テ ン プ ル 騎 士 団   ス レ ッ ド

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623,シオンの僧院
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3%E4%BF%AE%E9%81%93%E4%BC%9A  シオン修道会
ロンドンに戻ったリンカーンは、BBCに勤める友人たちにこの話をした。彼らはこれに興味を抱
き、うち2人がレンヌ=ル=シャトーに行った。

ジェラール・ド・セドは、彼らのつくる予定の番組の監修を引き受けており、第二の謎の暗号を
解く鍵を提供してくれた。それは信じられないほど複雑な暗号で、暗号専門家が「ヴィジュネ
ール法」と呼ぶ手法が使われている。まず、アルファベットを26回書く。最初はAから始め、次
にB、次はC、、、、と言う具合だ。その後、キーワードである(MORT EPEE)を暗号文の
上におき、ヴィジュネールの一覧表を使って文字を転換していく。

「貴族マリ・ド・ブランジュフォール」テキスト(ソニエールが抹殺しようとしたもの)は、また別のキーワード
で解く。最後にチェス盤の上に文字をおき、ナイトの動きにしたがって読んでいく。こうして
現れた文字列は――「誘惑のない女牧童、ブッサンとテニエが鍵を持つ、平和681、十字架と
この神の馬のそばで、私は正午にこの警護の悪魔に達する、青い林檎」。

この暗号文こそ、恐らくソニエールに莫大な富をもたらしたものである。だが、そのからくりは?

その後のTV番組「司祭、画家、悪魔」の中で、リンカーンは一つの仮説を提唱した。元来の暗
号文の中に、他の文字に比べて小さく書かれているものがあるのに彼は気づいていた。こ
れを書き出すと(REX mundi(世界の王))という単語ができたのだ。そこで彼は、この
物語にはカタリ派が何らかの役割を果たしているのではないかと考えた。カタリはというのは、
キリスト教会によって血みどろの弾圧を受けた中世の異端宗派だ。
624,シオンの僧院:2008/06/21(土) 10:56:15 ID:w2X7nadZ0

ポゴミール派やアルビ派、ヴァルド派などの他の異端と同様、カタリ派もまた、例に関係あるものは
全てが善であり、物質にあるものはすべて悪であると信じていた――マニ教にも見られる
信仰だ――ゆえに、この世界を創造したのは神ではなくて悪魔である。1244年、ラングド
ックのカタリ派は、モンセギュールと呼ばれる山の頂上に築かれた城砦を包囲され、山の麓で生きなが
ら火あぶりにされた。これによって事実上、彼らは根絶した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%AA%E6%B4%BE カタリ派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B4%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%B4%BE ボゴミール派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BC%E6%B4%BE ヴァルド派

だがその降伏の3ヶ月前、2人の男がカタリ派の「財宝」を持って囲みをすり抜けて脱出した。
その財宝がいかなるものだったのかは誰も知らない。だが、この2人が大量の金銀宝石を
運び出すことができなかったのは明らかだ。だからソニエールの富はカタリ派の財宝とは無関係だ。

ということは、この謎の解としてはカタリ派は考慮に入れなくてよいということになる。確か
に、彼らをグノーシス主義と呼ぶことはできる――グノーシスとは、ギリシア語で知識を意味する
言葉だ――そしていわゆるヘルメス文書(中でも最も有名なものは「ヘルメス・トリトメギストゥスのエメラル
ド・タブレット」)の著作もまたグノーシス主義者と呼ばれる。だがこれらの初期グノーシス主義者は、
物質を悪であるとは見なしていない。エッセネ派は、この後者に属していたようだ。だがエッセネ
派のグノーシス主義とカタリ派のグノーシス主義には何のつながりもない。だからカタリ派はこの際
無視してもいいだろう。

マリ碑文には円の中にPSの文字が書かれている。セドによれば、これは「シオンの僧院」と呼
ばれる組織を表しているという。シオンというのはイェルサレムのことだ。さらにリンカーンは、パリの国
立図書館の中に、1956年以来保管されている多数のパンフレットや碑文の類の存在を知った。
その多くは「隠者アントニウス」などの匿名で書かれていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9 グノーシス主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%85%83%E8%AB%96 二元論
625,:2008/06/21(土) 17:57:47 ID:w2X7nadZ0

この文書の中に「シオンの僧院」と呼ばれる秘密結社の概要のかかれたものがあり、そこには
そにお結社の歴代総長の一覧も収録されていた。その中には、錬金術師ニコラ・フラメル(黄金を
作り出したといわれる)、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アイザック・ニュイーートン、クロード・ドビッシー、そして
最近ではジャン・コクトーらの名前が含まれていた。そういえばソニエールも、パリ訪問の際にドビシー
に会っていた。

そしてこれらの文書――一括して「秘密文書」と呼ばれる――によれば、(シオンの僧院)と
はテンプル騎士団内部の高位結社であると言う。さらに(秘密文書)によれば、(シオンの僧院)
はテンプル騎士団の瓦解後も生き延びたと言う。

そこでリンカーンは、ソニエールは財宝を発見したわけではないと考えた――むしろ彼の富の源泉は、
(シオンの僧院)で重要な地位を占めたことにある。実際、多くの既知の事実はこの結論を裏
づけている。ソニエールのベタニア壮はその後ホテルとなるが、その所有者であるアンリ・。ブティオンによ
れば、ソニエールはしばしば現金を切らしていたという。この別宅のために誂えた高級家具の職
人に支払う5000フランも払えなかったと言うのだ。彼が一文無しで死んだことは間違
えない。

だがそれは、家政婦マリ・デナルノーに財産が渡るようにしていたからかもしれない。とはいう
ものの、隠された財宝を持つ男が現金に困ることはありえない例えそれを銀行に預けてい
たとしてもだ。ソニエールの現金収入の多くはオーストリアからものもであったらしく、ゆえにフランス政
府は彼をスパイだと疑ったのだ。

こうしてリンカーンの番組は完成し、1972年、「イェルサレム7の失われた財宝」のタイトルで放映さ
れた。だがその時点でさらに多くの材料が明るみに出ており、続編が必要なことは明らか
だった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81 ダヴィンチ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3 ニュートン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC ドビュッシー
626,:2008/06/21(土) 18:00:42 ID:w2X7nadZ0

恐らく最も興味をそそるヒントは、番組の放送直後にもたらされたものだ。英国国教会の
元教区主管者代理がリンカーンに手紙をよこしたのである。それによれば、「財宝」とは黄金や
宝石のことではない。イエスが西暦33年に磔刑に書せられてはおらず、西暦45年まで生き
てきたことを示す文書だと言うのだ。

リンカーンは彼にいった。元牧師は明らかに余計なことを洩らしてしまったことを後悔していた。
だが最終的に、この情報の出所は国教会の学者で聖堂参事会員アルフレッド・リリーであることを
認めた。そして――これを聞いたとき、リンカーンの心臓は踊っただろう――リリーはサン・シュルピス
を根城とする学者たちと密接な関係を持っており、ソニエールをドビュッシーに引き合わせたエミュール・オフェの知人でもあった。

このことは魅惑的な可能性を引き起こす。もしもドビュッシーが実際に(シオンの僧院)の総長で
あったなら、彼もまたイエスは十字架でしんではいないという考えを持っていたのだろうか?
そしてそれこそが、ソニエールの最後の最後の告白を聞いた司祭を震え上がらせた秘密だったの
だろうか?

確かに、その可能性は高まる一方だ。

前述のように、ソニエールはパリを去る際、ルーブルでいくつかの複製画を買ったが、その1枚が「ア
ルカディアの牧童」だった。そこでは3人の牧童と1人の女牧童が墓の前に立ち、その墓には
(Et  in  arcadia Ego)の銘がある。

最初の番組をとっていたとき、リンカーンがド・セドから聞かされた話によれば、この絵に出て
くる墓の実物がレンヌ=ル=シャトーからそう遠くないアルクにあったという。その墓にはラテン語の銘こ
そなかったが、それ以外の点では絵の中の墓とまったく同一であり、絵の中で牧童が足を
乗せている石まであったという。ニコラ・ブッサン(1594-1665)は、当時最も有名な画家の一人だ
った。ノルマンディーの生まれだが、彼が名声を博し、生涯のほとんどをすごしたのはローマだった。
そして短期間だがルイ13世とリシュリューに仕えたこともあった。
627,:2008/06/21(土) 18:03:34 ID:w2X7nadZ0
ブッサンの「アルカディアの牧童」は、大変な骨折りの末にルイ14世の主有するところとなる。だ
がようやくその所有者となった後、彼はこれを自分の部屋に封印してしまった。うわさで
は、王はこれを公開すれば何らかの秘密が明らかになる、といって恐れていたと言う。

一見したところ、この絵自体は何の手がかりもなく、なぜ王はあれほど熱心にそれを求め
たのか、そして入手後はなぜ世間の目から隠してしまったのか、まったく不明だ。

判明している事実としては、1656年、王の財務長官であるニコラ・フーケが、弟のルイをローマに送っ
てブッサンに会わせている。そしてルイは兄のニコラに次のように書き送ったのだ。

「彼と私はある計画を持ちました。それについては、もうすこししたらすべてお知らせで
きます。ブッサン氏を通じてあなたにもたらされる利点は、王といえども彼から手に入れるこ
とは極めて困難でしょう。そして彼によれば、この世の何人といえども、今後数世紀の間
は手に入れることはできないそうです。しかもそれはさほどの資金もなしに入手でき、ま
たこれを金に換えることもできます。これを調べるのはきわめて難しく、ゆえに今の時代
に存在する何者も、これ以上の、あるいはこれに匹敵する富ををもたらすことはありません、、、。」

これは一体何の話をしているのだろうか? 「これ以上の、、、富をもたらすことはありま
せん」というのは、何らかの財宝を思わせる――だが、彼はまた「金に換えることもでき
る」とも述べている。ということは金そのものではないらしい。

確かなことは、5歳で王座に就いた王が、この才気煥発で野心的な財務長官に対する嫌悪を
次第に募らせていったということだ。

フーケはとてつもない大金持ちとなり、コルベールによれば、その財産は彼が毎日帳簿をごまかし
続けて作ったものだという。1661年、ルイはフーケを逮捕し投獄した(ある歴史家によれば、彼
こそあの「鉄火面」だという。だが彼は、この謎の囚人の23年前に死んでいる)。

フーケは、謀反の意図を持って弟をプッサンのところに使わしたのだろうか?

おそらくそうなのだろう。そしてこの謀反には、またしても(シオン僧院)の影が揺曳しているのだ。