■皇太子夫妻に関わって不幸になった方々■
*目黒の小和田二世帯住宅を建てた豊建設(高島屋の子会社)、倒産。
*木工職人(愛子さまのおもちゃ作った人)若くして急死。
*1996年1月23日、安田元久方から出火し、安田夫妻、焼死。
皇太子の恩師で論文指導をした学習院大学元学長。同大名誉教授。
皇太子が雅子を今度連れて行くと約束した矢先の火事。77歳。
(この時の皇太子にかけられた雅子妃の励ましの言葉→「あまり気を落とさないように」)
*1996年7月14日、君島一郎(雅子妃婚約後の正式写真に洋服が使われたデザイナー)、急死。
*2001年6月1日、ネパールのディペンドラ皇太子、銃の乱射で自害(宮廷クーデター?)
(2001年4月26日、雅子妃は愛子内親王がお腹に宿ってまもなく
来日中のディペンドラ皇太子(親中派)と歓談している)
*2001年9月25日、曽我東宮侍従長、急死。
*2002年11月21日、仲良くしていただいた高円宮殿下(47歳)、若くして急死。
*2002年、森英恵(雅子妃のウエディングドレスデザイナー)会社倒産。
*2002年、26世宗家観世清和が愛人作って男の子産ませ、妻のあすかさんは長男と共に追い出され離婚。
(観世清和は皇太子のご学友、あすかさんは愛子さまご生誕時に雅子妃にメッセージを贈っている)
*観世さんに悪影響を受け、宝生流の家元夫人、自殺。
*2002年12月5日 愛子内親王のベビードレスを作った「杉山繊維工業」倒産。
*2003年1月21日、東宮で大膳として料理の腕をふるった渡辺誠さん(54歳)、若くして急死。
*2003年、岡村孝子、離婚。
(NTV系“皇太子様・雅子様ご成婚スペシャル”テーマ・ソング『フォーエバー・ロマンス』作詞/作曲)
*2004年6月10日、野村万之丞(皇太子のご学友・44歳)、若くして急死。
*2004年9月27日、森村桂(雅子妃ご成婚の時にお祝いのケーキを焼く)、病院で自殺。
*2004年、堤医師(雅子妃の不妊治療担当医師)、研究費横領疑惑で失脚。
*2005年12月13日、愛子さまに、と2002年10月に贈られた象が、牙で飼育員をあぼーん。
(2006年3月6日、上野動物園休園日に貸し切り。愛子さま、象に餌やりを体験)
*2005年7月、李玖(李垠殿下と梨本宮方子女王の息子)
「東宮夫妻には是非、韓国に訪問していただきたい」と言った途端に心臓麻痺で死去。
*2005年11月、アメリカのノルト女史、急死。
(同年2月に皇太子が彼女の詩を紹介)
*2006年1月中旬、雅子妃の愛馬「空勇(そらいさむ)」が、 主馬班の職員Aを蹴り上げ腸炸裂の重傷。
*2006年2月24日、韓国人指揮者チョン・ミュンフン、パリのコンサートを病気の為に突然キャンセル
(二週間前の2月10日、雅子妃はお気に入りのチョン氏を招き2時間も英語で歓談)
*2006年3月31日、猪口大臣、上智大学を解雇。
(大臣就任時のブルーのドレスは雅子妃ご成婚祝賀晩餐会用に作ったものだった)
*2006年3月29日、学習院院長・田島義博氏(75歳)死去。
(2005年11月15日、学習院幼稚園合格発表、愛子さま入園決定)
*2006年3月5日、いつもの雅子妃の希望で、WBC日本-韓国戦を観戦し、いつものように途中で帰る。
→結果:日本チームまさかの逆転負け。
*2006年3月13日、いつもの雅子妃の希望で、TDRを実妹親子&別一組親子と一緒に遊び、予定を数十分超過して帰る
→結果:同年3月29日にオリエンタルランドが7年間で総額約12億円の申告漏れ発覚
*2006年9月28日、雅子妃の祖父江頭葬儀の翌日に皇宮警察官(19歳)が
赤坂御用地内にある警備待機所のトイレでピストル自殺。
*2006年10月14日、のじぎく兵庫大会で選手や観客ら計91人が熱中症などで救護所で手当てを受け、
うち3人が病院に運ばれた。皇太子は13〜15日にかけて、歓迎の集いや開会式に参加。
*2007年5月5日 皇太子一家御料牧場の静養にて、馬車で牧場散策中に馬が暴れ暴走、
御者の宮内庁車馬課職員が足を骨折。
(週刊新潮同記事より、1年程前に皇太子が御所内で乗馬中に落馬との情報もあり)
*2007年5月28日、港区の衆院赤坂議員宿舎の自室で松岡利勝農相(62)首吊り自殺。
27日の日本ダービーに競馬を管轄する農相の名で皇太子を招待していた。
(両陛下が欧州訪問のため、皇太子が国事行為の代行中の出来事)
*2007年7月28日、皇太子佐賀県行啓で高校総体開会式に出席。
同日開会式は急激に気温が上昇、出場選手や観客ら計117人が体調不良を訴え、救護テントに運び込まれた。
8月2日、陸上競技の最中に台風5号の接近でテントが吹き飛ばされ2人が怪我を負った。
8月3日、竜巻発生、更に激しい雷雨で度々競技が中断、一部競技は翌日以降に順延。
*2007年7月7日、皇太子がモンゴルを訪問。伝統文化の案内役を務めた朝青龍関の両親に対し、
「(愛子が)朝青龍関のファンで、本名のダグワドルジを覚えて呼んでいます」と語る。
→同月25日、「腰の疲労骨折とひざ痛で全治6週間」の診断書を提出し、夏巡業への参加を見合わせていた
朝青龍関が、炎天下のモンゴルで中田英寿氏と一緒にサッカーイベントに参加。
走ったり、シュートを決めたりとても疲労骨折中とは思えないプレイを披露。その様子が同日午後に報道される。
(なお診断書を書いたのは三重県四日市社会保険病院整形外科部長・森下浩一郎医師)
(母国モンゴルで静養するため帰国。モンゴルへ向かう機内で中田英寿関係者と遭遇。
中田氏がモンゴルサッカー協会の要請で現地の子供たちを訪問することを知り、25日に開催されたイベントに参加)
→翌26日、朝青龍の軽率な行動について相撲協会に非難が集中。
事態を重く見た師匠の高砂親方(元大関・朝潮)は、朝青龍に“強制帰還”を厳命。
→7月30日、朝青龍帰国、仮病疑惑問題は更に大きくニュースで取り扱われることに。またモンゴル大使館が31日
「(朝青龍にはサッカーイベントへ)無理に参加をしていただきました」などとする謝罪文を日本相撲協会へ提出。
→8月1日、日本相撲協会は緊急理事会にて朝青龍に対し「4カ月間30%の減俸。9、11月場所の出場停止。
11月場所千秋楽までの自宅謹慎(原則として部屋と病院以外への外出禁止)」と、横綱対象としては前代未聞の処分を下す。
(*朝青龍問題は絶賛炎上中です。結末決定後、編集お願いします*)
■皇太子御成婚後に起きた災厄■
*ご成婚された1993年は首都圏において梅雨明け宣言が無かった程の天候不順で、
史上稀に見る大凶作となり、その後の「平成米騒動」へと繋がった。
*また、雅子妃のお印「ハマナス」の自生地北海道では同年7月12日に北海道南西沖地震により奥尻町
及び対岸の町村を大津波が襲い、多数の死者・不明者を出し、青苗地区はほぼ壊滅状態となる。
(なお、奥尻町の町花はハマナスである)
*1995年1月17日、阪神・淡路大震災(M7.2)発生。この3日後中東訪問に出発。
*1996年、雅子妃歌会始の歌「もろ手もちてひたすら花の苗植うる"知恵おそき子ら"まなこかがやく」
と詠んだ翌月北海道で豊浜トンネル崩落事故発生
*2001年愛子内親王懐妊中9.11テロ発生
*結婚10年の2003年9月26日北海道十勝沖地震発生(M8.0)他事故・自然災害多数
■参考資料■
*1945年8月14日(昭和天皇44歳3ヶ月16日)玉音放送録音(放送は翌日)玉音中に「爾(なんじ)臣民」7回
http://www4.inforyoma.or.jp/~minaduki/teikoku/syuusen.html 2004年6月8日(皇太子徳仁44歳3ヶ月16日)雅子人格否定問題の文書回答 、文中に「雅子」7回
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou04/0609ke32320.html *2006年7月2日、オリエンタルラジオの中田敦彦がパラシュートで神宮へ着陸するはずが強風であおられ、
東宮御所に不時着。
*2006年10月26日、1年3ヶ月ぶりの雅子妃の地方公務(奈良県・正倉院展)。皇太子の養育係りとしてしられた
元東宮侍従の浜尾実氏(81歳)死去が発表された。
(24日雅子妃地方公務ドタ発表、25日浜尾氏死去、26日東宮夫妻地方公務・浜尾氏死去発表)
*2006年11月11日、愛子さま着袴の儀。水俣病問題などで知られた沖縄大名誉教授の宇井純氏(74歳)が死去
*2005年10月30日、戦後初の天覧競馬、両陛下が見守るなかヘヴンリーロマンス(牝)が優勝
2007年5月27日、両陛下が欧州訪問のため国事行為代行中の皇太子が観覧。
一番人気のフサイチホウオーを抑えウォッカ(牝)が優勝→余談ですがウォッカはその後故障
『皇太子殿下と御所車』の記事が書かれています。
ttp://www.iz2.or.jp/gisha/gisha.html