【一万年と】古代ムー大陸【二千年前】

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218禿鷹 ◆aiSlHqUd2c
【地獄の使】

昼飯がすむと、老婆は裏の藪から野菊や紫苑(しおん)などを一束折って来た。
お爺さんはこの間亡くなったばかりで、寺の墓地になった小松の下の土饅頭には、まだ鍬目が崩れずに立っていた。

老婆はその花束を裏の縁側へ置いて、やっとこしょと上へ昇り、他処(よそ)往きの布子(ぬのこ)に着更え、
幅を狭く絎(く)けた黒繻子の帯を結びながら出て来たところで、人の跫音がした。
表門の方から来て家の横を廻って来る静な跫音であった。
219禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:02:59 ID:IQidSYKk0
「話が長くなるとお墓参りがおくれるがなあ」
老婆は気がねのいる人が来たではないか、と思ってちょっと困った。
家の隅になった赤い実の見える柿の木の下へ、嬰児(あかんぼ)を負った婦(おんな)が来た。それは孫女(むすめ)であった。

「ああ、お前か、私はまた何人(だれ)かと思ったよ」
孫女は隻手に手籠を持っていた。彼女は老婆と顔を見あわすと、にっと口元で笑ったが、老婆の着更をしているのを見ると、
「お墓参り」
老婆はもう縁側に出ていた。
220禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:03:45 ID:IQidSYKk0
「昨日も一昨日(おととい)も、雨で往かれざったから、今日は往こうと思ってな」
と云って、孫女(むすめ)の背に負っている嬰児(あかんぼ)を見たが、嬰児は睡っていた。
「おお、おお、睡っているな、可愛い可愛い顔をして」
「今、睡ったばかりよ」
と、孫女は手籠を縁側に落すように置いて、
「今日は芋を掘りましたから、すこし持って来ました」
老婆は籠の中を覗いた。きれいに洗った里芋の新芋が八分目ばかり盛ってあった。
221禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:04:29 ID:IQidSYKk0
「これはありがたい、晩には煮て、お爺さんにもあげよう、籠を借りて置いてもかまわないかな」
「かまいませんよ、この次に貰って往きますから」
と、孫女は縁側に腰をかけて、

「お婆さんは、出掛だけれど、ちょっと話がありますが」

「どんな話だよ、かまわない、話があるなら話してみな」

老婆は孫女の身に、何か心配ごとでも起ったのではあるまいか、
と、思って縁側に蹲んで、孫女の顔を覗き込むようにした。
222禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:05:29 ID:IQidSYKk0
「私のことじゃない、お婆さんのことじゃが、お婆さんが我家(うち)に来ないもんじゃから、
我家の作造が心配して、お婆さんは何か私に気に入らないことがあって、
それで来ないかも判らん、よくお婆さんの腹を聞いてくれ、私のいたらん処はなおすと云うて心配しておりますよ、
お婆さんは何故我家へ来ません」

「なに往くとも、どうせお前等二人に世話になろうと思うておるが、四十九日の間は、魂魄が家の棟を離れないと云うことじゃからな、
四十九日でもすんで、そのうえでと思うておるところじゃ、作造さんになんの気に入らんことがあるものか」

「そんなら、四十九日がすんだら、我家(うち)へ来るの」
223禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:06:19 ID:IQidSYKk0
「四十九日でもすんだなら、そのうえで定めようと思うておるが、まだお婆さんはこのとおり体が達者だから、当分一人で気楽にこうしておっても好い」

「お婆さんは気楽で好いかも知れんが、お婆さんを一人置くと、私等が心配でならん、それに第一用心が悪いじゃないか」

「なに大事な物は、本家に預けてあるし、病に罹りゃすぐ目と鼻との間じゃ、近処の衆が、一走りに知らしてくれるし、心配はないよ」

「それは、そうでも、お婆さんを無人の家へ一人置くことは、世間の手前もありますから、四十九日がすんだら我家へ来たらどう」

「往っても好い、私はべつにどうと云うことはないしな」
224禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:08:29 ID:IQidSYKk0
「それでは、来て貰いますよ」
 と、孫女(むすめ)はだめを押して、
「私は帰ります、お婆さんと、其処までいっしょにしましょう」
 老婆はお爺さんの墓までのかなりある距離を浮べて早く往かないと帰りが遅くなると思った。彼女は花束を持ってそそくさと下に降りた。

225禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:09:06 ID:IQidSYKk0
夕方になって老婆は墓参から帰って来た。この五六日水気の来たような感じのあった右の足の腓(こむら)の筋が、歩いているうちに張って来たので、老婆はすこし跛を引くようにしていた。
彼女はお茶を一ぱい飲んでちょっと休み、それから夕飯の準備(したく)にかかろうと思って、庖厨(かって)の庭から入り、上にあがろうとすると、椀へ入れた黍(きび)の餅が眼に注(つ)いた。

黄色な餅の数は五つばかりあった。
(これは何処から持って来てくれたろう)
226禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:11:29 ID:IQidSYKk0
里芋が煮え、茶が沸いた。老婆は里芋を皿へ盛って仏壇の前へ往き、それをさっきの餅と並べて供え、その並びの棚から油壺を執って、瓦盃(かわらけ)に注ぎ、それから火打石でこつこつと火を出して灯明をあげ、それがすむと前に坐って念仏をはじめた。
 老婆の前には、黄濁色の顔をしたお爺さんが来て立っていた。
そして、お勤めがすむと、老婆の心は餅に往った。老婆は餅も喫ってみたければ、初物の里芋も喫ってみたかった。

(餅は寝しなに喫おう、今、喫っては旨くないから)
227禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:12:51 ID:IQidSYKk0
老婆は庖厨へ戻って、行灯を点け、その灯で夕飯の箸を執った。そして飯がすむと、膳をかたづけて、室(へや)の隅から練った麻と、小さな桶を持って来て、麻を紡ぎはじめた。
小さくへいで捻りあわせた麻糸は、順じゅんにその桶の中へ手繰り込まれた。

老婆は時どき降りて裏口にある便所へ往った。
暗い中に虫の声が聞えていた。うすら寒い風が襟元を撫でてさびしかった。
彼女は何時の間にかお爺さんのことを思い出していた。



お爺さんは亡くなる日まで、何かと云えば口癖のように離縁する離縁すると云っていた。
その詞がお婆さんの耳に蘇生(よみがえ)っていた。
228禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:13:59 ID:IQidSYKk0
何時かも己(じぶん)の里に紛擾が起ったので、それへ往っていて夜になって帰って来ると、膳前(さき)の酒を一人で飲んでいたお爺さんが、

「どちらへお出でになっておりました」

と、嘲るように云った。老婆が黙っていると、

「云えなかろう、云えないて、俺の家へ嫁入って来たからには、俺の家の者じゃ、いくら身内に何があろうとも、一応俺の許しを受けてから往くのが順当じゃ、黙って往くと云う法はない」
と、お爺さんは双手を一ぱいに張って見せる。

「花嫁で耻かしいから、云わざったわよ」
と、老婆が嘲り返す。お爺さんは憤って、膳の上の茶碗を投げつけて、

「汝(きさま)のような奴は、もう許さん、今日限り離縁する」
老婆はお爺さんのことを思いだし思いだししていた。そして、今度便所に往った時に見ると、三つ星がもう裏の藪の上へ傾いていた。
で、老婆は寝ることにして、戸締をし壁厨(おしいれ)から蒲団を出しているうちに、また餅のことを思いだしたが、腹が一ぱいで何も喫ってみる気がしない。
229禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:16:36 ID:IQidSYKk0
(明日の朝にしよう、もう腐るようなことはない)
老婆は仏壇の明りをしめして来て、行灯の灯をなおし、それから寝床に入ろうとすると、表の戸を叩く音がした。


「頼もう、頼もう」


それは詞(ことば)の使い方からして、近隣(きんじょ)の人の声ではなかった。お上の御用を扱うている村役人ではないかと思った。老婆は行灯を提げて往った。

「頼もう、頼もう」

「はい、はい」
230禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:22:26 ID:IQidSYKk0
老婆は表の入口の端になった雨戸を一枚開けた。暗い中にがさがさと物音をさして、行灯の灯のしょぼしょぼした光の中へ入って来たものがあった。


それは青い錦の道服を着た者と、赤い錦の道服を着た者であった。
二個の手にぴかぴか光る鉾があった。老婆はびっくりしてその顔を見た。
青い道服を着た方の顔は、絵にあるような青い鬼で、赤い道服を着た方の顔は、赤い鬼であった。


老婆はつくばってしまった。
「怖がることはない、俺達は此処の爺さんに頼まれて来た者じゃ」
と、赤鬼が云った。
「此処では話ができん、内へ入って話そう」
と、青鬼が云った。
青鬼はもう隻足を敷居に踏みかけていた。
231禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:27:40 ID:IQidSYKk0
老婆はふらふらと起ち昇(あが)って、顫う手に行灯を持った。
青鬼と赤鬼の二疋は、胴を屈めるようにしてあがった。
老婆は鬼に近寄られないようにと背後(うしろ)向きに引きさがった。
そして、仏壇のある室まで往くと、老婆はべたりと坐ってしまった。二疋の鬼もそのまま其処へ衝立った。


「おい婆さん、俺達は地獄から此処の爺さんに頼まれてやって来た者じゃが、此処な爺さんは、この世に在る時に、あまり因業であったから、
閻魔王の前で、夜も昼も呵責を受けて、その苦しむ容(さま)が、如何な俺達にも傍で見ていられない、閻魔王に願ってみると、
許しがたい奴じゃが、五十両出せば許しても好いと仰せられるから、それを爺さんに話してみると、我家(うち)へ往って婆さんに話せば、
それ位の金は出来ると云うから、それで二人で来てやったが、すぐその金が出来るのか、他とちがって地獄から来た者じゃ、
べんべんと長くは待たれない、すぐ出来るなら持って往ってやっても好い」


と、青鬼が云った。老婆はもう涙を滴して口をもぐもぐさしていた。
232禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:30:06 ID:IQidSYKk0
「できます、できます、手許にはないが、親類にあずけてありますから、じき執って来ます、どうぞちょっと待ってくだされ」
「すぐ執って来るなら待ってやっても好いが、遅くはないだろうな」
と、青鬼が念を押した。老婆は気がうわずったようになっていた。

「ど、ど、して、遅くなりますものか、小半時もかかりません、どうぞ、ちょっと待ってくだされ、お爺さんがいとしい」
「しかし婆さん、俺達は地獄の使じゃ、こんなことを他の人間に話したりすると、俺達も此処にこうしていられん、そんなことは云わずに、金を持って来んといかんぜ」
と、赤鬼が云った。老婆は話の中から頷いていた。
「それは、もう、そんなことをなにしに申しましょう、黙って執って来ますから、どうぞ待ってくだされ」
「そんなら好い、待ってやる」
233禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:32:26 ID:IQidSYKk0
と、青鬼が云うと、老婆は急いで表の方へ出て往った。青鬼と赤鬼はその後を見送って、耳を澄ますようにしていた。
老婆の雨戸を締めて出て往く音がした。青鬼は手にした鉾を襖に立てかけた。

「旨くいったな」
「うむ、旨くいった」

と、赤鬼も鉾を襖に立てかけた。

「すこし休もうか」
と、青鬼がまた云った。

「よかろう」
と、赤鬼が同意した。そして、二疋の鬼は其処へ胡坐をかいた。

「脱いでも好いだろう」
「そうじゃ、脱いでもいいな」

二疋は首の周囲に手をやって、何かかさかさとやっていたが、やがて赤鬼からさきに鬼の顔を除ってしまった。
皆鬼の面を着ていた者であった。
赤鬼の面を着ていたのは、壮(わか)い色の白い男で、青鬼の面を着ていたのは、頬髯の濃い角顔の男であった。
234禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:36:23 ID:IQidSYKk0
「旨くいったな」
「大丈夫じゃ」
 青鬼の方の男は行灯の灯で、仏壇に供えてある餅を見つけた。
「好い物があるぞ」
 と、彼は起って仏壇に手をやり、二つの餅を執って来て、一つを赤鬼の男にやってその一つを己の口に入れた。

235禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:40:46 ID:IQidSYKk0
寝ていた本家を起して、すこし都合があるからと、預けてあった金の中から五十両を無理から貰って、急いで我家(うち)へ帰って来た老婆は、仏壇の間へ入るとともに驚きの声を立てた。
老婆の挙動に不審を抱いて、その後から尾行して来た本家の主人は、その声を聞くと家の中へ飛び込んで来た。


そこには神楽の衣裳を着た二人の男が、俯向きになって血を吐いて死んでいた。
その傍には赤鬼と青鬼の面もあった。
血を吐いて死んでいた者は、その附近に出没する博徒であった。
二人は老婆から金を騙取する目的で、村の鎮守の神庫を破って、其処から神楽の装束を持ち出したものであった。

そして、その二人を殺した餅も、やはり金に眼をつけた村の悪漢の所為(せい)であったが、その悪漢も日ならず村はずれの松並木の下で磔殺(たくさつ)せられた。
老婆はその夜のうちに孫婿の許へ引移った。




底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
   1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
   1970(昭和45)年初版発行
236禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:43:41 ID:IQidSYKk0
狸と俳人


安永(あんえい)年間のことであった。伊勢大廟(いせたいびょう)の内宮領(ないぐうりょう)から外宮領(げくうりょう)に至る裏道に、
柿で名のある蓮台寺(れんだいじ)と云う村があるが、其の村に澤田庄造(さわだしょうぞう)という人が住んでいた。

庄造は又の名を永世(ながよ)と云い、号を鹿鳴(ろくめい)と云って和歌をよくし俳句をよくした。
殊に俳句の方では其の比(ころ)なかなか有名で、其の道の人びとの間では、一風変ったところのある俳人として知られていた。
庄造は煩雑(はんざつ)なことが嫌いなので、妻も嫁(めと)らず時どき訪れて来る俳友の他には、これと云って親しく交わる人もなく、一人一室に籠居(ろうきょ)して句作をするのを何よりの楽しみにしていた。
237禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:45:16 ID:IQidSYKk0
某年(あるとし)の晩秋の夕(ゆうべ)のことであった。いつものように渋茶を啜(すす)りながら句作に耽(ふけ)っていた庄造が、ふと見ると窓の障子へ怪しい物の影が映っていた。

庄造は不審に思って衝(つ)と窓の障子に手をかけたが、何人(たれ)か人だったら気はずかしい思いをするだろうと思ったので、其のまま庭前(にわさき)へ廻って窓の外を見た。
窓の外には一疋(ぴき)の古狸が蹲(うずく)まっていたが、狸は庄造の姿を見ても別に逃げようともしないのみか、劫(かえ)ってうれしそうに尻尾を掉(ふ)るのであった。
庄造は興(きょう)あることに思って、家(うち)の中から食物を持って来て投げてやった。と、狸は旨(うま)そうにそれを食ってから往(い)ってしまった。

其の翌日(あくるひ)の夕方も庄造が書見をしていると、又窓の外へ狸が来て蹲まった。
庄造は又食物を持って出て、狸の頭を撫でたりしたが、狸はちっとも恐れる風がなかった。
238禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:46:53 ID:IQidSYKk0
其の狸は其の翌晩もやって来た。庄造は待ちかねていて座敷へ呼び入れた。狸は初めの間は躊躇している様子であったが、やがて尻尾を掉りながらあがって来た。
そして、庄造が書見をしている傍に坐って一人で遊んでいたが、暫らくすると淋(さび)しそうに帰って往った。

それから狸は毎晩のようにやって来た。
庄造は淋しい一人生活(ぐらし)の自分に良い友達が出来たような気がしてうれしかった。
狸は庄造に馴(な)れて庄造が帰れというまで何時(いつ)まででも遊んで往くようになった。
某夜(あるよ)狸がいつものように庄造の傍で遊んでいるうちに戸外は大雪になった。
庄造は積った雪を見て狸を帰すのが可哀そうになった。

で、狸の頭を撫でながら、
「おい、たぬ公、今夜は雪だから泊って往け」
と云うと狸は尻尾を掉って喜んだ。

其の夜狸は庄造の床の中へ入って寝たが、それから狸は庄造の許で泊って往くようになった。
239禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:49:37 ID:IQidSYKk0
庄造が狸を可愛がっていることは、やがて村中の評判になった。村人は時どき夜の明け方などに、庄造の家から出て往く狸の姿を見ることがあったが、互にいましめあって危害を加えなかった。
そして、村の子供達にも、

「先生様の狸に悪戯(いたずら)しちゃいかんぞ」

と云い云いした。


ところで、其の庄造が病気になった。
初めはちょっとした風邪(かぜ)であったが、それがこうじて重態に陥った。
村人達はかわりがわり庄造の病気を見舞ったが、其の都度庄造の枕許(まくらもと)に坐っている狸の殊勝な姿を見た。
庄造は自分の病気が重って永くないことを悟ったので、某日其の狸に云った。
240禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:51:42 ID:IQidSYKk0
「お前とも永らくの間、仲よくして来たが、いよいよ別れなくてはならぬ日が来た。私がいなくなったら、もうあまり人に姿を見せてはならんぞ。それにどんなことがあっても、田畑などは荒さぬようにしろよ。さあ、もういいから帰れ」

庄造の言葉が終ると狸は悄然(しょうぜん)として出て往った。
其の夜、庄造は親切な村人達に看(み)とられて息を引きとった。
それは安永(あんえい)七年六月二十五日のことであった。
241禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:52:41 ID:IQidSYKk0
それから数日の後のことであった。
一日の仕事を終った村人の一人が家路に急ぎながら、庄造の墓の傍近くに来かかった時、其の墓の前に、蹲っている女の姿が眼に注(つ)いた。
其の女は美しい衣服(きもの)を着て手に一束の草花を持っていた。そして、よく見ると女は泣いているらしく、肩のあたりが微(かすか)に震えていた。

それは此の附近ではついぞ見かけたことのない女であった。
村人は何人(たれ)だろうと思って不審しながら其の傍へ往った。
「もし」
村人がこう云って声をかけた途端、其の女の姿は忽然と消えてしまった。
そして、其の傍には女が手にしていた草花が落ちていた。
村人達はそれを聞いて、それはきっと例の狸だったろうと云って、其の行為を殊勝がったが、其の心が村人達をして狸には決して危害を加えまいという不文律をこしらえさせた。
爾来(じらい)其の村では今に至るまで狸は獲(と)らないことになっている。





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底本:「怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集」春陽文庫、春陽堂書店
   1999(平成11)年12月20日第1刷発行
底本の親本:「新怪談集 物語篇」改造社
   1938(昭和13)年
242禿鷹 ◆aiSlHqUd2c :2007/11/05(月) 21:55:41 ID:IQidSYKk0
葬式の行列


鶴岡(つるおか)の城下に大場宇兵衛(おおばうへえ)という武士があった。其の大場は同儕(なかま)の寄合があったので、それに往っていて夜半比(よなかごろ)に帰って来た。
北国でなくても淋しい屋敷町。其の淋しい屋敷町を通っていると、前方から葬式の行列が来た。夕方なら唯(と)もかく深夜の葬式はあまり例のない事であった。
大場は行列の先頭が自分の前へ来ると聞いてみた。