>>213 >受動的に
>次元上昇など絶対にないし、積極的自己選択をしたからと言って保障が
>あるわけでもない。
同意です 受動と能動(消極と積極)の違い、よく分ります
過去スレに阿千ションをF1に例えた人がいて
的確だった事を覚えています
これまでの時代は、受動的な姿勢(=良い子)でいる限り
正しかったのですが、その様な唯物的論理的思考が、
精神性欠如の時代を築き上げ、窒息状態に陥り瀕死状態
になってしまっているのが今の時代であり地球だと思います
これからの時代は、能動的な姿勢の方が正しい(*)ですが、
その代償として全ての責任が身に降り掛かって来、
霊界での「戦い」が生じるという事だと思います
(*)どちらが正しいというより、正に選択の問題ですね
今、能動的な姿勢を選択したとしても、必ずしも「不良」と
ならないのが、今の時代に生きる醍醐味でしょう その様な
人がもし過去の時代に生きていれば、確実に不良になったでしょうが
(その意味での「霊的な早産」(
>>130,133)という理解)、
しかし今の時代では、過去のモノサシがそのまま通用しない為、
かえってユニークな視点からあらゆる事態に対処し、
打開を可能にする事が出来るのでしょう
正しく「生き甲斐」のある時代です
過去のモノサシに頼って(物質的現象面だけ見て)、
肩の力が抜けないでいるのが、今の御用学者であり政治家でしょう
>>275で述べた事をF1に例えるなら、
・前者なら、高速かつすぐ事故る(効率が悪い)
→だから今までの車(とか自転車w)のままでいた方が良い
→気の合う人と仲良しでいればいい(同じ所をグルグルやってればいい)
・後者なら、事故らずかつ高速で願いが実現する(効率が良い)
→当然ハンドル「自分の本性(霊的原像=モナド)」操作に責任が伴う
("境界の守護霊"(
>>179)がいないから)
→だから今の内から運転技術を身に付けた方がいい
→その過程で当然実践という名の戦いが生じるが、
それは必ずしも物質レベルでの争いを意味しない
(全く個人的な精神的戦い(=自分との戦い)である)
と考えています
だから
「一般的な次元を振り切るということは戦いである」(
>>94)
という表現は誤謬を含み兼ねない気がしています
「ここは譲れない」という分野では時に命を掛ける事すら
あるでしょうが、
>>94の表現では、それを通過せねば阿千ション
出来ない印象を与えます これは(私を含む)凡人からすれば、
反社会的なカルト(危険思想、政府転覆とかw)を思わせます
私が望む阿千ションは、もっと穏やかなものです
(友達同士の馴れ合いでグルグルやってるのには正直反吐が出る
今までもこれからもそう その意味で激しく不適応、インディゴ的
であった33歳男である)
この事が分かった時、かえって肩の力が抜け、人との衝突が減り、
人間嫌いが短期で解消しました と同時に、時には年上すら一喝出来る
人間になりました(しかも後の人間トラブルに発展しない これが
結果的に実践でありある意味「戦い」である)
この1年間の変化は私にとって驚きであり、重要でした
私にとっては昨年1年間が1つのターニングポイントでした
「戦いは前提では無く結果」というのが私の(現時点での)到達段階です
>>271 >現状は10年前とは明らかに違い、10年前の感覚や思考
>では対応できなくなってきている。
これは私にとっても、実感ですね