184 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:
言葉の真の意味での「価格破壊」とは何か。それは価格の破壊である。
「物の値打ちを金額で表した価」が「うちこわされる」ことである。
この言葉には日本人の集合的潜在意識に秘められた願望があらわれている。
物を売ったり買ったりしなくてもいい世界に住みたい、という。
経済の束縛から解放されたい、という。
我々はもはやエコノミック・アニマルではない、という。
185 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/08/11 19:41
ところがあなたは、「A」というDVDを手に入れるために4800円を支払わなけ
ればならない。「A2」もあるから9600円だ。
「A」「A2」とは、森達也というディレクターによるドキュメンタリーだ。
Aとは荒木のAであり、オウムのAである。
レトリックの練習場所ですか?
187 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/08/11 19:50
「地下鉄サリン事件を境にして、日本のメディアの現場は「右へならえ」的
思考停止状態に陥り、さらに9・11テロ事件以降、国際的なレベルでもこの
思考停止の輪は広がった。いわく、狂信者、残忍な凶悪集団、ならず者国家、
正義対悪の枢軸の闘い…。しかし、はたして世界は、このような善悪の二元論
で単純化できるものなのだろうか。
オウム信者も、アルカイダもタリバンも、イラクのバース党員も北朝鮮の
工作員も、皆ひとりひとりは、笑い、泣き、怒りながら生活を営む生活人。
だが、そうした他者に対する想像力を失うとき、人びとの間に悪夢のような
憎悪の連鎖が生まれる。
世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」(森達也)
188 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/08/11 20:04
森達也はテレビ番組の企画としてオウムのドキュメンタリーを企画した。
ところが制作会社の契約は打ち切られ、放送枠がなくなってしまう。
それでも彼は撮り始め、撮り続けた。作品は自主上映というかたちで
話題を呼び、いまようやくDVDという形で誰でも見ることができる形に
なったわけである。販売元は株式会社マクザム。
はっきり言って4800円は高い。
しかしテレビが放送しないのなら買うしかないだろう。
189 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/08/11 20:19
森達也は当初、公正で中立な立場での作品を目指した。
ところが撮影中に、彼の中立性を揺るがすような事態が進展してしまう。
「グッナイ・ベイビー」という歌が流れるあの場面だ。
この事件を皮切りに、「公正」とはなにか、という問いが彼の立場を
揺さぶる。結果としてこの作品は、「森達也」の座標から見た「公正」を
つらぬく、という形に仕上がった。であるから、あなたの目には、ひょっと
したら公正には映らないかもしれない。これがテレビで放送されないという
状況は、マスコミの座標から見て、この作品は(撮影以前から)公正では
ないと、誰かによって判断された結果かもしれない。
我々は何を基準にこの作品の公正さを判断すればよいのか。
結局それは、あなた自身が決めることだ。あなたにおけるリアリティでは、
世界の中心はあなただからだ。
うんこスレ
191 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/08/11 20:49
あなたは町を歩いている。無表情で歩いている。
その無表情の裏に、すれ違う人は何を見るだろうか。
「うほ、いいおとこ」と思う人もいれば、「なんかこわーい」と思うひとも
いるだろう。だが、彼らが見ている表層は、「あなたの無表情な顔」だけだ。
それを「いいおとこ」とか「怖い」とか判断するのは、受け取り手の趣味や
精神状態による彼らの都合である。
「無表情」を表現するのは、「喜怒哀楽」を表現するよりだいぶ難しい。
そこに受け手の勝手な解釈が加わるからだ。
「A」の素材はオウムの側にも警察の側にも住民の側にもたたず、起る事を必死
に追いかけた記録映像と音声である。そこに編集という作業が加わるとき、森氏の
主観がなんらかのかたちで入ったはずである。にもかかわらず、この作品は
無表情である。「そもそもいまだにオウムなんかやってるやつは人間じゃねえ」
という確信をもつ者が見れば、その無表情は唾棄すべきへつらいに映るかも
しれぬ。しかしそれはあなたの都合であり、作品はあくまで無表情のままだ。
無表情をそのまま無表情として受け取ることができるほどに、我々の精神は強く
鍛えられなければならぬ。そのために4800円は惜しくない。
すくなくとも漏れは2本とも買ったぞ。