495 :
a:
一体、シュタイナーは現代の最大の問題を何処に見出したのでしょうか?
宗教 カルトに関する「大予言」
オウム事件が意味するもの
カルトや新興宗教の問題は、90年代半ばの今になって、突然持ち上がったわけではありません。
これらの問題の最初の萌芽は、すでに60年代のヒッピー文化やサイケゲリック・ムーブメントの中に現れていました。
日本では70年代半ば、ようやく学園紛争の時代が終わり、キャンパスに見気力でシラケたムー
ドが広がっていたころから、学生や若者たちの間に新興宗教が浸透し始めました。
したがってオウム事件は、過去数十年にわたって続いた世界的な新興宗教・カルトブームの総決
算ともいうべき意味を持っているのです。
オウム事件は、宗教が内包している負の側面を白日の下にさらし、満天下の人々の目にまざ
まざと見せ付けることになりました。
宗教が内包する負の側面とは、人類の進化に逆行して、前掲のミヒャエル・エンデも指摘したよ
うに、「本能的に、世界との一体性を回復しようとする」という傾向のことです。ここにカル
トや新興宗教がセックスやドラッグと結びつきやすい理由があります。彼等はセックスやドラッグの力を
借りて、現代人が失ってしまった「本能的な」宇宙との交換能力を回復しようと言うので
す。
496 :
、:2008/05/28(水) 19:22:53 ID:TD/3JVYb0
しかし、一度思考力を獲得した人間は、セックスやドラッグのようなどんな人為的手段を用い
ても、古代人のような本能的な能力を再び獲得することはできません。なぜなら、人間が
いかなる意味でもかかわることができないからこそ、それは「本能」なのですから。
そうした領域には、私たちは神聖な力の働きを感じるべきものです。いかなる宗教、い
かなるカルトの教義と言えども、そうした性や宇宙との交感のの領域に、人為的な影響力や支
配力を振るうことは本来できないのです。そうした封建的・暴力的な支配力や影響力によ
って、ひとたび過ちが犯されてしまえば、その人は破壊されてしまうかもしれません。こ
れこそマインド・コントロールの恐ろしさです。ひとたびインドコントロールをされてしまえば、それを完全
に解くには数年から、時には十年以上も要するのです。そしてカルトのマインド・コントロールの恐怖
は、本人だけでなく、その本人の属する家庭や職場などを巻き込み、それに多大な不安と
動揺を与えついには破壊させてしまうことさえ珍しくはありません。特にインド系やチベット密
教系の教団には、オウムに限らずこうした危険な傾向が強いと言わざるを得ません。
近代以降、唯物論の発展とともに、絶大な支配力を誇っていた宗教は、次第に権威を失
っていきました。現代は旧い時代の遺物である宗教が、様々な形で最後の抵抗を試みてい
る時代だとも言えるでしょう。
にもかかわらず一部には、キリスト教や仏教と言った伝統宗教の復権を唱える人たちも居ま
す。そうした意見の持ち主たちは、
「現代人は堕落している、だから宗教を通して積極的なものへと至る道を再び見出すべき
だ」
と主張しています。
497 :
a:2008/05/28(水) 19:24:52 ID:TD/3JVYb0
しかしながら宗教が、少なくとも既存の形のままで復興することはありえないでしょう。
シュタイナーによれば、近代以降人間は自我意識を発達させるとともに宗教的な権威から自由に
なったのです。これは、人類の進化の必然性なのです。
ところが過去の宗教の復興を唱える人たちは――特にインドやチベット計の宗教を信奉する
人たちは――人類進化のベクトルを逆転させようとしています。
「西欧的な自我は悪の根源であるから、これを消し去らなくてはならない。そして、それ
を消し去ることによって、人間は神と一体とならなくてはならない」
と、いうのです。これは一見最もな主張のように聞こえますが、実は大変危険な思想と言
わねばなりません。「近代の超克」という現代の歴史的課題に名を借りて実は旧い宗教的形
態をそのまま復興しようとするこうした考え方には、現代人としての個人の人格を破壊し、
道徳性や義務感を失わせ、個人の社会性を失わせて挑戦的になる、そういう現実的な危険
があります。
シュタイナーの考えでは、こうした人類進化の過程を逆に進ませようとする力は明らかき誤りで
あり、時としてそれは大きな悪であることすらありうるのです。
未来社会のための3つの原則
ルドルフ・シュタイナーは、「天使は私たちのアストラル体で何を行うか」(『天使と人間』)と言う有名な
公園の中で、来るべき未来社会の姿を、3つの原則に基づいて描いています。それは人類
が正しい進化の道を歩み続けるなら、必然的に到達しなければならない段階を示している
のです。
このようなシュタイナーの予言では、
「未来の宗教はどのようなものになるのか」
ということが、きわめて重要な意味を持っています。というのも、シュタイナーは、「これからじ
んるいが精神的なもの、超感覚的なものとどのように関わり合っていくのか」と言う点が、
必然的に未来社会のあり方を決定すると考えたからです。
それでは未来社会において、宗教はどのような形をとるのでしょうか?
498 :
a:2008/05/28(水) 19:26:39 ID:TD/3JVYb0
【大予言5】誰も、物質界に外面的な気候を持つ
特別の教会によって宗教上の生活を支える必要がなくなるだろう。
未来において人間の中で発達することになる自由な宗教はすべて、「単なる理論ではなく、
直接的な人生の実践において、個々の人間の中に実際に神性の似姿が認められる」と言う
ことをよりどころとするのです。そうなるともはや宗教が強制されることもなくなります。
もはや宗教を強制する必要がなくなるのです。というのも、そのときには、それぞれの人
間が他の人間と出会うと言うことがすでに、宗教的な儀式、秘蹟となるからです。そのと
きには、それぞれの人間が他の人間に出会うと言うことがすでに、宗教的な儀式、秘蹟と
なるからです。そのときには誰も、物質界に外面的な機構を持つ特別の教会によって宗教
上の生活を支える必要がなくなります。人生全体が超感覚的なものの表現となることによ
って、教会が持ちうるただ一つの意図は――もし教会がそれ自身を正しく理解するならば
――「教会それ自体を物質界で不要なものとすること」のみになるのです。
(「天使と人間」54〜55)
これは、現在私たちが言うところの宗教とは、まったく別のものです。それはもはや、
宗教という名で呼ぶことすらふさわしくないものかもしれません。
現在のような宗教はすべて、ゆっくりと消滅していくでしょう。そこにはもはや、教祖
と信者、出家と在家と言った区別も存在しなくなるでしょう。しかし、そうなるには、私
たちの意識が全面的に変化しなければならないのです。
私たちは理解においても、実践においても、質の高い肉体を備えているからと言って、人
間を単なる高次の進化を遂げた動物と見なすことがあってはなりません。私たちは「心的
な世界の根拠の中から示現するものが、人間の中に現れる」と言う感情を完全に発達させ
た上で、一人一人の人間と向かい合うべきなのです
(天使と人間 53〜54)
499 :
a:2008/05/28(水) 19:28:30 ID:TD/3JVYb0
これが、シュタイナーの説く未来の宗教の根本精神です。
これに対して、既存の宗教は、本当に人間存在そのものを尊ぶことを教えているでしょうか?
実際は現実に生きている人間を卑しいものと見なし、人間を度外視した「精神世界」と
証するものの中に、直接神を見出そうとしてはいないでしょうか。
現在の進化のレベルでは、人間が直接神を見たり、神に触れたりすることはありえないの
です。シュタイナーの宇宙進化論によれば、霊界は3つのヒエラルキーから成り立っていますが、人間
に直接影響を及ぼしているのは、その中で最も人間界に近いところに存在する天使たちと
四大元素霊(地、水、風、火の霊)だけなのです。
現在の唯物論的な教育において、まるで「霊界や神は存在しない」と教えられているも
同然のような私たち現代人の多くは、その結果、霊界や神についてほとんど無知同然とな
ってしまいました。
そして巷には、信者一人一人を罪深い無明のやからなど決めつけ、
「われこそは神の代理人なり」
と称して、信者に服従や「お布施」を強要してはばからないような、お粗末な「教祖様」
が数多く存在することとなりました。
一方、「人間は神性の似姿である」という罪深い宗教的哲理を悪用して、「人間は神であ
る」などと教え込むバグエワン・ラジニーシのような悪徳教祖が猛威を振るっています。人間は神
性の似姿ではあっても、正しい努力と認識に欠ければ、何処までも堕落してしまうのです。
社会的弱者や人生の道に迷う人々に、フリー・セックスや麻薬を与えて人生の重荷から開放された
と言う錯覚を与え、一方で教祖と教団幹部は莫大な富を蓄えているのです。こうしたカルトは、
オウム真理教やラジニーシの教団だけではないでしょう。
かねてシュタイナーは、こう警告していました。
500 :
、:2008/05/28(水) 19:32:06 ID:TD/3JVYb0
【大予言6】チベットの文化は、少しずつ退廃と没落に向かっている。そしてアトランティス以降に
チベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができない。
チベットの文化は極めて古いもので、その紀元は太古のアトランティスの時代にまで遡ります。――
中略――このような文化は、人間が現代とは別の条件の元に生きていた、あの太古の時代
にのみ、ふさわしいものでした。皆さんは次のようなことを思い浮かべてみるだけでよい
のです。すなわち当時、大気は今日と異なり、人間は今日のように重くはなく、人間の体
重は今日よりもはるかに軽く、当時の大気は今日よりもはるかに濃密でした。大気は常に
熱い霧に満たされ、そのため人間は今日とはまったく別のやり方で生きることが可能とな
ったのです。
――中略――
このようなチベット文化は、少しずつ退廃と没落に向かっています。そしてアトランティス以降に
チベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができません。なぜならチベッ
ト文化は、インド文化よりも古いからです。インド文化は、地球が現在のような形姿とるよう
になった後で成立しました。これに対してチベット文化は、まったく古いものです。このチベッ
ト文化は、太古の昔には比較的善い形態のうちに存続していたものを、悪しき形態のうちに
保持してきました。特にチベットの支配者(訳注ダライ・ラマのこと)の原理は、非常によくない
形態のうちに形成されました。チベットでは、支配者になる人物は心的な崇拝を受けることに
なるからです。
(GA353 264〜265)
501 :
、:2008/05/28(水) 19:33:06 ID:TD/3JVYb0
「アトランティス以降にチベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができない」
という指摘は、まるで今日のオウムの事件について警告を発しているかのようです。
シュタイナーほど早く、的確かつ本質的に、こうした二十世紀末の反時代的宗教感情の台頭と
その危険に対して警告を発している人物が他に居るでしょうか。
最近、著名な作家や評論家の中にまで、
「人々がイデオロギーに頼る時代は終わった。これからは宗教の時代だ」
などという趣旨の発言をしているひとがおりますが、まことに無責任であるとしかいいようがありません。
つい最近まで、無責任な進歩的知識人たちが「平和、平和」と盛んに唱えていたかと思
えば、こんどは、「宗教、宗教」と唱える知識人が活躍する順番だとでも言うのでしょうか。
現代という時代がいかに無機的で先が見えないからと言って、人々の自我(主体性や個
人的尊厳)を奪ってマインド・コントロールをかけるようなカルトや宗教に道を譲る必要が一体何処に
あるというのでしょうか。
また、今日の宗教界の退廃については、既成の宗教界もおおいに反省すべきでしょう。
まともに信者に人倫の道を説くことも怠り、ましてや本来信者の苦しみを軽滅するためで
あるはずの「序霊」行為をカネ儲けに利用してはばからないような一部の教団の姿こそ、
退廃そのものなのではないでしょうか。