424 :
本当にあった怖い名無し:
蓬莱さんは「ここは誰の土俵でもない」といいながら、自分の土俵と思ってるでしょ。
「難しい話をするな」などといいだして、真摯な態度で学際的な考察をする人を排除する、
狭量な態度をとってきたはず。
過度の反教養主義に陥って、誠実な検討に非寛容な態度を取ってきたはず。
探求に不誠実な今までの態度で、蓬莱さんが偽物人間だとわかるよ。
四次元を見つけてしまった PartV より
前スレの良い意見
もちろん元は元スレ>1が見つけたという四次元がどんなものかを皆で妄想するスレだったが
今となっては各自自由に発言して自由にレスする感じになってきてるからなぁ。
つーかさ、人間の認知の限界点を超えたレベルの話をしているのであって、これは太古から
散々交わされてきた議論であって、ここで何らかの答えがでるとかそういうものではないんじゃ
なかろうかね。是非専門知識を生かして各自のレスを楽しめばいい。
と言うことで、よろしくお願い申し上げます。
では、ダメですかねぇ・・・
宇宙とか人間とかを含めた世界が四次元でしょう?
観察する主体が無いと相対的な観察と言う客観性が取れないのが、
哲学的な命題に矛盾が発生するという、
神の視点を持つことにより、客観的な考察をする基礎になるが、
それは、客観性に根本から反する気が・・・
同じように、夢と言う主観のみを命題にすえると、
客観性を無視した上での、共感を求めるという矛盾があるような気がします・・・
知識と言う武器が役に立たない、理論的方法論を無視した意見は、どうでしょうか?
個人の経験も、その人にしか意味を持たない場合、推論で共感を求めても、
仏陀が言う、正しい見方にはなら無い気がします・・・
共感は非常に重要なファクターになると思いますが、
生後数ヶ月の赤ん坊の経験に共感を持てというのは、無理のような気がします・・・
428 :
551改め蓬莱:2008/10/30(木) 23:45:45 ID:50yOmQtD0
>>423 まぁここで言い合っても前向きに進むとも思えないので
(どうやらお互いスレを私物化したがってるように見えてるようなのでw)
こういう話がしたいっていう、具体的なネタがあるといいと思うよ。
もともと参加人数の少ないスレなので、できるだけ間口を広げようと
思ってるので専門的なスレにするのは現実難しいと思うよ。
四次元っていうのは三次元のようにスペースがないのが四次元だとなんとなく理解してたのだけど違うのかな
三次元のように制約がなくていつでもどこにでもすべてが存在できる世界
ピカソの絵のように一面ですべての次元を体現できるようなものなのかと
430 :
551改め蓬莱:2008/11/04(火) 02:36:06 ID:HhtXZ7eV0
ほしゅ
物理哲学者ラズロ博士「世界は空間・時間・物質エネルギーだけでは説明できない。”何か”が存在する」
http://www.23ch.info/test/read.cgi/news/1225631318/l50 >ラズロ博士は、科学と哲学を学んだ経験から、2つの知恵を融合させて、私たち人間と微小の原子、
>広大な宇宙に共通する統一的な原理・構造を探究する「システム哲学」を提唱した。
>この本のプロローグでは、「現在、私たちの世界は、空間・時間、物質・エネルギーを超えて
>結ばれた、あらゆるものを包み込んだ全一世界であるという洞察が生まれつつあります」と記す。
>
>「先端科学の新しい発見、研究の成果が『世界の統一性』を証明している。」
432 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/05(水) 15:20:45 ID:Uh31Mw8R0
>>428 学際的な考察ほど具体的になる。
神秘主義や形而上学も、科学や哲学的な洞察を深めていくことが、
具体化して行くことになる。
絵画や詩や小説の方が抽象性が高く、芸術表現などこそが抽象化の際たるものでしょう。
蓬莱さんこそ抽象的な話に終始して、学際的な考察、分析と検討という具体化を妨げてきたんだ。
本物の探究心もなく、精神水準が低い偽物人間だ。知的衰退し精神が死んでいる。
後向きな態度に終始しているのは、蓬莱さんだよ。
意識の根源的な問題については、意識の形成過程を把握することが重要だと思っているが、
過度の反教養主義に陥って、誠実な検討を妨げる蓬莱さんのような人が、具体的な眺望を妨害し、
探求に不誠実で後向きな偽物人間の態度なんだ。欺瞞に覆われている。
「孔子暗黒伝」 諸星大二郎
太初において黄金の胎児(ヒラニア・ガルバ)は顕現せり・・・
いかなる神にわれらは供物もて奉仕すべき
ヒラニア・ガルバよ。夢を見ているのか?
ブラフマンよ、私は目覚めおまえと対している。ブラフマンよ、わたしは何者でなぜこうして存在するのか。それとも存在しないのか。
おまえはヒラニア・ガルバであり、存在する。なぜならわたしが欲したからだ。
ブラフマンよ、おまえは何者で、どこから来たのか。
おまえが自分がどこから来たのか自分ではいえないように、わたしもどこから来たかということはできない。
わたしは永遠であり、それゆえにいつでも存在した。
永遠であるがゆえに時間は存在しなかった。無限であるがゆえに空間は存在しなかった。すなわち宇宙は存在しなかった。
それは永遠であるがゆえに対立者・・・・すなわち永遠でないものを欲した。そしてそれが生まれた。
永遠でないゆえに、それは時間が生じた。無限でないゆえに、それは空間が生じた。かくして宇宙が生まれた。
永遠から生まれた対立者であるがゆえに、宇宙は永遠ではない。かくして宇宙は滅びるものとなり、宇宙の四段階の周期が生じた。
対立者アートマンも永遠でないゆえに周期的に生まれ、また滅びねばならない。
それは黄金の胎児(ヒラニア・ガルバ)として成劫に生まれ、アートマンとして顕現し、未来神(カルキ)として空劫にたちあう。
そしていつでも、永遠(ブラフマン)に帰るのだ。
それは永遠から来たり、永遠に帰る。
ヒラニア・ガルバ
ヒラニア・ガルバ、なにを夢見ている?
世界を・・・。
世界はヒラニア・ガルバの夢でしかないのか?
我々は誰かの夢の存在でないことを望むが・・・真実は如何に・・・
もう少し書きようってものが
>>435 神とは?
擬人化される創造主のことでしょうか?
宇宙のすべての定数や法則を定めた「神」が人間と言う、
宇宙の中ではカスのような存在に肩入れをすることはありえないのではないでしょうか?
宇宙における人類と言う生命体を知という個人別としてもたった65億です。
オキアミに知があるとすると、2000億から3000億も各個に分けられます。
ウイルスにいたっては、人類の数億倍の存在が確認されています・・・
おいらには、全宇宙をくまなく作った「神」が少数派の人類に肩入れする理由がわかりません・・・
437 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/06(木) 22:37:17 ID:XFTACYQQO
スレを全く読まずに質問
二次元に三次元が存在しないように三次元に四次元は存在しないのではないでしょうか?
438 :
チャイナ01 ◆G3pWapaM5w :2008/11/06(木) 23:07:09 ID:kihl9c0n0
>>437 三次元の一部が二次元として認識されるので、
三次元は四次元の一部でしょう・・・
そう言う意味では、三次元に四次元は存在すると思いますよ・・・
たとえば、ビルを建築する場合、ビルは三次元の物体ですよね。
そのビルを組み立てる設計図は「紙」に書かれて居ます。
つまり、三次元の物体を作る場合、二次元の設計図により施工する方が
よりやさしく、普遍的に三次元を表せるということになります。
これを延長すると、四次元の物体を組み立てる場合、
三次元で記述すると、普遍的に容易に組み立てられる設計図になるということでしょう。
次元の理論と次元に存在する物質は違うと言うかも知れませんが、
次元の影響下における次元の考察としてはまあ、正しいのではないでしょうか?
439 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/07(金) 15:34:30 ID:NyumJZ350
>>437 四次元空間を視覚化するには、投影図か展開図にするしかないから、
数学の知見が重要でしょう。
四次元の時空間構造は、虚数軸を含む時空にあるので、複素数を統合するために
複射影幾何学の虚の時空を、考察する必要がある。
非ユークリッド幾何学と虚数を扱う、複素射影幾何学が重要。
440 :
チャイナ01 ◆G3pWapaM5w :2008/11/07(金) 23:22:39 ID:la/RGXzg0
>>439 仕事で普通に複素数を使用しているおいらにとって、
四次元の記述に複素数が必要とは思いませんです・・・
基本的に三次元空間における回転運動の軌跡を表す虚数解は
難しくもなんと無い、普通の計算式として扱います。
普段から複素数を含んだ式を扱うと、どうして複素数が四次元に必要なのか
疑問に思います・・・
441 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/08(土) 15:28:21 ID:SheTBmwZ0
>>440 虚数を図で視覚化すると90度づつ回転し、回転運動の軌跡を表すからだよ。
四次元の考察には、純虚数の洞察が重要でしょう。
>普段から複素数を含んだ式を扱うと、どうして複素数が四次元に必要なのか疑問に思います・・・
重要なのは、複素数の実部より虚数の虚部の方だよ。
複素数を平面的に表すと虚数空間が表現できる。
波動関数も複素数の円に表現できるでしょう。
>>440 オレにはなんとなく分かるよ。例えばX軸上の一次元世界の住人にとって、Y軸やZ軸の変移は
その世界で実質上の変化をもたらさないという意味で虚軸です。しかしなんとなく「ある」と気づいてるでしょう。
ある一次元人は平行世界を想像するかもしれないけど、結局は平面や立体という認識がないため誤ってしまう。
ところで、この世に現としてある量子化という現象が、高位次元の存在を端的に表してると思いませんか?
444 :
551改め蓬莱:2008/11/09(日) 00:15:27 ID:z5sxQjSB0
量子テレポーテーションてまんま虚数な世界だと思うけど。
波動関数は虚数を含むし、物理的な虚数量が存在する証拠になるんでない?
この世界は実は虚数的なエーテルで満たされた世界で、
物質の移動はエーテル中を音波と同じように伝わる波の伝播じゃないかな
とか思ってたりする。
粒子なんてものは本当は存在せず、なんらかの力によって
特定の場所に押しとどめられている波を粒子だと観測しているだけじゃないかと。
その力の影響を受けない光子はエーテル中を最高速度で伝播できる波だと。
正しい和音は安定して存在でき、不調和音はその存在を打ち消しあう、
なんかそういう感じで捉えてる。
445 :
551改め蓬莱:2008/11/09(日) 00:32:39 ID:z5sxQjSB0
以下妄想
量子テレポーテーションはブレーンの表面で起きた振動により、
ひも理論で言う紐が2本に分かれて観測されている状態で、
それをブレーンの裏側から見ると実はメビウスの輪のように繋がった1つの輪(紐)で
あるため、表から見ると常に逆の状態を持つように見える。
状態が確定しないのは、ねじれがあり、これが移動しているから。
また、量子のスピンが1/2であるのはメビウスの輪は2周して元の位置にもどるため。
446 :
551改め蓬莱:2008/11/09(日) 00:37:26 ID:z5sxQjSB0
そういうことをリサランドール本読んで考えたりしたのであった。
447 :
551改め蓬莱:2008/11/09(日) 00:40:02 ID:z5sxQjSB0
448 :
チャイナ01 ◆G3pWapaM5w :2008/11/09(日) 22:40:41 ID:e2MHJrIT0
449 :
チャイナ01 ◆G3pWapaM5w :2008/11/09(日) 22:52:31 ID:e2MHJrIT0
特別、難しい話では無く、
三次元の物体の設計図に擬似二次元である紙を使用して、
三次元の物体の設計図を容易に、普遍的に作り上げるのが
人類の知恵ではないでしょうか?
図面を読めない人には何が書いてあるのかわからないかも知れません。
しかし、基本的なルールを学習した作業者なら、
それぞれの平面図より三次元的な施工が可能です。
同様に、言葉にもルールがあり、ルールを外れて使用すると
間違った建物や役に立たない建物が建築されます。
たとえば、関西地区の人が「あなた」を「自分」と呼びますが、
そのルールを知らないと、「自分、腹減らないか?」と言われて意味が通用しません・・・
「おまえ、腹減らないか?」と聞かれているのに、
「自分自身の腹の減り具合もわからい馬鹿?」と思われてしまいます。
微妙な話では、言葉には気をつけたいと思います・・・
450 :
チャイナ01 ◆G3pWapaM5w :2008/11/09(日) 23:11:22 ID:e2MHJrIT0
451 :
たけし:2008/11/09(日) 23:21:06 ID:USrAsR3WO
スレ違いだけど…、
日本の天皇と総理大臣の関係のように、ダライラマと中国の国家主席が仲良くしてほしい。
政治的指導者と、精神的主導者が一つの国家に存在すれば、平和が永く、続くような気がする。
452 :
551改め蓬莱:2008/11/10(月) 01:10:06 ID:s0LpNLWo0
話広げてよ
453 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/10(月) 15:01:39 ID:vHDqrpsl0
>>448 >「観測」すると言う認識の主体が必要条件
「思惟実体」としての自我は超越論となるから、意識と自我は区別して考えた方がいいでしょう。
根源的な「思惟実体」として構造体に規定すること、「思惟実体」を志向性においてとらえる、と言うことは、
物象化することになる。超越論的主観へ辿り着くのだな。
自我でなく、その前に意識構成を探っていく方法を自覚的に行うことが重要と思う。
精神活動が作り出している心的営為としての意識だよ。
現出する精神現象は、認識で構成された意識体構造を伴っている。
>複素数という概念は、円運動を容易に記述する為に生まれた概念です。
ちっと違う思うけど。
多項式が必ず解を持つようにできる、ということでしょう。
俺がいいたかったのは、負の数は0を中心に180度回転するが、
虚数では、この回転を90度の位置で止めれる、ということ。
水平成分と垂直成分に分けて考える。
答えが実数であっても、複素数を使わないと答えがでてこない3次方程式もあるでしょう。
調和振動においては、複素数を全く使わないで求めることも出来るけど、
量子力学において、複素数を使わないのは不自然じゃないかな。
マジチャイナ来ると空気変わって嫌。
他の板の討論系スレのが合ってるんじゃないか?
この前までいい感じで、なにか見えそうだったんだけど・・・はぁ
ポカリでも飲む事にする
455 :
チャイナ01 ◆G3pWapaM5w :2008/11/10(月) 23:31:53 ID:nUhctEEa0
>>452 つっこみどころ満載のスレのつもりですが・・・
以前なら、がんがん「観測」に「自我」を組み込むことに意義があるかどうか?
「観測」問題と「神の視点」は共通性が無いのでは?
などなど、話題が広がりましたが・・・
今、このスレは、馴れ合いを良しとするスレになったのでしょうか?
でたらめをさも正しそうに書くのは簡単ですが、
もう少し、論理的な考察が出来たらよいのではないでしょうか?
ひらめきを重要視している割には、
どこかで見たコメントに終始しているように思えますが・・・
どこで見たコメントでも、そこから何かが見えるような方向が感じられないのです・・・
たとえば、
虚数が存在する空間、ガウス空間における人間のひらめきは
実空間における重力ひずみにより、波動として虚数の最大値を取る・・・などと書くと
いかにも専門的風な文章で書くと、意味の無いでたらめも、正しそうに見えるのです。
>>454 >マジチャイナ来ると空気変わって嫌。
>他の板の討論系スレのが合ってるんじゃないか?
>この前までいい感じで、なにか見えそうだったんだけど・・・はぁ
>ポカリでも飲む事にする
こんなコメントする意味がどこにあるのでしょう?
嫌なら、コメントもせずに、他を見ればよいのでは?
または、おいらの間違いにそれは違うと言えるコメントをしてください。
おいらがわかる範囲で、コミュニケーションしましょう。
え?はじめから、コミュニケーションする気も無い?あ、そう。
>>453 複素数というか、虚数について、イメージで語る人が多く、つい、意固地になっております。
波動関数をおいらが習った時代は、三関数式で計算をしていました。
サイン、コサインの二乗の解を求めるのが面倒くさく、複素数処理が如何に簡単か・・・
数学的には、複素数は、方程式の解を成立させる為に生まれ、
電磁工学などにおいては、空間における、位置を2つの変数で表す手法とて発展しました。
この辺は、高校で習う高等数学、複素数の範囲と思います。
おいらにとって、「観測」することは非常に重要な意味を持ちます。
つまり、「観測」するのは、「観測」したと思うのは何?
自分でしょうか、それとも、その観測結果より考察を行うあなたでしょうか?
単純二元論では割り切れにとは思いますが、認識の主体と思っている自分は観測できない、
というか、誰かが観測した結果の論文やデータを見て観測結果を想像?してるわけですよね・・・
つまり、外部から得たデータの真偽の区別がつけられないのに、なぜか観測したと感じる。
夢で同じ内容を見ても、書物で得たデータも、同じ様に認識の主体は得てる・・・
はてさて、どうしたものやら・・・
観測する主体の在りかを観測することは出来るか、てこと?
>>456 観測するということは、この3次元に収束する解を無理やりに求めるということですよ。
シュレディンガーの猫にとっては、確率分布の広大な夢から醒めさせられて迷惑至極でしょうね。
意固地さは、オレは知っているという傲慢から生まれるのです。本当のことは何も知らないと気づいてください。
>>457 本日、振替休日・・・
「観測」するというのは、「観測」する主体があり、「観測」される客体が有るということでしょう?
観測を認識するおいらが、客観的事実と思う客体を相対的に認識しているが、
客観的事実と相対的に『誤認』しているかどうか、との区別が出来るのか?
これは本当か?と思う疑う自分がいるのです。
疑って、疑った先に、さらなる疑問が膨らんでおります・・・
たとえば、「ジョーにーは戦場へ行った」と言う映画があります。
あらすじはこちら→
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD4512/story.html 肉体的には生存し、精神的にも生存しているとは言え、唯一の外界への接点が首を動かすモールス信号で
彼、ジョー・ボナムは皮膚に受ける放射熱、風、または皮膚を叩くモールス信号などの触感のみが受信できる外界です。
自分に置き換えて想像してみてください。
はたして、おいらはそのような状態で自我を維持し、物事に考えをめぐらせることが出来るのか?
日常生活のすぐ側に、交通事故などにより、外部よりは意識を失っているように見えても
脳だけは健常で、意思や精神のみが活動している場合、その精神にとって「現実」とは一体なんでしょう?
もしかしたら、今、現在、おいらが感じているキーボードのタッチも、エアコンの温風も、
この2chをみていることすら、自我が崩壊しない為に精神の内で作り上げた「偽物」かも知れません・・・
自分が自分であることを疑う自分がいる・・・
「すべては夢でありました」となるのではないか?
現実と思っている世界が崩壊する危機感・・・
>>458 思いつきやイメージで虚数を四次元世界の考察に持ってくるのは
ただ、言葉を、意味(意義)を伝えずに、絵画のように扱うのではないかと思います。
それならば、虚数と言う絵で解釈すれば良いだけで、数学的な裏づけも数学的な発言も不要でしょうし、
量子力学という専門的な学問を引っ張り出す必要も無いと思います。
このスレで書かれる場合は四次元を数学的な解釈する手法として虚数を持ち出しているように思えるのです。
逆に、おいらは、四次元をイメージで捉える場合、
阿修羅像や弥勒像、はたまた、曼荼羅を例えとして提示しております。
阿修羅像を見ていると、この世界は仏教的な紛争、二元論とも違う、
正邪ではない、二大勢力による均衡が破れ、漏れ落ちた雫がこの宇宙(四次元)で、
いつかは、どちらかの軍勢に踏み潰される運命かも知れません・・・
端的なイメージとして、
薄暮に浮かび上がる三角円錐が、この世界、宇宙(四次元)で、ふわふわ浮かんで回転しており、
色がパステルカラーから白黒に、放射熱のように表面もツルツルからぼこぼこ沸き立つように変化し続ける。
それが、擬人化を含まない宇宙(四次元)の正確な描写のような気がします・・・
461 :
本当にあった怖い名無し:2008/11/11(火) 16:25:47 ID:9slJp3jS0
>>456 自我と意識とは区別すべきだし、範囲を規定した方がいい。
心身問題を持ち出すのは避けるべき。「思惟実体」の前に、精神活動、意識構成の洞察が重要じゃないかな。
>客観的事実と相対的に『誤認』しているかどうか、との区別が出来るのか?
だから、認識主体の相互関係を通じて、外的世界を認識するしかないんだよ。客観的とは間主観性のことだよ。
>>26 認識主体が、「主観自体」を対象化しようとすれば、客観的対象物となってしまう。
>>101 感覚を解釈する手法として、芸術表現があってもいいと思うけど、
文学的な表現で共感を求めても、俺としては共感できないんだ。
絵画や詩などの表現の方が間違いであることを疑うし、芸術表現で真偽の区別が出来るのか?
抽象的な印象表現が、詭弁っぽい感じで理解不能なんだよ。
芸術的に説明することは欺瞞を伴うものでしょう。
>>461 認識を厳密な話題とする場合、区別は必要と思いますが、
現在、外界を認識しているおいらと言う主体において、自我と意識をどのように分けるのか?
おいらは、どこまでが自我で、どこからが客観的意識なのか?
哲学的定義に基づいてコミュニケーションはとるべきでしょうが、
そのコミュニケーションをとろうとしている自我(おいら)と、
あなたから認識の客体として認識されるおいら(意識)は違うものでしょうか?
おいらが、思うのであって、あなたから見た認識の客体である意識が思うのでは無いような気がします・・・
自我に普遍性や共有性を持たせる為に、意識と言う定義は正しいでしょう。
また、認識の主体を意識として、説明した方がわかりやすのでしょう・・・
これも、あなたやその他の他人(それぞれの自我)において、理解を容易にするのでしょう。
言葉遊びになるのかも知れません。
自分とは?自我とは?認識の主体とは?
普遍的に意識と言われる対象として、意識は分けることが可能でしょうか?
自我があまねく存在する意識の一部であり、それぞれの意識は分割して存在し、それぞれの理由で思考しているとしたら、
意識は普遍的な存在になりうるのでしょうか?
>>461 >感覚を解釈する手法として、芸術表現があってもいいと思うけど、
>文学的な表現で共感を求めても、俺としては共感できないんだ。
>絵画や詩などの表現の方が間違いであることを疑うし、芸術表現で真偽の区別が出来るのか?
>抽象的な印象表現が、詭弁っぽい感じで理解不能なんだよ。
>芸術的に説明することは欺瞞を伴うものでしょう。
おいらは、言葉も数式も絵画も彫刻も音楽も伝達の手段としては一部分しか伝わらないと思います。
言葉において、アラビックを知らない日本人に一番簡単な挨拶、アラコムサラームといっても伝わらないように
哲学的素養の無い人に、間主観性といっても正しい意味は伝わらないでしょう?
眼が見えない人が弥勒像を触ることにより、触感で宇宙を理解することも有るかも知れません・・・
そう言う意味(知識の伝達)として、絵画的表現も数式もありとおいらは思います。
しかし、それぞれの意味を出来るだけ正しく伝える為には、それぞれの理論体系や、
絵画の場合、眼で見えるという物理的最低条件を守る必要があると思います。
自分で、自分が自分であることを疑う自分がいる、おいらが言うことでは無いのかも知れませんが、
最低限の素養、条件はクリアーしないといけないような気がします・・・
特別、おいらはあなたに共感を求めてはいませんし、強要もしていません。
四次元をイメージで伝える手段として、仏像を持ち出しているだけで、
それぞれの自我が積み上げてきた素養と条件でそれは違うでも、
いやいや、弥勒や阿修羅ではなく、大日如来という自我があるかもしれません。
それすら、擬人化が過ぎるという場合の例として、
空間に浮かぶ、三角円錐の例も挙げています。
これとて、三角円錐より三十六面体だ、いや、不定形が理解しやすいという自我が存在しても良いと思いますし、
それぞれが、それぞれの、方法論や素養に基づいてコミュニケーションすればよいのではないでしょうか?
464 :
551改め蓬莱:2008/11/12(水) 00:21:36 ID:qklG7oNK0
文章長いよw
俺自身は創造主を信じてるほうなので、意識体である創造主が必要だから
この物理世界を作ったと考えているので、元々意識に境目は無い。
物理世界で肉体を持った時点で明確な境目が出来て、かつ、観測対象として
同じ物理世界を眺めることが始まる。
赤ん坊が回りの世界に興味を持ち始めてるレベルだと思ってる。
まだまだ、自分を中心とした世界が世界の全てだと思ってる人が多いけど
それももうすぐ行き詰る。
さて、ここでどっちの方向に進むのか?
物理世界をもっと綿密に調べていく?
それとも、何故世界が存在するのかを考える?
俺が単純化するとこんな感じ。観測者たる意識はどっちに含まれるのだろうw