実話怪談vs創作怪談について考察するスレ

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275本当にあった怖い名無し
>>273
「実話怪談がパズルに似ている」というのは加藤の説だったかと。
超怖シータの前書きにある。

>怪談はパズルに似ていると思う。
>体験者から得たパズルの解を元に、それを危機得た著者はパズルを作る。
>パズルは不完全で何かのピースが欠けた状態で読者に提示される。読者は
>著者が隠したピースを推理し、体験者が感じた恐怖の記憶を想像しながら、
>パズルの完成型を思い浮かべる

以下略だが、加藤は「読者というパズラーがいて、実話怪談というパズルは全貌を現す」
と書いている。
「恐怖のインフレ」「怪談ジャンキー論」もこの人。(超怖Aの後書き)

小説はピースそのものを自由に作れるけど、実話怪談はピースを自由には作れず、
しかも隠すどころか最初からピースが欠落している(体験者が思い出せないとか、
体験者にもなぜかわからないとか)場合が多い。
そのピースの欠落をそのままにして、「不完全なパズル(解けていないパズル)」として提示し、
その足りない部分に想像を働かせて行間を読むのが実話怪談。
だから実話怪談は、想像力(というより妄想力w)が強いほど楽しめる、ということになる。

小説は欠けたピースを自分で作って埋めて、読み進めさせながらパズルを著者自身が完成させていく。
読者は手を引かれながら「パズルが完成していく様」を見せられるわけで、著者というパズラーの解を
楽しむのが小説なのかもしれない。巻末には「オチ」という形でパズルの解も提示されるわけで。

実話怪談はパズルの解が提示されない、解法を自分で考えなければならないのが楽しみ方。
小説はパズルを解いていく様子を著者が提示するのを眺める、読者は観客、というのが楽しみ方。