99 :
本当にあった怖い名無し:
近鉄生駒トンネルの話が続いたので…
大惨事なのだが感動的な部分もあるのでコピペしました。
コピペ〜近鉄花園駅追突事故@〜
1948年(昭和23年) 3月31日、近鉄奈良線7時20分奈良駅
発、通勤時間帯のため満員の乗客を乗せた上六行3輌編成の
急行電車は、途中の生駒駅を発車した後、すぐに生駒トンネ
ルに入った。生駒トンネルは全長約3.3kmで、私鉄のトンネ
ルとしては最長生駒山は大阪平野と奈良盆地を隔てる山で、こ
の生駒トンネルを越えると線路は南に向きを変え、山裾をつ
たいながら大阪平野に向かって一気に下っていく。しかしこ
の急行電車は生駒トンネルを通過中、突然ブレーキがきかな
くなった。
100 :
本当にあった怖い名無し:04/08/11 22:12 ID:ev6t6gkv
コピペ〜近鉄花園駅追突事故A〜
原因は極めて単純、エアブレーキのホースが走行中破損し
たためブレーキを作動させる圧搾空気が送れなくなってしま
ったからである。この急行電車の車輌は、近鉄奈良線の前身
である大阪電気軌道(大軌)時代の1913年(大正2年)に製造
されたデボ1形(近鉄編入後はモ200形)でダブルルーフ
の鉄骨木造車、丸い正面に5枚の窓が並んだ高貴なスタイル
で古い鉄道ファンには人気の高かった車輌である。車齢34
年は老朽車とまでは言えないが、ブレーキシステムは旧式だ
った。
101 :
本当にあった怖い名無し:04/08/11 22:13 ID:ev6t6gkv
コピペ〜近鉄花園駅追突事故B〜
近代車輌のエアブレーキは大抵エア引き通し式で、これだ
とエアホースが破損して圧搾空気が抜けた場合、これを感知
して各車輌に装備された補助エアタンクから一斉に圧搾空気
が送られて緊急ブレーキがかかる。すなわちトラブルが発生
すれば常に安全サイドに働くシステムになっている。しかし
このデボ1形は直通エアブレーキといって圧搾空気が抜ける
と全車輌まったくブレーキがかからなくなるのである。但し、
電車のブレーキはエアブレーキだけではない。車輪に直結し
ているモーターに正負逆の電流を流すことによって負荷を与
える逆ノッチという制動方法がある。ちょうど自動車のエン
ジンブレーキ、あるいはジェット機の逆噴射と同じ原理だ。
102 :
本当にあった怖い名無し:04/08/11 22:15 ID:ev6t6gkv
コピペ〜近鉄花園駅追突事故C〜
ところが運の悪いことにこの急行電車は、下り急勾配を猛
烈なスピードで走り始めたために、パンタグラフが架線から
はずれてしまった。当然モーターへの通電が出来ず、2つ目
の制動方法も絶望的となった。運命に見放された急行電車は
石切駅を通過し、更にスピードを上げて大阪平野に向かって
転がり落ちていく。運転手は満員の乗客の方に振り向き「申
し訳ありません、車は停止しません。覚悟してください」と
泣きながら頭を下げたという。この時の乗客の恐怖感は想像
に余りある。
103 :
本当にあった怖い名無し:04/08/11 22:16 ID:ev6t6gkv
コピペ〜近鉄花園駅追突事故D〜
ところが恐怖のどん底の中、急行電車の乗客や近鉄の職員
はとても信じられないほど冷静な行動をとったのである。た
またまこの急行電車で通勤途上だった警察官や近鉄職員がリ
ーダーとなり、電車の窓ガラスを全部開けさせた。これは空
気抵抗を増やして少しでも電車の速度を下げようとしたのと
衝突時にガラスの破片が飛び散るのを防ぐためだ。次に第3
のブレーキである手動ブレーキのハンドルを必死に回し始め
た。手動ブレーキは自動車のサイドブレーキのようなもので、
急勾配を猛スピードで転がり落ちる電車にはほとんど効果は
ないが、瓢箪山駅から平坦部に入った後は多少なりとも抑速
することが出来た。
104 :
本当にあった怖い名無し:04/08/11 22:17 ID:ev6t6gkv
コピペ〜近鉄花園駅追突事故E〜
更に衝突に備え、満員の乗客を出来るだけ車輌の後ろの方
へ避難させ、床に伏せさせた。その時、間もなく来る急行電
車に異変が起こっていることを知った瓢箪山駅では直ちにポ
イントを切換えて先行の準急電車を待避側線に避難させ、避
難が終わると又ポイントを本線に戻した。戻すや否や暴走急
行電車が猛スピードで本線を駆け抜けて行った。もしこの時、
準急電車が本線上に停車していたら、時速100キロを越え
るスピードで急行電車が追突し、更に大惨事になっていた。
神業だったと思う。模型鉄道でもこううまくはいかない。
105 :
本当にあった怖い名無し:04/08/11 22:18 ID:ev6t6gkv
コピペ〜近鉄花園駅追突事故F〜
泣きながら頭を下げた運転士も決死の覚悟で窓から身を乗
り出し、はずれたパンタグラフを架線に戻そうと試みた。架
線に復旧すれば通電して電気ブレーキをかけることが出来る。
しかしこの作業は風圧と振動に妨げられ、結局パンタグラフ
を復旧させることは出来なかった。運転士が最初に異変に気
がついてからわずか5分間。この短い時間に人々はパニック
の中、これだけのことをやってのけたのだ。やるべきことは
すべてやったという感がある。瓢箪山駅を過ぎると線路は平
坦部に入り、暴走電車のスピードもわずかながら落ちてきた。
106 :
本当にあった怖い名無し:04/08/11 22:19 ID:ev6t6gkv
コピペ〜近鉄花園駅追突事故G〜
しかしその先の花園駅(現在の河内花園)では瓢箪山発の普
通電車がまさに駅を発車しようとしていたところだった。午
前7時51分、急行電車は先行の普通電車に追突、先頭車輌
は側面がすべて吹っ飛び、屋根と床だけになった。押しつぶ
されて長さも半分になっていた。急行電車の2輌目と3輌目
も大破した。皮肉なことに追突現場は日本赤十字花園病院の
真ん前だった。この事故で49名が死亡、282名が負傷し
た。通勤時間帯ですし詰めの乗客が乗っていたわりには被災
者の数は少なめであったといえる。その最大の理由は前述の
ごとく、急行電車の乗務員や乗客、それに瓢箪山駅の近鉄職
員らが極めて冷静な行動をとったことが、これだけ救いよう
のない状況の中被害を最小限に食い止めたのだと思う。
107 :
本当にあった怖い名無し:04/08/11 22:20 ID:ev6t6gkv
コピペ〜近鉄花園駅追突事故H〜
現代において仮に同じような事故が発生したら、たった5
分の間に乗客や鉄道職員は同じような冷静な行動がとれるの
だろうか?ひとつ思い当たることがある。1948年(昭和23年)
といえば太平洋戦争が終わってまだ3年目、多くの人々がつ
い数年前までアメリカ軍のB29による空襲から命がけで逃
げまわっていた時代である。おそらく人々は度重なる空襲と
それに備えた緊急避難訓練とによって、緊急事態に陥った時
の身の処し方が知らず 知らずのうちに身についていたので
はなかろうか。時折、日本人は緊急時の対処に 弱いなどと
いう議論がなされるが、それは違う。日本人が、という民族
特性の問題なのではなく、緊急事態対処いわゆるコンティン
ジェンシープランというのは普段からの訓練の問題だと思う。
現代ではこういった訓練が決定的に欠如しているだけなので
ある。