★トランス/大周天/変性意識/チャクラ/第三の眼★

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99光輝 ◆PYPP4J/mzY
「悟りを啓いた聖者には欲望がない。金銭欲も性欲も無い。肉や魚も食べない。酒や煙草もやらない」
という観念に毒されている人間は、酒を飲んだり夫婦生活を営む行者を見て、「この人は悟っていない。次元が低い」と勝手に判断するだろう。

「悟りを啓いた聖者は慈悲深い。常に穏やかで、奉仕的で、許しの心を持っている」
という観念に毒された人間は、闘争的な人間や、冷たい人間を見て、「この人は悟っていない。次元が低い」と勝手に判断するだろう。

これを無智という。
根拠が確固たるものではなく、先入観だけで、対象を理解したつもりになってしまう。
それは真の理解ではない。
脳内の知識に照合させただけだ。
相手とは何の関わりもなく、自分側で脳内完結しただけだ。

ある魔術師は言った。
「人間は眠っている。機械的に反応するロボットに過ぎない」
過去の知識や外的な環境に機械的には反応してるだけであり、自由意志による思考ではない。
本人にはその自覚もない。
100 ◆PYPP4J/mzY :2006/09/10(日) 00:07:13 ID:yMCInNcb0
人は対象の表面ばかり見たり、観念に毒されているので、内なる真実に気付かない。
以前、ヨーガナンダの「あるヨギの自叙伝」という本を読んだ。
最後の方に、ヨーガナンダがマハーサマーディ(覚醒入滅)する数時間前に撮影されたという写真が載っていた。
その写真を見て、私はぞっとしたね。霊障だと・・・。

ヨーガナンダはインド政府も認めたヨーガの聖者であり、悟りを啓いている・・とのことだったが、私には到底そうに見えなかった。
魂が蝕まれ、最悪に近い世界に堕ちる者に特有の霊的波動を放っていたのだ。
日本では、空中浮揚で有名なヨーギーの成瀬雅春もかなり深刻な霊障波動だった。
オウムの麻原彰晃は、本来は生まれることさえ許されなかった凶悪な魂なのだが、ある魔術を使って、強引にこの世に誕生したようだ。

チベット密教の中で、最も多くの解脱者を輩出してると評判の高いカーギュ派の総帥だったカール・リンポチェの生前の写真からも、異常な波動が出ていた。
インドで評判の高い聖者達は、ほとんどのマイナスのエネルギーの権化に成り果てている。

例外は、クリシュナムルティとオショー・ラジニーシ。
この2人はおそらく覚醒者だと思うね。
あるテクニックを使って、彼らのエネルギーを降ろして、分かったことだ。
リシュナムルティとオショーは共に、表面的には強い個性があるのだが、中心的な領域では何の引っ掛かりもない。
故に覚醒者だと判断できる。
101 ◆PYPP4J/mzY :2006/09/10(日) 00:08:29 ID:yMCInNcb0
キリストはハートに巨大なエネルギーの塊が出来る。
良くも悪くも「愛の人」なのだろう。

釈迦は中心部分のみならず、表層的な部分にも引っ掛かりが無い。
故に釈迦は完璧な覚醒者だろうね。
しかし、完璧すぎて全然面白くない。

面白いのは阿含宗の桐山靖雄だな。
念力で火を付けるとか言ってたが、本当はただの手品であることがバレた。
また桐山の教義も、まるでマルチ商法の営業者が、頭の弱い人々を騙すようなハッタリ戦法のオンパレード。
だが、実に不思議なのだが、彼の霊的エネルギーは決して悪くない。
むしろ、世界中の有名な宗教家達と比較すれば、桐山はかなり良い部類に入ると思う(※もちろん覚醒者のレベルには程遠いが・・)。

結局、表を見ただけでは、真の姿は分からない。
エネルギー込みで観察しなければ、真実は分からない。

尚、誤解を避けるために言っておくと、私は阿含の桐山靖雄を絶賛しているわけではない。
瞑想覚醒を目指す人には阿含宗は無駄であり、むしろ障害になる。
あれは中途半端な霊的なぐさめのレベルで満足したい人達に向けられた教義であり、桐山もその点をよく知った上で宗教活動してるのだろう。
102 ◆PYPP4J/mzY :2006/09/10(日) 00:10:21 ID:yMCInNcb0
クリシュナムルティーとオショー・ラジニーシは、互いに派手な中傷合戦を繰り広げていた。
この件で以前、私の師に質問したことがある。
「覚醒した者でも互いに喧嘩するのですか?」

師曰く。
「当たり前だ。神々も喧嘩する」と・・・。
なるほどね、と思い、自分の観念を点検してみた。
エネルギーが真っ直ぐに繋がってるかどうか?
問われるのは、それのみだ。

と、以上の内容も、私の見解に過ぎない。
他の人達が妄信しても意味がない。
何故なら新たな観念・先入観になってしまうからだ。

そしてそれが瞑想の奥義でもある。
テクニックの問題ではない。
同じ素材を使っても、極上の料理を作れる者と、不味い料理しか作れない者がいる。