テ ン プ ル 騎 士 団   ス レ ッ ド

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 結論から先に言えば、未来の帰趨はあきまでも人間次第ということです。そのいみで、
人間の行為や思考は決してむなしいものではないし、意味のないものでもないのです。現
在の人間の思考や行為の中から、未来は生まれてくるのです。
したがって、
「人類が精神的にも道徳的にも進歩を続けながら、確実な基盤の上に立って3つの能力の
開発に力を注ぐ」
と言う前提に立つならば、人類は明るい未来を迎えることができるでしょう。しかし、そ
れとは反対に、もし人類が精神的に向上しないままで、現状のように、3つの能力を性急
に、しかも物質主義的な方向のままで「開発しようとするならば、遠からず破局が訪れる
ことになるでしょう。

第二部 堕天使アーリマンの受肉は目前に迫っている。
第一章 シュタイナーの「大予言」はなぜこれほど当たるのか。

関東大震災を警告した寺田寅彦博士

第二次世界大戦前に寺田寅彦という人物がいました。寺田寅彦は自然科学者としても有名
でしたが、文学者としても、かの文豪夏目漱石の弟子として広く知られていました。その
寺田博士が大正11年の1月に、「断水の日」と題したエッセーを朝日新聞に発表しました。博
士はそのエッセーの中で、東京と言う都市が、地震のような天災に対してはまったく備えがで
きていないことに、次のように警告を発しています。

『私の頭の奥のほうで、現代文明の生んだあらゆる施設の保存期間が経過した後に起こる
べき種々な困難がぼんやり意識されていた。これは昔天が落ちて来はしないか心配した 
木己国の人の取り越し苦労とは違って、あまりに明白すぎるほど明白な有限な未来にきた
るべき当然の事実である。たとえばやや大きな地震があった場合には年の水道やガスがだ
めになるというようなことは、初めから明らかにわかっているが、また不思議に皆がいつ
でも忘れている事実である」
                       (寺田寅彦随筆集第一巻)
527,:2008/05/28(水) 21:11:20 ID:TD/3JVYb0

寺田寅彦博士のこの不吉な予測が、はやくもその翌年には現実のものとなったのは、誰で
もよく知っている事実です。大正12年9月1日、帝都東京は関東大震災によって壊滅的
な打撃を被ったのです
それでは、なぜ寺田博士にとっては「やや大きな地震が」が、「明白すぎるほどに明白な有
限な未来に来るべき当然の事実」だと考えられたのでしょうか?
 それはまず第一に寺田博士が、大都市東京の構造上の弱点を、冷静な科学者の目で徹底
的に観察したからにほかなりません。『断水の日』を読むと、大正10年12月に東京でか
なり大きな地震が起こり、水道の溝渠が崩れる騒ぎがあったことがわかります。
そのとき、ほとんどの人は、水道が復旧するとともに、地震のことなどはすっかり忘れて
しまいました。
「のどもと過ぎれば暑さ忘れる」という諺どおりに、人々が地震をけろりと忘れる様子を、
寺田博士は「不思議」だと評しています。
しかし、優れた科学者である博士の目には、さまざまな不安要素が映りました。
断水の日に、寺田家では電気のスイッチが壊れました。また銀座では煉瓦が破損しました。
こうした事実から、寺田博士は次のように考えました。

『水道の断水とスイッチの故障との偶然な合致から、私はいろいろの日本でできる日用品につ
いて、平生から不満に思っていたことを一度に思い出させられるような心持になってきた
――中略――水道にせよ木煉瓦にせよ、つまりはそういう構造物の科学的研究がもう少し
根本的に行き届いていて、あらゆる可能な障害に対する予防や注意が明白にわかっていて、
そして材料の質やその構造の弱点などに関する段階的系統的の検定を経た上でなければ、
誰も容認しないことになっていたのならば、恐らくそれほどのことはないと思われる。』

しかし、それでは寺田博士は、こうした防災に関する意識や対策のみで、不安を克服でき
ると考えたのでしょうか?
もちろん、防災に対する意識や対策がなんの役に立たないなどと考えるべきではありませ
ん。全力を尽くしてそうした対策に取り組むべきであることは、ここでわざわざ強調する
までもありません。それは、先進国の中でも特に対策が遅れていると言われているわが国
では、特に強調されるべきことです。
528,:2008/05/28(水) 21:14:11 ID:TD/3JVYb0


政治家や役人は、なぜ都市計画を骨抜きにするのか?

しかし、はたして現代のあまりに巨大で複雑な大都市を、地震の様な大災害から守りきれ
るのでしょうか?
現代科学というものを、私たちはそこまで信用してよいものでしょうか?
百歩譲って信用するとしても、それでは平素から、
「科学的考え方以外に信用できるものはない」
と明言している政治家や行政官などの実務家たちは、これまで一体何をしてきたでしょう
か。彼らは科学者の警告に従って完全に科学的な対策を施してきた、と胸を張って言い切
れるのでしょうか?
信用できる一級の科学者である寺田博士が、
「これは昔天が落ちては来はしないか心配した木己の国のとりこし苦労とは違って、あま
りに明白すぎるほど明白な、有限の未来に来るべき当然の真実である」
と認定したことを重要視して、政治家や行政官が関東大震災後に本格的な都市再建と防災
対策に取り組んだでしょうか?
事実はその反対です。
彼らは関東大震災後に提出された本格的な再建案をよってたかって骨抜きにしてしまった
のです。
第二次世界大戦後の事情も、これとたいした違いはありません。
政治家や行政官・経営者などの自他共に実務家と認める人たちこそ、科学を軽視してきた
のです。「科学を信じる」ことだけしかモットーらしいモットーを持たない彼らこそ、実際には自ら
の信念を裏切っているのです。
寺田寅彦博士は「断水の日」を、次のような言葉でしめくくっています。
529,:2008/05/28(水) 21:15:23 ID:TD/3JVYb0


こんなことを考えていると我々の周囲の文明と言うものがだんだん心細く頼りないものに
思われてきた。なんだかコタツを抱いて氷の上に座っているような気持ちがする。そして
不平をいい人を責める前に我々自身がしっかりしなくてはいけないと言う気がしてきた。

断水はいつまで続くかわからないそうである。
どうしても「うちの井戸」を掘ることに決めるほかない。       』

現代文明に対する科学者寺田寅彦博士のこうした正直な危惧と不安は、まことに古くて新
しいといわねばなりません。科学的な問題意識だけではこの物質文明の先行きに確かな展
望をもてないことを、寺田博士は80年近くも前に予感していたのです。
その後、こうした現代文明に対する危惧や不安は少しでも軽滅したでしょうか?軽滅どこ
ろか、人類はその生存も危ういところまで来てしまったのです。
私たちの文明の危惧は、すでに回避不能なところまで来てしまったのでしょうか?先進国
では物質世界に閉じ込められた人々はとらえどころのない不安と悩みを抱えながら、何と
かして物質世界を超えて宇宙や見えない世界との意識のつながりを求めようとしています。
それは決してたやすいこととは思われませんが、人類の意識に大きな転換が起きているこ
とだけはたしたなようです。