テ ン プ ル 騎 士 団   ス レ ッ ド

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 とすれば、セクエンエラ殺害事件がユダヤ人によって極めて重視され、ソロモン神殿の建設者ヒラム・アビフの殺害へと形を変えたことの説明もつく。

 さてここまでの内容は、実を言えばロマスとナイトによるさらに大胆かつ想像力豊かな仮説を
一瞥するための準備段階に過ぎない。フリーメーソンリーの歴史の研究の過程で、彼らは仰天すべき
一連の発見を成し遂げた。ヒラム・アビフの正体がセクエンエラだというのは、その端緒に過ぎないと
いうのである。ヒラム・アビフの殺害とともに、エジプトの神話はユダヤの神話へと変容した。この
ことはつまり、フリーメーソンリーの伝統の一部は、その視と再生の儀式とともに、セクエンエラの時代か
ら続いているということを意味する。

 これは、ロマスとナイト」による預言者エノクへの言及によってさらに確かなものとなっている、
と私には思える。「ヒラムの鍵」では、彼に対して短い言及が3度なされるだけだが、その続
編である「第二のメシア」の終盤、フリーメーソンリーの(スコットランド儀礼)における第13階級儀礼
に関する記述がある。その儀礼で語られる内容は、「モーセとアブラハムの時代よりも遥か以前、
古のエノクは世界が洪水もしくは秘による黙示録的な災害によって滅びることを予見し、当時
の人間の少なくとも一部を保管しようと決意した。滅びを生き延びた人たちの未来の文明
に手渡すためである。そこで彼は、聖刻文字を使って、偉大な科学と建築術の秘密を、2
本の柱に書き付けた。一本は煉瓦、一本は石でできていた。」

「さらにメーソンリーの伝承によれば、その後、この柱はほとんど破壊されてしまうが、その一
部は洪水後も残り、後に発見される――一つはユダヤ人によって、もう一つはエジプト人に
よって、」つまり、この2人のメーソンリーによれば、フリーメーソンリーの起源は、―-すなわちその儀礼
において中心的な役割を果たす二本の柱は――エノクにまでさかのぼることができるのだ。