大地主の跡取りである知人から、1944年か45年頃に
撮影されたと思われる、妙な写真を見せられた。
撮影されたのは、山中にあった軍用品工場近くの路上で、
その工場は、東京から疎開してきたとの事だった。
コンクリートで固められ、内部をタイル張りにした半地下の建物は
頑丈で、今でもしっかり建っている。
彼の家を出発して2時間ほど山に入ったところだ。
その建物の前に汗を浮かべて俺達は立っている。
道は細く、苔に塗り固められ、草におおわれそうだが、石畳が敷かれ、
自動車での走行が可能だったのだろうと容易に想像できる。
写真に写っているのは、数人の日本人と、一人の若い白人男性。
笑顔がこぼれたり、口元を厳しく引き締めたりしている日本人に対し、
白人男性の表情は疲れきり、衣服をすっかり剥ぎ取られた姿で
立たされている。
「ここに居たらしいんだよ」
わざわざタイル張りにするような軍用品工場に、若い白人男性が、
アメリカやイギリスとの戦争中に居たという。
捕虜になった技術者が、ここで何かの技術指導をしていた可能性は
決して低くない。
逃亡を避けるため、衣服を着せないという措置は、当時の
日本でなら充分考えられる。
この白人男性が、例えば墜落した米軍機の搭乗員で、この写真が
撮影された時点で、まだ正式な捕虜になっておらず、米兵を見つけた
地元の住民が、無邪気に記念写真を撮ったのかもしれない。
当時の日本で、まともな撮影機材を持っている民間人が、
どれほどいたのかと、それを考えると、報道関係者や軍関係者によって
撮影された写真である可能性が高い。
写真に写っている日本人は地元の人間で、すでに全員が死亡している。
この写真を見つけたのは、彼の祖父の葬儀が終わった後で、家中の誰も、
この写真の事を知らなかったという。
知られたくなかったのだろうか、とも思える。
そして、捨てるに忍びない思いを抱えていたのだろうか。
彼の祖母は、あいまいに、白人は軍用工場に居たと教えてくれたという。
写真の中の彼の祖父は、にっこり笑って腕を組んでいる。
ひんやりしたタイルに触れ、何事かを感じたいような、
感じたくないような、そんな感情を持て余した。
彼の自宅敷地内にある墓地には、何も彫られていない
丸石が置かれている一角があるが、それについて彼は何も
聞かされていない。