1月20日
転勤先で住居探しを始める。中々いい物件が無い。
不動産屋の担当者と二人、あーでもないこーでもないと話しているうち
「……あまりお勧めはしませんが」という切り出し方で一つの物件を紹介される。
条件が良いのに加えて、家賃も安い。即決する。
担当者の苦笑いが少し気になる。
2月1日
荷物の運搬も一段落。最低限の荷物だけ開梱し、転居先で初めての夜を迎えた。
良いマンションなのに両隣は空室らしい。不思議なもんだ。
2月3日
部屋に帰ってくると、嫌に空気が重い。
首を傾げながらネクタイを緩めていると、なにやらおかしな声が聞こえる。
「……てけ」「………ていけ」
声は明らかに室内のものだ。さては泥棒かと身構えるが、泥棒なら自らの所在を明かす
ような真似はしないだろうし、そもそもこの部屋にはろくに身を隠す場所も無い。
「出て行け」
今度は、はっきりと聞こえた。若い女の声だ。ぞわり、と産毛が逆立つ。
その声が目前の何も無い中空から聞こえたからだ。ありえない。
「……誰だ。出て来い」
「………クスクスクスクス」
「誰だ! 姿見せろ!」
今度は背後から含み笑いがした。いよいよ「幽霊」という単語が脳裏をよぎる。
仕事の疲れもあってか、恐怖は鳴りを潜めてむらむらと怒りが湧いてきた。
「おいブス。やさしく言ってるうちに姿見せろよ」
「……………(ピキッ)」
「ああ、見せられないほどブッサイクなら見せなくてもいい。
こっちだって飯の前にそんなツラ見たくねえし」
「……………(ピキピキピキッ)」
「とりあえず出てけ、ここは俺の部屋だ。誰かに憑きたいってんなら
同僚にブス専がいるからそいつの住所教えてや――」
「誰がブスでブッサイクでクリーチャーよっ!!」
突如絶叫が響き渡る。謎の声の主は大分お怒りのご様子だ。
……つうかクリーチャーなんて言ってねえ。
「あんた自分の顔鏡で見たことあるの!? 何よその冴えないエキストラ顔は!!
一山いくらって感じ!? むしろ通行人B!? 時代劇で言うなら斬られ役!?」
えらい言われようだ。個性の薄い顔とは良く言われるが、こうもまくしたてられるといっそ清清しい。
ともあれ、まともなコミュニケーションを取るための第一段階はクリアしたようだ。
「……ああ、悪かった悪かった。で、その斬られ役から質問なんだが……お前誰だ」
「……………言う義理は無いわね」
「ここは俺が金払って借りてる部屋だぞ。幽霊だろうと間借りなぞ認めん」
「元々はあたしの部屋だったのよ?」
「現在は家賃払ってないだろう。そもそもなんでこの部屋に――」
「あたし、ここで殺されたから」
「――――」
言葉を失う。幽霊と認識してはいたが、改めて説明されるとヘンな気分だ。
殺された? 随分と穏やかじゃない話だ。
「お前……ここから動けないのか?」
「どうやらそうみたいね。遠くに意識を飛ばすことも
少しの時間ならできるけど……結局ここに戻ってきちゃうのよ」
「家賃が破格な訳がわかったよ」
「感謝しなさい」
「するかっ!!」
こうして、奇妙な同居人との生活が始まった。
2月4日
不動産屋を締め上げて以前の住人についての話を聞く。
固有名詞は避けたものの、どうやら一年程前に若いOLが不倫相手の奥さんに
刺殺されたという事件があったらしい。あの女幽霊に間違いあるまい。
2月5日
不倫相手が憎くて成仏できないならその相手に取り憑いたらどうだ、と薦める。
鼻で笑うような気配があり「別に憎んでなんかいない」という返答。
じゃあ何が未練なのか、と重ねて問うが返事は無い。むかついたので小声で「ブス」と呟く。
激しいポルターガイスト現象が起きる。短気な女だ。
2月6日
俺の姿は見られているのにお前の姿が見えないのは不公平だ、と言ってみた。
「美女のプライバシーをこれ以上侵害するつもり?」と高飛車な言い草。
じゃあせめて名前を教えろ、と言うと「……たえ」と名乗った。
「女偏に少ない、の妙か」「そう」「女ッ気が少ない……名は体を表すんだな」
激しいポルターry
2月7日
「あなたヘンな男ね」とやぶから棒に失礼なことを言われる。
幽霊ほどヘンじゃない、と答えるが「幽霊の住む部屋でそこまでくつろげるのがヘン」だそうだ。
そういえばこのおかしな状況に少しずつ慣れているような気がする。
2月8日
大発見があった。妙は鏡に映る。風呂上りに髪を乾かしていると
鏡越しに見えるリビングで髪の長い女がテレビを見ていた。
振り返ってもその姿は見えない。再度鏡を覗き込む。年の頃は二十代前半だろうか。
芸人のギャグにクスクス笑っている妙の横顔は、驚くべきことに本当に美人だった。
2月9日
風呂上りにビールを飲みながらくつろいでいると、妙が問いかけてきた。
「あなた彼女とかいないの?」
「いない。三年前に別れて、それっきり彼女と呼べるような女はいない」
「モテそうにないもんねーw ま、あたしは付き合う相手に不自由したことなんかないしーw」
「……不倫みたいな実りの無い関係構築するよりマシだ」
「…………ふん、何よ常識人ぶって。お説教のつもり?」
「説教より分かりやすい報いがあっただろ。お前死んでるし」
「……………………うるさい、ばか」
その晩はどれだけ呼びかけても、妙からの返事は無かった。
2月10日
妙とのくだらない口論が原因でポルターガイストが起きた。
キッチンの食器棚までがガタガタと揺れてボードのひとつが傾いた。
皿やカップが棚の中で割れていくのが見え、諍いも忘れて棚に駆け寄る。
コーヒーカップが割れていた。黙って欠片を拾い集めるうち、妙が近づいてくる気配。
「……わ、悪かったわよ………でも皿が一、二枚とカップ一つでしょ?
そんな怖い顔しなくても……」
「このカップ………“死んだ”彼女からのプレゼントだったんだ。俺がコーヒー好きだから、って」
「…………っ! ……ご、ごめんなさ……」
「黙ってろ馬鹿幽霊」
「…………ごめん……なさい……」
破片となっても捨てる気がおきないので、そのまま引き出しに保管する。
いろいろな事を思い出してしまいそうなのでフテ寝することに決定。
部屋のどこかにいる妙が小さな声で再度謝ってきたが、無視。
2月11日
帰ってくると、割れたカップがセメダインで元通りにくっつけてあった。
きっと妙の仕業だろう。なんとなく肩の力が抜けて、穏やかな声でよびかける。
「妙。いるんだろ?」
「ん……余計なこと、だったかな」
「別に。ただまあ、今後は霊障抑え目にしてもらえると有難い」
「そうだね……あたし短気だから、さ……あははっ」
「……ついカッとなってやった?w」
「うん。今は反省しているw」
「ぷっ…」
「あはははは」
それからの妙は、頻繁に姿を見せるようになった。鏡越しにではなくその姿自体を、だ。
「なんでまた急に」と聞く俺に対して「別に意味なんか無い、単なる気まぐれだ」とのたまう。
間近で見る妙は芸能人と比しても遜色の無い美人さんで、なんとなく居心地が悪いような気分になる。
「成仏はもう、あきらめてんのか?」
「さーね……奥さんは刑務所行きだし、不倫相手は社会的地位も失って
行方知れずだし……恨みらしい恨みも無いはずなんだけどね。どうしてかな?」
「………なんでだろうな」
「なんでだろうね」
月の綺麗な夜。二人なんとなく肩を並べて語り合った。
ベランダに頬杖をついて淡々と語る妙の横顔からは、何の感情も読み取れない。
本当にどうしてなのか分かっていないのだろう。
「あなたの彼女って……どうして亡くなったの?」
「……ありふれた事故だよ。居眠り運転の対向車がセンターライン越えてきて正面衝突。双方死亡」
「悲しかったでしょ?」
「というより現実味が薄かった。今だってまだ騙されてるような気がする」
「……どーせ幽霊に会うなら、あたしじゃなくて彼女だったら良かったのにね」
「はははっ……死んだ後まで俺なんかの世話させられないよ。
付き合ってるときだって、大したことしてやれなかったのに」
「…………」
誰にも言ったことの無かった胸の内も、そんな風に気楽に話した。
それはきっと、妙が自分で言うほどに割り切っているようには見えなかったせいもあるだろう。
ベランダから月を眺める妙の姿は、幽霊だという点を差し引いても随分と儚げに見えたから。
「なんだか羨ましいな……亡くなってからも大切に思われてるって、さ」
「お前だって大概な若死にじゃないか。家族、悲しんでるだろう?」
「それがまた傑作でねー、不倫沙汰のもつれで殺されたなんて家の恥だ、って扱いで……
密葬の上、まるで初めから居なかったようなコトにされてますw あたしんち、厳しい家だったから」
「………そんなこと、ないだろ?」
「いやいやダンナ、そんなことあるんだってば。気合で意識飛ばして見てきたから。
葬儀はあたしの悪口と世間様への対処法会議で終わってた。……ほんと、単なる作業だわアレw」
言葉が無い。涙や思い出話に彩られることもなく、悪口雑言が経替わりの葬式もどき。
しかもそれが「自分の葬儀」となれば―――それは、どんなに酷薄な光景だっただろう。
家族にさえ疎まれ、成仏も出来ずに自身が殺害された部屋に縛り付けられる思念体。それがこの女だ。
隣に佇む妙の姿を見る。夜闇に溶けそうな横顔。なんとなく泣きたいような気分になって
あわてて視線をそらすと、冷え冷えとした月光が目蓋を刺す。
―――ああ、こりゃ、いけない
―――あいつが死んだ夜にも、こんな月が出ていて
―――もう死んだ女が、隣に、居て
「………なに泣いてるのよ。バカね」
「うるさい」
「ほんと、バカな男。居住権侵害してる幽霊に同情して泣いてるの?」
「知るか。ただ悲しいだけだ。お前なんか関係ない」
「みっとも、ない、なぁ……大の男が、さ………ひっく……ぐすっ……」
「お前だって泣いてんじゃねえか」
「あ、たしは……女だから、いい、のっ……ぇぐっ……ぅ」
「……………」
いつまでそうしていたかは覚えていない。
目尻が乾くまで月を睨んでいた俺の耳に、囁くような声が聞こえた。
「ありがとね。………なんだあ、こんなことでよかったんだ」
「…………妙?」
「泣いてくれる人が一人でも居てくれればよかったなんて、知らなかった」
「妙、おい……?」
姿が見えない。短気で口の減らない女幽霊の姿が。
「○○区の△△寺っていうお寺にね、××家代々のお墓あるから。……気が向いたら花でも手向けて欲しいな」
「…………妙」
「ほんと、出来すぎた話。あたしの初めての命日に、泣いてくれる人がいるなんて思わなかった」
「今日が? お前の?」
「ん。でもね、なんだか誕生日みたいに嬉しいよ……ありがとう」
「……お別れ、か」
「そうみたい。餞別がわりに、モテない君に一つだけアドバイス。
あんたわりかし良い男かもしれないから、そのうちきっとまた幸せになれると思います。以上」
「……ははっ……そりゃ、どうも」
「じゃあね」
それきり。
奇妙な同居人は現れることもなく。
いろいろな気持ちなんかおかまいなしに年月は流れて。
――ねえ、このカップ、どうしてこんなボロボロなの?
――ん? ああ……昔の彼女がくれたやつを次の彼女がぶっ壊して修復した
――じゃあ……現在の彼女であるあたしが、また叩き割ってもいい?
――お、怒るなって!
日々は続いていく。
終わり。長くてごめんよ。