NESARA・フォトンベルト・アセンション 其之九
>653
「それっぽい」という言葉は普通、「対象となるある事項の外形(だけ)をなぞってるような雰囲気が”なんとなく”表れてる表現(or事物)」みたいな(時に批判的な)意味を指す。
私が一部の変な人の文章を>641と評したのは、そういう人達の文章が、その各文ごとに相変わらず全く意味が繋がってなくて、
一見深い意味や含蓄のありそうな単語や文章だけを並べて悦に入っている、つまり論理を無視して「それっぽい」文章を書いて恍惚としていたからなわけだよ。
裏側の意図を汲めというけども、「1+2=4、つまりf(z)=-4、従ってx+y=10」みたいな無茶苦茶な理屈で話す人間なんか、コミュニケーション以前の問題。
その裏にもしかしたら海よりもふかーーい意味があったのだとしても。たかが掲示板での意見交換に、いちいち寓意や含蓄を絡めないと喋れない人間はちょっとカンベン願いたいね。
ニューエイジ系のサイトでも「それっぽい」説明や、所長みたいに伏字だらけの逃げ腰の説明に逃げずに、極めて理知的に論理を積み上げてる所がたまにある。ああいうのはいいね。
感覚的な理解に頼るのもニューエイジでは大切だけど、論理での理解を忘れてしまうと、万が一ネガティブな存在と接触した時に、簡単な論理の矛盾に気付けなくなる。
感覚に頼るという事は誘惑に弱くなるという事。都合の良い光、ポジティブな知覚ばかりを与えられ、これは高貴なものなのだと「感覚で理解」してそれで終わってしまうと、そのまま理性がぬるま湯に漬かって相手の思惑通りに呆けてしまう。
そもそも、この秩序溢れる世界において、より高次の存在が矛盾を孕んでるわけが無いわけで。
きっかけを知る上で感覚や陶酔も大事だけど、そういう意味では最終的には全ての神秘は理知に還る。常に自分の思考や価値観に論理的に矛盾が無いか考える癖を身につけるのは大事。
感性だけに頼った文章を書いてるうちはネガティブ存在に付け入られる隙だらけだぞ・・っと