【拷問】苦しい話2【処刑】

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688本当にあった怖い名無し

南方戦線で捕虜の虐待や見せしめに使われていたのがドラム缶。
カンカン照りの酷暑炎天下、気温が50度。空気穴を開けたドラム缶に裸にした捕虜を二人ギュウギュウ詰めに入れる。
逆さにして数時間放置すると、肌が熱傷で缶に張り付いてしまう。

若い敵捕虜が虐待を受けていたのを見ていた兵士の手記では、若い捕虜はドラム缶に入れられる時に「ママー、ママー」と
言って泣き喚いた。あまり激しく暴れて入るのを嫌がったので、将校が気負って抜刀して、足のすねに切り付けたが、肉を
削いで骨が折れただけだった。転げまわって痛がる捕虜を数人で担いでドラム缶に押し込めた。

兵士は若い捕虜の「ママー、ママー」と必死に泣き叫ぶ声が、暫くは耳にこびりついてたまらなかったと書いている。
689本当にあった怖い名無し:2006/07/19(水) 02:03:21 ID:BmN6sgaoO
ひどいよー。・゚・(つД`)・゚・。
690本当にあった怖い名無し:2006/07/19(水) 03:04:02 ID:Zv/a1tr80
>657
遅くなりましたがアリガトン。
691本当にあった怖い名無し:2006/07/19(水) 09:20:04 ID:8qJkBnqN0
南方戦線で捕虜がそんなに出たのってどこなんだろ、
その話が載ってる本とか題名わかる?
692本当にあった怖い名無し:2006/07/19(水) 09:28:03 ID:tk/taat30
>>688
気温50℃ってwww
東南アジアからソロモン諸島にかけてそんな気温が上がるところなんてないぞ
693本当にあった怖い名無し:2006/07/19(水) 22:14:11 ID:uupKjYNl0
>>691

>どこなんだろ、

シンガポールだよ、13万人を捕虜にした。「ママー、ママー」と泣き叫んでいたのはオーストラリアの若者。
1万5000人はオーストラリア兵の捕虜だった。日本軍の収容所での扱いは凄惨過酷残虐の限りを尽くしていた。
第二次大戦を通じて捕らえられたオーストラリア人2万2000人のうち、1/3は日本軍の捕虜収容所で死亡している。
W杯の時に、日本人サポーターはオーストラリアのフーリガンに気をつけろと言われてないか。彼らのおじいさん
おばあさんで、日本兵に陵辱されナチス顔負けの拷問を受けて虐殺された人はごまんといる。

この若い兵士は毎日収容所の庭に引きずり出されて日本兵の執拗な拷問を受けていた。彼を仰向けに押さえ付けて、喉に
ゴムホースをねじ込んで、じょうごをつないで水を強制的に飲ますのである。腹がパンパンに膨れる。すると日本兵は彼
の腹に急降下爆撃だといってドーンと飛び降りるのだ。口からはまさに噴水のように水が噴出する。
若い兵士は何事かを叫んでいるのだが、手記を書いた兵士に聞こえてきたのは、時折「ママー、ママー」と泣き叫ぶ言葉
だけだった。

本ではなくネットの古い手記で読んだ。ヘドが出そうになったよ。

>>692

あるんですよ、それが。パレンバンのちょっと東の島で、1942年に記録している。
殺戮拷問強姦は、南方戦線の方がナチや中国よりも凄まじい。グロ耐性のあるオレでも読んでくだけで吐きそう。