小説ネタ投下してみます。
筒井康隆氏の「家族八景」見ると、心のおしゃべりが過剰な人より、
心のおしゃべりが止まっちゃってる人のほうが怖いような気がした。
まぁ、テレパスのくだりは筒井氏の創作なので、真偽のほうは不明ですが。
悟り・瞑想系なら、中島らも氏の「ガダラの豚」プロローグのお寺シーンで
あじゃり(変換できない)と弟子の会話がけっこう参考になった。
あじゃりが千八枚護符焚きみたいな修行をしてて大黒天を見るのだが、
過去スレにあった「自分の心の奥底の怖いものを見た」に近い気がする。
(ガダラの豚本編では、大黒天に見えたものは将来の戦いにつながっていく宣戦布告?ですが)
最後にわたしの意見を投下します。
生きてる限り、見たこと聞いたことから思考が浮かぶのはホモサピエンスとして当然ではないか、と。
そもそも、わたしなどが、神や仏のような悟りの境地に達することができると思ってしまうのは
すげー恐れ多い、おこがましいような気持ちになります。
心のおしゃべりを過剰に気にする人って、結局、興味が「自分自身」に集中しすぎているのではないかな?
自分以外の人間に共感を示し、聞いた意見を吸収すれば、自然に世界が広がってくるように思います。
それに、釈迦のように悟りを開いたあとの人生が面白いかどうか未知だ。
わたしは修行に行けるような状況でもないので、今の煩悩だらけの社会をどう楽しむかに努力を注いでます。