>>784 付近の島に逃げ込んだが、米軍にとっ捕まって翌年釈放でわ?
戦死なのに、復員?
>>783 なんというか、上陸前の艦砲射撃は思いっきり包囲した上で行われた
各艦に区画を割り振った上で四方八方から徹底的に叩くわけ
>>781の話は艦隊集結前の話なんだろうが、聞いたことはない
781です。
祖父が乗ったのは余り大きな船ではなかったそうです(同行は数十人?)。
祖父の親友は存命ですがもう話を聞ける状態ではありません。
翌年復員した理由は母も知らず、祖母が話したところによると
攻撃直前に姿を消した手前すぐに帰れなかったのでは?と言うことでした。
米軍の捕虜になってたのかも知れませんね。
祖父の上官はちょっと変わってて、この以前にも突然祖父(当時三十代後半)
を捕まえ、上官「貴様、こどもはいるか?」
祖父「娘一人ですが死にました」
上官「じゃあ一週間休暇やるから女房のトコ帰ってこどもつくってこい」
と、家に帰したこともあったと、祖母が母に話したそうです。
今年は祖父が存命なら百歳になるので、聞いた話を残しておきたいと、
スレチっぽいとは思いながら書きました。
硫黄島に残った方々のことを思うと胸が痛みますね。
ではROMに戻ります。
>>786 「公式には」硫黄島(に配属されたまま)にて戦死。
と言う事だろう。
790 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/02(木) 09:02:47 ID:VVBWu9CG0
戦争終わってすぐ帰れるって事はないだろう。
場所によれば、復員船が来るまでまたなければならない。
知り合いおじいさんは終戦当時20歳だった
最近昔のことをやたら語りたがる
アル中で認知症はいってて本当かどうか分からないが
終戦3日前の夜にラジオから日本は負けて戦争は終わるから
今すぐ自決せよ、と流れてその後1時間ほどラジオが全く聞こえなくなったそうだ
そんな話しは誰に聞いてもネットで探してもないから
夢かボケ老人のたわごとだと思うんだけど
なんかこわいな
>>791 それと同一の話は聞いたことがないが、類似するエピソードは結構あるな
ラジオ以外でも、天皇の使者がどこそこに現れて敗戦を告げたとか、
日本軍自体が戦争の終了が近いことを予告するビラをまいたとか、
枚挙に暇がない
また、逆の話として、「神風」に類似する奇跡によって、逆転勝利が
確約されたという話がまことしやかなソース(当時としては)付きで、市中に
流れたなんてのもある
大半はただの噂なんだろうが、一部には国の中枢、あるいは内地の有力
部隊からの意図的な情報流出、操作が疑われるケースも存在するらしい
793 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/02(木) 16:40:26 ID:VVBWu9CG0
水木しげる先生は、ぬりかべのおかげで助かったそうです。
794 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/02(木) 17:48:27 ID:7raOBSLWO
昔、北海道の帯広駐屯地に配属されていた時の話です。
私たちは夜間訓練をしていました、たまたま霊感の強い同期がおり彼が「あそこに何かいる」と言い出しました。
私には何も見えませんでしたが、彼曰くその霊は軍服を着ており
同じ場所で何度も何度も倒れては立ち上がり
倒れては立ち上がりを繰り返していたそうです。
彼は銃に撃たれて死んだ人なもかもね
と言ってました…
戦争に関係あるかはわかりませんが、投稿です
霊もそこまでパフォーマンスしないだろ。
>>794は陸自経験者なのに警衛で鍛えられなかったのか?
796 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/03(金) 13:01:23 ID:P1Y6RX8zO
797 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/03(金) 16:53:22 ID:+Ei1TquPO
海軍出身の曾祖父の話し
寝ていた時に従兵に起こされた『あれ〜この声は以前、従兵していた〇〇じゃないか?』と
不審思いながらドアを開けると、やっぱり〇〇が敬礼して立っている
『自分が亡くなったことと、従兵している時に世話になったこと』を話し終えるとスーと消えていったそうです
後で従兵の消息を調べてたら、訪問した時間は、従兵が乗っていた艦の沈没した時間とほぼ一致
戦中戦後、死者の訪問を受けたことは何度もあって
一番堪えたと語ってました
798 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/03(金) 16:59:30 ID:rGe1HXkKO
島で玉砕したはずの一木支隊が兵舎に帰ってきたりとか、そういう話はよく聞く
もっと現実的に怖いのは、ビルマで日本軍の一個小隊が一夜にしてワニに食われて全滅したとかそういう話かな
おれは昔鎮魂歌を歌ったんだ
カフェ難民の奴ら毎日抱いてやるんだ
たから筍を多宝塔に並べてみてGood luck!な気分転換で見ろと
一緒でイをちんこからチキンやシーフォートが流されてきて おしりからChina
マンゴー買ったら題名がない
特にわたくしが行かないことに決め込むわけですな
あぁせんげん台から電車でチューリッヒまで行き
大江戸温泉物語でひとっ走りするのが日程でもないとくに沈黙できますよ
あっという間にアッキになるから僕はカラオケでちんこをすうから気持ちいいけどね君達は行かないこと
女の子になるために1番は行かないこと
さらば泣く泣くせんげん台に帰ったのである
↑自動文章生成ツール?
俺は昔・・・以下はどこかからのコピペだね。
今日から他板でも見る事がある。
801 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/03(金) 18:39:06 ID:dPxpDifv0
>>788 オレのイメージするバロン西にそっくりな上官だな
802 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/03(金) 19:28:27 ID:UgDXNMab0
オレが戦争時の話で一番怖かったのは、小池荘彦の「心霊写真」の載ってる”写らない兵士の悲劇”の話。
集合写真に透けて写った兵士が、ノイローゼで自殺する。そののち上官が死んだはずのその兵士の名前を病院船の名簿で発見するが、すでに船は出てしまい確認できず。
ベツの戦地で、そこの部隊の伍長にその死んだ兵士が今ここにいると言われ、見に行くとおらず、一緒にいた兵が確かに今までいたのですが・・・と戸惑う話。
東京荒川に住んでいた人の分隊長の体験談らしい。
昔、ガキ向けのA6サイズの分厚い心霊写真本に
ひめゆりの塔か摩文仁での終戦慰霊祭をニュースで中継したら、周囲の木陰から「写っていては困る」方々の姿が写ってしまった。
っていう話が載ってたな。
それと、今は亡きマヤに載ってた記事に
「第二次大戦中に沈没したイギリスの戦艦ウォースパイトが大西洋に現れて航行している船舶を震え上がらせている・・・云々」
なんて話が載っていた。
HMSウォースパイトは、天寿を全うしてなかったか?
確かに、終戦まで生き残ったな
805 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/05(日) 13:03:21 ID:BRzdRjCQ0
前の職場の上司が話してたが、親戚の伯父さんが南方の激戦地に慰霊にいった
そうだ。で兵隊さんがたくさん死んだ場所で皆で集合写真撮って現像したら
皆の横に水筒下げた兵隊さんがぼーっと写ってたそうだ。
806 :
金太:2008/10/05(日) 13:26:17 ID:UrYRrIW+0
テスト
807 :
金太:2008/10/05(日) 13:38:46 ID:UrYRrIW+0
失礼、アク禁を食らっていたもので。
>>788 公式な記録に残らないエピソードはいくらでもあるね。
小船が一隻逃げ出したくらい、米軍も気にしないか。
硫黄島の作戦は、玉砕すら許されない「徹底抗戦」だからね。
玉砕なら突進して撃たれてお終いだけど、徹底抗戦だと
ひたすら踏みとどまって抵抗せよと。
しかし炊事兵って、あの状況で一体ナニを調理していたのだろう。
残して死なせるよりも、脱出させて明日の日本に備えさせたのか。
ちょっといい話。
終戦まもなくのニュース映画から。
戦死通知を受け取っておいおいと泣く遺族。
二通目の戦死通知が届いたw
三通目で遺族もいい加減にしろよとww
四度目に本人が帰ってきたwww
ニュース映像は、本人が笑顔で自分の卒塔婆を引き抜くものだった。
>>478 うちのじいちゃんも中国にいたけど、太って帰ってきたみたい
頭良かったから事務?系の仕事してたらしいけど、食い物は他の兵隊よりいっぱい持ってて、戦後『〇〇ちゃんはいっぱい食べ物持ってたなあw』
って戦友と話してた
戦争に持っていった日本刀ずっと狙ったけどとうとう貰えなかったなー
去年亡くなっちゃったけど遺品は素晴らしい物ばかりだった
頭が良すぎて戦後地元で愚連隊(やくざ?)の頭やってて、今日本でも有名な親分とかじいちゃんの子分らしい
811 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/05(日) 23:05:03 ID:7QT7DozE0
亡くなったけど、吉村昭が家の物干し台で凧揚げをしていたら、ドウリトル爆撃隊が上空を飛行していった話は印象に残ってるな。
レーダーに映らないために、超低空飛行していたので、コクピットの隊長のオレンジ色のマフラーがはっきり見えたらしい。
不思議でも怖くもないけど…
死んだじいちゃんは戦争の話を誇らしげに語ってばかりいた。
実家には軍刀と銃弾?があるのでじいちゃんが従軍していたのは間違いない。
満州にいたらしいけど、小学生の夏休みに散々戦争はイクナイ教育を受けつづけた自分としては、怖くてきもちわるかった。
実家の軍刀も怖くてたまらんorz
>>807 そこまで念を押された挙句に誤報ですかw
>812
うちの昭和3年生まれのじいちゃん(故人)に似てる
「おかあさんのいなかにいきました
よるおじいちゃんが、てれびのせんそうえいがをみながら
せんそうってかっこいいんだよ、といいました
でも、ぼくはこわかったです」
小1のときの俺の夏休み絵日記。
先生が評価に困ったらしく
「おじいちゃんは何をつたえたかったのでしょうね?」
とだけかかれていた
戦争経験者が言うと重みが違うな
私は戦争が好きだ!
って奴か?
>>809 やくざなのを自慢するって恥ずかしくないのか
>>819 バカだなぁ、ヤクザじゃなくてうちのじいちゃんは芸能人を呼んだりプロレスを呼んだりしてたんだよ
今の芸能界の裏やプロレスの興業は全部ヤクザだろ?
それをいち早くやってただけ、それを見て育った世代がちょい前の親分衆。
今でもよくうちの地元は田舎だけどプロレスとか芸能人がよく来るもんな。
その後手が器用だったじいちゃんは自宅を工房にし看板屋をやっていたとさ。
当時は変わった仕事してたってだけで、本人はヤクザと言う概念はなかっただろうな
今それをやってるのがヤクザで、その時使ってた連中が勝手にヤクザとして伸し上がっただけで
はいスレ違い
826 :
本当にあった怖い名無し:2008/10/07(火) 16:43:05 ID:vEYV+KVW0
スレ違いを責めずに楽しんでくれてよかったw
書いたかいがあったよ
>>809も。
よかったなネットだけじゃ知れない事知れて。
ヤクザとかネットでバカにしてるくせに、その部落やらなんやらに目すら合わせられないキモオタちゃん達だもんねw
一生下向いて歩いてろよ避妊どもwwwwwww
ス
書
よ
ヤ
一
何そのオーガニック的なロボアニメに出てくる的セリフっぽい縦読み。
まあ昔はカタギの仕事をしているけどそういう裏社会にも強くて交渉ごとに当たる人がどこのご町内にいたもんです。
「町内の顔役」と呼んでいました。
山師や手配師は昔からいたよ
いまではプロモーターと呼ぶが、それをヤクザと決めつけるのはおかしい
戦争末期のビルマで、二等兵が将校の制服盗み
物資をだまし取って大儲けしたという話あったな。
当時での噂レベルだが。
捕虜収容所ではチェンジマスターと呼ばれ
職人経験ある兵に彫刻させたりして監視兵から嗜好品などを得て
それを捕虜の支給品と交換するを繰り返し儲けた人もいた。
後方の補給所では普通に物資を横流しして私腹を肥やした連中が多く
こういう輩は上級者に対しても態度がデカく、制服どころか派手な格好にサングラスだったらしい。
前線で戦った人の手記には、これらの物資が正常に補給されていれば
戦局も大きく変化したであろうと記されていたよ。
>>809 じいちゃん、きっとめちゃくちゃ要領がよかったんだろうね。
員数合わせもうまかったりすると上官から可愛がられたり
するという話も聞いたから、そういうタイプと見た。
>>809 じいちゃん、きっとめちゃくちゃ狡賢いエタの子孫だったんだろうね。
まさに兵隊ヤクザ