807 :
658:2005/11/01(火) 09:04:56 ID:hi9eIn/V0
何度も連投スマソ。
教会とルシファーについて考えていたんだけどね。
私は個人的にはもともと「教会」とか
「なんとか様に対する畏敬の念」ってのはキライだし
それこそそういうのは「闇」に行くんじゃないかという感覚がある。
でも神父はきっと
「教会」「ルシファー様に対する畏敬の念 」を必要としているのだろうということは思う。
なんでかというと、たぶん、
神父がすさまじい暴力性、荒ぶる魂みたいなものを持ってて
このまま出すのはマズイということは理性でわかるので
「教会」「畏敬の念」みたいなもので枠に入れようとしてるのではないかと推察している。
荒ぶる魂みたいなものってのは
ルシファーとか丑寅の金神とかいった象徴によって語られてきたもので
根源的な生命力なんだけどほとんど破壊力と同じというような
まあ、前のカキコで書いた「太陽フレア」みたいな感じのエネルギーね。
で、私の意見では
教会とか、なんとか様に対する畏敬の念といったものでは役不足というか
神父の言葉でいえば闇に対抗できない。
対抗できるのは、イエスやブッダみたいな「個人」だと思う。
で、自分バージョンのイエス/ブッダになることが
「特上の道」なんではないかと思うんだ。
808 :
514:2005/11/01(火) 12:50:59 ID:7ubwtfBB0
>>802 中心理念完成&次スレ予定おめでとうー?ヽ(´ー`)ノ
やっぱり私の頭じゃ難しい事が多いけど、
神父と658さんとの対話がどう進められるか眺めながら応援してるw
まとめサイトも楽しみにしてるよ。
私も「個人」としての対抗は大切だと思う。
それとここで神父と658さんが協力してるような事も大切だと思うよw
809 :
658:2005/11/01(火) 16:12:16 ID:hi9eIn/V0
今日は何度も登場してスンマソン(って、今日だけじゃないか)
514さん、応援してくれてありがとう。
で、これって実は「頭」での話じゃないんだよね。
いろんな概念が出てくるけど
その概念の裏には、生きて来た上での経験があるんだよね。
自分が生きて来た上でつかんできた「ここは外せない」という所があって
それをなんとか整理しようとしているんだ。
(論がけっこう複雑なものになってるのは、
まあ、年をくってていろんな経験をしているからってことなんだろう。)
私が神父を評価しているのは
神父の論にはその裏打ちがあることを感じるからなんだ。
私にはワケワカメの部分もまだたくさんあるけど
それもきっと「彼のつかんできたもの」から来るものだろうと思っていて
だから理解したいと思う。
(私がチャネリング本を出してきたとき神父が反応したのも
裏打ちのないものを出すな、ということでさ
私としては大変評価しているんだ。)
この世に生きるというのは、そういう交流をすることだと思う。
その交流とは必ずしも言葉でする必要はなく
田舎のおばあさんの生き方から学ぶ、とか
動物から学ぶ、とか、
いろんな交流があるけどね。
だから私はこの世に生きるのが好きなんだ。
810 :
514:2005/11/01(火) 17:43:52 ID:7ubwtfBB0
頭でってのはどの辺までなのか分からないけど(´・ω・`)
私には大して長くも無い自分の経験と考えしかないから、
それでも私は誰の下にも上にもいたくないから。
この言葉が私の全てじゃないけど。
私も臆病がついてるけど生きるのは好きだよ(´ー`)人(´∀`)
ファザの、対話編方式(三人一体)スレが失くなるのはさびしい・・・
捲土重来、宗教板での御活躍を願っております。
スレタイとスレアドも張って頂ければ有り難い限りです。
812 :
658:2005/11/01(火) 20:33:33 ID:hi9eIn/V0
>>810 あ、いちおう、514さんの経験が少ないから云々、とか言いたかったわけじゃないからね。
(514さんとは感性的に似てると思うので
通じてたとは思うけど一応ね)
みんなそれぞれ、生きるなかで貴重な体験を積んでいて
上でも下でもないよね。
自分の感覚、感情を大切にして
自分にとってわかっていることとわかっていないことを明確にして
自分という限界を常に超えて行きたい
と思うんだ。
>>804 >ふつうのニューエイジで 〜 自分の影を外に投影する 〜
不完全な人間の影は正反対にしても、また不完全であろうという問題でしょうね。
各人の理想でも、正義→嫉妬が入り込めば「宇宙連合」みたいなものに、
賢明→怠惰が入れば「高次元へのアセンション」などが理想になるでしょうが、
嫉妬が嫉妬のまま、怠惰が怠惰のまま、人間が良い状態に到達することは有り得ない
と私は思います。悪徳に満ちた人間が良く暮らせるのが、理想=天の国では無く、
天の国=理想は良い人間が作って、維持していく以外ないでしょう。
よって最後の審判はルシファーの暴走ではなく、その大破壊にふさわしい
7つの悪徳を兼ね備えた人間達が作る「国」の始まりであり、
国主が「再臨のキリスト」で、その場所は「虚無」です。
もちろん「悪しき民なくば悪しき国無し」然るべくして阻止できます。
>>806 ネーミングについて
「聖ルシフェル教会」はフランスの「聖ミカエル教会」に対抗して
シャレで付けたスレタイですが、案外結果オーライだったみたいですねw
A∴D教会は、神が与えた7つの徳に、人間の「選択」をAD(加える)
という意味と
【イエス】A∴D教会【ルシファー】
という表記のワケの判らなさ、意外性を狙ったのですが、
658さんの言われる通り意味がコテコテのキリスト教になってしまい、
面白みに欠けますね。そこで
【イエス】A∴Dムーブメント【ルシファー】
は、どうでしょう?微妙にラエリアン・ムーブメントとカブりますが
略した時M∴A∴D∴となりMad=憤怒を表し、6つの徳を収めた
後の勇猛<>憤怒の道に当てはまり、特に日本人に欠けた徳で
闇に果敢に挑戦するルシファーっぽいような気がしますが。
そして合言葉は「Be Mad!(怒りなさい)」というのは?w
>>807 私の精神が荒ぶる魂だというのは、多分その通りで
それが全て光の選択に向かえば好ましいのですが、
実際は半々から6:4くらいだから、選択された部分「神父」のみを
出しているのですが、素の個人として光が選択できれば神父廃業でしょうね。
>>808 おひさしぶりです。創作のほうの調子はどうですか?
私はルシファーの古いテーマ「神様、何しとんねん!」から脱却するために
近々ルシフェリアンの名を捨てますが、新しいルーシーさんと共に歩みます。
>>811 >ファザの、対話編方式(三人一体)スレが失くなるのはさびしい・・・
え、方式?もしかして658さんも、514さんも私の「方式」の一環ですか?
Ω ΩΩ<な、なんだってー!
ところでディオニュソス大司教、お誕生日おめでとう!
多分、あなたも私の方式の一環に過ぎないでしょうがw
新スレは出来次第ここに貼りますね
816 :
514:2005/11/02(水) 01:19:50 ID:CLaSRKlC0
>>812 私も一応言わせていただきましたw
そのままの考えを述べるのは良いと思いますよ。
>>814 ムーブメントなんかワロタwカコイイ
>>815 創作はマイペース(´∀`)で。
今は歴史関係の順序をきちっと定めようと思って、
地上の方々と神様方のイベントを書き起こしてますよw
しかし結末近くを脳内進行してしまったのでそれを目標に一つ一つといったところ。
そしてディオニュソス大司教はお誕生日!
おめでとう!大司教!キャーヽ(´∀`)人(´∀`)ノオメデトー
817 :
658:2005/11/02(水) 08:47:55 ID:kLPLoV+i0
>>813 神父のいう「天国」と言う言葉がよくわからない。
架空のもののように感じる。
「悪徳を抱えた人間が良い状態になることはありえない」というのはその通りだと思うが
私的にみると、悪徳を抱えた人間はすでに不幸(物質的に栄えていたとしても)であって
天国も地獄も、「未来の架空の世界」ではなく
「現在の心の状況」だと思うのだ。
「7つの悪徳を兼ね備えた人間達が作る「国」 」
は、すでにずっと前から(数千年前から?)あると思う。
われわれの文明はずっと前から「虚無」に立っていた。
現在は、虚無が明確になり、文明は滅亡直前、という状態なのではないだろうか。
神父のいうルシファーというのは
この状況を超えるエネルギー、のように感じる。
私的にみると、黙示録の獣や龍というのも同じ象徴ではないかと思う。
というか、ルシファーという炎を支える根源/自然。
私的にみれば、この状況を超えるには
善悪を超えた根源/自然に支えられないと不可能と思う。
その世界は、キリスト教的世界からは悪魔として見られてきたが
そういう硬直した善悪の価値観の世界が終わる
というのがハルマゲドンなのではないだろうか
818 :
658:2005/11/02(水) 08:48:31 ID:kLPLoV+i0
>>814 【イエス】A∴Dムーブメント【ルシファー】
……まあ、ワケのわからなさという点ではいいかもね(^^;)。
ええと、いちおう確認。
「勇猛<>憤怒」という図式の憤怒っていうのは
悪徳のほうなんだよね?
(
>>282によれば悪徳らしいけど。)
とすると、Be Mad!というのは悪徳を勧めてるんでは。
勇猛を勧めるというのはわかるがやっぱ憤怒はまずいと思うなw。
怒りについてのメモ。
ビルマやスリランカで原始仏教を学んできた人から聞いた話では
原始仏教では「悟り」に明確な基準があったんだそうだ。
悟りの第1段階に入ったと自分で判断できる条件。
(1)この身体、この心が自分のものだ、という思い込みから自由であること
(2)社会的、文化的な慣習や儀礼から自由であること
(3)他人や大きな存在によることなく、自分を信頼できること
で、
第2段階は、怒りと性欲をコントロールできる
第3段階は、怒りと性欲がなくなる
なんだそうだ。
「怒りと性欲」というのは、私見では「龍」、動物的本能の象徴かと思う。
で、第1段階をすっとばして第3段階をめざそうとしたのが
既存宗教の誤りで、この方向は「虚偽、否定」になってしまう。
動物的本能のコントロールのためには「規範による抑圧」でなく自己による意識化が必要で(第1段階)
自己を意識化できると、動物的本能を、あるバランスのなかで存分に解放できるようになる(第2段階)
そのうち飽きる(^^;)、というか意識が個人性を超える(第3段階)
というような道ではないかと思う。
>>815 >>816 ありがとうございます。
なんだか小旅行に出かけていたのでなかなか板見られませんでしたが。
誕生日は友人達が夕食を作ってくれたので、なんか嬉しかったです。
〜〜−〜〜−〜〜−〜〜−〜〜−
昨日はキリスト教でいう諸聖人の日で、
私は某大聖堂においての礼拝に出席したのですが、
出席者は凡そ50名で、夜の7時半から始まったのですが
もう外は真っ暗、大聖堂内も真っ暗なのですが、
一人一人に蝋燭が渡されて、礼拝が始まります。
その後礼拝の途中で20分間一人で祈りを捧げる時間があるのですが、
その際独りずつ蝋燭の光だけを頼りに大聖堂内を歩きまわったり、
各自好きな場所で祈りを捧げましたが、
蝋燭の光では足元を見るのが精一杯で、他人の顔は彼らの蝋燭で判別できるくらい、
そして本当に一寸先は闇なんですね。
で、これって本当に人生を象徴しているようで、
光は闇の前ではか細いかもしれませんが、それがないと私達は生きてゆけず、
また、暗闇の中で蝋燭(光)は私の唯一の希望でさえありました。
これは随分と分かりやすい体験できるアレゴリーで、
A∴Dでも使うといいですよ。
>>816 時系列は重要ですよね。そうでないと、ある作品みたいに
青年時代→第二次大戦後の混沌とした時代のドサクサで罪を犯し入獄する
出所→時代はバブルのまっただなか80年代(何故かまだ青年)
みたいな浦島太郎の竜宮城的システムの必要が出てきますからw
>>817 7つの徳は、我々の中にある心のエネルギーで、神から与えられた
言わば元からある存在で、善徳も悪徳も全く同じ性質であり
使用法が「人間」にとって好ましいのが善、その反対が悪です。
それに対して光の完成は、「選択」という7つの徳以外のロゴスによって、
我々の「間」に建設される、もしくは建設されつつあるもので、
個人のミクロコスモスの外側の存在の「未だ無い、来るべき世界」です。
続き
我々の文明が常に「虚無」にさらされてきたのは間違い無いでしょうが
先人達は意図的に光=物質世界を選択し、自然崇拝(バール)、イデオロギー(ヤハウェ)
宗教(イエス=ルシファー)と手を変え品を変え、虚無、闇の選択を避けてきましたが
7つの光の完成=平常、と闇の完成=涅槃では、遥かに闇のほうが強力な誘惑なので、
先人の6つの善徳は見捨てられ、悪徳に変わってしまいました。
そして悪徳からの回復については、4つの悪徳の主=666の獣は、ルシファーの2つの
善徳で退けられるように、後のほうの徳ほど、人間の精神の堅固な部分を司っており
最強は勇猛<>憤怒で、勇猛は制御は難しいですが、全ての徳を回復させるパワーです。
ちなみに仏教は悪(苦)を避ける哲理で、善の光を受け入れる助けにはなりますが
悪の光を取るくらいなら、闇の救済を選ぶところがあり、
光の主=在るという者、善であり悪
闇の主=虚無、涅槃、善でも悪でもない
の対立項では中立もしくは、消極的な意味で光側なのでしょう。
現状の悪徳にまみれた世界で憤怒を捨てたら、残る光が少なすぎて
闇、涅槃が選択される可能性が多いでしょう。
諸聖人の日といえばリンゴを食べるくらいしか知りませんでしたが、
そういうイベントもあったのですね。
例の7つの光明(善徳)も極端な話、蝋燭1本分のエネルギー、徳が
各人にあれば、有機的に協力、指導し合う事で、大いなる喜びの光に
なりそうだと思います。ただし嫉妬のみとか憤怒のみだと、
どう有機的に組み入れるか・・・w
>>822 でも所詮私達は嫉妬のみ、憤怒のみ、くらいが最適でしょう。
私は招待されて行ったので、蝋燭の形状が他の方とは異なりましたし、
そういうことで、私は高慢がありましたが、
他の方は嫉妬でありましたでしょうし、
招待されなかった方は憤怒でしょう。
もう3つもそろいましたよ?w
824 :
ジグソウ:2005/11/03(木) 01:53:37 ID:EYQrGLe10
o
/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/
/ ○_○ /
/ ( ・(ェ)・) /
/ /J ※ J /
/ し―-J /
/ 信じるのはクマの神のみ /
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/
∩_∩ / /∩_∩
([;;;;;;;;;;;] / / [;;;;;;;;;;;;;])
( )つ ⊂( )
| | | | | |
(__)_) (_(__)
825 :
658:2005/11/03(木) 06:04:57 ID:2luM+28t0
>>821 「7つの光の完成=平常、と闇の完成=涅槃では、遥かに闇のほうが強力な誘惑 」
が、わからないなあ。もうちょっと説明してくれないかな?
「4つの悪徳の主=666の獣 」および
それを退ける「ルシファーの2つの善徳 」も、説明してくれますか。
で、今の時点でいちおう書いておくと
>勇猛は制御は難しいですが、全ての徳を回復させるパワーです。
で書かれている「勇猛」というのは、
私は、817で書いた「ルシファーという炎とそれを支える根源/自然 」だと思うんだよ。
826 :
658:2005/11/03(木) 06:05:43 ID:2luM+28t0
で、仏教についてだけど
818で書いた原始仏教の話は、社会体制となった仏教ではなく
その元々の姿を伝えているから興味深いわけ。
だってあれって、サラッと言ってるけどすごいよ?
狂えって言ってるんだ。
社会という共同想念から離れて一人で立てって言ってるわけ。
聖人は狂人と髪ひとえだし
聖人は魔物とも髪ひとえ
と言われるけど、
いわゆる聖人(あれでいう第3段階くらいからそうなると思うんだけど。つまり、意識が個人性を超えてる人)になる途中で
狂人か魔物に「墜ちる」危険があるわけだよ。
そうならないための方法論を原始仏教は持ってた。
で、キリスト教は、狂人化と魔物化のリスクをとれなかった。
つかキリスト教って、
イエスという核を失ってから組織化されたからなんだろう、方法論がなかった。
イエスを聖人という偶像にし、
それを「小羊たち」が信仰するだけになってしまった。
狂人化・魔物化につながる傾向は「悪魔」として抑圧対象になった。
で、抑圧したものは必ず現れる。
だからハルマゲドン、終末思想が出てこざるをえない。
しかし、ハルマゲドンってのは、硬直化した善悪思想にとっての終わりであって
抑圧してきたものを意識化し解放させれば
それはイエスの再生になるはずなんだ。
いや、個人がその人バージョンのイエスになるって意味でね。
827 :
658:2005/11/03(木) 06:07:22 ID:2luM+28t0
>823
はじめまして、で、初めてのご挨拶なのに以下メンゴね。
>所詮私達は嫉妬のみ、憤怒のみ、くらいが最適でしょう。
なんでそんなことを言うのだろう?
せめて、「私たち」ではなく「私」と言ってほしい。
自分が悪徳のみというのはまだいいが、
他の人まで悪徳のみ、というのは言い過ぎだろう。
しかし「私」と言い換えても
なんでそんなことを言うのかという疑問は同じだ。
謙遜なのだろうか?
主イエスは完全だが私は絶対に不完全
(で、希望はイエスにしかない)とかといった感情なのだろうか?
もし教会がそういった感情を育てるのであれば
そんな教会は毒だろう、というのが私の意見だ。
しかしきっと、誕生日に友人たちがゴハンを作ってくれる人なんだから
悪徳だけなんてことはないと思うよ。
むしろとってもいい人なんだと思うよ。
もっともっと、光になって輝いてほしいな。
828 :
本当にあった怖い名無し:2005/11/03(木) 06:29:54 ID:2luM+28t0
>>826に自己レス
「第3段階くらいから 」と書いたのは、第4段階も(それ以上も?)あるそうなので。
原始仏教での「墜ちないための方法論 」ってのは
八正道とか托鉢とかいろいろあったと思う。
で、
>>818で引用した「第1段階 」なんだけど
まずいのは、今は、この方法論なしに
この第1段階が始まってるというか
社会の規範、共同性といったものが崩れてきてるために
「意識的な個」の社会からの自立ではなく
社会から「ただの個」が否応なく出てきてしまう、ケースが多いことだ。
この場合、意識に基づく自由はないし
自分への信頼もない。
狂気に陥るという恐怖も大きいことだろう。
大変だとは思うが
社会の規範や共同性の核にあった良きもの
を、まずは自分で発掘していくしかないと思う。
具体的には、良い人たちの集まる、良い場に行くことかな。
自然のなかでシンプルに協力しあって生きている村とか
良質なグループセラピーの場とか
探せば今でもいろいろあると思う。
教会も、ほんとうはそういう場なのだろうし、良い教会も在ることと思う。
>>827 はじめまして。
7つの大罪は現在の殆どの人間に備わっている性質であると思います。
聖人と言われる人たちにも勿論この罪悪は備わっていますし、
658さんにも有るのでしょう。
そして私はキリストが完璧だとは思いません。
神々でさえ完璧ではないのですから、
神であると同時に人間であった(といわれる)イエスが完璧なはずがありません。
完璧、完璧に近いということは案外怖いことなのかもしれません。
何事も一極に集中することが良くない事であるのは私達は
私達の歴史を通して学んできたはずです。
私は多分いい人ではないですよ。
いい人になろうと努力はしますが、結局のところ
いい人になるというか光の為に何かしようとする行為さえ
私には自己中心的な考えではないか?と思ってしまうのです。
830 :
658:2005/11/03(木) 13:22:45 ID:2luM+28t0
>>829 大司教、こんにちは。(大司教ってのはすごいね(^^;))
そちらの思いを書いてくれてありがとう。
私の場合、原罪とか大罪という感じ方はよくわからない。
完璧でありたい、正しくありたいという欲求もないんだよね。
自己中心的なエゴからは脱却していきたいと思うけど
それは、「自己中心的なエゴ」が結局は不幸だから。
より深く幸せでありたい、そのために学んでいきたいんだ。
「いい人」ってのは正しい人ということで言ったのではなくて
人のためにゴハンを作って一緒に楽しむ
その時間を幸せに思える
それは充分、私にとっては「いい人」なんだよね。
>>823 嫉妬深いものは、その「正義」の美徳でもって強欲者を戒め、
高慢なるものは、その「信念」の美徳でもって惰弱な淫蕩者を助ける
それでも結局ダメなら、憤怒でもって構造、関係自体をリセットすると。
「全て無し」という虚無を選択しない限り、人間助け合えるもんでしょうね。
利己的でも利他的でも無い、協力的の世界もあるかと。
>>824 多分ルシファー様はクマの神も兼ねていますよ。
こないだ見かけた時は凄いクマっぽかったですから。
どう突っ込んで良いか分からなかったので話し掛けませんでしたが。
>>825 666の獣がヤハウェ=ベルゼブルだという事は前も述べたと思います。
そしてルシファーがヤハウェ、バールを兼ねているのと同じように、
ヤハウェもバールを兼ねています。つまりヤハウェの悪徳は4つ強欲、淫蕩、
飽食、嫉妬であり、ルシファーの善徳は
>>569の通り、信念と賢明です。
>私は、817で書いた「ルシファーという炎とそれを支える根源/自然 」だと思うんだよ。
光自体が物質界=自然のエネルギーですので、ルシファーも炎の側面はあるでしょうが、
彼自身は信念、賢明の権化で、守護を司る「ホルスの目」
>>370、です。
しかし世界がルシファーの手にあまる程、闇に落ちてきたので、
勇猛、憤怒の「ラーの目」も必要とされてくるかと思います。
>7つの光の完成=平常
正確には「賢明」までの6つの徳を兼ね備えれば、人間が持つ内側からの欲求が
破滅へ導く悪などに変わらず、基本的には「平常」が完成し100点です。
しかし闇の誘惑は、全て満ち足りた人間さえも引き付け、
「維持」する必要も無い、平常を超えた究極の世界=涅槃を提示します。
それ故に我々は勇猛でもって100点以上の善の喜びを模索しなければ闇に落ちます。
憤怒による均衡の崩壊は、闇の誘惑に比べれば、ガンに比べての皮膚病くらいのもんです。
続き
>むしろとってもいい人なんだと思うよ。 もっともっと、光になって輝いてほしいな。
なんだか658さんがルシフェリアン以上に、ルシフェリアンらしく見えてきましたよw
エゴとか個人性、仏教などについて
上のほうでも「仏教は悪(煩悩)を打ち払う剣」と述べましたが、それは
エゴを克服する為に苦行をして死にかけている釈迦に対して、仕方なく
ルシファーが授けた最小限の「生きる知恵」という意味であり
もしピンピンされているのでしたら、敢えてエゴの世界に生きては如何でしょう?
全一なる涅槃も神(闇)の賜物ならば、優劣、差別のある物質世界もまた神(光)
の賜物ですので、相手を自分と同じようにではなく、相手を相手のように愛する。
その間には嫉妬もあるでしょうし、逆に淫蕩、もしくは面倒臭くなって怠惰も
あるでしょうが、エゴが無くなったら平等で適切な1つの善しか無くなるんですよ?
それより、正義、慈愛、賢明などが全て別の善で、たまに善VS善とかで
不必要な対立とかしたほうが面白いと思いますけどね。
>>830 こんばんは。
私の大司教というのは別に役職とか
人間の作り出した栄光とかに興味があるわけではなく、
何故かというのはそのうちお会いしたとき、
若しくはルシ神父にお会いになったときにお聞きくださいまし。w
それに人と一緒に時間を過ごすというのはとてもいいことですね。
私は現在一人で住んでいますが、
去年までは他に2人と一緒に住んでいました。
彼らが一緒のうちは気がつかなかったのですが、
失うとどれだけ大切だったかが分かるような気がします。
>>833 平等で適切な1つの善というのはどういったものでしょうか?
「平等で適切な」という言葉から私が考えられるのは
徒競走の際に全員手を繋いでゴール
といったものを真っ先に私はイメージするのですが。
私は駆けっこが非常に遅いのですが、
小学校6年の最後の時に3等を始めて取り、
そのときに貰ったバッチを今でも勲章のように持っています。
完璧な平等もどうかと思いますよ。w
835 :
658:2005/11/04(金) 08:08:31 ID:M+br6o6y0
>>833 私がルシフェリアンになれないw理由は
(今のところの理解では)
崇拝ということができない
主義を持てない
「男性」偏重志向は賛成できない
ということですね。
で、仏教なんですが。
よく仏教は「エゴを否定する」ととらえられるけど
私は、ブッダの意識はエゴを否定したものじゃないと思う。
キリスト教がイエスの意識を変質させたように
仏教はブッダの意識を変質させたと思う。
ブッダの意識というのは、おそらく
自己中心的なエゴを脱却しようとはするけど
それはエゴを否定するのではなくて
エゴを、いってみれば「大きく」して
象徴的にいえば地球大?まで大きくするために
個人としてのエゴは消えるかに見える
ということだと思う。
制度としての宗教が失敗したのは
それまでの過程をすっとばして
イエスやブッダといった「最終段階」を即、「自分たちの理想」としてしまったことだ。
「最終段階」に行くには、エゴを否定するどころか
エゴを大事にしてつきつめていかないとダメなんだ。
(細かくいえば、これは最終段階ではなく、
これを最終=完全と見ることがまた信者たちの失敗だったわけだが。
イエスやブッダは、個々が
自分バージョンの覚醒、悟りを常に続けていく終わりのない過程
を見せてくれた例なんだ。)つづく
836 :
658:2005/11/04(金) 08:09:23 ID:M+br6o6y0
で、そのエゴを大きくする過程というのは
神父のいうように、矛盾ある物質世界でのさまざまな困難に
誠実にぶつかることでさ。
自分の感情やリアリティを大切にしながら
自分と異なる他者や世界とぶつかりそれを理解するなかで
自分の自己中心性が脱却されていく(自分が大きくなる)過程だと思う。
これはとても大切なことで、ここを外したら絶対ダメ。
これができてない人が多い以上、次を書かないほうがいいような気もするが、
神父には必要そうなので書いておこう。
エゴをさらにつきつめていくと
前に書いた狂人になる、とか、魔物になる、といった状態が起こる。
(さっきの「基本」ができてないで「次」をやると
確実に、狂人か魔物になるだろう。)
狂人に墜ちずに個の意識をつきつめようとしたのが禅で
魔物に墜ちずに煩悩をつきつめようとしたのが密教だろう。
両方とも、ブッダの意識から派生したものだと思う。
で、キリスト教は狂人化、魔物化につながる要素を抑圧している。
しかしそれはもともと無理なこと、というか、
性や本能を抑圧することから魔女狩りとかの集団ヒステリーが生まれ
個人性を抑圧することから、自分たちを正義の集団と考える妄想が生まれる。
(両者はからみあっている。)
自分のなかにある要素を「悪魔」として外に投影した結果だ。
837 :
658:2005/11/04(金) 08:10:27 ID:M+br6o6y0
で、おかげさまで「闇の主」の姿が見えてきた。
私の理解するところでは「完全さ」への信仰かと思う。
それに近いのは「正しさ」だな。
正しさというのは難しい。
でも、たぶん基本は、人間にとっては
人間の幸福のために正しさを求めていくことが大切で
人間の幸福を抜きに正しさそれ自体?というか完全さを追求していくと
「闇」に落ちる、ということではないかと思う。
つまり、
正しくない自分/他者は存在価値がないと言う感情。
正しくない他者は存在価値がない
という感情からは終わりのない戦争が生まれる。
正しくない自分は存在価値がない
という感情からは
自分の矛盾する感情は完全でないから捨てられるべき、とか
もっとつきつめると
自分や世界はそもそも正しくなく完全でないから存在すべきでない
といった傾向が生まれるのだろう。
完全さ、というのは、おそらく5次元のものであり
この世という3次元では成立しない。(数字はいい加減だよw)
それを3次元で無理に追求しようとする場合、
虚偽や架空を求めて、自分や世界を否定するものになる。
3次元の美しさは煩悩や個性といった生命だ。
838 :
658:2005/11/04(金) 08:32:26 ID:M+br6o6y0
839 :
514:2005/11/05(土) 00:56:46 ID:nZWN5kLk0
>>831 >こないだ見かけた時は凄いクマっぽかったですから。
気になるw
とか思ってたら兄弟がリラックマのストラップくれたw
三つのうち一つだけ白かったリラックマを貰ったよ。
このリラックマをルシちゃんって呼んでも良いかな?
>>834 >去年までは他に2人と一緒に住んでいました。
同居生活をしている、ある私の友人曰く、同居の極意は
「財布は体から離すな」でしたが
大司教の友達には、そういう心配が必要な人はいませんよね。
>徒競走の際に全員手を繋いでゴール
大体そんな感じですw
658さんの意見とカブりますが、これは「平等」などの超次元の理想を
この物質世界に持ち込んだ結果であり、それを支えるのは全一なる闇です。
しかしルシフェリアン的には
個人的救済=強欲、淫蕩
社会的救済=飽食、嫉妬
内面的救済=傲慢、怠惰
の3つを放棄した上でなら、更なる善を追求したほうが良いです。
>>836 私の見方では、人間は内面を調和させ100点を取っても全然ダメダメです。
人間は太古からそれに薄々気づいてきたからこそ、
超次元、闇の「完成」に誘惑され、破滅へ向かってきたのでしょう。
光の根源(仮にアカーシャ)の力は、闇=涅槃の完全性には結局かなわない。
光の主=神とは、アカーシャの光を虫眼鏡で集めて、さも強まったかのように
見せるための一時しのぎの救済方法でしょう。
しかし勇猛<>憤怒が加わると、勝負は分からなくなってきます。それは
敢えて我々の内面の均衡を崩し、我々の「間」に100点以上の領域を作るという
作業で、その着地点はリアリティを超えた所の、やはり「完成」ですが
それは終わりの無い「真円」の完成であり●●●●(次スレでw)の世界でしょう。
>>839 >このリラックマをルシちゃんって呼んでも良いかな?
良いんじゃないんですかw
そして、もう一匹白いのが来たらファーちゃん。
さらに、もう一匹来たら・・・どうしよう
842 :
658:2005/11/06(日) 07:10:41 ID:H1C1aS0t0
>>841 >人間は内面を調和させ100点を取っても全然ダメダメ
うん……私の理解では
ようするにこれは新しい文明原理を作り出せるかどうかという「戦い
」なんだね。
「内面の調和した文明」は今まで残酷に抹殺されてきた。
前に書いた、アメリカ原住民とかの文明ね。
彼らは自然と他者との結びつきを大事にして平和に生きてきたが
抹殺され、われわれの繁栄はその上にある。
現代でもその抹殺は続いていて
文明が繁栄すればするほど
「自然と他者との結びつき」の解体は進行し
良い人ほど疲れきって死を求めるような世界が成立している。
ここで、「自然と他者との結びつき」を解体させるような文明に対して、
力で対抗しようとする動きが生まれる。
現代でいう自爆テロもそうだが
第2次世界大戦の前のファシズムも実はそういう「衝動」から来るものだった。
ドイツや日本の大衆がなぜ熱狂したかといえば
自分たちを解体させている「敵」は
「ユダヤに操られた英米」だと見たからだ。
ユングは、ファシズムがハッキリと成立する前から
ドイツ人たちの夢を分析した結果として、
太古の神「ヴォータン 」が復活しようとしている
と認識したそうなんだが
自分たちの「良きもの」が解体され、抹殺されようとしている、
だからそれに対抗する強力な「神」の復活を願う
という集合無意識が生まれるのだ。
ヒトラーはその「よりまし」。現世で形をとるための核。
843 :
658:2005/11/06(日) 07:11:17 ID:H1C1aS0t0
自分たちの「良きもの」を悪から守りたいという人々の熱い思いが
さらなる悪を生み出し
(大衆の命を奪うテロやユダヤ人の強制収容所、などなど)
全体は闇にさらに近付く、という構造がたしかにある。
憤怒ではダメで、それを昇華させた勇猛でないとダメなんだ。
で、このとき、自分の外に敵を見る発想はダメ。
自分のなかにある「敵と同じ要素」を意識化し
それを変えるという方向でないと
果てしない闘争、闇、滅亡になるだけ。
敵でない者まで敵とみなして攻撃することが起こるだけ。
繁栄が「良きもの」を解体させるのであれば
良きものを復活させるためには
たとえば、繁栄から外れ、原住民のような生活をめざすとか(ヒッピーの流れね)
良い方向を自分で作り出してそれを生きるしかない。
「敵と戦う」方向は間違いなんだ。
神父はそういう方向ではないと思うが
日本でも原理主義が生まれつつある(太古の神が復活したがっている)から書いておきたい。
象徴的にいえば、勇猛には太古の神は必要なんだが
自分のエゴの制御がないまま太古の神のよりましになる
(「神」に乗っ取られる)
のは最悪なんだ。
844 :
658:2005/11/06(日) 07:57:37 ID:H1C1aS0t0
>>838 ええ、Markidesは凄い興味深いですよね。
実は私はキリスト教に縁は深いですが、それ以上に
オカルト、神智学などが好きで、そういった本ばっかり読んだりしてます。w
学校の勉強は一切しませんが。w
一神教は負の側面もあるにもかかわらず結局便利な宗教ですね。
権力者が祭祀の一端を握ればそれで人民の制圧は可能ですから。
>>840 そうですね、財布も何も私と私の同居人たちは
テーブルの上に置きっぱなしだったりしてましたが
お金が減ったことは無いですね。
増えた事は有りますが。
というのも、一人が私の財布から2千円借りたようですが、
(食堂のテーブルに置いておいたので気がつかなかった)
スーパーで買い物してる際にもう600円入っていて、
あれ?小銭無かったような・・・と思ったら「お金借りました」
という手紙が。
なんか600円も貰ったら悪いなと思いましたが、まぁどっちの同居人が使ったか
分からないので何も言いませんでしたが。w
どうでもいい話なんですが、
フランス料理というとこってり、クリーム、などを想像するのでしょうが、
私にとってフランス料理というとフレンチフライ(フライドポテト)
しか思いつかないんですが。
というのも、フランス人は何とでもフライドポテト食べますよね。
ステーキとフレンチフライ、これは私の大好物なのですが、
ムール貝とフライドポテト。
これはどうなんだろう・・・。と。
ルシ神父はフライドチキンとポテトは食べなれていると思うんですが。w
847 :
658:2005/11/06(日) 12:26:11 ID:H1C1aS0t0
>>845 つか、一神教は人民の制圧のために「作られた」もんだろうと思いますよ。
まあ、ふつうの人間が意識的に作った、という意味の「作った」じゃなくて
たぶん、高次元での矛盾の反映なんだろうけど。
>>842 太古の神も一神教の神も、自然と調和した暮らしも文明も、
全て光の主の業であり、同時に闇に侵食された打ち砕くべきものです。
勇猛を発揮するにしても、古い光の産物を破壊し終わらない限りは
まさに「神に乗っ取られる」ことになるでしょうね。
>>844 面白い人とは「しんじくん」ですか?
彼の場合は「レイプ犯に勝つ」という目的、古い光「正義」が成立すれば
満足してしまうので、勇猛、憤怒の世界に生きる人間ではありません。
我々に必要なのは一時的にせよ全ての「転覆」であり、古い光を留める為の
「慈愛」「正義」「賢明(不争の安定)」という陰の徳を否定、放棄し、
「希望」「建設」「信念」の光を進める陽の徳と、新しい光「勇猛<>憤怒」
の力で破壊と創造を同時進行で行わなければならないでしょう。
すると人間の存続に必要な然るべき安定●●●●がもたらされるでしょう。
もちろん失敗すれば「虚無」になりますが、上記の3つの陰徳に留まれば
確実に破滅→虚無ですので、大分マシな道です。
>>845 良い人達と一緒に住んでいましたね。
今後一人暮らしするにしても、良い同居者
例えば座敷童子とかが居つくと良いですね。
でも向こうで人家に居つくのはゴブリンとかしか無いかな?
>ルシ神父はフライドチキンとポテトは食べなれていると思うんですが
つい昨日もたらふく食べましたよ。
しかし太切りのアメリカ式「ケイジャンフライ」のほうが好きですけどね。
最近は「肉を食べたら思考が粗雑になる」の観念を忘れていたので、
ちっとも自分の思考が粗雑な気がしません。でも今、気づいたので
再び粗雑になっていくかもしれませんw
850 :
658:2005/11/08(火) 13:18:03 ID:BQXeZDtb0
>>848 いや、しんじくんは「正義」のために戦ってるんじゃないんだよな。
そこが面白いと思う。
と思ってたら実際、「レイプ魔」に謝ったんだな。
いよいよ面白いヤツだな(^^;)。
彼は「地球人初心者の宇宙人では」と書いたけど
実際のところは、彼の「前世」は熊だったと思う(爆)。
というか野生動物ってのは、
人間よりはるかに「宇宙」に近い存在なんだ。
しんじくんも、闇や魔に浸食された人間的エゴに汚染されず
自分の願いを実現していってほしいと思っている。
>我々に必要なのは一時的にせよ全ての「転覆」であり……
原理主義テロリストの思想に聞こえるんだよなー。
>古い光を留める為の 「慈愛」「正義」「賢明(不争の安定)」という陰の徳を否定、放棄し
ここも、今までの社会革命の間違いを踏襲するものに聞こえる。
「目的のためには手段を選ばない」という革命論は
共産主義革命、内ゲバ、等等、大量の死者と弾圧を生み出してきた。
目標に行くまでのプロセス自体が良いものでない「革命」というのは、
そもそも「命をあらためる」ものではない、と思うのだ。
おそらく、陰と陽を合体させたものでないと
生命は生み出せないんだろう。
陽を欠いた陰が破滅→虚無、
というのは神父の言うとおりなのかもしれない(私には今いち理解しがたいことなんだが)
しかし、陰を欠いた陽は、生命のない構造しか生み出せず
自壊→虚無する。ということも事実だと思う。
851 :
658:2005/11/08(火) 22:02:10 ID:BQXeZDtb0
>>850に自己レス。
陰陽と「破滅→虚無」について考えていたんですが。
とりあえず今の段階でのメモ。
陽を男性原理、陰を女性原理と考えた場合、
陽とはおそらく「意志や知による自己超越への志向」のようなもので、
文明の核みたいなもの。
陰とはおそらく「自己の感情/存在を肯定する志向」のようなもので
生命の核みたいなもの。
動物は陰だけで成立できるのもかもしれないが
人間は、陰に陽が無理に入ったようなところがあり
バランスが悪い。
で、「陰を欠いた陽」「陽を欠いた陰」という、
「破滅→虚無」につながる2つの傾向が生まれる。
「陽を欠いた陰」は、世界とのバランスが失われるまでの自己肯定(ワガママ)や自己へのとらわれ、のようなもので
仏教でいう「執着」。
イメージ的にいうと「魔」かな。
感情がもつれる、熱い方向での破滅。
「陰を欠いた陽」は、自己を否定するまでになった完全さの追求のようなもので
イメージ的にいうと「闇」かな。
感情がなくなる、冷たい方向での破滅。
かつては魔のほうがリアルだったが
文明の進んだ今は、闇のほうがリアルなんだろうな。
闇にどっぷりと浸かってしまい、今や涅槃を求めるようになってしまった者はいったいどうすればルシファー様の光に戻れるのでしょうか?
853 :
658:2005/11/09(水) 22:15:25 ID:PP59/eyX0
>>852 私の考えを書きます。偉そうに聞こえたらメンゴね。
まず、「ルシファー様」にすがる?のはやめたほうがいいと思う。
このスレでのルシファーとは、神父自身が言っていたように
神父の個人的な概念であり
さらに神父は、自分の光と闇率は5:5から4:6、というようなことを言っていた。
ルシファーとは、神父にとっての現時点での「良きもの」の象徴ではあるのだろうが
闇によって浸食されている可能性もある、と考えたほうがよさそうだ。
あなたの「良きもの」としないほうがいいと思う。
同じ言葉でくくるのは危険であり
それぞれが、それぞれの「良きもの」を追求していくほうが良いと思う。
(自分の力ではもうこれ以上どうしようもない、と思うときは
私も祈ることがある。
そのときは、私のイメージする「良きもの」に向けて祈る。
それは、私の中にも、誰のなかにもある、世界の中に遍在する良きものの源という感じで、
とくに名前を付けてはいない。)
854 :
658:2005/11/09(水) 22:16:48 ID:PP59/eyX0
続き。
闇から脱出するには
光というよりは、自然を求めたほうがいいと思う。
動物を飼ったり、美しい自然環境のなかに行ったり住んだり。
動物や自然は自分を決して否定しない。
自分は悪い鳥だ、とか、悪いみみずだ、とか考えない。
人間のなかにもそういう命の部分はあって、
自然の中に居るとその部分が共鳴し、そのうち再生されてくると思う。
都会の人工環境は闇を育てる。
それと、自分が何を求めて居るかということを明確にしたほうがいいと思う。
苦しいから逃げたい、という否定の方向ではなくて
自分はこう生きたい、こういう世界に生きたい、という肯定の方向で。
現実に可能だとは信じられなくても、空想でもいいから
自分は本当はこう生きたいのだ、というところの願いをはっきりさせたらいいと思う。
そこが明確にならないと、現実がそう動いていかないので。
855 :
本当にあった怖い名無し:2005/11/09(水) 22:35:28 ID:M8zzKy6zO
しんじって武板のフカシ野郎?
>>850 犬猫の縄張り意識や、鹿の角突きなんかも広義の「正義」であり
しんじくんの対抗意識も、やはりそれなりの法則、義があると思います。
野生動物は、人間より光=存在に忠実な存在ですが、
私の主張では神(光の主)の業そのものが、闇、涅槃に勝ることは無いので
動物も然るべくして滅びます。闇は心の問題だけでなく
宇宙的、物理的問題でもあるので、人間のような力ある者の意思以外には
虚無への流れに対抗できないでしょう。
あと私は原理主義テロリストに対して非難、反対の意思はありません。
彼らが悪しき者なら我々も悪しき者です。両者打ち砕かれるべきでしょう。
しかし懸念すべき事もあり、イスラム系テロリストは人間(666)の法に対抗する
勢力であると同時に、人間以内の存在で、必然的に敗れ去る「不正解」の組織ですが
オウムなどの仏教(?)系テロリストは人間の救済(闇の)である涅槃を見据えた
ある意味「正解」の組織ですので、それに誘惑され選択しないよう気をつける必要があります。