斎藤氏が『東奥日報』
http://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2001/syukudai/0502.html の取材に応えて述べた感想、
支配層には、小さくなったパイをみんなで分け合う発想はない。自分たちの取り分を減らさず、
恵まれない層の分をかっさらう−私の目にはそう映る。
象徴的なのが「ゆとり教育」だ。教育課程審議会長だった三浦朱門氏の発言を忘れない。
「新学習要領で授業内容は三割減る。学力低下を招かないか」と尋ねた私に三浦氏は言った。
「戦後はできないやつのために手間と暇をかけすぎた。落ちこぼれにかけすぎた手間を
これからは有能なエリート候補に振り向ける。彼らが日本を引っ張ってくれる。
無才、非才にはただ実直な精神だけを養ってもらえばいいんだ」
「エリート教育がゆとり教育の目的。それを言うと抵抗が大きいので、ゆとり教育と
まわりくどく言っただけだ」
「私は衝撃を受けた。エリートにならないやつに勉強などされても社会の無駄だと、
彼は言っている。ゆとりはゴマカシだった。
根底には経済界の要請がある。どうしたら日本経済を活性化できるか、企業が
活力を得る手っ取り早い方法は何か、というのが発想の原点だ。
公立学校はゆとり方針に従うだろうが、私立はビジネスチャンスととらえる。
落ちこぼれはごめんだと危機感を持つ親が増えるから、競争はなくなるどころか過熱する。
経済力のある親を持つ子供だけに自由が許される世の中でいいのか。規制緩和を
教育や福祉にあてはめるのは、安易で無謀だ。働く場では今、弱い立場の人間が
真っ先に切り捨てられている。」