http://mixi.jp/view_diary.pl?id=174959639&owner_id=165050 虐められのタコ@桃五さんの日記
2006年07月13日 17:30 【鬱街道トラウマ方面】いじめ【憎い】
「mixiで思わぬ再会」という事態も珍しくなくなってしまった昨今ですが、
偶然、小学校時代に私を苛め抜いて苦しめた男子を発見! さあどうしましょう?
1. 見なかったことにする(無難)
2. 先手必勝、こちらから「お久しぶり〜」と声をかける(無理)
3. 見なかった振りも出来ず、悶々と心の中で相手の不幸を祈願する(本命)
4. 20年ぶりの復讐を果たす為、まずは奥さんとお子さんを殺
(手を後ろに回したくないのと他人を巻き込むのはあんまりなので、とりあえず保留)
私は、昭和55年に桃井第五小学校に入学し、小学校一年の頃から卒業時まで虐め続けられて、
昭和61年に卒業した「瀧澤さゆり」です。
皆さんは私のことを「タコ」と呼んで虐めていましたね?
覚えてないなんて愉快なことを抜かしませんよね?
あの頃は毎日、それはそれは皆さん楽しく男子全員つるんで、
「瀧澤は八成に行くはずなのに、何で桃五に来るんだよ? さっさと転校しろよ地区外!」
(小学校一年のときに移動距離200mの引っ越しをしたのだが、
その為に本来桃井第五小学校に通う学区から外れたのが起因)
「瀧澤菌、きったねえー! えんがちょー!!」 「よるな臭いんだよ!」「きもちわるー!」と、毎日罵声を浴びせ、
給食のときにゴキブリをクリームシチューの中に投げ込んだりしましたね。
父親はそんな私を弱いと詰って真夏の炎天下にドッジボールの 特訓をしたために脱水し、終いには6年担任の飯伏先生が
「瀧澤さんは中瀬中学校に行っても虐めが酷くなるだけですから受験してください」と虐め防止を放棄した訳ですよ。
受験に合格した事がクラスに広まると、「瀧澤が違う学校に行くって!」とクラスで快哉を上げ万歳三唱した中の一人こと、
原田 光久さん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=466263 (私も本名を晒したし、あちらも本名公開しているので晒す)
お元気でいらっしゃるようですね?
いや、貴方より他にもっと酷い虐め野郎は居ましたよ?
松尾とか市川とか野村とか横山とか吉田とか飯田とか(この辺が虐め最前線)佐藤とか小林(成)とか
村田とか鈴木とか長谷川とか (最前線の後ろで銃を構えている)に比べれば然程のことは無いんですがね。
でも、憎い。 お前らのせいで、私の中から、もう忘れてしまったけど、大切な何かが失われたのは確かなんだ。
いい年してみっともないのは百も承知。やけぼっくいに無理やり油を染み込ませて燃やしているのも承知。
でも、悲しい。 あなたにとっては「小学校のときに悪さしたな〜」で済むだろうが、私にとってはまだ血が滴る傷口なんだ。
気が狂っているのも承知している。蒸し返すなと理性は止める。
有事の際は狂人の振りをして法の処罰から逃れる卑怯なんてしない。
卑怯なのはお前らなんだ。許さない。
せめて、「なぜ私を虐めた」のか聞き出したいが、もう覚えていないだろう。
でも、許さない。
生涯許さない。
死んでも許さない。