31 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/05/03 23:47 ID:LUqCRFaO
不老不死が経口投与で実現する訳無い時点でどうでもいい話。
それより、
「黄金の鶏と縄とを朝日照る、
夕日輝く二つ葉のもとに埋めたれば、
他日草生衰亡の時来たらばこれを掘り出せ。」
っていう遺言の意味はなに?
これって宝のありかを示した暗号なんじゃ(*´Д`)
33 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/05/04 01:54 ID:tA2h7g8o
残念宝はもう俺が見つけた
35 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/05/06 16:08 ID:AtugcWAD
age
奇形児を見たことはありますか? これは北海道の網走市であった話です。
古塚美枝さん(当時23) は、いわゆる売春婦でしたが夫がいました。
しかしその夫は働こうとせず、酒に溺れる毎日、そして酔うと必ず美枝さんに
暴力を振るいました。83年の夏、美枝さんは体調を崩し病院へ行きました。
原因は妊娠によるつわりなどでした。売春婦であった美枝さんは、
まず誰の子なのか考えましたが夫の子である事を確信し、
早く報告しようと急いで帰りました。しかし夫は自分の子とは信じず、
中絶を命じました。 それから5ケ月。結局美枝さんは中絶を拒み、
生むことを決意しましたが、夫は従わなかった事を不満に思い、
さらに暴力を振っていました。 そしてその日夫は美枝さんの腹部に
膝蹴りをしました。する と、美枝さんの股間からは溢れる様に血が流れてきました。
そして美枝さんは崩れ落ち、声にもならない 様なうめき声で唸りながら
........流産でした。夫は慌てて家を飛び出して行きました。何故?
それは生まれてきた子供が余りにも醜かったからです。目はあべこべに付き、
片方の目は眉毛の上に付いていました。鼻はだらしなく直角に曲がり、
口なんぞは縦向きに、しかも耳のつけねから裂け目の 様に付いていました。
動きもせず、ただこちらを眺めていました。 それからどうなったかは分かりません。
ただ、この話を聞いた人は最低3日間気を付けてください。
うしろで何か気を感じても振り向いて いけません。
それはあの子があなたを眺めているから。 10分以内にこれを
掲示板の5箇所に貼らなければそのままあの子は離れて行きません。
お気を付けて。
37 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/05/06 18:50 ID:xufmWXNT
「人魚」ってのはあだ名で、やっぱ何かの肉なんではないの?たぶん海の生物。
〓 転載 〓
八百屋の語源は、ストレートに「野菜」を扱う事から来ています。
今も一部では言いますが野菜の事を「青物」と呼ぶ処から
「青物屋」→「青屋:あおや」と呼ばれるようになった物が
現在の「やおや」と言う名前になったと言われています。
しかし漢字で書くときに「八百屋」と表すのは、大昔の八百屋は
野菜以外の色々な商品を扱っていた為に「たくさん」と言う意味のある
「八百」と言う字を当てたのではと言われています。
この「八百」は「嘘八百」や「江戸八百八町」などでも同じように
「たくさん」と言う意味で使用されています。
日本の古来よりの信仰で「どんな物にも神様がいる」と言うことで
「八百万の神:やおよろずのかみ」と言う事も言います。
これは「たくさん」というのは「繁栄している」に通じるために
「末広がりで縁起がいい」「八」が使われているという説があります。
〓 転載1 〓
八百比丘尼(やおびくに)
(上本郷の七不思議より) ※千葉県松戸市
むかーし、風早神社の近くに六軒の農家があった。
ある日、村の長者どんがそこのお百姓さん六人を屋敷にまねいたんだと。
「みなさんよくお出で下さった。さあ、今日は遠慮なく食事して下され。」
みんなはごちそうが出来るのを楽しみに待っていた。
だが、おなかをすかせた一番の食いしん坊の男が厠(便所)から
もどるとき、たまらなくなって台所をのぞいてみた。
「長者どん、いったい何をごちそうしてくれるんだべか?
きっとすげぇごちそうを下さるにちがいない。」 そっとのぞいて見て、びっくり!
台所では人魚の肉を料理しているではありませんか。
これにはその男もびっくり。
男はその事を仲間に知らせた。
「人魚の肉とは気味が悪い。断わるわけにもいかねぇから、
家に持って帰るふりをして、途中ですてっちまおう」
ところが六人のうち一人だけ耳の遠い男がいてのう。
みんなの話がよく聞こえなかったんじゃ。
事情を知らないその男は、長者どんの家で出された
ごちそうをそっくり家に持って帰ったんじゃよ。
〓 転載2 〓
その男には若くて美しい娘がいたんじゃ。
男はさっそく娘に料理を食べさせたんじゃよ。
むかしから人魚の肉というのは、食べると年を取らないと言われておる。
その娘もそれからほとんど年を取ることもなく、
いつまでも若く美しいままでいたんじゃ。
人びとはそんな娘をたいそう気味悪がっての。
かわいそうに娘は、この土地に住めなくなり、
遠く若狭の国(福井県)へ行って尼さんになった
んだそうじゃ。
ある日、若狭を旅していた千駄堀の人が、八百歳
になって、さすがに年を取ったこの娘に会って、
そんな話をきいたんだそうじゃが・・・。
41 :
オカルト滅殺隊:04/05/07 02:09 ID:7p1cl0OV
>>38 >「末広がりで縁起がいい」「八」が使われているという説があります。
ちょっとまて、
漢字伝来以前はどうだったんだ?
八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を
(スサノオ)
文字などなかった神代の昔から「八」が愛用されてるが?
〓 転載 〓
八百比丘尼(はっぴゃくびくに)
※ 愛知県春日井市
白山町円福寺裏の観音堂への参道横に小さなお堂があり、
木彫りの仏様が祀られていた。
この仏様にまつわる次のような話が伝えられている。
その昔、春日井あたりは海だった。
ある日、漁師が沖の方で一匹の珍しい魚を捕ってきた。
世間で言う人魚の形をしていたので、「食ってはいかん」と放っておいた。
そこへ通りがかった白い着物を着た老人が、「庚申(こうじん)様に珍しい魚を供えれば
ご利益がある」と教えたので、早速その晩庚申祭を開いて、珍しい魚を供えた。
ところが、乳母と一緒に遊んでいた一人の女の子が、
口がいやしいので知らない内に人魚の肉を一口食べてしまった。
その女の子は成長して美しい娘になったが、不思議なことにいつまでたっても年を取らず、
とうとう八百歳になってしまった。
長い間に知っている人は次々と死んでしまい、世の中の様子も変わるのに、
自分は若いときのままである。寂しくなった娘は、髪を剃って洞穴に入ってしまった。
洞穴の中からはしばらくの間は念仏が聞こえていたが、そのうちに聞こえなくなった。
村の衆の言い伝えによると、この洞穴は若狭(わかさ)の国(福井県)まで続いているという。
「八百比丘尼」の伝説は福井県の小浜を中心に全国に残っており、
この地方でも一宮、犬山、知多などに伝えられているという。
〓 転載1 〓
八百比丘尼
概容
ある日、猟師が珍しい魚を釣った。それは魚とも人ともいえない、人魚の形をしていた。
そのとき通りかかったお坊さんが、「庚申祭りにこの奇魚を供えて祈ると、
厄除けになるとともに福徳がやってくるであろう」という。
しかし、その奇魚を娘が一切れ食べてしまう。すると そのむすめは八百歳の齢を得る。
その後横穴に入って往生する。
八百比丘尼の話は長寿伝説の一つです。不老不死となった八百比丘尼は
病気の人を治し、貧しい人を助け、 行く先々で椿を植えながら旅したという話があります。
ご存知の通り八百歳まで生きたために後に 「八百比丘尼」と呼ばれるようになりました。
特に若狭の国と呼ばれていた現在の福井県を中心として、
能登・越後・佐渡・出雲・隠岐等の日本海沿岸地域に 数多くの伝説が残っています。
太平洋側では土佐・播磨・安芸などに多いようです。
〓 転載2 〓
栃木県の西片町には八百比丘尼公園という場所があり、
こんな伝説が伝わっています。
昔子供のいない長者夫婦がいました。二人が庚申様に子供が授かるよう
一生懸命に祈ったところ、女の子が生まれ、 八重姫と名づけました。
姫が七歳になったある日、長者夫婦の家に白髪の老人が訪ねてきて、
長者を自分の家に招き 庚申様を一緒に信心したいと申し出ました。
長者は老人の家で不老不死の薬だといって煮貝のようなものを 勧められましたが、
肉食を絶っていたので、食べたふりをして袂に入れました。
家に帰った長者に、八重姫がすがりつき、袂から貝の肉がこぼれ落ちました。
姫はそれを父がくれたものと思い 食べてしまいました。
やがて、美しく成長した十八歳の八重姫の噂を聞き帝が都に召し出そうとしましたが、
それを知った姫は家を出て しまいました。
真名子の里を離れた姫は、山道で会った白髪の老人の家で暮らしていましたが、
両親が恋しくなり帰りたいと告げました。 すると老人は、ここを出れば二度と戻れないこと、
自分は庚申であることを告げ、屋敷とともにこつ然と姿を消してしまいました。
〓 転載3 〓
里に帰り着いた姫は、家を出てから八百年も月日が立っている事を知ります。
途中、山のふもとの池で手を洗い姿を 映してみましたが、信じられないことに
十八歳の娘のままです。やがて姫は尼になり名を妙栄とあらためて巡礼の旅に出ました。
そして長く生き過ぎた妙栄は、ついに若狭の海に身を沈めて命を絶ちました。
以後、若狭では八百姫大明神、 真名子で八百比丘尼様として祀られ、
今に伝えられています。
八百比丘尼は源平の盛衰を目の当たりにみたといわれており、義経・弁慶の一行が
修験者の姿をして、北国街道を下っていくのに丁度出会ったといいます。
八百比丘尼のお話は「義経伝説」との関連も注目され、女性唱道者の民間信仰的な
要素も強いのではないかといわれています。
48 :
オカルト滅殺隊:04/05/11 04:06 ID:blKMvDug
来週の「火の鳥」でも見とけ。
〓 転載 〓
八百比丘尼伝説
昔々、ある長者の娘が浜に打ち上げられた人魚の肉を、親に内緒で食べてしまいます。
このことによって永遠の美しさと命を得た娘は、縁談も引く手あまただったのですが
4回結婚して4人とも夫が衰弱死してしまいます。
やがて、世間からは、「夫の精力を、食べ尽くす女」として遠ざけられるようになります。
17歳の美貌のまま、哀れな人たちを慰めようと尼となった娘は
全国を行脚して回りますが、800歳の時故郷に帰ります。
荒れ放題の生家を見て自分の運命を悟った娘は、一人洞窟に篭もり
飲まず食わずで自らの命を絶ったといいます。
50 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/05/20 01:08 ID:koY4MLj4
杉浦日向子の百物語では、自分の内臓を取り出して洗うんだって。
時折、真水で腸臓を洗わねば腐れてしまうとやら。
51 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/05/20 05:10 ID:ZDqf/ev9
変な話ばっか集めた本で見たんだが
50幾つかのおばさんでどうみても10代にしか見えんのだね
30過ぎになる自分の娘と一緒にいると
お母さんの方が、「妹さんですか?」「娘さんですか」と
いわれるらしい。
年取らない女ってエロいよな
歳取らないブスっつーのも嫌だろうな。
まあ長く生きていれば、美人とされる美的感覚の時代もあるだろうが。
前の職場に50超えててもすっげえ可愛いパートさんがいた。
さすがに50過ぎた頃からは小ジワが目立つようになったが
45,6の頃初めて会ったときは30代前半くらいかと思い
(漏れの人生経験が甘かったせいもあるが)、ナンパしたいと
考えたこともあった。
身長150くらい、ショートカットでミニスカはいてるの。
オッパイは結構デカかったな。それで孫がいるんだから萌えるよな。
〓 転載 〓
・・・参考までに「八百比丘尼」の事を書いた書物の名前を幾つか上げておきますと、
「若耶群談」「能登国名跡志」「本朝神社考」「諸国里人談」などなど、多数あります。
そうそう、「南総里見八犬伝」にも、「八百比丘尼」や人魚の事が出てくるんですよね。・・・
久しぶりに「かまいたちの夜2」やったらそんな話が出てきた。
こっちは不老不死の実食ったって言ってた。
徐福伝説と間違えそうになった。
人魚の肉って気になるよね。何のことだったのかなあ。
アザラシとかジュゴンみたいな海獣の肉だったかも、って気はする。
ユニコーンの角みたいに、他の何かをたとえて「人魚」ってことに
していたのかもしれない。
〓 転載 〓
ここで面白い事は、日本海側がほとんどであることです。
それも植林、木を植えることが多々でてくるのです。
椿、松、杉、欅などですが、植林といえば五十猛君ではないですか?
神木は八百比丘尼が植えることになっているのでしょうか?
日本海側ではない地区は、愛知県春日井市高蔵寺、岐阜県各務原市、馬瀬村
三重県安濃町、栃木県西方町、青梅市塩船観音、会津塩川町辺りでしょうか。
どこも海岸からは近いというところではありません。
海岸線がその辺りにあったころの伝承なんでしょうか。
この話は古いのか新しいのか解かんなくなります。
人魚に関してですが、紀州橋本市、近江蒲生川が有名のようです。
この比丘尼、人魚の話のある場所は
少し気になるのですが、銅鐸出土に近いのです。
総合して考えると巫女信仰の形なんではないかと思います。
海人の中の巫女信仰を持った一族が日本に入ってきた時の残骸のように想像しています。
〓 転載 〓
八百比丘尼入定の地
八百比丘尼の伝説は、北は東北から南は四国、九州まで全国に広がる物語ですが、
いずれの土地のものも全て若狭小浜と深いかかわりを持った伝説として語り継がれています。
若狭で語られている八百比丘尼物語とは、むかし東勢村(現小浜市)に
高橋長者と呼ばれる人がいて、あるとき、海中の蓬莱の国へ招かれ、
お土産に人魚の肉をもらってきました。長者の娘がそれを食べたところ、
八百歳になっても娘のように若々しく、困った娘は尼になり全国を行脚して、
最後に若狭小浜に帰りこの洞穴に入定(生きたまゝ身を隠し静かに死をまつこと)した
というものです。
この時八百比丘尼は、洞穴の入口に白椿を植えたと伝えられています。
60 :
:04/06/19 15:41 ID:1oHU6O2G
あら
61 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/06/19 20:35 ID:7CZ23axU
ag
62 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/06/20 07:16 ID:J+9jEttn
昨日ステラーカイギューの肉を食べたら不老不死になったしまった・・・
ってスレ立てていいですか?
八百比丘屁
64 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/06/21 02:11 ID:dkb35/Tb
アクエリだな。
八百比丘尼は超すごい。
八十比丘尼は探せばいる。
八比丘尼は萌え。
〓 転載 〓
手塚治虫のライフワーク『火の鳥』の第11部です。
7世紀末の日本。
残忍な領主・八儀家正の娘に生まれた左近介は、男として育てられました。
ある嵐の夜、左近介は従者の可平とともに、蓬莱寺の八百比丘尼という尼を
殺しに出かけます。
その理由は、重い病にかかっている父が、
どんな病でも癒すと評判の八百比丘尼に治療を頼んだからでした。
父から男として生きることを強制されていた左近介は、父を憎んでいました。
そして父が死ななければ、自分は女に戻ることができない。そう考えたのです。
そして左近介は八百比丘尼を殺しましたが、そのあと城に戻ろうとすると、
不思議な力が働いて寺に戻されてしまいます。寺の周りには見えない壁があるようで、
どうしても寺を出られないのでした。
そうしているところへ村人が病気を癒してもらおうとやってきました。
左近介は八百比丘尼に変装し、本尊の中にあった光る羽根を使って
病人たちを癒してあげました。
実は、この寺は時の閉ざされた世界であり、八百比丘尼は、
未来の左近介自身だったのです。
やがて、寺には、戦で傷ついた妖怪や化け物たちが
続々と治療に訪れるようになったのでした。
手塚比丘尼はスタトレ6/21放送の話に似てたな。
洋の東西を問わず、八百比丘尼のような存在は
クリエイターにとって普遍的なモチーフなのかもしれません
69 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/07/05 19:04 ID:/NuYfmO7
八百比丘尼
播州の奥地にそれ系の話聞いた事がある。
星野の幼女伝説、なよ竹がとてもきれいですね。
わたしあの漫画一番好きです。
あの漫画では大阪の堺が出てきたからやはり関西が舞台なのでしょうか。
ただあのおばさんは若い時じゃなく年取ってから不死の甘露をもらったので
若いままの姿というわけではない。
70 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/07/05 19:05 ID:1VnjDMzH
70
71 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/07/05 19:32 ID:3JPAfmUo
八尾比丘尼だ…あいつは……化け物だ。
お前もなりたいか?永遠に生きる女に…!
比丘尼って近所の交差点の名前にもなってる・・・・・って
全然関係ないか。
無いね。
>>71 男のままでいいが羨ましいと思う。
強制的な不老不死って訳でもなさそうだし。
メーテル……?
〓 転載 〓
八百杉(やおすぎ)
西郷町下西玉若酢命神社 ※島根県隠岐郡西郷町
玉若酢命神社の坂道の参道を上り、神門をくぐった右側に、県下一の杉の大木がある。
樹高300m、根元の周囲約20m、目通り幹やく9mにおよぶ。
樹齢は2,000年を超えるといわれ、昭和4年12月に国の天然記念物に指定された。
800杉、総社杉と呼ばれるこの大杉は、その昔、若狭の国から、人魚の肉を食べて、
老いることを知らない比丘尼(びくに)がやってきて、総社に参詣し、後々の形見にと
杉の苗を植えた。
そして「800年経ったらまたここに来よう」と言ったことから八百比丘尼杉と呼ばれ、
いつしか八百杉と言われるようになったと伝える。
〓 転載 〓
若狭に残る伝説と文化の香り
大陸文化と日本古来の文化が交差する若狭小浜の地には、古い言い伝えや伝説も多い。
「八百比丘尼」という伝説がある。
昔、若狭国に、高橋権太夫という長者がいた。
ある日、権太夫は海の向こうの主人から招かれ立派な屋敷でご馳走になった。
権太夫はそこで楽しく幾日かを過ごし、そろそろ帰ろうとしたら
「珍しい料理だから」と人魚の肉をすすめられた。
しかし、権太夫はそれを食べずにみやげに持ち帰り、家の戸棚にしまっておいた。
ところが、娘が見つけてこっそり食べてしまった。
それから娘は何年たっても齢をとらなくなったため、全国を行脚し、行く先々で椿を植え、
椿姫とも呼ばれた。
水戸黄門のお銀さんの事?
年をとる→さなぎのようになる→しばらくすると細胞が若返って復活→年をとる
というループをずっと繰り返している、まさに不老不死の動物がいます。
紅クラゲというクラゲです。
世の中にはいろんな生物がいるもんだ。
つーかageろよ。ヤバイよ?
80 :
本当にあった怖い名無し:
富江は八百比丘尼だろう