さて、ここからはしばらく自分語りになる。日記に近い。
読みたくないなら読まないほうがいい。
実は重大な告白をしなければならない。オレは塚本と出会ったとき、記念にある
装置をもらった。まあ塚本としては、おごってもらったお礼みたいな感じだった。
if-Boxという「未来を予測する装置」だ。いや、「未来を予測」というのは実に
現代人的発想だ。正確には「現時点で選択できる未来(if)を提示する機械」だ。
未来での価値だが「暇つぶし用のオモチャ」と塚本は言っていた。
まあそんな定義はどうでもいい。求められれば機器の写真はUPする。
その際にはUPロダを指定してくれ。グロを貼り付けるとかそういうことはしない。
塚本と別れた後、さっそくオレは使ってみた。まず行動を入力するのだが、これは
別に文字で入れる必要はない。普通に生活していればリアルタイムで入力される。
先に電源をオンにする必要はあるが。
そして予測が必要だと思えば、空中映像で「現時点で選択できる未来」の候補が、
その時の状況によって3〜10くらい言葉と動画で可能性の高い順にリストアップされる。
言葉で概要と、動画はサムネイルみたいなのが動いているものだ。
どれかを選択するとその詳細が見られる。どの程度未来か指定できるが、それぞれ場合に
よって違っていてオレが検証した範囲では12時間後〜18日後まで。DVDを再生する
ように12時間後から約30分間の未来の映像を見るような感じになる。余り近い未来も
わからないし、遠い未来はなおさらわからないようだ。たぶん作為が入り込むのと要素が
増えすぎるからだろう。
ともかくオレはこの装置を使って、未来を事前に見てそれが実現するデジャブは本当か。
検証することにした。
まず、オレが通勤する際には駅まで自転車で1キロくらいを走る。その間に
信号の無い交差点がいくつかある。オレが住んでいるのは閑静な住宅街で、駅に
近づくほどに交通量は増えていくが、基本的に田舎なので交通量は比較的少ない。
実は以前からとても気になっていたことがあった。住宅街で交通量が少ないのに
交差点に差し掛かるたびに誰かが現れることが多い。それは自動車、自転車、歩行者。
犬、猫、いろいろある。通勤時間帯という補正はあるが、どうも多いなと。
自転車通勤の人はわかると思うが、自転車は一旦停止したり減速したりが頻繁だと
疲れる。だから当初オレは「交差点で誰かと出くわすと減速しなければならず、
嫌なことなので記憶に鮮明に残っているから、交差点に差し掛かるたびに誰かが
現れることが多いと思い込んでいる」と思っていた。
本当にそうなのか?つまり偶然とは「偶然」なのだろうか?
徹底的に調べてみた。具体的には駅までの道程で信号の無い交差点をマップする。
該当の交差点は15箇所。細い道に入り込むような交差点もあれば、バスが通るような
道路もある。そして交差点で誰かと出くわすたびにカウントする。
まあ、とりあえず、アホになりきって1ヶ月間、行きと帰りを徹底的をカウントした。
その結果、交差点で他人と出くわす確率はなんと77.69%。ほぼ8割、交差点に
差し掛かると誰かが出現する。直線道路で誰かとすれ違う確率よりも、交差点で
誰かとすれ違う確率のほうが圧倒的に高い。他人は交差点で誰かと出会いたいと
願ってるとしか思えない。それは交差点で出会うと相手の存在をスルーできない
からじゃないだろうか?要するに今の時代は淋しい人が多いんじゃないか?
それか逆にオレが他人をスルーし過ぎているのかもしれない。
これは例えばif-Boxの予測にわざと反して10分早く家を出ても、遅く家を出ても同じ。
10分ずらしたのに事前に予測した人物とその交差点で出会う。0%にしてやろう、
つまり全部の交差点で出会わないように速度調整したこともある。if-Boxの発生予測
時間をメモし、全部ずらした。具体的には交差点に入る前にわざと時間をつぶしたり、
逆に速くしたりした。これは2日くらいはうまくいった。
面白いのは最初のうちは「交差点ですれ違えなかった人」が直線道路ですれ違って
「あれ?」みたいな顔でオレを見ていたこと。2日くらいはうまくいったが、向うも
だんだんと調整してきて結局は発生時間がずれるだけになってしまった。結局、人間は
「出会いを避けようとしても避けられない」のだということに気付いた。
中には「他人と衝突したくてしょうがない人」がいることもわかった。
当り屋というのか、頭がおかしいのか、わざと交差点の直前で停止して
オレが通りかかる頃を狙って飛び出してくる連中だ。老人、女、子供が多い。
こんなことをしているうちに、装置を使わずとも次の交差点でどの方向からどのように
人が出てくるのか、だいたい当るようになってしまった。個人的感覚では90%くらい
当っている。それも、「中年女性」とか「メガネの人」など、出現する人物の特徴までも
事前にイメージできるようになってきた。デジャブ経験のある人は是非同じように
訓練してみてほしい。1ヶ月から3ヶ月でオレと同じような体験ができる。
大事なことは意識してイメージすることだ。
ここまで読んでさすがに(こいつ頭おかしい)と思うのなら、もう読まないほうがいい。
オレも常人に理解できることを自分が書いているとは思っていない。ただひとつ
間違いないことは、オレは普通じゃない体験をしているということだ。
ともかく、こうなると、現実生活のすべてに応用が利いてくる。仕事をしていても
「何分後に電話がある」とふと思い、実際に電話が鳴ったりする。今では誰がかけてきて、
どんな内容かも予測がついてしまう。その後の展開も全部読めるのだ。
事前に回答のための資料を用意し、即答したため「早いですね」と驚かれたこともある。
どこで誰と出会うかも予測が当る。嫌な話、面倒な話が自分に振られるのも、かなり
前の段階からわかるようになってしまった。当然、事前に手を打ってあるのでトラブルに
まきこまれることが目に見えて減った。
自分が何か行動を起こした後(おそらくこう言ってくるな)という予測も即座に立つ。
実際にそのとおりの反応がある。未来を予測しているのか、意識が先行しているのか。
ともかく仕事という意味ではめちゃくちゃ効率がよくなり、オレ自身の評価も高まった。
バンバン仕事が片付いていくのはオレ自身は楽しくて仕方がないが、気が付くと周囲の
人の顔つきがおかしくなっていた。なにかイライラした、怖い顔をしているのだ。
そしてこんな生活をしているうちに、いつからか周囲の反応がループするようになった。
具体的には「まったく同じ質問を何度もされる」「解決済みのことを未解決とされる」
「システムがバグを起こす」「割り込みをされる」「担当外の仕事をやらされる」
つまり、先行しすぎるオレの行動を周囲が理不尽な方法で妨害するようになった。
そしてその場で必然性のない、ヒステリックな態度をとる人が異常に増えた。
露骨に精神異常者扱いされたこともある。その割にはオレを避けるわけでもなく、
逆に暇なチンピラみたいに執拗にからんでくる。オレが気になって気になって
しょうがないという感じが伝わってくるのだ。
その人たちは、まるでノルマでもあるかのように、毎日決まって同じことをする。
毎日、同じことを言い、同じような反応をする。オレは相手がなにをするか事前に
知っているため、それに適切に対応するのだが、だんだんそれが無意味であることに
気が付いた。オレの能力ではどうにもならない領域を思い知った。
その人たちは目の前にオレが書いた説明文があっても絶対に読まず、オレに何度も
回答を求めてくる。どうでもいいことに執拗にイチャモンをつけたり、ソイツが決めた
ことなのにまるでオレが決めたことのようにオレを責めたり、矢継ぎ早に意味の無い
質問をしてきたり、if-Boxで見ると至急でもないことを大至急と言ってきたり。
とにかく、何かのルーチンプログラムのように、頭が狂ったかのように執拗にオレが
ウザイと思うことを毎日するようになった。要は嫌がらせだ。ソイツの求める結果を
ちゃんと提示しても完全に駄々っ子、まったく納得してくれない。
簡単に解決するのが気に入らないらしく、無駄にハードルを上げるのだ。見過ごしても
いいような些細なミスに執拗に拘り、まるで天地がひっくり返るかのような文句を言う。
なんとなくだが、昨今のマスコミや2ちゃんねるの反応を思い出した。
つまりこの人たちは、自分の時空で持っている未来の、一連の小芝居が成立しないと、
先の時間=未来に進めないようなのだ。結果的には合っていても、そこへ到達する
一連の小芝居を経験してないことが、どうも時空の消化不良を起こすらしい。
例えば、駅から自宅まで送ってくれと言われたとする。そこでタクシーで自宅まで
送り届けたら、自宅に着くなり「バスで送ってほしかったのに」と言い出す。
結果としては同じことをしてあげてるのに、相手がその方法と過程に対して不満で、
実に理不尽な理由で文句をつけ、オレに最初から「やり直し」をさせるのである。
言い換えるなら、オレはよくても「相手の気が済まない」ようだ。人間は結果が欲しい
のではなく、むしろ過程が欲しいのがよくわかった。相手の欲しがる過程を与えないと、
ストーカー並みにしつこくなることもわかった。
例えば相手の未来のイメージの中に「ミスして謝罪しているオレ」というのがあると、
オレが謝罪するまでとことん責める。例えそれが自分が原因のミスであっても関係ない。
傍から見たら明らかに無茶なクレームでも、なりふりかまわずだ。人間というのは
実にくだらん生き物だと思った。理性じゃなくどこまでも感情の動物なのだ。
「謝罪しているオレ」を完結させてあげないと、ヒステリーな動物に堕ちる。
それに先手先手を打つと最初は驚かれ、感心されるが、次第に反感を買うというのも
よくわかった。「余りに先手を打つのも問題」ということだ。先手を打って事前に
問題を解決すると、オレはいいとしても、相手の時空を歪めるようだ。それにオレの
行動をしきりに妨害するバカも急増した。おそらく結果的にオレ自身の時空も歪めて
しまっているのだろう。そういう場合、他人はなりふりかまわず、胸倉をつかんででも
オレの時空のスピードを止めようとしてくる。
例えば、駅を歩いていても完全に流れを無視してオレの直前を横切るバカが急に増えた。
if-Boxを使ってどのタイミングで横切るのかをチェックし、事前に避けるようにしたが
今度はかなり前のほうを横切って通過したと思った人が急に振り向いて戻ってきて、
「やり直すように」オレの直前をニヤニヤしながら横切ったりした。なんだこの人たちは。
芝居でもしているのか?あまりの作為感に怖くなった。この場にいる全員がグルか?
オレの未来だけを変えてもダメで、オレと関連する他人の未来も満足させないといけない。
それはわかっているが、ここまで作為的にやられるとさすがにキモい。周囲の人間全員が
つるんでいて、オレの行動を制御しようとしている、それは経験したことのない恐怖だ。
エネミーオブアメリカ、いやトゥルーマンショーの世界だ。
一時期、自分をとりまく「現実」がウソっぽく見えて、全員がエキストラにさえ思えた。
実際、この人たち全員がオレに特定の行動をさせるための芝居をしていると言うのなら、
それはその通りなのだろう。誰か一人でも台本以外の行動=アドリブをするのなら、
監督が「カット!もう一度」とダメ出しをする。そんなイメージだ。
いろいろと悩んだ末、結局、オレは相手に「つきあってあげることにした」
オレにぶつかりそうになってくる人には、オレはそれを事前に知っているが、まるで
予測していなかったように進み「うわっすいません!」と言ってあげる。そうすると
その人は満足したように去って、二度と現れない。これがどんなにホッとすることか、
多分オレにしかわからない。
仕事でも先手を打つのはやめ、周囲と同じように「突然の問題」に困ったふりをする
ようにした。すると、今まであれだけギクシャクしていた日常が、ウソのように
スムーズに流れるようになった。そして周囲の顔つきも柔和になってきた。
おおまかに言えば、相手の時空にちゃんと向き合って、つきあってあげること。
おそらくこれが塚本の言う「時空のスピードを下げる」ということなのだろう。
未来の便利な機械を手に入れたオレが言える結論は、
「人間は自分一人で生きているわけではない」という言い古された言葉に尽きる。
織田信長が鉄砲を手に入れたのは偶然?
いや必然だ。鉄砲を発明した人、それを運んだ人、それを信長に紹介した人・・・。
無数の人が自分の役割を果たして歴史を形作っている。この一連の流れすべてを
偶然で片付けるのは無理がありすぎる。この緻密な構造、その歯車のひとつである
オレがワガママに回転数を上げても周囲との摩擦が増えるだけなのだ。
現実に生きているオレは想像以上に周囲の人間によりかかっている。
同様に周囲の人間も想像以上にオレによりかかって生きている。それから
逃げることは決して出来ない。逃げても逃げても追ってくる。いや追っているのは
オレかもしれない。そもそも逃げてもいないし追ってもいないのかも。
未来人にとってif-Boxがオモチャにすぎないのも今ならわかる気がする。
未来を予測したところで根本的にはナンセンスなのだ。未来人は自分の未来を
事前に見て、それがどんな結果であれ娯楽としているのかもしれない。
塚本が「20XX年から来たというのはナンセンス」と言っていた意味もわかる。
塚本の時空とオレの時空は現時点では関係がないからだ。現在のオレがそれを
知ったところでオレの人生がどう変わるというわけでもない。
ただ毎日を怠けずに、監督が納得するような良い芝居をコツコツとこなしていく、
それが人間に課せられたカルマなのだが、大半の現代人は未だ、自分の人生が
芝居にすぎないことに気付いていない。
だが、意識を進化させれば誰でもこの監督の立場になりうることに気が付いた。
次回はこのことについてお話します。