939 :
本当にあった怖い名無し:2005/07/13(水) 02:41:00 ID:XlfNgr7I0
940 :
本当にあった怖い名無し:2005/07/13(水) 02:46:54 ID:mB5qGufz0
>>939 あ〜、そういわれると目立ちますね。
……。もしかして、イエス様とかが現れたのを見てショックでっ?!
なんちゃって。でも、それくらい怖い。
会ったらあの怖さがわかるよ〜。ホントに。
恐れ多いとはこのこと。
941 :
本当にあった怖い名無し:2005/07/13(水) 03:49:37 ID:dDigj0BkO
Ver3、大分変わりましたね
942 :
792:2005/07/13(水) 07:36:48 ID:eISduDdU0
いぶりーさん、スレの運営いつもありがとうございます(^^;)。
あなたの存在でここは上手に保たれているように感じます。
まずは、民主主義について考えてみたい。
社会のバランスを考えたときに、たぶん一番良さそうなのは、
シュタイナーのいう、
「精神における自由」「政治における平等」「経済における友愛」
という目標ではないかと思う。
「自由、平等、博愛」という民主主義の理想について、
それぞれの理想には対応する領域があって、
それが混同されると問題を起こすとする発想だ。
で、今の「アメリカ」が問題なのは、
民主主義は要するに「自由」だと解釈して、
「自由」を、経済・政治領域で発揮していることだと思う。
経済領域で自由が発揮されると友愛が崩壊する。
政治領域で自由が発揮されると弱肉強食状態になる。
現在のいわゆる民主主義体制では、
「自由と平等」についてはそれなりの制度が作られているが、
友愛については対応する制度がない。
社会として、友愛を支える仕組みがないのだ。
地域通貨など「友愛経済」の試みはいくつかあるが
社会の主流には届いていない。
(聞くところによるとイスラムでは
金を貸すときの利子が禁止されているなどの制度があり、
個人が過剰な富を蓄えられないようにする仕組みがあるようだ。)
たぶん、社会的に、「経済における友愛」を支える仕組みを作り出せるかどうかがカギなんだと思うが、
友愛が崩壊してしまった社会では、友愛とは何かを思い出すだけで大変だという事態はある。
943 :
792:2005/07/13(水) 07:37:27 ID:eISduDdU0
引き続き、「悪」について考えてみたい。
悪というのはおそらく、
「対立しあう2つの極」がバランスをとれていない状態
というものなのではないかと思う。
「対立しあう2つの極」というのは、たとえば「陰陽」や「プレアデスとシリウス」などいろいろあると思うのだが、
シュタイナーは「精神と物質」という2極について
精神に偏り過ぎる状態をルシファー
物質に偏り過ぎる状態をアーリマンと呼んだわけですよね。
(3次元の人はどうしても、ルシファーとかアーリマンとかといった言葉を「人間」としてイメージしやすいわけなんだが、これは「状態」「原理」「衝動」といった形でとらえたほうが良い。)
で、今の日本社会は、まあ基本的には「カネ」が全てというアーリマン状態であり、
友愛が崩壊し弱肉強食状態が貫徹しようとしている。
で、このとき、反発としてルシファー的な衝動が生まれる。
歴史的にみれば、ヒトラーや戦前の日本をまきこんだ衝動。今でいえばイスラム原理主義。
問題の多い「現世」を崩壊させたい、という衝動であり、それを支えるのは「神への信仰」。
崩壊しつつある友愛、崩壊しつつある良きもの、を守るために戦いたくなるわけですね。
まあ、それは一番程度の高いルシファー衝動で、
問題の多い「現世」を崩壊させたい、という衝動が、
私は偉いと思いたい、という衝動と結びつく例もたくさんあって
たとえばオウム真理教はそういうものだったと思う。
(つまり、現世では虐げられている私。しかし「精神世界」では
私は偉いと思える、ゆえに精神世界に逃避。集団で現世への敵意を醸成していき、最後は現世に「ポア」で復讐。)
「ルシファー」は現世から見て「わかりやすい悪」の形をとる(テロなど)が、
実は現世に「アーリマン」という悪が貫徹しているからルシファーが生まれるわけなのだ。
歴史からは学ばないと意味がない。
みんな、そのために悲惨な思いをしてくれたのだから。
学ぶというのは、ルシファー衝動もアーリマン衝動も自分のなかにあるということを認識し、それを調整しつつ
現実社会のなかでバランスのとれた道を探るということだと思う。
「こわい夢」「こわい神様」についても書きたいとは思うがそれは次回で(^^;)。
>936
空気よもうとしたら。。。窒息死しそうになったYO!
やっぱ空気は吸うもので読むものじゃないや。
そうか、これがアセンションかw
>>792さん
あなたはキリスト教信者でシュタイナーを信じているのでしょうね。
少なくとも「価値を認めている」のでしょう。
また他にも色々と信じているのかもしれません。
俺は常に疑いと共に生きるようになってしまいました。
少なくとも「何か書いてある事」や「誰かが言っている事」はかなりどうでもよくなってきた。
さて、書いている人もいますが、俺は確かに変わりました。
説得したり、論争したり、そういう事に価値を認めなくなりました。
とりあえず思っている事をコメントしたりはします。
しかし、それは(見てしまったから、一言意見を)でしかありません。
人はそれぞれ選ぶものです。人は皆気に入るものを選ぶ。多くの場合はね。
好んでいるものを、「違いますよ」と言われたら、多くの人はただ感情的に反発します。
様々な理屈を色んな所から集めて反論したりもする。
「でも、違いますよ」と重ねて言っても、ますます感情的になるばかりです。
説明すれば説明するほど、事が核心に近付くほど大暴れする。
逆に肯定したら、ますますその意を強めます。これは当然でしょうけどw
放置した場合も、仲間が多かったり、(一応は)世間で認められている場合は、
やはりそちらの方を歩んでおく。
嫌いなものでは大体この反対の反応になる。おかしいとか正しいとかは実は二の次です。
これをなんとかする術は俺にはよくわかりません。多分、こういうものなのでしょう。
俺に元気があれば、それでもなんとかしようとかして言葉を重ねたりするのかもしれませんが、
そういう元気の方は既に消えてしまいました。
ある意味で関心が別に移ったという事なのですが。
とりあえずここでの書きこみはこれを最後にします。
「なんとかしよう」という表現が出る時点で、「なんとかしなきゃいけない」人間と同じ存在だと思うがね。
善と悪が裏返ってるだけじゃないか?
俺は人間ですよ。
それ以外の部分があっても、こうして書き込んだりもしている。
これはどう見ても人間でしょう?
そういう風に考えてしまう事自体、あなたは何か勘違いしている。
それにそもそも進歩しなくて良い存在が一体どれだけいると思ってるのでしょうか?
例えば、聖書の神はどれだけ失敗を繰り返していたと聖書にも書いてありましたか?
また、善と悪が裏返るも何もありません。
キリスト教が伝播するに従い、世界からは安定が損なわれ、
そこら中で悲惨な紛争が増した。
俺が重視するのはこのような事です。実際どうであったか。それが全て。
「過程」という「結果」であり、「帰結」という「結果」です。
以下に立派なお題目であっても、「結果」が伴わない以上は無益。
批判を封じる為にお題目が使われるようならば、それはそもそも有害です。
「立派な理念」などは「文字通り」で無い限り、まるで興味は無いのです。
俺は思想という名の妄想には興味がありません。
一応、捕捉しておきます。
とはいえ、論争するつもりはありません。
948 :
本当にあった怖い名無し:2005/07/13(水) 17:03:45 ID:HlZYOmPU0
で、なんのゲームの話してんだ?
それなんてエロゲ?
950 :
梅雨:2005/07/13(水) 19:05:14 ID:+W7fpKUS0
>>936 スレ主さん、こんにちわ。お邪魔しています。
「世界の実相」良いスレタイですね。
実相がどうなのか、とても興味があるので時々参加
させてもらってます。よろしく。
951 :
946:2005/07/13(水) 19:33:20 ID:lMZfdhCK0
>>947 短い言葉は誤解されやすいのは確かなんだが、ここまで曲解されると逆に笑えてくるな…
例えばアンタが何かの集団が言っていることを「これは間違っている」と思う。
そしてアンタはそれを「なんとかしよう」とその集団に働きかけるわけだ。
ところがその集団からしてみれば働きかけてきたアンタの方が「間違っている」と考えるだろう。
アンタがいくら自分が「正しい」と思っていることを言ってみても
相手からすれば「間違っている」んだから届くわけは無いってことだ。
そして第三者からみればどっちもどっち、ってことさ。
アンタが人間だろうが天使だろうが悪魔だろうが猿だろうがミジンコだろうがどうでもいい。
進歩なんてものもまあどうでもいいが、必要だとしても一人一人がすればいいことだろう。
アンタに「なんとかされたい」って望んでる人間が世界にどれだけ居るか、まあ考えてみるんだな。
ver.さんは、キリスト教を批判しているようだけど、
キリスト教から見たらver.さんの発言みたいなものこそ悪魔と思われちゃうって事でしょ?
3行にまとめると。
そしてここしばらくver氏に粘着してる人は、キリスト教的思想の持ち主だということだな。
955 :
792:2005/07/13(水) 22:42:09 ID:eISduDdU0
>945および954
私はキリスト教信者ではないしシュタイナーを信じているわけでもないんですよ。
どっちかというと、自分の「出身」は仏教的な傾向だと思いますが、
そもそも、どの「陣営」に属しているか、ということでその人を判断する、という態度は取りたくないのです。それは対立につながる方向なので。
シュタイナーの悪に関する考え方などの「価値は認めて」います。
しかしそれは、あくまで「私にとって」であり、「誰にとっても普遍的に正しい」と思っているわけではないです。
また、イエスであれ、シュタイナーであれ、ブッダであれ、言っていることが 「全て正しい」とは思っていません。
私にとって納得できる部分を受け入れているだけです。
つまり私は、私が幸福に生きられるためのなんらかの価値観(生きて行く上での指針)が必要であり、
その価値観はできるだけ世界とのバランスがとれたものであってほしいと思っています。
だから、道教もシャーマニズムもヒンズー教も日本神道もトンデモオカルト本も
学べるところは学びたいし、その中から「自分にとって」価値のあるものをまとめていきたいわけなのです。
そして、自分が持つ世界観は常に暫定的なものであり
できるだけ自分と違った意見に触れたい(自分の限界を知ることができるから)と思うのです。
で、私としては、「わかりやすい敵」を設定したくない。
世界が悲惨になっているその根源をたとえば「キリスト教」のせいにしたくない。
それは、その方向が世界に混乱を招き、悲惨な紛争につながるからです。
世界が悲惨になっているその根源は自分のなかにある、だから自分のバランスをとろう、という姿勢でいたいのです。
956 :
792:2005/07/13(水) 22:48:28 ID:eISduDdU0
誰かが気にいらない、というときはたいがい
自分の中にあるが自分には認めたくない要素を
その人のなかに見ているという構造がある。
それをユングは「影の投影」と呼んだ。
たとえばキリスト教が世界を崩壊させていると見えるとき
その同じ要素が自分のなかにあるという構造が
やはりあると思うのだ。
私から見るとその共通性とは
世界には「普遍的な正義」があるのであり、それを世界に普及させていかなければならない、というあり方だと思う。
さまざまな文化のさまざまな宗教を認めず
自分の「神」が正しいとだけ考え、普及させようとする。
で、それは、これが世界を良くする道のはず、という「善意」で行なわれているのだ。
(私としては、現在のキリスト教がこういう存在だと思っているわけではない。「キリスト教が世界を崩壊させている」と考える人にとってはそういう存在として見えるということを言っている。)
今はキリスト教を例にあげたが他にも○○国の人、とか、いろいろなものが「影を投影する相手」になりうる。
そして集団で「影」を投影しあうと、対立が激化していく。
ユングは、個々の人が「自分のもつ影」を意識化するだけで世界はだいぶ平和なものになる、ということを言っていた。
「自分のもつ影」の意識化は難しいことだが、
注意深くあると、日常生活で何度もいろいろなところで影を投影していることがわかるはずだ。
酋長!
verの言う「違いますよ」は
あくまで、verにとって、だろ?
verがすべての真相を知っているのかどうかは疑問だね。
真相の一側面を知っているのは確かだろうが。
あくまで一側面な。
>>792 早くこわい夢、こわい神様の話しをして下さい。楽しみにしてます。
960 :
本当にあった怖い名無し:2005/07/14(木) 16:19:01 ID:JS9n/uXB0
verはその昔隔離スレ以外のとこで暴れ回って、色んなスレで敵を作った。
verの理屈に反発する者よりも、スレッドを潰された恨みで粘着してる者の方が多い。
ホント、自らの傲慢によって敵を作るって恐ろしいことだよね。
自分は忘れても、傷つけられた側は絶対に忘れないからね・・・
>>961 それスゲーよく分かるよwwwwwwwwwwwwwwwww
そうだよ。酋長に傷つけられた人の怨みは永遠に消えない・・・
永遠にうらまれ続けるのだよ・・・フフフ・・・
>>963 永遠に恨むなんてすげぇエネルギーだよな。発電に使って欲しい。いやマジで。
うん、たぶんもう開発中。怨み生む(ウラミウム)っていうんだ。
お隣の国とか半万年恨むとか言ってるしなー。スゴス
日本への怨みで成り立ってる国だね。
もはや怨み自体が生きる証でありアイデンティティーw
969 :
792:2005/07/15(金) 07:54:54 ID:xdkRKkXx0
>959
ごめん。書き始めてはいるんだけど、問題が複雑で。もうちょっとかかりますm(__)m
970 :
本当にあった怖い名無し:2005/07/15(金) 12:55:19 ID:sQiVTgJj0
おっさん信者はワンランクアップでザインに逝け。
同じ偽クニトコタチで霊剣もでてくるし反ユダヤ反メーソン。
闇と光も両方でてくるしw
ハゲのほうがおっさんより数十倍つおいぞ。
おっさんもハゲかもしれないがw
マジで共通点多いのでよりしぶとく実践的なザインをお勧めします。
背後が同じヤツかもw
わろす。
なりきりちゃんのコスプレ集団、
なんだ、そのまんまやん。w
酋長が蔓延る様だとココもそろそろ潮時か?
973 :
792:2005/07/17(日) 05:46:14 ID:T7mY3Lkr0
「怖い神」について書き始めたところ大変長くなってしまったので
箇条書き的にメモという形にさせてください。
・人はふつう、集団的な信念体系のなかに属していて、
「世界がどう見えるか」という枠自体が
どの集団に属しているかで決まってくる。
臨死体験でも、仏教徒は三途の川などが現れ、キリスト教徒は天使やキリストが現れる。
つまり、「その人が信じている世界」が現れる構造があるわけだ。
・非常にたくさんの集団/世界観がある。
それぞれの集団/世界観の核となっているのは、おそらく、その集団の考える「最高の善」なのだろう。
その善が「幼い」集団もあるが、否定されるべきものではない。
その人たちに必要なものであり、それでいい。
・ただし、集団が閉鎖性を強め、「敵」を持つようになってくると危険。
たとえば戦前の日本がそうだ。
天皇は神聖にして侵すべからず(明治憲法3条)。
戦前の日本の中心にあったのは天皇で、人々は天皇をおそれ多くて怖いものとイメージしていた。
それは、天皇本人というよりは
日本という集団が作り上げたイメージだったことは今になってみればわかるが、
その当時の国民にはリアルに「怖い」ものであり、その怖さによって国家という集団が保たれていた。
学校では「御真影」(天皇の写真)に全員でおじぎをする儀式が定期的に行なわれ、御真影を火事で焼いてしまった校長は自殺するほどだった。
こうした「おそれおおさ」とは、ただ「怖い」だけでなく、人々の考える「良きもの」「正しさ」といった道徳観念が集合した「怖さ」だったのだろう。
つまり、そこから外れることは人として許されない、という怖さだ。
真剣で真面目であればあるほどそれから外れることができなくなる。
このような怖さが集団を縛るとき、その集団自体の方向性をチェックする動きがなくなり、まずい方向に向かって行く。……つづく
974 :
792:2005/07/17(日) 05:46:50 ID:T7mY3Lkr0
・現在「右傾化」が進んでいるが、それは、このような集団構造を復活させる方向に行く動きといえる。
ただしそれは、「価値観の崩壊」を憂える人々が「良きもの」を復活させたくて起こしている動きだ。
・「価値観の崩壊」が問題であるのは確かなのだが、それを引きおこしているのは本当は、「金が全て主義」が社会の共同性を崩壊させている事態。
・一方、現在、今までのような集団/世界観から外れる個人というのが出始めているようだ。
たとえば、ロバート・A・モンローの『究極の旅』。(前作の「魂の体外旅行」も読まないとわかりにくいかも)
「意識の旅」に出かけたモンローを「偉そうな神」が「襲う」が、モンローには通用しない。
モンロー研究所でヘミシングを経験した森田健さんの『不思議の科学3』にも、人間のエネルギーを欲しがる「冷たい光の存在」や、
自分を愛してほしい「指導者症候群マスター(とらわれた存在)たち」が出てくるが、森田さんはこれらを「通過」していく。
975 :
792:2005/07/17(日) 05:47:52 ID:T7mY3Lkr0
長くなってスミマセンでした。
私が「スレをつぶした」んじゃないかと心配しております。
みなさんが楽しく集っていた場を潰すのは本意ではありません。
私が言いたいことは、私も含めて人間みんなオサルかトホホ、失敗も間違いも悲しいこともいろいろあるだろうが
支え合ってなんとかみんなで幸せになっていけたらなということです。
今回のコテ?では「偉そうな」態度を取ってしまいましたが
本当はもっと気楽なほうが好きなんです。
とりあえずこのコテは今回でおしまいにしようかと思います。
「来世」では前のようにromしつつ、
何かあったら名無しでカキコしようかな。
2ちゃんでは、いろいろキャラを試せるのが面白いですね。
人生も、そういうものなのかもしれませんね。(いろいろなキャラを試しつつ転生しながら経験を積んで行く)
やっぱり、ひろゆきは神!かもな。
……あ、でも、何か今までのカキコに質問があれば、責任上?お答えしますので。
976 :
ひも:2005/07/17(日) 09:48:26 ID:J2sRUpH30
>>792氏
いや、期待してる人もいたようだし、水差すのもなんだから話が一段落する
までROMってただけ。
とりあえず、はじめまして。ここの常連の「ひも」だ。
色々あって来れない時に登場したあんたは、こちらにとってはいい起爆剤だ
ったよ。このスレもオーラス近いし、やっぱどうせなら健全な論議で終わら
せてえからな。
タイムカウントはあと少し。少しばかり、こっちもレスしてえことがるから
ちょい付き合ってもらえんかね?
977 :
792:2005/07/17(日) 10:44:23 ID:T7mY3Lkr0
どうもありがとう。それではしばらくこのコテでおります。
ただ、レスはそうすばやくできないのでよろしく。
978 :
ひも:2005/07/17(日) 13:02:15 ID:J2sRUpH30
>>977 了解。んでは、「いつものごとく」私見をば。
ああ、なんか久しぶりだ。この流れ(笑)
さて、792さん。あんたは942-943では、「民主主義」及び「悪」を通して、
人のあり方に触れてきたわけだが、あんた自身は「人」という存在をどう定
義しているんだ?
ちなみに俺の主観では、「ものを作れる器用な手と知性を持った、現時点で
最高の汎用型生命体」という認識でいる。劣悪な環境に適応するのではなく、
その環境を改善することで対応し、より広範で継続的な活動を行えるように
進化した一種族、という視点だな。まあ、多分に進化論に傾倒したものの見
方だとは思うがね。
さて、その辺を踏まえて、あんたの意見を聞いてみたい。何しろこういうの
は久しぶりだから、ちょっとワクテカしてんだ(笑
>>955 792さん
ぼくもまったく貴方と同じ考えです
真実は自分が必要とするものをいろいろな価値観を学びながら
自分で構築していくものだと思います。
僕が以前どこかでみたレスのなかに
真実は自分ででっちあげるものって言うものがありました
ぼくはそれはある意味正解だとおもいます。
だから792さんの考えには賛同できる部分がたくさんあります
980 :
792:2005/07/18(月) 11:12:28 ID:7ODrt7u+0
ひもさん、こんにちは。
(……ワクテカとはなんだろう?まあ、それはともかく。)
「人」という言葉は、私としてはここでは、
天使とか悪魔とか神とかがテーマになっているので、
それと対比した言葉として使いました。
つまり、
天使とか悪魔とか神とかいった4次元(あるいは高次元)存在ではなく
「私たちの知っている普通の次元」に住む普通の人たち
というくらいの意味で使いました。
(次元という言葉は、だいたいのイメージ(^^;)。
まあ、グルジェフの水素密度/霊魂体の三つ組み理論とか
面白い説はいろいろあるようですが、とりあえず今のところ、イメージでによるなんとなくの理解で)。
んで、人は高次元存在によって動かされている
というイメージが、オカ板的にはしばしばありますが
私としては、人が高次元存在と呼ぶものは
「人の集合無意識にある元型」とユングが言ったものと同じ
としてとらえることができるのではないかと思うのですね。
で、人はさまざまな元型/思想に動かされるが
それを自我でバランスをとろうとすることはできる。
もしかすると3次元はそのための環境なのかもしれない。
そんな感じのことを書きたかったわけです。
ひもさんのいう
「劣悪な環境に適応するのではなく、
その環境を改善することで対応し、より広範で継続的な活動を行えるように進化した一種族 」というのは基本的には賛成です。
「現時点で最高の 」というところは、何を基準にして「最高の」と言っているのかなという疑問があります?
981 :
792:2005/07/18(月) 11:15:19 ID:7ODrt7u+0
979さん。
真実、真理、現実、事実、いろいろな言葉がありますよね。
これらを整理したほうがいいんだろうと思いますが難しい。
今のところの私の姿勢は
自分にとって「でっちあげられない」領域、自分にとっての真実、は存在するというものです。
(これを、誰にでも共通する真理だ、としてしまうと問題が起こる、ということは今までずっと書いてきたのでここでは書きません。)
たぶん人は、現世で生きることでつきあたった現実から
自分にとっての原則、ここは疑えないというベース、を
理解していくんではないかと思います。
さまざまな場で失敗することや
自分が辛いときに支えてくれた人たちが居たこととか
仕事の場でたとえば名人級の職人から徒弟が学ぶこととか
そういったさまざまな経験を通して
自分の希望や意見に関わらず厳然として存在する事柄。
自分という存在そのものが支えられている世界。
そういったものを理解していくのではないかと思います。
それを人はたとえば「自然」とか「魂」とか「神」とか「法則」とか
さまざまな言葉で表現しようとするのでしょうが
他者の理解したものは、とりあえず、自分にとって、参考になるものではあっても自分自身の理解ではない。
自分は自分で、自分の「核」になるものをつかまないといけない。
そのためには
バーチャルでない本物の体験を積むことじゃないかなと思います。
現代社会は「他者や自然との関わり」を切る傾向があります。
人と関わらなくても、自然と関わらなくても、とりあえずコンビニとカネがあれば生きて行ける環境。
そこでは「生の実質」とでもよべるものが見えなくなっていく。
そのような、繭のように閉じた環境から出て
本物の他者、本物の自然と出合うこと。
その中から、借り物ではない自分自身の真実をみつけること。
そういったあり方をしたいと思っています。
982 :
ひも:2005/07/18(月) 17:45:51 ID:8lqnzIOO0
>>980 792氏
「現時点で最高の」は「未来の可能性も含む、生存環境に対する汎用性」と
いう意味だ。
何しろ人間が狙ってる場所は、地上だけじゃねえ。本来なら生存可能領域を
逸脱した海底や、他の生命体が(ほぼ)生存不可能な宇宙にまで巣を作ろう
としてるわけだから。
ま、そういう意味。
で、ワクテカだが……。
+ +
∧_∧ +
(0゜・∀・) ワクワクテカテカ
(0゜∪ ∪ +
と__)__) +
こういう待ち状態のこと(笑)
983 :
ひも:2005/07/18(月) 18:24:18 ID:8lqnzIOO0
さてと。ほんじゃま続いて逝ってみようかね。
942-943で登場したシュタイナーの理論だが、それとは別の向きから「人間」
という生物を外からの視点で、「一個の生物種」として見てみようか。
ホモ=サピエンス
・高い知性と直立歩行、器用な「手」という他の生物種と一線を画した特長
を持ち、また火と道具を用いる事で多彩な行動を行う。
・基本的に社会性を持ち、集団生活を営む。
・生存地域によって個体差、集団としての行動に若干の差異は生じるが、基
本的に臆病で攻撃的、個体よりも自らの属するコミュニティ全体を重視する
傾向がある。
・縄張り意識が強く、「仲間」として認識していない同類も「敵」と同様に
排除する。その逆に「仲間」として認識すれば、他種族でもコミュニティの
中に組み入れ、共同生活を営む。これは、片利共生、共利共生を問わない。
・個体によって様々な価値観や生活パターンがあるが、基本的に好奇心旺盛
で、コミュニティの内外を問わず様々な場所で「興味」の対象を追求する特
性を持つ。その知的欲求は多岐に渡り、個体差も大きい。
……ま、こんな所かな。さて、ちょい長くなったし、メシだから一旦落ちる。
次は「個体」としての人間を追いかけながら、「世界の実相」について語っ
て見ようかと思う。んでは。
984 :
979:2005/07/18(月) 20:04:01 ID:JVNk9dkd0
>>981 792さん
792さんレスありがとうございます。
ぼくは792さんの考えがとても好きです
>これを、誰にでも共通する真理だ、としてしまうと問題が起こる、
>ということは今までずっと書いてきたのでここでは書きません
ぼくもその通りだと思います。
価値観っていうのは決して人に押し付けてはいけない物だと思います。
いろいろな価値観を認めるということは非常に大事なことだと思うんです
ぼくはそういう柔軟な価値観が好きなんですけど
そこに囚われてしまって逆にぼくのそういう価値観を他人に押し付けているんじゃないかと
思う時があるんです。うまく説明できなくてすいません。
伝われば嬉しいです。ぼくが言いたいことは例え柔軟な価値観を持っていて
もそれさえも他人に強要してはいけないんだということです。
ぼくはそこにいつまでも捕らえられていて抜け出すことが出来ませんでしたが
いろいろと囚われることからは抜け出したいと思っています。
>ひもちん
途中ではさんじゃってすまそ。
いつも楽しく読んでます、ありがとう。
では続けてください。
985 :
ひも:2005/07/18(月) 20:23:06 ID:8lqnzIOO0
さてと。
「我思う故に我あり」という言葉がある。人はいつから人たりえるのか、と
いう質問に対し、俺はこう答える。
「『知る』ということを知った時から」と。それまでは、動物的な学習と、
他者の模倣による行動の範疇で、正しく人の魂が人の魂として動き始めるの
はそれから後のことだと俺は解釈している。
さて、ここで前述のシュタイナーの理論に出た「ルシファー」「アーリマン」
を出してみよう。人が知る事を知り、自分として自分を動かした時、何らか
の形で外界、特に他者との軋轢や衝突、そして利害関係が発生するわけだが、
この二つの衝動(あるいはその原型となる感情)は、実の所個人の人格形成
に大きく貢献しているものだ。
「○○という困難があり、××がなければ解決できない」だから人は解決の
ために様々な手段を講じ、その欲求を満たしていく。腹が減ったら食べ物を
探し、寒いから服を着、寂しいから人に甘え、退屈だから刺激を求め、時に
はそれが叶わない。
この繰り返しにより、人は様々な経験を経て自分の得意、不得意を見つけ出
し、成長していく。大本の資質はあっても、この流れそのものに大差はない。
そして、人格形成の最後の決め手となるのが「満足と不満」。何に満ち足り、
何に飢えているか、またその度合いの大小によって大きく個体差が開く。
……が、これまた逆に言えば、同じような環境にあり、条件を整えれば人に
はある種の「傾向」が出る。これが「地域差」の正体であり、様々な風習や
宗教、哲学などの価値観にも影響を及ぼすというわけだ。
さて、続き。
986 :
ひも:2005/07/18(月) 21:11:52 ID:8lqnzIOO0
では、連レス前に一言。
>>984 979さん
ういっす、毎度!(笑)このスレもいよいよフィナーレだ。どうせなら美し
くゴールといこう。これから先は競争だ。1000は譲らんぜw
では続き。
さて、人の生育過程において、大きなウェイトを占めるのは環境と書いたが、
中でも大きいのは他者とのコミュニケーション。そして、恐ろしい事に人は、
他者の意識領域にある秘められた感情なども受信するアンテナがあるらしい。
「親に似る」という言葉があるが、これは親から受け継いだ資質の問題だけ
ではなく、子供の頃から日常的にコミュニケーションを取るのが親だから、
という側面もあるという。
さて、人が個人で別の所に移住した際、たいていは「慣れる/なじむ」とい
う形でその場所にあるコミュニティに同化していくが、これが集団となると
話はまるで違う。その場合、人はコミュニティを重視するがゆえに、自分の
価値観と迎合しないものを受け入れなくなる。ある面ではその地域の物を取
り込みながら、ある面が反発し、対立する。つまりはこれが異文化の交流と
対立。そこに利害が絡んでくるともうダメだ。たちまち異文化は異分子に、
異分子は敵にと化ける。これが、闘争の第一歩。
そして闘争の歴史は、それすらも「文化」としてコミュニティに吸収され、
対立は加速する。こうして歴史は重なってゆくわけだ。それを解消するため
には、コミュニティレベルでの意識改革が必要なのだが……ここで登場する
のが「神」という例外。
というわけで、続きはまた次にw
987 :
792:2005/07/19(火) 00:23:59 ID:v6cRKzcd0
ひもさんの思いがけない長大な論説(^^;)の途中ですが、
979-984さん。ども。
私は、人間は、自分のベースを探したり影を意識化したりなんだかかんだかやっていくうちに
価値観というのはだんだん至極単純なものになっていってしまって
最後は、たとえば、世界は美しい
みたいなことだけになってしまうのかもしれないと思うんです。
そうなったら、「価値観を人に強要してはいけない」なんてことは思い付くことすらなく
ただ絵を描くとか詩を書くとか
何もせずに夕日を見るとか
にっこり笑うとか
そんな感じで、ただ生きることができるような気がするな。
でもそれまでは、悲しいこととか楽しいこととか腹立つこととか
お互いにお前はオサルだと言い合うこととか
思いっきり人に価値観を押しつけるとか逆に押しつけられるとか
そういったことを充分やりきることが必要なんだと思います。
今体験していることはみな無駄にはならない。いつかその意味がわかるときが来る。
そんなふうに思います。
988 :
ひも:
さて、お次は「人が作り出す神」のメカニズムについて。
これまでは、あえてオカルト方面の線を外した視点から「人」のメカニズム
について吹いてきたわけだが、さて、ではオカルトな話を除いたら、「神」
とは一体なんだろう?
俺はこれを、一つは「概念」、一つは「現象」、一つは「自分が世界に向か
って投射する理想像」という定義の元に話していこうと思う。
概念としての神は、言わずと知れた一神教のそれ。真実に信仰を持ち、神の
存在を信じている人には悪いが、ぶっちゃけ人には解けない神秘を非常にわ
かりやすく納得するための材料という言い方もできる。
現象としての神は、多神教のそれ。解明されざる現象を擬人化したもの=天
使や悪魔、精霊や妖怪、近代の宇宙人やUFO、さらに話を進めていくと、
現存する人間のコミュニティ、思想や科学さえもこのカテゴリに入る。
さて、最後の「自分が世界に向かって投射する理想像」。実はこれが問題。
人は、世界を生きる上で何らかの形で象徴的な「支柱」を必要とする。これ
は、ある者は親であったり、友人であったり、または信仰や哲学、自分自身
の能力であったりする。いわゆるアイデンティティだ。
だが、その支柱が崩れ去る時、人はより強力で前にもまして頑強な支柱を欲
する。これは主に、外部に向かって明確な欲求として顕れるわけだが、そん
な時に「概念」「現象」の「神」に遭遇すると、高い確率で自我と融合させ
ようとしてしまう。「ハマった」状態になるわけだ。これが、宗教にハマる
人や、「私は神だ」現象のメカニズムの最たる例。
さて、もうおわかりかな? これまで俺の吹き散らした中身を総合すると、
「人間はこういう生き物で、現実とはそういう人々が作っていくもの」とい
う一言に集約される。もちろんそこに至るまでに、金や環境や属する社会や
らの要素が複雑に絡み合っていて、それらを思い切りはしょったわけだが。
だが……ね( ̄ー ̄)ニヤリ 世の中には、さらに怖い「例外」もあったりする。
存在しないはずのものが……というヤツだ。さてここからはオカルト話なの
で、また質問があったら何ぞ応えて見ましょうかw