※奇妙でキモい地名とその由来

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118黒衣の男 ◆YRGrADDl2U
>>112
疑ってかかるべきは以下の2点
・血潮に染まった様子から油壺と命名された記述のある最古の文書はなにか?
・篭城砦が作られるほどメジャーだった油壺の古名はなんだったのか?

このどちらもが曖昧にして不明なのだね。

さまざまなWebソースによれば、三浦氏最後の戦いになったという、
油壺・新井城での戦いは、3年に及んだといわれている。
それだけ戦えば、三浦氏最後の瞬間ならずとも、
湾内に限らず、あちこちで衝突があり、あちこちで人死は継続的にあっただろう。

なのに「海が血潮で・・・」という、とってつけたような理由だけで、この地を油壺と命名するだろうか?
そこまで言うなら、三浦氏滅亡以前、この入り江の名前はなんだったというのか。

その時代には、全国各地であきれるほど合戦があった。
山ほどの人が死んで、赤く染まった川・池・沼もあっただろう。
では油川や油池や油沼はメジャーな地名だろうか?

現地に行く、もしくは地図をじっくり精読すれば、
ここは屈曲したうえに、奥に細長くなった深い入り江で、
ひとたび海が荒れても、湾内の奥ならば波は荒くなく、
船は安全に天候の回復を待つことができるだろうことがわかる。

事実、現在でも、付近の漁業者たちの退避場所となっている。
ttp://www.city.kamakura.kanagawa.jp/sangyou/kosigoe/houkoku.htm#2-2

三浦氏最後の戦い以前から、
この入り江は油壺と呼ばれていたと考えるのが妥当ではないだろうか。
それが史実としての三浦氏の滅亡と結び付けられて“地名の由来”とされるのは、
ある種のロマン趣味、もしくは妄想として、
本来の地名の由来とは区別するべきなのではないだろうか。