幽霊ってどう見えた?

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507雫石
不可解なあるいは怪奇な現象がその地域自体に大きな問題を及ぼしそれが継続した場合、
いつの間にか其の話題が遠ざけられてしまう事もあるものです。

だいぶ前の事なのでご存じない方もいらっしゃるとは思いますが
今から30年ほども前に東北の岩手県上空で旅客機と戦闘機とが空中衝突する信じ難いような事故がありました。
1971年 昭和46年7月30日午後2時 全日空のボーイング727と航空自衛隊のF86が高度28000フィートで激突、
戦闘機のパイロットは直前に脱出、衝撃を受けた旅客機の機体は四散し乗客乗員162名全員が亡くなりました。
晴れた暑い日、付近一帯に「ドーン」という非常に大きな音が轟き、見上げる空には木の葉のように錐揉みして
墜落する戦闘機や、空を降り落ちる沢山の人の姿を見た者も少なくありませんでした。
戦闘機は民家の庭先に突き刺さり、高空で放り出された人達は付近の山に降り注ぎました。そこには盛岡と秋田を
結ぶ主要幹線道路 国道46号線が走っていました。
事件はすぐに報道され、大規模な対策本部が置かれたのは言うまでもありません。
以外にも早く46号線の通行規制は解除されました。

そしてそれは起きました。
508雫石:03/06/25 00:44
夜になると野次馬が怖いもの見たさから真夏の肝試し気分で、国道の山道を現場へと向かったのでした。
しかしそこはもはや肝試しどころでは済まされない状況が待っていました、大勢のさまよう者達がそこにいたのでした。
誰も皆、自らの不道徳を恥、そして心から詫びて、事故の犠牲となった人達の冥福を祈りました。

問題は46号線は岩手〜秋田間の動脈として存在し、迂回路や代替路が全く無いからでした。
輸送ラインを支える、運送業者にとっては過酷な事態となってしまいました。
国道は山に入ると、幅員の関係で大型車のUターンが出来ない為、夜間に通行を試み、トラックも荷物も路上に放置したまま
逃げ出し。裸足の足を血まみれにして、泣き叫びながら、麓の商店に駆け込んできたドライバーも居ました。
幽霊騒動は一時報道もされましたが、状況が状況なだけに、報道機関はもとより個人レベルでもこの事は話題から遠ざけました。
道徳心、命と死への畏怖、人としての理性がそうさせたのでしょう(見世物小屋では決して無いのですから)。

その後、国道46号線の新道が計画、工事とも積極的に前倒しされ開通する事なり、即座に旧道は閉鎖され、通行禁止、立ち入りすら
禁止、となりました。
当時、新道開通までの間、車中にお札とお守りを貼り付け押し寄せる彼らを突き抜け、車中に這い上がる彼らに向かい、
必死で題目や習い覚えたお経を唱えて、夜間の輸送を敢行したドライバーさんは本当に大変でしたでしょう、ご苦労様でした。
509雫石:03/06/25 00:48
遭遇した人達にとって共通して特に強く印象に残ったのは 水色のワンピースの女性だったという事です
510あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/25 08:13
あそこは話題尽きない心霊スポット。
岩手県内じゃ、最強にはいる。

個人的にはダムの近くで見た女の幽霊が
物凄く怖かったが。
映像はリアルでなんというか、悪意に満ちた笑いを浮かべてた。
511あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/25 09:23
一時の大量死亡事故現場と言えば
9.11貿易センタービル崩壊現場には
そういう話はないのだろうか?
512あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/25 09:27
>>506
脳内現象と一言でいっても、幻覚に分類されるものもあれば、認知的錯誤
もあるし、色々ですからね。
513あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/25 10:30
>>510
>悪意に満ちた笑い

顔見えたの?こわ〜
514あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/25 10:30
>>507,508
こういった噂話は広まるにつれどんどん脚色されていくものだ
515雫石:03/06/25 10:35
私も、私自身の体験を含めこの事故にまつわるいわゆる怪談めいたお話については
語ることなど殆ど有りませんでした。
当時夜間にあの道を通ることが避けられなかった方々も、凄まじい体験であるにもかかわらず
後々其の体験を口にする方は居りません。
怖ろしい出来事である以上にあまりに悲しい出来事だったからでしょう。
この事故では、乗客の方々にとってあまりにも突然起きたものです。飛行状態が悪化するわけでもなく
何の情報も得られないまま、心の準備など何も無いまま衝撃とともに高空に投げ出されたのですから。
全くの平和から突然の非業の死。
自らの身に降りかかった出来事が理解できた筈も無い事でしょう。
当時、度々慰霊行事が執り行われましたが、一向に収まることはありませんでした。

こういったことは逃れようの無い現実として長期間にわたって継続した出来事です、このような事もあるのです
事物の尊さや、人としての謙虚さを決して忘れてはなりません。