1 :
ドミン:
以前ここのスレで目にした記憶があるんだけど蘇民将来って何?
そんなに謎の多い神様なの?
知らん
4 :
本当にあった怖い名無し:2008/08/13(水) 16:48:22 ID:a6HbepQm0
神様じゃないよ、人間だよ。
人類が驕りたかぶったとして、神は地上の人間を根絶やしにすることを決めた。
しかしただ一人、敬虔なる蘇民将来と、その一族にだけは、
生き延びる事を赦されたという・・・。
世界中で様々な呼び名がある・・・。
ごめん言葉すくなかった。
蘇民将来、蘇民将来札や蘇民際等の資料はけっこうあるんだけど
牛頭天王から素戔嗚尊、八王子とくるとよくわからない。
特に毒蛇気神とかになると殆どその記述すらも無いよ、もの凄く祟る神らしいけど。
6 :
Mockon☆TheHedomodo:2008/08/13(水) 18:50:02 ID:8AKLxjuI0
蘇民将来もってるよ。昔、はまってて自分で作ったりしてた。
7 :
本当にあった怖い名無し:2008/08/13(水) 19:40:20 ID:rApSOy4kO
旧約聖書の出エジプト記かなんかにある儀式が紀元じゃなかった?
つまり半島とか大陸とかの信仰を当時の信仰を操作できる立場にあった
秘術師が操作した形跡が考えられるという結論に至った気が。
毒蛇気神や八王子とかの背後関係の伝承からおそらく陰陽系の術者の影響
あるいはもっと大陸直系かもしれないけど影響が垣間見える。
10 :
本当にあった怖い名無し:2008/08/13(水) 20:00:34 ID:Md5sUk6IO
デブが全裸で白目をむくやつか
11 :
本当にあった怖い名無し:2008/08/13(水) 20:06:43 ID:HUFiaBaQ0
ああ、あったあったこれだこれだ
ttp://occultycurrymania.myhome.cx/occult/htmlold/1141/1141492722.html あとこれとか参考に
243 :本当にあった怖い名無し:2006/04/27(木) 01:39:14 ID:ohzzLOKd0
外来の神が異なる文化圏で十分な神威を持って活動するためには通常の手段として
十分な信者を確保して、その文化圏内で一定の信仰と認知度を集める方式が一般的である。
が、これが呪術神などの一般には伏せておきたい秘神の類である場合等は上記の方法は使うことができない。
そうした場合は異文化圏に現存する信仰と融合させるという術方がとられることがある
本地垂水説などがそのわかりやすい例でもあるがこの方式であるならば対象の神威を半ば強引に発揮することが可能である
コンユンクティオ(合一)の秘法。この神繰の類は秘術の中でも特に存在を秘匿される秘法中の秘法であるされるらしい
合一の方式はさまざまであるが例としては習合をはじめ婚姻・合神・調伏・吸収・肉喰などが挙げられる
また、この手の類に関しては隠匿性が高いという特徴上原型となった信仰がわかりづらくなっていることが多い
13 :
本当にあった怖い名無し:2008/08/14(木) 09:44:28 ID:T6tPYOQ70
東北の真冬にやるうほっ祭りの事かしら?
ちんこの押し付け合いとかしてるらしい。
>>11 こういう説はどこから出てきたんだろうな。
ちょっと信じられない。
16 :
1:2008/08/15(金) 03:39:24 ID:uvm9YIW+O
>>6 いいな、くれ。
>>11 ソースありがと。
彼らは何故抹消、または隠されたのか。
中世の人々がそれ程畏れたのは疫病だけなのか。
牛と農耕神との関係。
日本の神々において末弟の示す位置。八王子に置いては蛇毒気神、他に素戔嗚尊、大国主命など末子のもつ特異性。
八頭大蛇から剣が出るのは何故尻尾か。
現代に生きているのは伝承、祭事だけなのか。
等々、興味は尽きないです。
>>15 すべからく信仰とは操作されているものだと思うが
18 :
本当にあった怖い名無し:2008/08/16(土) 22:17:58 ID:fSV5CukS0
今のオカ板ではこの手の話題に弱い人間しか残っていないのが現状
まったくもって隠された知識の寄り合いじゃねぇという現実
民俗学板でやれ
これからオカルト的要素がふんだんに盛り込まれるのに…。
21 :
本当にあった怖い名無し:2008/08/17(日) 11:34:44 ID:2v7DElt50
つーか、隠された知識の探求こそがオカルトの本質だろ
なんで民俗学板なんだよ。あそこは隠されていない知識の探求しかできない場所じゃねぇか。
ファック
久しぶりに民俗板覗いたら驚いたよ。
すっかりオカルト板っぽくなっていた。
昔のように学問的に詳しい人が少なくなってるっぽい
?ん、むか〜しとある村に旅人が訪れて村人は大層なもてなしをするんだけれど、旅人が安心した後で「身ぐるみ」はがしれ命までも・・・・?
その行為に関係して!?村の家々では「祖民将来」の札を云々・・・・でないの?
まぁ、それは伝承のほうだけど・・・不自然な伝承だと思わないか?
>>22 つまり19のような草の根活動が実を結んだと
>>25 両方とも書いたの俺なんだよ。
久しぶりにどんな話題で盛り上がってるか覗いてみるかって
行ってみたら、あまりに子供っぽくなってるんで驚いた
>>26 お前のようなヤツがいるからオカ板からカオスが流出するんだなw
29 :
本当にあった怖い名無し:2008/08/22(金) 23:36:55 ID:UPndLupK0
30 :
本当にあった怖い名無し:2008/08/22(金) 23:47:35 ID:DjZDOKJUO
1
読んでない、何が描いてあるの、屍鬼?
スレ立って10日あまりというのにやはり最初から過疎ってますね。
そろそろオカルトいきますか?
私も医者や学者じゃないからあまり詳しいことは知りません。
あくまで知り合いの老人から聞いた昔話と思って、片目半分瞑って聞いてください。
疫病、今で言う伝染病ですけど、昔の人のよく言う災厄を招くその病原体中にはかなり長い期間を冬眠(休眠?)するものがいるのを知っていますか。
そしてそれらは何かの切っ掛けで(或いはある周期に基づいて)フト頭をもたげて再び猛威を振るったりする、そんな菌(その老人はただ単純に病気と言っていましたが。)があるんだそうです。
その老人の棲む村の端をけっこう広めの川が流れていまして、水質はきれいで私も子供の頃は夏になると村の子供にまじってよく泳ぎました。
その川は周りの景観こそ変わったものの、現在も街の端を流れていますし、今でも釣りや川遊びを楽しむ人がいるそうです。
その川自体は別に問題はないんです。
話の発端は、その川と源を同じくするもう一つの川に私達が入ってしまったことなんですよね。
先に村の端を流れる川、って書きましたけど、じゃあ川の向こう岸はというと、かなり勾配の急な(子供の目には殆ど崖…)山の斜面になっているんです。
で、その山の斜面に沿ってずっと上流へ登って行くと、斜面の終わる辺りで山の向こう側へと流れが分かれるんです。
つまり其処を境にして山のこちら側を流れる本流と裏側を流れる支流とに分かれるんですね。
説明下手ですいません。空から見ると細長いツチノコ型をした山の両脇にそれぞれ流れがある感じなのですが…わかります?
村から見てこちら側を流れる本流は日当たりも良くて遊ぶには絶好の場所です。
片や山の向こう側は、川の向こうは更にまた山があって日当たりも悪く、暗くジメジメした場所でした。
しかも村では子供はもちろん大人でさえも絶対に入ってはいけない場所になっていました。
でも子供ですから、しかも私なんかは一月もしたらまた都会に帰ってしまうわけですし(夏休みで遊びに来てた)。
行くなと言われれば、どうしても行きたくなる。
行きました、村の子供らと数人で。
以下は老人の話ではなく私の体験です、その時の記憶を出来るだけ思い出して書いてみます。
川の広さは本流と比べると半分くらいだったです。
全体的にジメっとしていて木の根元や石には緑の苔がびっしりと生えて、もう随分人が入った事がないように思いました。
そのくせ細い道のようなものが川岸を下流に向かってずっとついているんですよね。
横を流れる川は底の石が見えるくらい浅い場所もあったし、底が見えない深そうなとこもありました。
私達は川の中を歩いたり横を通ったりして下流に向かって歩いて行きました。
この流れをどこまでも下れば川はまた本流と合流する。
私達は地図も見たことがないのに、その時は勝手にそう思い込んでいたんですよね。
でも川は途中で終わっていました。
川は、細長い山だとばかり思っていた山の斜面に向かって少し流れを変えて山肌に向かって、というよりは下に向かって吸い込まれるみたいに消えていました。
そして、流れが終わる直前に少し開けた場所があって、そこに丸い卵のような形をした石がいくつも転がってました。
電池なくなりました、すいません少し寝ます。
33 :
本当にあった怖い名無し:2008/08/26(火) 22:42:46 ID:Z4vPiy+L0
災厄を招くその病原体中にはかなり長い期間を冬眠(休眠?)するものがいる
パルボウィルスがそれですね。あれは怖い。
うちの子も感染して一週間もちませんでした。
釣りじゃねぇか…
すみません、ホントにスミマセン。
>>32書いた者です。
スレ落ちたかと思ってました。
検索の仕方わるかったみたいです。
こういう粗忽な人間が書くものですからあまり期待しないで下さい。
ともかくも、少し落ち着いたらまた続き書きます、ホントすいません。
39 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/03(水) 01:30:22 ID:XiWhvrt5Q
♪馬鹿言ってんじゃないよ〜
遅くなりました、
>>32の続きです。
川はそこで岩肌に向かって消えていました。
そしてそのまわりに少し開けた所があって丸い石が幾つか転がってました。
大雨が降った時などに川の水が一気にそこに押し寄せた為に広がったのか
また丸い石はそうして川底を流れてきたのかはわかりません。
ただ石は誰かの手によって、ある順序に従って並べ置かれているようにも思えました。
そして、水が岩肌に入り込んでいく穴(?)の手前の両脇に、高さ二メートル位の木の杭が二本経っていました。
両の木の間に比較的新しく見える縄が渡してあります。
おそらくそれは注連縄で、杭は神社の鳥居のように見せているのではなかったか、そう思いました。
第一印象はとにかく、暗く気味の悪い場所です。
しかも風が吹くと穴の中に木霊して、時折、ビョーっビョーッという音を出します。
たぶんそこにいた誰もが、来てはいけない場所に来てしまった、そう感じてたいたんじゃないかと思います。
>>41続き。
その晩から私は熱を出して寝込みました。
家の者は暑気にあたったか、川の水を大量に飲んだのではないかと思っていたようです。
けれども翌日になっても、さらに次の日も熱は下がりませんでした。
それどころか、いつの間に出来たのか、私の右の手の甲に火膨れのようなものが一つ出来ていました。
それは手の甲を半分埋めるように広がっていて、中に透明な水が溜まっています。
そしてその頃になって、あの日あの場所に行った者の中で他に三人、私と同じ症状に見舞われた子がいるらしいと聞きました。
いずれの子も熱が高く、それでいて本人はケロッとしている。
そして一人は首の後ろ、一人は口の中、あとの一人は尻の割れ目(?)に私と同じような火膨れが出来たという事でした。
私の場合は出来た場所が手の甲でしたから、自然それが目に入ります。
別に痛くも痒くもないのですが、どうしても気になります。
私は布団の中でそいつを飽かずにずっと見てました。
すると妙な事に気付きました。
薄皮の下、透明な体液の中に何やら赤い糸くずのような物があって、それがヒラヒラと動いています。
私はさらにジッと目を凝らしてソイツを見つめます。
よく釣りのエサに赤虫って使いますよね、ユスリカの幼虫?アレをさらにずっと細くしたような感じです。
最初は毛細血管が剥がれたのかとも思いましたが、それは確かに動いており、私の手の甲でダンスを踊っているように見えました。
気味が悪いというよりも、それは何とも不思議な光景でした。
ここで件の老人の登場です。
>>42続き。
その人は村でただ一人の医者でした。
医者と言っても、その人の家の構えは周りと同じ農家そのものでしたし、看板も出ていません。
以前、父とその家の前を通った時に聞いたのは、私の遠縁にあたる家で人も診るが牛も見る、そんな存在でした(実際皆からは獣医さんと呼ばれていました)。
普段から多少の事は大抵気力で治す、或いは舐めて治す、といったような田舎です。
その頃になってようやく医者(いまだに疑問符です)が呼ばれました。
一応医者の持つような鞄を持って、そして鞄の持つ手に蘇民将来符を下げて。
蘇民将来符は私の家でも普通に目の付く所にありました、よくある六角柱のものです。
昔から馴染み深いものだったのです。
ただ、この土地の蘇民将来の伝説は他所で聞くものと少しだけ違っていました。
続きはまた明日書きます。
wktk
>>43の続きです。
普通よく聞かれる蘇民将来の話は
北に住む武塔神があるとき南の女神を訪ねに行く。
疫隈の社まで来たときに日が暮れる。
困った武塔神は付近に住む金持ちの巨旦将来に一夜の宿を求めるが断られる。
そこで弟の蘇民将来の家を訪ねると、粟殻の布団と粟飯しかないが、と言いながらも快く受け入れてくれる。
数年後、再びこの地を訪れた武塔神は蘇民将来の家に赴くと
これより蘇民将来の子孫は茅の輪を腰から下げよ、さすれば子々孫々、蘇民の家は疫病から免れるだろう、と言って立ち去る。
最後に我は素戔嗚尊なりと言い残して。
その後実際にこの村を幾度か疫病が襲うが、蘇民将来の子孫だけはそれを免れた。
ざっとこんな話ですよね。
唐突にその後の私の病状です。
その老人(医者、獣医、藪医者、呼び方は人によって様々でした。)
は私の枕元に座ると、まず手の甲の火膨れをじっと見つめていました。
やがて鞄の中から小さな(細い)筒を取り出すと、耳掻きのような匙で中に入っている黒い粉薬を数匙、油紙の上に盛るとそれを私に飲ませました。
焦げ茶色の粉末で、苦いという言葉がぴったりのものだったことを覚えています。
その後も老人は二、三回来ては同じ様にして帰っていったと思います。
>>45の続きです。
その日まで相変わらず私は火膨れの中の虫を眺めていました。
それは最初に見た時よりも幾分か大きくなっているようにも思えます。
何よりもその頃になると虫が勢いよくクネる時、皮にコツン、コツンと突っ張るような感じがしましたから。
ところが老人の薬を飲んでから少し様子が変わってきました、虫は何だか元気がないようです。
薄皮の下の透明な液体が次第に緑色を帯びてきました。
ここにきて私はハテナ?です。
今までの経験上、私は人間の体の中に緑色の液体を出す臓器を知らなかったんです(当時の私は赤ん坊のヨナミもしりませんでした。)
体から出す色は赤と茶色(赤は血液、茶はウンコ、辛うじて鼻糞ミドリ系。)
それは透明な緑色、後年映画でみたプルトニウム(或いはグリセリン?)そんな感じで一見とてもきれいに見えました。
それがやがて濃い緑色になり、虫もあまり動かなくなり、とうとう黒く濁ってしまい火膨れは黒い瘤のようになりました。
一週間目くらいだったか、手の甲が痒いのでボリボリ掻いていると、その辺りの皮がベリッとごっそり剥けました。
今になって悔やむのは、あの皮を記念に取っておけばよかったと。
皮の裏には干からびた赤い糸くずのようなものが付いていました。
>>45辺りのような続きです。
老人が最後に家に来たときに私に向かって言いました。
お前は運がいい、あの場所に行って(この時には私達があの川に行ったのは既にバレていました)ここまで治るのは十に一つだ、と。
その時の私は他の三人(あの川に行き、同じ症状に見舞われた。)が今どうしているのかしりませんでした。
今この時になって考えれば、私は中間宿主として合格したということでしょうか。
老人は鞄に下げた蘇民将来符を手で弄びながらこんな話をしてくれました。
例の蘇民将来の伝説です。
けれどそれは先の話とまったく同じではなく最後の方が違っています。
武塔神が数年後に蘇民将来の家に泊まるところまでは同じですが、再び家を訪れた神は一人の穢らしい男を連れています。
私が思うにこれこそ少那彦尊ではないかと。
武塔神はこう言います。
彼はとても疲れて(憑かれて?田舎の発音なのでよくわからなかった。)おり、おそらくこの地で死ぬだろう。
だがしかし、その死体はけして焼いたり(火葬)埋めたり(土葬のことではないかと。)してはいけない。
この地の外れに小さな川があり、その果てに洞がある、そこに安置せよ、と。
そして蘇民の耳元に口を寄せて何事かをひそひそと囁くと、二年後にそれを取り出し、然るべき所にて祀れよ、と。
そう言って去って行ったそうです。
そして老人は最後に言いました。
私が飲んだ粉薬は、その遺体から作った最後の薬だと。
>>47続き、眠いです。
その場にいた家の人達はその話を聞き笑いました、何を法螺話をといった感じで。
(実を言えばそこは父の実家です、同席していたのは祖父、叔父夫婦、それに年の離れた従兄弟だったと思います。)
どうやら大人達は普通に聞く蘇民将来の話は知っていても、こちらの話は知らなかったようです。
或いは知っていても村の昔話程度にしか受け止めていなかったのか。
けれども老人は真剣に、半ば怒ったように言いました。
今の人間は疫病の本当の恐ろしさを知らん。
村のどこかしらの家から毎日のように棺が運び出され川で焼かれる。
その光景を目にしたならばけして笑ってはいられない。
いつかこの病気が(私を指差して。)、また(?)この村を襲うときがくるかもしれない。
実際これまでに幾度か何かしらの病疫による被害はあったようで、その後も諄々と彼はその恐ろしさを説いていました。
けれども話は難しくて、途中から私の記憶は途絶えています。
その中で祖父の顔だけがひどく真剣だったのを覚えています。
>>49続き、落ちます。
この村が果たしていつからあったのかはよくは知りません。
父などは秀吉の小田原征伐の際、その落ち武者がこの村をつくったのだと言います。
二○○一年に長岡京の跡から蘇民将来符が見つかっています。
実に千年以上前、今のところ日本最古のものと考えられていますから、或いはその小田原征伐よりも前にこの村はひっそりと存在していたのかも知れません。
私の中ではっきりしているのは、以上話した事が夢ではない証拠は、私の右手の甲につい最近まであの火膨れの痕が残っていました。
それはよく見ると馬の首のように見え、目に当たる部分にポッチリと赤く小さな穴が空いていました。
数年前、交通事故で甲をスリ金でおろしたように削ってしまっう前まで、それはかなりはっきりと残っていました。
(恥ずかしい話ですが私は子供の頃、それを聖痕とし我は選ばれし邪気眼を気取っていました。)
事故の後それは一旦消えたかに見えましたが最近になってそれは再びうっすらと浮かんできました。
私と同じ症状に見舞われた他の三人ですが、二人は同じ様に老人の薬で快方しましたがあとの一人は亡くなりました。
その子は熱が出るとすぐに町の病院に入院したのでした。
後で聞いたところ、体の先端から次々と壊疽を起こし、手足をそのたびに切断し最後は達磨のようになってしまったと聞きました。
虫が眼球にまで達したのか、無い腕で目の前を払うように体を左右にふりながら、虫が、虫がと言いながら死んでいったそうです。
その子の寝ていたベッドは緑色の汗がシーツに残っていたそうです。
以上が私の蘇民将来にまつわる話です。
実はこの出来事の随分後に一つ落とし噺があって、それがこの話を思い出す直接のきっかけになったのですが、それはまた何れかの機会にします。
長文、駄文すいませんでした。
どっとはらい(笑)
へへっ
日本住血吸虫かフィラリアかな
皮下に虫がいたら泣き喚きながら肉かきむしって剥ぐと思う>自分
ちげーよ。
人魚の話は書いた。
人魚の話どこかで読める?
56 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/07(日) 04:43:48 ID:dHDK1xquO
Not Found!になってます。
57 :
53:2008/09/07(日) 13:21:55 ID:EoEAwHHU0
>>54 人違いしてすみませんでした。
『 じじーの法螺話』面白かったです。
>実はこの出来事の随分後に一つ落とし噺があって、
>それがこの話を思い出す直接のきっかけになったのですが、
>それはまた何れかの機会にします。
気長に待ってます。
俺は気長に待てない
は、早くきて…。
59 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/09(火) 21:57:09 ID:gy1fgSNM0
イヤ
60 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/10(水) 00:09:39 ID:lh9Y0U6rO
ウホッ!
61 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/13(土) 06:03:00 ID:W7pwzYyi0
あげとくか
蘇民将来符、このスレは落とさん。
63 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/13(土) 12:51:27 ID:vlyMj8/i0
>>49 落とし噺 マダァ-? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
64 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/16(火) 06:51:33 ID:W5S9Z9gE0
あげ
65 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/19(金) 22:19:33 ID:0lNNcuXJ0
age
別に落とし噺という程のものじゃないですよ。
今年の正月に実家に帰った時のこと。
久しぶりに兄弟が集まり、お互いの近況報告も終わると何時しか(何故か)話は墓の話になった。
正月早々、墓の話かよ!
そう思う人もいるだろう。
でもいつ墓に入ってもおかしくない年齢の親を持つ私達。
新しい年は、改めてその時へのカウントダウンの始まりを想像する高齢者。
なにも不思議ではない。
不安を、いつか来るその時を、この機会に話す。
私の家ではそれも一つの正月行事です。
なんてね、つまるところ父親が60代の頃に早まって買った墓の話になったわけです。
因みに父は農家の六男坊ですから、自分の墓は自分で建てなくてはならないのです。
買ったは良いけど、本人それ以降まったく入る気無し(母も。両人生きてます)。
どころか土地を買うだけ買って、以降見に行った事もない(場所もすでに朧気な)。
手入れもせずに、今じゃ草茫々でしょう。
孫いわく誰か他人が入っているんじゃね?
そんな笑い話のような所から話ははじまった。
そして何時しか話は父の郷里の話になった訳です。
父の実家というのが本家の次にあたる家柄(父の父親、次男ね。)でした。
本家はといえば、毎年夏休みに遊びに行くと田んぼの向こう、少し小高い所に立派な八の字門を構えた家が村を睨むように建っていました。
なんか八墓村のロケ地みたいですよね、でもそんな土地って実際あるんですよ。
ところが最近になって知ったのですが、その本家と言われる家も、実は分家で、昔はその上に更に総本家と言われる家があったそうです。
なる程、確かに近隣には私共と同じ姓を持つ家が幾つもありました。
私が遊びに行っていたその当時、駅から父の実家まではタクシーで20分程でしたが、昔は一族の土地を歩かないでは駅まで行かれないと、そう言われていたそうです。
それ程に勢力を誇っていた家も、今は見る影もなく、目立つのは本家(分家本家ね。)の門と倉ばかりでした。
総本家は一体どこにいってしまったのか。
僅かに当時の事を偲ばせるのは、母が父と結婚した当初に一度だけ参りに行ったと言う渺茫たる墓の群と寺の跡だけです。
正月の折り皆の前で母はその時の事を思い出したようです。
母:あの沢山の卵塔の下にはいったい誰が埋まっていたの?
父曰わく。
お墓の続き読めるかと思ったけどまだだったか。
この人は朝一に書くことが多いみたいだから
今日はもう続き無理かな。
保守
70 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/23(火) 21:17:46 ID:1JIroxsP0
あげ
71 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/23(火) 21:29:58 ID:JCErH9fpO
蘇民、将来おにいちゃんのおヨメさんになるんだ!テヘッ
は、何ガールですか。
将来蘇る民
73 :
本当にあった怖い名無し:2008/09/27(土) 06:08:21 ID:Ig4p/WyaO
ミ・д・ミ
過疎ってるけど保守されてたんですね。
父曰くの者です。
ごめんなさい、実は文章苦手であの続きをうまく伝えられる自信がないんです。
でも中途半端は書く方も読む方も消化不良だろうから一応仕舞まで話しますね。
読みにくかったらスマソ。
父曰く母の問いにニヤニヤしながら答えました(既に相当量の酒入ってます)。
あの下には誰も入っとらんよー。
そう言って何が可笑しいのか一人でゲラゲラ笑ってました(孫達ひく)。
その後の父の話を要約するとこうです。
総本家とやらが無くなった(何故、何時?)後、必然的に今の本家が諸々のものを引き継ぐ事になったのですが、その中にその墓地も含まれていました。
本家が引き継いで随分たってからだそうです、その墓達が現在の場所に移されたのは。
戦後間もなくの事だそうです。
理由は本家から遠かった(当時は村に車は無かったみたいです)事と、墓はあの川の側にあったそうで川は度々氾濫したからだそうです。
で問題はその移し方で、一族(?)の若いもの総出でリヤカーを何度も往復させて墓石を現在の場所まで運んだそうです。
その後本来なら土を掘り起こして骨を拾うはずなのですが、結果的にそれをしなかった(理由は父はよく話してくれませんでした)。
つまり現在の墓所には上物、墓石だけが整然と並べられていたわけです。
それを聞いた母
それじゃぁ私は、ただの石を(ただの石というわけでもないと思うが…)一生懸命拝んでいたのね、あらまー、あらまーとリフレインしてました。
でもよく考えて見て下さい。
私の家は浄土真宗(たぶん。)ですが私個人は全くの無宗教(というか、そういう事にまったくの無知。)ですけど、世間一般の常識を考えるならば、果たしてそんな事があるでしょうか。
墓石だけ運んで肝心の骨はそのまま置き去りなんて事が。
しかもその時には寺の住職までもが立ち合ったと聞きました。
その日、その場に残された骨に対して盛大な供養が行われたそうですが、骨の埋まっているであろう土には鍬の一振りも入れられる事は無かったそうです。
父の言い訳を聞くなら、あの下に埋まっているものは、絶対に動かしてはならないものだそうです。
そして全ての行事が終わったその日の真夜中になって、そのイベント(行事だね、正式には)に参加した全ての人が、その寺のある場所に招かれ、それを見せられたそうです。
父は既に回らなくなった舌で言います。
ショクシンジョーブツ。
どうやら即身成仏、ミイラの事のようです。
即身成仏については、この板に集まる人には今更説明するまでもないと思いますから、ここでの説明は省かせてもらいます。
ただ地域的な特徴に注目すれば、主に東北地方、それも日本海側に多く見られます。
但しその例は詳しく見れば日本各地に見られる事も付け加えておきます。
但し父の郷里は関東です。
そう戦後の高度成長期を経た後の小学生ならば一度は訪れた事のある場所ではないでしょうか。
またそれ故に、そのように賑やかな場所の、ほんの目と鼻の先にこのような小さな村がある事を誰も知らなかったのかもしれません。
私はその村、その村を含む県にも即身成仏の事例があったことは、ついぞ聞きませんでしたし、今こうしてネットで調べてもヒットするものはありませんでした。
もちろんこの話は父の言葉を全て鵜呑みにする事から始まるのですけど。
母は言います、それにしては随分と年代がかったものだったと。
全ての墓石は苔蒸して、中には文字や絵の彫られているものもある。
その合間合間に五輪塔のようなものが建っている。
それが薄の合間に累々と続いていて、何やら怖ろしいような淋しいような気がしたそうです。
一際母の印象に残ったのは墓の入り口に建てられた石の板。
随分と風化して文字も読めなかったそうですが、そこに彫られていたのが馬頭観音である事はわかったそうです。
話をミイラに戻します。
そのミイラ、抹茶色で金襴の袈裟を着ていたそうです。
頭と手だけが袈裟からでていたそうですが、その寸法が随分と小さい。
立たせても子供の半分くらいしかない。
その辺りには今でも野猿が多いですから或いはその類ではと、まずそう思いました。
でも父は違うといいます、あれは人の子だよと。
猿のように顎が出て無く、犬歯もない。
あれは人間の子供の顔だったと。
それがガラスのケースに収められて、寺の地下に大事そうに仕舞われていたんだと、そう言って父は沈没しました。
その時私は眉唾な話しにとうに退屈もしていましたし、既に白けていました。
だからこの話はひとまずここでお終いです。
>そう戦後の高度成長期を経た後の小学生ならば一度は訪れた事のある場所
日光近辺かな?
場所特定は勘弁してくれ。
何しろあの残してきた骨の埋まっている辺り。
今は住宅街と化し、広い県道が街を縦横に貫いている。
皮肉なことに、県民が今や数少ない自然の緑と触れ合える憩いの場になっている。
ググアースで確認したらそうなっていた。
寺の所在は遂にわからんかった。
ただ当時村の辻々に馬頭観音の石塔があった。
道を広げたとしても壊しはしないだろうから脇に寄せられているんじゃないか。
昔は三方を山に囲まれていて外界から隔絶したような場所だったらしい。
更に村をを守るように囲むように建てられた馬頭観音、それから蘇民信仰。
いつ頃からあったのか定かではなく、しかも何故か相当昔から酒造りが行われ(但し売り物ではない、専ら村内で消費されていたらしい、薬餌か?)ていた村の歴史。
蘇民将来に幾らか通ずる所があるかもしれないと思い書いてみた。
因みにミイラも粉末にして飲めば薬となる信仰は日本各地にある。
相当な昔にあの村の祖先は、何か相当恐ろしい疫病に苦しめられたのかもしれないね。
80 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/02(木) 07:12:51 ID:o/w4Gm6A0
age
82 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/07(火) 04:39:54 ID:F+hg5aUh0
ほしゅ
83 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/09(木) 22:24:36 ID:zYKxrXud0
あげ
84 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/12(日) 04:58:11 ID:PCFks+cEO
消された神のことか?
そ
86 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/18(土) 04:44:51 ID:5DQ5iV8+0
んなあ
87 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/20(月) 20:27:57 ID:tpRxE43I0
ことないよ
88 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/20(月) 21:03:35 ID:X5Y0TEyxO
蘇民将来って有名なんですね
初詣でチノワくぐりをするときに「蘇民将来の海の子」って唱えるけど、チノワくぐりの意味も唱える言葉の意味もちっとも知らなかった。
海の子。
意味知りたいです。
90 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/21(火) 15:55:39 ID:/jJFcQzMO
あ、蘇民将来の前に何かついたかも。エミシだったかな?何かそんな感じの。
曖昧ですみません。
91 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/25(土) 05:29:54 ID:kFLwaSSM0
家々
保守
93 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/29(水) 21:01:04 ID:nnT6Hs4YO
オッシュ ノシ
94 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/03(月) 05:59:04 ID:IMoteE4D0
ホシュ
95 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/03(月) 08:18:03 ID:XCxVpTik0
茅の輪は知ってたけど、蘇民将来の伝承初めて知った。
96 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/04(火) 01:09:53 ID:2I+BnmCL0
>>45 俺が知っているのはスサノオの部分が牛頭天王になっている
バージョンなのだが
牛頭天王のほうが古く明治時代の神仏混合などにより
体系に取り込まれたとかなんかの本で読んだ
牛頭天王は疫病神
大宮の氷川神社がスサノオかと思いきや
実はアラハバキを祀ってたりね
鹿島、香取の神社も結構曖昧だとおも
蘇民ってどっかで見た事有るなと思ったけど
もしかしてポスターが張り出し禁止になったあれと関係ある?
98 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/06(木) 05:29:20 ID:DJgHlTm10
出雲系の医療技術の話だろ
99 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/09(日) 06:15:03 ID:XGYDR/bb0
民俗学の話、日本人とは何処から来たか。
けっこう大きなカギになっている。
そら文化人類学に任せればいいんじゃねーの。
101 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/12(水) 02:08:30 ID:aPZlCG6p0
文化人類学だけでなくいろんな分野で研究すればいいよ
102 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/15(土) 15:06:00 ID:mvsOYGne0
あげ
103 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/18(火) 21:20:01 ID:Pg0W2o4o0
ほす
104 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/22(土) 22:18:35 ID:0NHR0Yx70
ほしゅ
近所の八坂となまえがつく神社が
素戔嗚尊をおまつりしていて、でもなんとなく牛頭天王
っぽい由緒書?みたいなのがあって
不思議だったのでwiki調べて蘇民将来まで来た。
不思議だ。
106 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/24(月) 15:06:22 ID:ltSkGPmD0
毒蛇鬼神って何者?
どこを調べても二、三行しか書いていないけど。
日本書紀や古事記にあたる神だと思うんだけど。
108 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/25(火) 01:04:37 ID:a1qZDFti0
蛇毒気神だ
それじゃどこ調べても出ないだろうな
109 :
TG:2008/11/25(火) 02:56:51 ID:g92vnWII0
なんで?純粋に
111 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/28(金) 10:45:06 ID:i8rd05+p0
112 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/30(日) 02:29:31 ID:h7LNqg920
so
113 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/30(日) 02:48:02 ID:vM2G5GWXO
ザンギエフっぽい神様らしいな
114 :
本当にあった怖い名無し:2008/12/04(木) 20:38:58 ID:rxMld5Ev0
age
115 :
本当にあった怖い名無し:2008/12/09(火) 05:54:32 ID:GyiqkU6r0
age
sage