人はなぜ欲望と犯罪にひた走るのか。
それは人間同士の価値観に不適合があるからである。
個性が全て生きる上での環境に良影響を与えるとは限らない。
例えば
>>1のような問題糞馬鹿低能ゴミ屑ゆとりがいる。奴の個性、それは人を傷つけて世の中の邪魔をすることである。
奴は世間を囃し立てて一般人を汚しているキチガイなのである。
やがてこのような奴の欲望は犯罪へと変わり治安を悪化させる。
こんな
>>1を生かしておく必要性がどこにあろうか?
奴はこのコピペを見た後もきっと冷静に対処してくるであろうが、あえて長文を書かせていただく。
内心傷つく、それが人間性であるから。
こういった共通概念のもと生きるのは客観性の重要さを学ぶことである。
好き勝手に生きる
>>1のような奴をひれ伏させ、自らの恥を知らせることも客観概念のもと構成されるべきなのである。
主観性のみで生きる者はこうして攻撃されるべきだ。
例え冷静に答え返されたとしても奴の内心に傷がつけばいいのである。
人間の理念を守るべきためにここでは客観性を主として会話をし、世間への秩序の安定と個々の人間との間の関係を確立することが我々の今の指名だと考える。
よって今日言うべきこと、それは
>>1よ 愚夫愚婦のカスは死ね、アフリカ象に踏み潰されて内臓飛び出ろ、人糞舐めとけ。
貴様のような愚民は必要ないさっさと家に帰ってうんこ喰う循環しとけや童貞。早く死ね、そして獄門にかかってお台場にさらされとけやキモオタカスニート