信じるか信じないかは別として知り合いに変わったやつがいる
小学校時代からの友人で、現役の住職をやってるやつがいる
私自身は霊感なんてこれっぽちも持ち合わせていないのだが
こいつのせいで 何回かありえない現象にあっている
とまぁ書こうと思ったのですが、セリフが多いからとか
私が好戦的だと不評なので、住職の親父さん大住職から
聞いた話書きます
大住職のお寺は、何十代と続いたわりと古いお寺です。
当然建物もかなり古く、いまだに釜戸なるものも存在します
この話しはその釜戸の横にある、封印された扉の話です
場所柄、あの悲惨な戦争の戦火にお寺は、巻き込まれませんでした
大住職のお父さんは、大変人が出来ておられて、戦火に巻き込まれた
人たちの避難先として、お寺を開放していたそうです。
人づてで、他府県からの方も避難して来てたみたいです。
多いときには数十家族もお寺に住んでいた時もあったようです
戦争も終わりに近い時期、大住職のお父さんが、寝ていると
軍靴の音が 聞こえてきたそうです。一つや二つではなく
数十人が行進しているようなそんな音だったそうです。
割り込んですまん
ちょっとしたトラウマになった洒落にならなかった話し
ある日、食事中に親父とお袋が喧嘩をした
怒りまくる親父に対し、冷静に、かつ冷ややかに受け答えするお袋。
ブチ切れた親父は刃引きしてある日本刀を持ち出す、狼狽える俺、我関せずと
御飯を黙々食べ続ける姉、親父がお袋に日本刀を振りおろそうとした瞬間、お
袋は親父の懐に素早く潜り込み股間を突き上げる形で掌底、親父は「ウッ」と
両頬を膨らませ床にダウン、思わず自分の股間を掴む俺、それを見て吹き出す
姉、お袋は髪の毛をかきあげて床に落とした日本刀を拾い、居間に投げ捨てた
後に「てめえ!私に向ってぶっこんdxんjfsxvああsこいや!」と真っ赤な顔で
訳の解らない罵声を上げ、中腰状態で倒れた親父にボックンボックン蹴りを入
れる、涙目で震える俺、そこで姉がレフリーストップ、お袋を宥めながら一緒
に2階に上がって行ってしまった。
残された俺と「う〜ん、う〜ん」と苦しむ親父
2階からは「キャッキャッキャッ!」と、女陣の笑い声。
その内親父は立ち上がり、フラフラと家を出て行った、俺は何も声を掛けられ
なかった。
そしてドンドンドンと、激しく扉をたたく音がする、急いで
玄関にでたが、玄関ではない 釜戸の横の勝手口を叩いている
大住職のお父さんは なんでそんな所を思ったそうですが、
勝手口の扉を開けたそうです。するとそこには、一人の軍人さんが
立っており、大住職のお父さんを顔を見ると靴を揃え敬礼をし、
「私は南方******隊の******であります。私の家族が大変お世話に
なっていると聞き、お礼に参りました」
その当時、帰還兵というのは神様のようなもんで、お国のために
戦ってきたというもので大住職のお父さんは大変恐縮し、
すぐに家族の方をお呼びするので、お座りになってお待ちください
と家族の方をよびいったそうです。
家族の方と一緒に戻ると、その帰還兵の姿はなく、扉もしまって
いたそうです。
1ヶ月ほどあと戦死の官報がお寺の方にきたそうです
終戦までに5回か6回くらい 同じような事があり、きまって
釜戸の横の勝手口にやってきてたそうです
やがて終戦になり大住職のお父さんは
死んでも家族のことを思ってここに来る
悲しいがそれは仏さんの為にならないと扉を封印したそうです
家族には、そういう方達がいたのをわすれないようにと
塩とお供え物をするよう 言い残したそうです
今でも住職の家では、毎年勝手口にお供え物をしている