その冥帝だが、自称本の書評(?)をしている。
どうも、ほとぼりが醒めたと思ったのか、甘いというか間違った書評になっていると思ったのは
俺だけだろうか?
以下は「日本の「未知生物」」書評コピペ。
今年は何かしらの意図が働いたのか、UMA本の当たり年であった。
UMAという言葉の生みの親である実吉達郎氏、
最新のUMA情報を連発している並木伸一郎氏、
いずれも今年になって新刊を出している。
だが、UMA関連で物議を醸す本なのが、この山口敏太郎氏の本である。
何がUMAファンの触覚を刺激するのかというと、
普通ならこの種の本に掲載されないだろう情報がかなり含まれているからである。
言うまでもなく“妖怪・幻獣”である。
UMAという言葉の定義には、“生物”という概念が含まれている。
ところがこれが“現存する個体”に限定することができない。
“絶滅した種”も堂々とUMAとして認知されている。
ここに妖怪・幻獣が入り込んでくる余地が出てくる訳である。
“生物学的な調査の前に絶滅した可能性を持つ、目撃証言だけが現存している未知の生命体”
・・・これがすなわち“妖怪・幻獣”がUMAの概念と重なる部分になる。
この部分に関する情報を大量にぶち込んだのが本作である。
つづき。
この本に対する評価は、まさに一部の妖怪をUMAの範疇に加えるか否かに掛かっている。
しかしながら、これが一刀両断に解決できるほど単純な話ではない。
例えば、この数年間の目撃証言(画像のない)は信憑性があって、
19世紀以前の目撃証言は古いから間違っているという理由付けはおかしい。
これをやれば、今の目撃証言も時間を経ることによって誤謬となるはずである。
かといって、未知の生物が登場する伝承のすべてが真実であるとも言いきれない。
というよりも、UMAの名付け親である実吉氏の最新刊では、
“雷獣”や“狢”といったものの目撃記録を紐解いてUMAの中に入れている。
実はUMAの定義自体にかなりの触れ幅があると思った方が正しいのかもしれない。
また西洋の未知生物の探究が、聖書のヨブ記に出てくるベヒモス・レビヤタン
の存在証明が絡んでいることを考え合わせると、
日本古来の記録上に残されている一般的な妖怪をUMAの範疇に置いておくのは
(つまり積極的に生物学的見地からUMAの種類として加える方向でなければ)、
あながち見当外れな見解でないと言ってもいいだろう。
つづき、2。
UMAと妖怪のリンクについてばかり述べてきたが、
実はこの本は、狭義のUMAに関する情報についてもかなり詳しい。
特に日本におけるUMAというのは、実吉・並木の両巨匠もあまり触れていない。
ツチノコ・ヒバゴン・イッシー・クッシーはよく見かけても、
他のUMAはほとんど埋もれてしまっているのが現状である。
それらの情報について網羅的に紹介(あくまで紹介の域は出ないが)している。
これだけでもかなり資料性の高い本であると言える。
一部「これをUMAとして扱うのか?」という疑問のある項目があったり、
またあまりにもUMAの範疇を越えてしまっているイラストがあったり、
巻頭のカラーページが“日本のUMA”でなかったり、
ちょこちょこと不満があるのは確かだが、
全体的にはUMAの知識がある人間の方が楽しめる内容になっている。
(コンビニ本タイプとしてはかなりディープだ)
広義のUMAの範疇を考える上では、なかなか意味のある本であろう。
個人的には賛否両論、物議を醸すから面白い、という感じである。
つづき(というか感想)。
えー・・・・・。俺は全然この本の評価低いんだけどな。
資料性もなにも皆無だし、UMAの範疇を越えていないと思うし。
(妖怪とUMAを関連付けた人は別にいるし。南山宏氏とか)
>全体的にはUMAの知識がある人間の方が楽しめる内容になっている。
逆逆。知識があるとムカつくだけだし、知識が少ない人間だと間違った情報を鵜呑みにする。
ちなみに「ホジラ」の写真、出てたけどあれはネットの写真をそのままつかっているし、
名前も「ホグジラ」のはず。体長のデータも最新のものが出ているはずなのに間違っている。
(自称本は実際の体長より大きく記載されている)
正体は「家畜豚が野生化したもの」なんだけど・・・・・。
賛否両論というか、圧倒的に否定の方が多いこの本を褒める神経が分からん。