大和の国に残るユダヤの文化★その1

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322本当にあった怖い名無し:2006/12/20(水) 14:23:02 ID:NUq4ddHP0
>>325
おまえもか
日向の国が、どうとか言うのは315とか316だろ。
なんで309にレスするんだよ。内容の前にアンカー確認しろよ。
ややこしくなるから。
323本当にあった怖い名無し:2006/12/20(水) 18:33:52 ID:kkoQ4+5i0
きみがアンカ狂ってる張本人では?
+6して未来レスしてる書き込みが間違いアンカーだと思うが
324本当にあった怖い名無し:2006/12/20(水) 19:04:51 ID:NUq4ddHP0
あれ?IEで見ると329の言うとおりで
キコナビでみると328のとおりに???
325本当にあった怖い名無し:2006/12/21(木) 00:39:03 ID:UfalqlS90
いちどログ捨てて再取得しなはれ
326本当にあった怖い名無し:2006/12/21(木) 09:56:53 ID:i4qDWsUR0
>>321
弥生時代は3000年前から九州では始っていた
日本全国は2500年前ほど前かね
327本当にあった怖い名無し:2006/12/23(土) 06:53:59 ID:tEKoKCOP0
日ユ云々て行ってる人は屁理屈は長々捏ねるくせに
基本的に歴史をわかってないつか、日ユ同根が生まれた時代の知識で止まってるみたい
328民俗学者:2006/12/23(土) 11:45:18 ID:ugAOs46/0
最近だがNHKでやっていたの見なかったのか。
縄文人と弥生人の集落が混在していたらしい。
それから見て争いというものはなく
むしろ共存していたと結論ずけられていた。物々交換などの
交流もあったらしい。例えば皮製品と農産物のように。
西は弥生人が多いが新潟関東あたりが混在地域で
北に行くほど縄文人が多かったらしい。
329本当にあった怖い名無し:2006/12/23(土) 12:41:59 ID:gwuiO8b60
>>328
縄文人が北へ行った理由はなんですか?
まさか新しい人たちが入ってきたから、
どうぞどうぞと自分達が退いたと??

ww
330本当にあった怖い名無し:2006/12/23(土) 22:06:08 ID:n42yjOlF0
>329
もともと縄文遺跡が青森とか、北のほうに多いのは、当時が現在より温暖な気候だったからでしょう。栗の木も大きく育って、くりぬいて丸木舟ができたとか。
331本当にあった怖い名無し:2006/12/23(土) 22:12:34 ID:qQVU8pg/0
日本人とユダヤ人
共通項が多い気がする
332本当にあった怖い名無し:2006/12/23(土) 22:51:38 ID:n4+jvaGO0
箇条書きマジック入ってね?
共通項だけ抜き書きすると白雪姫とシンデレラが同じ話しになってしまうと言うアレ
333本当にあった怖い名無し:2006/12/24(日) 00:31:18 ID:Xb5ZxFKh0
「日ユ同祖論」「ユダヤ文化の痕跡」

割礼してる人いる?w
334本当にあった怖い名無し:2006/12/24(日) 01:41:19 ID:02BuTuAU0
>>333
割礼はエジプトあるいはエチオピア起源の、中東で広く行われてた風習。
別にユダヤ文化の特例って訳ではない。
割礼は乾燥地帯では包茎が致命傷になるので、生活の必然で行われてた。
日本には必要なし。もともと包茎少ないし。
335本当にあった怖い名無し:2006/12/24(日) 14:15:58 ID:DU/XyPzf0
>>330
衛衛江江ええ工工エエエエェェェェ(゚〇゚ ;)ェェェェエエエエ工工ええ江江衛衛


弥生人は、縄文人のいない所に入ってきたとですか?
336本当にあった怖い名無し:2006/12/24(日) 19:57:27 ID:uuq6IBLr0
ユダヤ文化持ってきたのは秦氏だろ
4世紀とか5世紀とかくらい
弥生系はそれより前に来てるじゃん
秦氏は弥生系の後から来た渡来系といっていいだろ
だいたい弥生系は稲作文化だけどユダヤ系秦氏が稲作なわけ無いじゃん
秦氏は絹織物のシルクロード商人なわけだし
弥生系は秦氏じゃねーよ
天皇家は稲作系の弥生系だし
秦氏は朝廷でも渡来人扱いで高い位には付けなかったし
天皇家と秦氏は全然別系統だから天皇家がユダヤ系とかありえないの
337本当にあった怖い名無し:2006/12/24(日) 20:02:15 ID:uuq6IBLr0
秦氏がどれだけユダヤ人の血を引いてるかも疑問だよ
日本に来るまでにアジア中国朝鮮と経由してる訳だし
その間にかなり混血も進んでる
秦氏の経済メリットから秦氏のやってた宗教に入ってくる非ユダヤ系人種の人々も多かったはずで
秦氏のコアな部分はユダヤの血が入ってるかもしれないけど
大部分は全然関係ないかもしれないじゃん
338本当にあった怖い名無し:2006/12/24(日) 20:08:36 ID:uuq6IBLr0
だいたい随書倭国伝に筑紫の東に秦王国というのがあって中国人が住んでるって書いてあるし
中国から見たら秦氏は中華系と見られていたわけで中央アジア系とは見られてないんだよ
だから秦氏の大部分は中華系だと思うんだけどね
339本当にあった怖い名無し:2006/12/24(日) 20:27:26 ID:uuq6IBLr0
古事記か日本書紀にサルタヒコというのが神武東征の道案内をして
伊勢の方に帰っていったみたいな事書いてある
サルタヒコは鼻が高くて目がホオズキみたいだと書いてある
これが秦氏の可能性がある
サルタヒコは天皇家とは別族のなんだか訳分らん変な顔した神みたいな感じで書いてあるから
サルタヒコの人種と天皇家は本来無関係
だから伊勢神宮をやってるのはもともと秦氏であって天皇家ではないんだよ
天皇家の天照は宮中で祀っていたが
後から伊勢に祀られるようになった経緯が崇神天皇の話の所に書いてあるから
もともと伊勢と天皇家は関係ない
伊勢は本来は天皇家の神社ではなく秦氏由来のもので天皇家が間借りしてるだけ
だいたい天皇家は室町時代とかになってくると仏教との結びつきの方が強くなるし
江戸時代とかは墓も寺の中に作ってた
伊勢神宮もそんな感じでその時代に影響力のあった宗教に間借りしてただけで
天皇家が作ったとかそういうのじゃない
はっきりいってユダヤ文化っぽいのは天皇家本来には無く秦氏の周辺にある
340本当にあった怖い名無し:2006/12/25(月) 14:03:35 ID:PeUfGH8W0
実は、包茎矯正手術をするのは日本人だけだったりする。
逆に、アメリカで「包茎手術」といえば、割礼で失った包皮を手術で復活させる手術のこと。
アメリカは衛生学上の観点から、アラブ人は宗教上の理由で「やむをえずに」割礼をする。
世界中で、包茎を忌み嫌う文化があるのは、ユダヤ人と日本人だけ。
341本当にあった怖い名無し:2006/12/25(月) 14:58:48 ID:LrSB/s3v0
>>336
俺は違うと思う


217 名前: 天之御名無主 [sage] 投稿日: 2006/12/21(木) 12:45:24
「そのユダヤ色の残る・・」だけどね。
それはそういう比較的新しい物なんでしょうかね。

当時の日本はそれらと比べて遅れていたとは言え
ある程度それなりの物であったわけでしょう?
もちろん宗教とか風習とか、ある程度のかたちとなっていた。
洗練はされず粗野で素朴であっても、日本独自の萌芽があったとする。

そこにユダヤとか合作を持ってきて今度からコレにしましょうとなったとして、
それに、みんなが従ったとして、今までのものがキレイに無くなるんでしょうか。

秦氏の時には、もうかなりの物になってたはず。それを秦氏の名のもとに(?
突然ユダヤ系に変わる訳は無いとおもう。

これは弥生の極初期、用語では早期とか前期とか言うらしいが、
民衆か初めて接するか、それに準じるほんの始めにのときに、
既にユダヤ系に触れていたと考えられませんかね。

ということだ。 コピぺ スマン
342本当にあった怖い名無し:2006/12/25(月) 15:00:48 ID:pDfZZ29y0
考えられません
343本当にあった怖い名無し:2006/12/25(月) 15:01:35 ID:LrSB/s3v0
秦氏の時代では、遅れていたとはいえ、日本のほうも形になっている。
そこへ、秦氏のユダヤがポッと出てきても、浸透する物ではない。
それ以前からユダヤはあったんだよ。

そうでないと伝承などの諸事情などを説明出来ない。
秦氏だけでは役不足。
344本当にあった怖い名無し:2006/12/25(月) 15:23:31 ID:LrSB/s3v0
あと秦氏は絹織物というのは半分以上嘘というか疑問視されているのが現状。
秦氏は土木が中心。平安京の基礎工事に石灰を使った原始的なコンクリートを使うなど
とてつもなく高度な技術を持っていた。

絹織物をうずたかく積んだから、太秦というダジャレで機織豪族とされているだけ。
345本当にあった怖い名無し:2006/12/25(月) 16:40:33 ID:QUy9S4Df0
宗教とか風習とかなんて、時代と状況でコロコロ変わるもんじゃない?
今ある神道も明治期に創られた伝統であってそれ以前のものとはかなり違うらしい
地方によって男神天照とか仏教のなんやらと同一視された天照とか多彩な信仰が
江戸後期まであったそうだし、

ユダヤのことはよう知らんけど
346本当にあった怖い名無し:2006/12/25(月) 19:11:00 ID:LrSB/s3v0
その通り。>345

だけとね。そういうのは、いわゆる外塗りなんですよ。
玉葱の皮をはぐように芯に近付くと、古い物が見えてくる。

また今を盛りの大都会とか昔の都ではその当時の
最先端で埋められても寂れた寒村まで秦氏だけの威光で
変える事は不可能。

それと一番面白いのは今寂れても当時は栄えたところ。
栄えた当時のタイムカプセル化しやすい。

またソースは出せないし、名前もいえないが某仏教系の
最奥義は全くのユダヤ教儀式!


つまりそういう手を駆使して調べると、不思議な事に外ほど新しいほど、
様々なバラエティなのに中ほど、古いほど、ユダヤ臭くなるんだ。

これは、秦氏一族だけの仕業ではないよ。絶対に。
347本当にあった怖い名無し:2006/12/25(月) 19:16:31 ID:LrSB/s3v0
まあ、玉葱とか威光とか言葉は変かも知れんが
指す文意として掴んでくれ。

じぁな。
3483 ◆Lr0TRXFKYU :2006/12/25(月) 21:34:16 ID:dc0/grSd0
>>346
>某仏教系の最奥義は全くのユダヤ教儀式

そこが知りたいです。それこそソースを出してもらえないでしょうか。
また顕教か密教か、それも知りたいです。
349本当にあった怖い名無し:2006/12/25(月) 21:42:40 ID:pFn4OuZu0
>>346
仏教は日本では全然古くないけど。
だいたい古い日本の本州の弥生系の祭祀は銅鐸でしょ。
銅鐸は紀元前からやってる。
それが2・3世紀くらいだっけ?突然消えてしまう。
銅鐸は神社にも全く伝承されてない。
銅鐸は本州だけで九州ではほとんど出ない。
古くは九州は鏡文化で本州は銅鐸文化という風になってた。
だから記紀に書いてあるように
九州から来た神武の勢力に本州が支配されて銅鐸を禁止されたと見るのが自然。
それで天皇家は鏡を神器にしてる。
で鏡とユダヤは無関係。
鏡は中国の物だから。
だから天皇家も本来はユダヤとは無関係なんだよ。
ユダヤが入ってくるのは秦氏が入ってきてから。
ユダヤや仏教などいろんなものが7世紀まで大陸から何度も伝わってきた。
663年白村江で唐新羅軍に日本百済軍が負けてから
日本は鎖国政策を取るようになり半島とも縁を切って外来文化の流入が止まった。
663年に至るまで数百年間日本には半島経由でいろんな文化や民族が流入してたと思われる。
それがユダヤや仏教や道教などで
それらがごちゃ混ぜになって神道にも取り込まれたと考えるのが自然。
350本当にあった怖い名無し:2006/12/25(月) 21:56:16 ID:pFn4OuZu0
戦後になってクリスマスやバレンタインなどキリスト教系の風習があっという間に広まったように
広まる時は簡単に広まる。
しかも日本人は全然キリスト教なんか信じてないのに。
仏教だってあっという間に広まったし
戦国時代はキリスト教も広まってた。
秦氏の持ち込んだユダヤ教だって広まるのは簡単な事だったと思うけど。
3513 ◆Lr0TRXFKYU :2006/12/25(月) 22:28:45 ID:dc0/grSd0
>>349
>鏡を神器

そう、ここは結構他の宗教と異質な部分があると思う。

あとユダヤの崇める神と神道の崇める神の比較というのも、趣が異なる部分が多いようにも思える。
またこれは文化への影響において、本質的に大変な差異を生じさせると考えられる。
352本当にあった怖い名無し:2006/12/25(月) 23:03:26 ID:JJaybpuU0
>>346
空海がユダヤ人っていう話があったね。
密教が怪しいな。
353本当にあった怖い名無し:2006/12/25(月) 23:11:23 ID:mmPvT8XH0
「隠された十字架の国・日本」に真言密教と景教の関係が書いてあった。
高野山には大秦景教流行中国碑のレプリカがあり、
高野山のお坊さんも景教が真言密教の元になったと認めたらしい。
354本当にあった怖い名無し:2006/12/26(火) 00:47:33 ID:TUmwrwRp0
>で鏡とユダヤは無関係。
>鏡は中国の物だから。
ユダヤにも鏡ぐらいあっただろうに、何ゆえ無関係と言い切れる?

白村江で負けても半島や大陸とのつながりが切れたわけじゃないよ。
その後、新羅とも交流あるし。どこでそんな事習って来たの?
355本当にあった怖い名無し:2006/12/26(火) 00:52:23 ID:TUmwrwRp0
景教はネストリウス派のキリスト教、ユダヤとは近くない。
大秦景教流行碑って唐代(7世紀〜8世紀)のものだよね。
しかも空海はそれより後の9世紀の人物、その頃にユダヤの影響ってさあ…。
密教はむしろヒンドゥーの影響を受けて成立した仏教だよ。
356本当にあった怖い名無し:2006/12/26(火) 10:04:23 ID:q7xqp6PO0
キリスト教徒は十字架に礼拝するが、それはイエスが十字架刑に処せられたことに由来する。つまり、十字架をイエス本人の象徴として使っているわけだ。
イスラム教徒は世界中どこにいても、メッカの方角に向けて礼拝する。そこに神が降りて預言者に啓示を下したからだ。
仏教徒は仏像を拝む。お釈迦様の姿を模したものだからだ。
各種原始宗教では、神が宿ると考えるもの自体に対して拝む。部族によっては、自ら神の化身と考える動物を模して刺青を入れたりもする。

世界中の宗教は、そのほとんどが、自ら信じる神そのものに対して礼拝することを内容としている。
単なる箱に対して礼拝するのは、世界中で、聖棺を奉じるユダヤ人と、神輿を奉じる日本人だけ。
3573 ◆Lr0TRXFKYU :2006/12/26(火) 10:23:03 ID:kWyXr9hk0
>>353
>高野山のお坊さんも景教が真言密教の元になったと認めたらしい。

本当にそのソースが読みたいです。つまり渡来したキリスト教は密教だということですか?

>>355
>密教はむしろヒンドゥーの影響を受けて成立した仏教だよ。

やはり祭儀の内容的にはこれが一番適当かと。
これに反証するにはそれなりの証拠を用意しないと。

>>356
>単なる箱に対して礼拝する

これは違います。

先に鏡の話が出ましたが、神道における鏡とは、そもそも自霊拝を目的としています。
またかバラにも、それに照応すると思しき四大元素を表す祭器に、盾がありますが、
これは根本的に自霊拝の体裁とは程遠いものです。

そして箱の話に戻しますが、神道の場合、雛形という考え方もありますので、神棚のような箱というのは、
むしろ拝殿のミニチュアと考えた方が適当に思えます。

となると、聖櫃に神が宿るというユダヤ的イメージと、神棚を通して神に祈りを捧げるのと、
根本的に性質が異なると考えられますが、如何ですか?
358本当にあった怖い名無し:2006/12/26(火) 15:24:29 ID:K/lypTrL0
>>356

神輿の起源は宇佐神宮(720年)= 秦氏 

http://www.usa-public-library.jp/gyarari/hatiman.html

神輿の起源

神輿の起源については未だ明らかではないが、
「天平勝寶元年(七四九)、東大寺の大仏建立に際し、
造営の無事祈願のため九州の宇佐八幡宮大神を平城京に奉遷、このときに紫色の輿が用いられた」
とする記述が史上の初見とされている(『続日本記』孝謙天皇の条)。
『続日本紀』によると、神輿の起源は聖武天皇による東大寺大仏造立と密接な関係があります。
大仏造立が困難を極めていた時、宇佐の八幡神が「全国の神を率いて大仏を完成させる」との託宣を下し、
さらに大仏鋳造直後の天平勝宝元(749)年12月に、
八幡大神と祢宜尼大神杜女は天皇と同じ紫色の輿に乗り大仏を拝しました。
これが神輿の初見史料であることから、宇佐が神輿発祥の地といわれています。

宇佐に伝わる神輿の起源

鎌倉時代末期に編纂された『八幡宇佐宮御託宣集』霊第五によると、
大隅・日向の隼人を平定するため、養老4(720)年に
朝廷は豊前守宇努首男人を勅使として宇佐宮(当時の小山田社)に派遣しました。
この時、八幡神は「神軍を率いて鎮圧する」との託宣を下し、
豊前守が造進した神輿に乗り出陣したとあります。
この伝承は八幡神が東大寺大仏を拝する以前に、宇佐がすでに神輿発祥の地であったことを物語っています。
359本当にあった怖い名無し:2006/12/26(火) 15:53:07 ID:K/lypTrL0
随書倭国伝

>「大業四年(608年・推古天皇16年)、上、文林郎・裴世清(はいせいせい)を遣わして倭国に使せしむ。
>(一行は)百済を度り、行きて竹島に至り、南に済州島を望み、対馬国を経、はるかに大海のなかに(倭国が)あり。
>また、東へ進んで壱岐に至り、また筑紫国に至り、また、東して秦王国に至る。
>その人華夏(中国人)に同じ、以って夷洲となすも、疑うらくは、明らかにする能わざるなり。
>また十余国を経て海岸に達す。筑紫国より以東は、皆倭に付庸す。」随書倭国伝


7世紀の随書倭国伝には筑紫の東に秦王国があり華夏(中国人)が住んでると書いてある。
筑紫の東だから宇佐なんじゃないかと思う。
宇佐八幡神宮は秦氏が作った神社でここが全国の八幡神社の総本山となっている。
神輿は720年に宇佐八幡神宮から始まり
8世紀以降に全国の八幡神社を通して日本中に広まったと思われる。
ハッキリ言って神輿は全然古くないし
そもそも始めたのが宇佐=秦王国の中国系渡来ユダヤ文化人って事になる。
360本当にあった怖い名無し:2006/12/26(火) 16:49:10 ID:bJlkpE530
>>357
「隠された十字架の国・日本(逆説の古代史)」ケン・ジョセフ著 p120-121 に書いてある。

その本によると
・密教が渡来する前から、キリスト教は渡来していた。
・空海は日本にいる時から古代キリスト教徒であった秦氏や景教徒と親交があったが
 唐に渡った時に釈迦が説いた原始仏教ではなく、景教と混合した仏教を学んだ。
・最澄が唐に留学した時に漢訳の旧約聖書を、空海は漢訳の新約聖書を持ち帰った。
・今も高野山には空海が持ち帰ったマタイの福音書が保管してある。
・高野山では儀式の最初に十字を切る。
・「灌頂」という密教の儀式はキリスト教の洗礼式を取り入れたもの。etc.
この本の著者が景教徒で、景教と日本の関係について書かれたのがこの本。
トンデモ本かもしれないがおもしろかった。(amazonに説明が載ってるよ)
361360:2006/12/26(火) 17:06:38 ID:fYzJfNhs0
他に、東大卒の研究者の上坂氏が、ユダヤ老修行僧ガブリエル師に会った時に
「師は、面談の当初、並々ならぬ関心を日本に向けた。仏教系密教についてあれこれと尋ねた。」
ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd831.html
っていうのも、ユダヤ教と密教になんか関係あるかも?って思った。
362本当にあった怖い名無し:2006/12/26(火) 19:12:24 ID:42zoHxLj0
燃料投下
契約書の箱
山伏の額当?
363本当にあった怖い名無し:2006/12/26(火) 19:22:10 ID:gpK2Tv76Q
密教の密はミトラ≒太陽神信仰≒大日
とか最近読み噛ったお
364本当にあった怖い名無し:2006/12/26(火) 19:37:31 ID:gpK2Tv76Q
てかユダヤ教の修行てどんなことするんかな
365本当にあった怖い名無し:2006/12/26(火) 19:51:31 ID:gpK2Tv76Q
>>360
地磁気の話が興味深いなあ


そういや東北のナニャドヤラの辺りは蝦夷とちょっと毛色が違ったぽい
部族抗争から村を守るために砦を築いてそれが一戸〜九戸の地名になったとか
3663 ◆Lr0TRXFKYU :2006/12/26(火) 19:57:13 ID:kWyXr9hk0
>>360さんへ
いやはや、有難いです!!
なるほど、確かに聖書を密教的な視点から見ると、秘術的な事柄が多いように思えます。
また黙示録で、ヨハネがハッキリ「奥儀」と云っている部分もあり、
空海が顕教の儀式を己の修道形態に取り入れた可能性はあると思います。

>・高野山では儀式の最初に十字を切る。

ですが十字というのは、別にキリスト教の専売特許で無い事は、他のあらゆる宗教が物語っています。
そういった意味だと、この著者の論というのは危うい部分がありますね。

>>361
う〜ん、この文章からだと、この労賢者は日本そのものに興味を抱いているという感じではないですか?
そうなると、同祖論が出てきますが、この方はそのような見方をしていないようにも思えます。

というのも、修験者というのは、究極的にイデオロギーや修験の方法について、
良き事あれば受け入れるという態度を持っています。
それは断食行やその他多くの修験の方法が、数多の宗教の修験にあるの事に鑑みる事が出来ると思います。

>>364
一概に言えないと思いますが、カバラ関係の書物を一冊読めば見えてくるものがあるかもしれませんね。
367本当にあった怖い名無し:2006/12/26(火) 20:44:51 ID:gpK2Tv76Q
色んなとこの密議が一挙公開&シェアされたら面白そう
368本当にあった怖い名無し:2006/12/26(火) 23:06:49 ID:TUmwrwRp0
>>365
〜戸は砦ではなく、馬の牧の戸から来たもの。
勘違いしたトンデモさんがへブライと関係有るとか言ってるけど。

上の人が珍説の論拠として挙げてるのって、いわゆるハンコックレベルの
トンデモ本ですよ。
369本当にあった怖い名無し:2006/12/27(水) 00:24:32 ID:Ws3XR1nA0
>>360
>・「灌頂」という密教の儀式はキリスト教の洗礼式を取り入れたもの。etc.
キリスト教<古代キリスト教<コプト教なんだが

コプト教は岩穴の洞窟に籠もって瞑想修行するという古代ヨーガに通じるものがある。

この「灌頂」というのはキリスト教が起源ではなく、
遥か古代のヨーガ的修行者が指導者から霊的なエネルギーを注入して
霊性を進化させたという形式儀式ではなく、修行技法のひとつです。
現在キリスト教でやっているのはまさに儀式帰された観念的手続きに過ぎない。

因みにキリスト教より600年以上古い仏教では、
霊的技法として「灌頂」が行われてきたし、チベット密教にも伝えられている。
仏教の祖である釈迦牟尼も仏典の中でヨーガを行じと書かれているように
健康フィットネスと化した現代のヨガではなく、
古代ヨーガは霊的な人体改造の基本みたいなもので、これがインド、中東に広まり
亜流が生まれ、中には形だけ真似たものや、形式だけが儀式的に残り
単なる観念宗教や、異民族支配の詭弁となったキリスト教へと変形していった。
370本当にあった怖い名無し:2006/12/27(水) 00:33:50 ID:YhB5r58H0
調べたら結局違うというオチだろ
371本当にあった怖い名無し
>「灌頂」という密教の儀式はキリスト教の洗礼式を取り入れたもの。etc
灌頂の起源は古代インドで国王の即位に際して
その頭部に水を注ぐという儀式が行われていたものを、
国王の即位=修行の完成として仏教が取り入れたものです。
キリスト教の洗礼よりも歴史ははるかに古いです。