろ。
たとえば「私の背後には天使がついてる」って人を納得させるのに一番強いのは
「私にはあなたの天使より上級の天使がついてて、原則を言ってるよ」だろうけど
そんな根も葉もない嘘はつけないよ。私には別に何もついてないんだもん。
だから目に見える形で実証したいんだ。それが私にとっては数だし、歴史だ。
私の妄想であると言われても、ゴミ以下と言われても仕方ないと思うよ。
だって、伝え方がヘボいんだから。水と火も問題すら、説明できないんだからさ。
長々と言訳、御免。
もう一つ。
「私には天使がついてる」(神でも守護霊でも何でもいい)って人も
それで毎日が幸せで美しく、他者をいたわり自分を大切に生きられるならそれは「正しい」。
東証4年10ヶ月振りに一万円台割る
2003.12.11以来
物質は原子から組み立てられ、原子は陽子や中性子から成り立っている。
では、これ以上分割できない「究極の粒子(クォーク)」はないのか。
それを見つけ出すことが常に科学の最先端テーマだった。
小林誠・高エネルギー加速器研究機構名誉教授と益川敏英・京都産業大教授は
未発見の究極粒子の存在を予言。
湯川秀樹博士以来、日本のお家芸ともいえる素粒子物理学の最前線を切り開くきっかけをつくり
なぜこの宇宙が存在するのかという謎に迫った。
宇宙の物質を作っている「粒子」には、質量が等しく正負が逆の電気を帯びた「反粒子」がある。
陽子は正の電気を帯び、反陽子は質量が等しく負の電気を持つ。
粒子と半粒子は、電気の正負を除いて、まったく同じ性質を持つと考えられ、
「CP対称性」と呼ばれてきた。ところが1964年、粒子と半粒子が電気の正負以外にも
微妙に異なる反応を示すことが実験で観測された。それが「CP対称性の破れ」だ。
なぜCP対称性が破れるのか。1972年、京都大理学部の助手となった小林氏は
先輩の益川氏とともに「CP対称性の破れ」という物理学の難問に取り組み始めた。
両氏は数ヶ月の議論を重ね、破れが説明できないのは
究極粒子とされるクォークの種類が足りないからだと気づいた。
当時見つかっていたクォークは三種類。クォークが六種類以上あれば破れが説明できるとする論文を
専門誌「理論物理学の進歩」に発表した。
論文はわずか六ページ。クォークが六種類以上という話は最後のページにようやく登場する。
クォークが三種類しか知られていない当時としてはあまりに大胆な発想で、ほとんど反響はなかった。
ところが、まもなく四種類目のクォークが見つかり小林・益川理論は注目を集める。
77年には米フェルミ国立加速器研究所が五種類目のクォーク「ボトムクォーク」を発見すると
小林・益川理論は広く受け入れられるようになった。
六番目の「トップクォーク」は日米欧が競い合った結果、95年にフェルミ研究所が見つけ出し、
小林・益川理論の予言は的中した。
さらに99年から、高エネルギー加速研究機構と米スタンフォード大で「CP対称性の破れ」現象を
詳しく調べる実験が始まり、99.99%以上の確率で小林・益川理論が正しいとの結果が出された。
クォークとは
物質を構成する基本粒子である素粒子の一群。
アップとダウンの「第1世代」、チャームとストレンジの「第2世代」、
小林・益川理論が予言した「第3世代」のトップとボトムの計6種類がある。
原子核の中の陽子や中性子は、クォーク計3個から成る複合粒子。
電子やニュートリノなど「レプトン」と呼ばれる素粒子も3世代、6種類ある。
世代数が増えるほど重く、不安定になる。
宇宙の大部分の物質は安定な第1世代の粒子だけでできている。
素粒子にはこのほか電磁気力を媒介する光子など4種類の粒子がある。
さらに質量を生み出すヒッグス粒子(未発見)があると考えられている。
CP対称性の破れ
「C」はチャージ、「P」はパリティーの略。
チャージは粒子の持つ電荷を示し、パリティーは鏡に映した鏡像の世界を示す。
粒子の電荷の正負を入れ替え、鏡に映すと反粒子になる。
CP対称性が破れるとは、粒子と反粒子が異なる性質を持つことを示す。
アップとダウン、チャームとストレンジ、トップとボトム
二元論がベースになるのも無理はない。
だって元々が二元論なんだから。
火山活動、各地で高まる 噴火予知連、警戒呼び掛け
火山噴火予知連絡会(会長・藤井敏嗣東大地震研究所教授)は8日、気象庁で定例会を開き、
浅間山(群馬、長野県)や霧島山(宮崎、鹿児島県)、雌阿寒岳での
噴火や火山性地震の増加を挙げ「各地の火山で活動が高まっている」と警戒を呼び掛けた。
浅間山では8月以降、火山性地震の回数や噴煙量が増加し、
中旬にごく小規模な噴火が発生、噴火警戒レベルを1(静穏)から2(火口周辺警報)に引き上げた。
霧島山の新燃岳は8月に火山性地震が増加し、22日に噴火。
警戒レベルを1から2に引き上げた。火口西側斜面で新たな割れ目なども確認された。
雌阿寒岳では、9月下旬から火山性地震が増加、
29日に地下のマグマ活動を示す可能性がある振幅のやや大きい火山性微動が観測された。
口永良部島(鹿児島県)でも、地震増加など活動が高まっており、
桜島(同)も爆発的噴火が時々発生するなど、活発な状態が続いている。
ttp://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/122235.html
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/水からの伝言 (抜粋)
本書やその続編で江本らは結晶を作る際に「ありがとう」や「平和」など
「よい言葉」をかけると美しい雪花状の結晶ができて、
「ばかやろう」や「戦争」など「悪い言葉」をかけると汚い結晶ができるという
物語を好んで取り上げている。
言葉のかけ方は「紙に言葉を書いて、水をいれた瓶に貼る
(この際に、水から「見える」ように文字の書かれた面を内側にして貼る)」
あるいは「水のはいった瓶に向かって声をかける」などである。
また、水を入れた瓶に「音楽を聴かせる」と音楽の種類によって結晶形が変わるといったお話である。
(科学的注釈)
また、藤倉珊は『トンデモ本の世界T』ISBN 4872338499において、
同じく中谷宇吉郎の研究を取り上げチンダル像による負結晶(逆結晶)、
別名「ウォーター・フラワー(Water Flower)」とする異説を唱えている。
水の結晶と称される写真に、チンダル像ができる際、
水蒸気によってできる穴と同じような物が見える。
シャーレに水を分け、氷点下で凍結し、その後顕微鏡で視る。
という撮影プロセスの中で顕微鏡の落射照明により氷が融解する。
等の指摘を行ない、結晶の写真の美しさは、氷の融解する過程において、
タイミング良く負結晶ができる瞬間の写真が撮影できるかどうか。
つまり、シャッターチャンスの妙味だとしている。
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水は水。音楽はともかくとして、人間が勝手にわけた善悪など、自然には関係がないはず。
プログラムから外れたものだけが自然から排除される。