79 :
本当にあった怖い名無し:
一人暮らしを始めて3年目、名古屋から本社に
研修に来ていた子と仲良くなりました 。
んと言います。お互いパソコンが好きで意気投合。
研修を終えて名古屋に帰った後も電話や手紙で
交際していました。
その夏、名古屋体育館でパソケットがあるので遊びに
来ないかと彼女に誘われ、私は 彼女の家に
遊びに行きました。
団に入って彼女のお姉さんも交えて雑談に花を咲かせ、
例に漏れず怪談話に突入した時、
後でも意識って あるのかしら。
幽霊ってそういうものだよね。
この中で誰かが死んだら、それを証明 するようにしよう」
出したのです。
その時はきっつい冗談だなぁと3人で笑い転げていました。
その翌月、F美のお姉さんから速達が届き、中には地方新聞
のコピーと、彼女がバイ クの事故で亡くなったことを告げる手紙が。・・・
年の近い友人が亡くなったのは、初めての経験でした。
会社の許可を得て彼女のお葬 式に出、家に帰ったのは翌日でした。
妙に気怠い気分でその日は8時頃に布団に潜り込みました。
眠っていたと言うより、うとうとしてたんだと思います。
不意に、その時まではすっかり忘れていた彼女の言葉、
あの
「この中で誰かが死んだら、それを証明するように しよう」
と言う言葉を思い出したのです。あんなこと言って
笑っていたくせに。泣き たくなりました。
その時、足の方がスーっと涼しくなったと思ったら、
コチョコチョコチョ…!足の裏を誰かがくすぐった!
確かに人の指先の感触が足の裏に! ゲっと思って
布団 をはいで起きあがっても誰もいません。
ただ、何処かで、遠い何処かで微かに笑う声 が聞こえた気がします。
怖い、とは思いませんでした。ブラックユーモアが
好きだった彼女の、最後のブラックユーモアだったのでしょうか?
そうであったと信じたいです。
マジで泣いた
ゴキブリを水に浸けたまま放置すると、なぜか知らんが体が2倍くらいに伸びる。
悲鳴がでるほど気持ち悪い…
83 :
本当にあった怖い名無し:2006/08/10(木) 23:11:40 ID:bju/h34K0
age
千羽鶴
私の友人に、息子が病気で3年近く闘病生活を送っていた家族がいる。
その家族の母親の話。
息子の名前はAとしておこう。
Aは通っていた高校のすぐ近くの病院に入院していた。
入院直後はクラスメイトも見舞いに来たが、なにぶん入学早々であったから、
友達らしい友達もおらず、見舞い客はすぐに途絶えた。
しかし、入院して2ヶ月程経ったある日を境に、奇妙な見舞い客がくるようになった。
一日一羽、時間はまちまちであったが、一日一羽の折り鶴を持ってくる青年が現れた。
名前を聞いても恥ずかしいからと名乗らず、息子に風貌を伝えても思い当たらないと言う。
一週間が経つと、さすがに気味が悪いと思い、母親が尋ねた。
「お気持ちはうれしいのだけれど、あなたは息子とどういった関係なのでしょう?」
「はい、クラスメイトです。ですが、A君はすぐ入院してしまって、ほとんど話したことは無いのです。
ですが、クラスメイトとしてお見舞いをするのは当然のことでしょう?」
母親は安心し、涙さえ浮かんできた。
「えぇそうね。ごめんなさいね。では息子にあってくださらないかしら?」
「いえ、あってしまったらおしまいです。毎日訪ねる僕の顔は、学校に来なければ見れません。
そうすれば、A君も早く学校に行けるよう病気と闘うと思うのです。」
母親は、あぁ彼は彼なりに考えてくれているのだと、それ以上たずねるのを止めました。
青年は雨の日も、風の日も、休みの日も平日も、休むことなく毎日見舞いに来ました。
そして青年が初めて訪ねてきた日から千日目が過ぎた。
その日青年は来なかった。その次の日も、次の日も。
千羽鶴が出来上がるはずのその日を境に、青年は一度も訪れることは無かった。
母親は、青年に何かあったのではないかと不安になっていたし、これまでの礼も言いたかった。
そして退院の日、夫は周りの目も気にせずないていた。
母親も、あぁなんといい日だと涙が出そうであった。
退院後数日して、母親は夫に家族で旅行にでも行こうと提案した。
夫はいぶかしんでいたが、妻気持ちをさっし渋々了解した。
もちろん母親も退院のすぐ後に旅行は難しいとは思っていたが、
息子が行きたいと母にねだるのだから仕方が無い。
そして旅行当日の朝、駅に向かう途中であの青年とでくわした。
「まぁ、お体でも悪くしたのかと思って心配しておりました。」
「いえそうではありません」
「ではなぜおたずねになるのをおやめになったのですか?」
「千日目のあの日、息子さんは亡くなられていたはずなのですが。」
死神かな