みんな知ってたさ。
田舎のバーさんだって検討ついてた人はいるし。
それでもやむを得ない、とその時の人たちは思った訳よ。
「負けて良かったけど、やらなきゃならなかった戦争」っていう複雑な気持ちが開戦時に大人で、無事戦後を生き延びた人の本当に正直な感想だと思うよ。
陸軍だって、「海軍がやれる、といわなきゃはじめられん」って不安がってたし、海軍は海軍で「2ねんていどだったらがんばってみせるけどあとはわからん」
って連合艦隊司令長官はいってたし。
>>240 てーか、色んな政策で日本がアメリカにコケにされていたからなぁ。
日本が滅びてもアメリカに一矢報いたいと考えていた人は多いようだ。
で、アメリカを含めた連合国は日本に勝って何を得たのか?
欧米諸国は植民地を失い、アメリカは日本に変わって東西冷戦の最前線に立たされた。
実は「負け覚悟」の日本の狙いはそこだったのかもね。
>>242 結局のところ軍内部でも統一した見解は無かったのだ。
大東亜共栄圏の理想を説きつつも、ただの詭弁だと
冷めていた人間も多かったし。
僕らが触れられるのは全て「結果」でしかない。
リアルタイムで各々が何を胸に秘めていたかは
もう誰にも解りはしない。
と、マジレス。
>>240 日米開戦に当たって彼我の生産力の比較表がまとめられた。
鉄鋼の1/20、食料の1/50、石油の1/100w
具体的な数字も出ていたというのに、それでも
やってみたかったのだから仕方無いジャンww
ちなみに1939〜40年の一年間でアメリカの建造した
小型空母の総隻数は50近い。
つまりは延べでほとんど毎週一隻ずつ空母を建造していたこの事実www
もうちょっと書こう。
日本の標準火薬はピクリン酸エステルをペレットにして
詰めていたのだけど、金属部品を腐食しないように
いちいち紙に包んで押し込めていた。
アメリカのTNT火薬は成型炸薬だから
工場で必要な形に固めてやってパカパカポコポコ大量生産していた。