死んでしまった人との最後の何気ないコミュニケーションpart3
1 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:
2 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/21 13:57
2げっとずさ
3 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/21 13:57
ありがとう
2
ちっっ
6 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/21 14:00
>>1 乙!
part2が消えるちょっと前に書き込んだんだけど、
ここにも同じの書き込んでいい?
7 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/21 14:13
ボキャ
癌で入院していたじいちゃんのお見舞いにいった。
病室にはばあちゃんや親戚も来ていた。
しばらくして帰ることにしたが、なぜか車のエンジンがかからない。
知り合いに車の整備の仕事をしている人がいたので来てもらうように頼んで、
とりあえず病室に戻ることにした。
病室に戻ると、じいちゃんの容態が急変していた。
非常に危険な状態だった。
医者は「覚悟してください」と言った。
様々な処置が行われるなか、
ふと、ばあちゃんがじいちゃんに語りかけはじめた。
今までの思い出、感謝の気持ち・・・・。
医者は「意識がないので聞こえませんよ」と言った。
ばあちゃんは続けた。
医者もそれ以上は何も言わなかった。
すると、じいちゃんの閉じたままの瞳からたくさん涙があふれてきた。
じいちゃんは涙を流し続け、やがて息を引き取った。
帰る頃に知り合いが到着したので車を見てもらったが異常はなく、
さっきはどう頑張ってもかからなかったエンジンがあっさりかかった。
じいちゃんはさみしがりだったから、引き止められたんだと思う。
最期を看取ってあげることができてよかった。
13 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/22 00:43
>>6さん
俺も去年、祖父が亡くなった。
6さんとは逆に死に目には会えんかった。
ええ話ありがd!
うちの爺さん、90過ぎまで元気だったのに、転んで骨折してから
一気に様態が悪くなった。
長い病院生活の末、とうとう運命の日がやってきたんだけど、
もう意識はないよって言われてベッドの側に行ったら、
いきなり僕の手をつかんでニッコリ笑ったよ・・・満面の笑みだったな。
長男を戦争で亡くし、昭和天皇の死を看取るようにしてその翌年死んじゃったよ。
爺さん、ついぞ陛下を罵るような言葉を吐かずに逝ってしまった・・・
心中察しても察しきれるはずもないんだけど、手をにぎられた瞬間に分かったような
気がしたけど、不思議と言葉にならないね。
>>13さん
ありがd!
そして、おじいさんの最期に会えなくて残念でしたね。
時々思い出してあげたら、おじいさんよろこぶと思いますよ。
16 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/22 03:39
女の話で盛り上がり夜遅くまで喋っていた間近に結婚を控えていた友達。
次の日はお互いほとんど寝れずに会社に行った。
その日帰ってみるとその友達の妹(知り合い)から留守電が入ってた。
内容はその友達が会社でいきなり倒れて病院に担ぎ込まれたが
脳内出血を起こしていて意識不明でやばいという事だった。
彼はその2日後息を引き取った。
倒れる前日、友達が俺に言った「最近幸せすぎっから、そろそろ嫌な事ありそうで怖いわ」
この言葉があまりに切なすぎて、思い出すたび何とも言えない気持ちになります。
17 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/22 03:54
天皇をののしるようなことを言う90代の
おじーさんってほとんどいないと思う。
うちのバーちゃんは夫(じーちゃん)を
沖縄の戦地でで失ったけど
天皇陛下をあがめてたよ。
ののしるとかそういう感覚さえないでしょう、
そういうのは戦後教育世代ではないでしょうか。
18 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/22 04:04
19 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/22 04:07
双子の姉がなくなった時のこと。
心臓を患い、最期は自宅で身罷った。30を過ぎたばかりだった。
亡くなった後、両親や旦那、年の離れた弟も、姉が夢枕に立ったらしい。
でも俺は一度も姉の夢を見なかった。
双子で、小さい頃から一緒に育ってきて、ある意味一番近い存在だと思っていたのに・・・。
亡くなる少し前にちょっとした口論をしたことで自分にも姉にもわだかまりがあるのか
そんな風に思うと悔やまれて仕方なかった。
20 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/22 04:09
続き
四十九日法要の日。
読経が終わって自分も一礼し、頭を上げた時、左肩をポンと軽く叩かれたような感じがした。
俺の後ろには弟が、その横に母親が座っていた。
「今、俺の肩叩いた?」
「叩かないけど」
「お袋じゃないよね?」
「違うわよ」
冗談を言う状況ではなかったし、2人とも嘘を言っている様子もなかった。
「何か肩をポンと叩かれた気がしたんだけど」
母がぽつりと言った。
「最後に○○があんたに挨拶してったんじゃない?
長男のあんたに“後はよろしくね”って」
母親の言う通りだろうと思った。
肩を叩かれた感触は今でも忘れられない。
。。・゚・(ノД`)・゚・。
22 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/23 03:57
大学4年の12月に入ったばかりの日だったんだけど、帰りのバスの中で俺が独りで
座っていると隣にH君が久しぶりってかんじで座ってきたんだ。俺が久しぶりです
ねって返すと、11月中は風邪をこじらせて1ヶ月間学校に来れなかったよって少し
しゃくれた顎を突き出して白い歯を見せながら笑って話していたんだ。
H君は、大学では俺と同じ学年だったけど歳は一つ上でしかも小学校と中学校では
先輩、後輩の間柄だったからどうも俺としてはとっつきにくくて距離を置いて
いたんだ。でもH君は何時も俺の名前を呼んで近づいてきて、最近どうとかテスト
範囲のノートをコピーしといたからあげるヨみたいに凄く良くしてくれていた。
俺この日は、深夜のバイトをして寝ないで学校に来てたからスゲー眠くて会話を
するのが面倒くさくて話を振られても生返事をして寝ようとしていたんだけど、
直ぐに話掛けてきてバスの中じゃ全然寝られなかったんだ。でも電車はH君とは違う
線を使っていたから、これでやっと寝れると思っていたらわざわざ切符を買って
今日はこっちで帰るとかって言って同じ電車に乗り込んで来た時は正直ウザイと
思っちゃったヨ。空気を読めない人じゃなかったし、何時もは駅でわかれるのに
その日に限ってはみたいなかんじでそれで電車の中でも終始話し掛けてきて結局は
俺の降りる駅までズット話をしていたんだ。
それから年が明けた、卒業式を控えた1週間前に友達から電話がきてH君が亡くなった
ことを知らされたんだ。友達4人で通夜に参列したんだけど、焼香をし終えて顔を
上げると祭壇に飾られていた遺影はあの日、一緒に帰った時と同じ青いプルオーバーを
着て少ししゃくれた顎を突き出して白い歯を見せながら笑っているH君なんだよね。
それ見た瞬間に、頭をおもいっきり叩かれたかんじで俺しばらくその場から動けなかったよ。人間って勝手だから、後で自分に都合が良いような解釈しちゃって死別した人の
ことは特に綺麗な思い出にしちゃう生き物で俺もその中のそのイチだけど、あの日俺が
うざいって感じたのは本音だけど、だけどやっぱり後悔の念に2年経った今でも時々
苛まれているよ。もう少し一緒の時間を過ごしていたら、もう少し言葉を交わして
いたらって。
だよね。でも、そういう感覚を持ってる人は優しい人だと思うよ。
>>22 こういうことって周りの人に安易に言えることじゃないし
たまに思い出して自分のなかでモヤモヤした気持ちに苛まされる人
案外多いかもしれない
このスレになら、いくらでも溜まっているものを吐き出して良いんだ!
ごめん、もうちょい書かせて。
俺告別式も参列したんだけど、最後に棺が火葬場へ向かう際に親族が代表して
挨拶をしたんだけど。Hは去年の11月に風邪で体調を壊して入院をしていました。
一度は回復の兆しが見えたため大学にも通うほどでしたが年末にまたも風邪を
こじらせて入院を余儀なくされ、先日それが原因して肺炎で亡くなったって
言ったんだ。笑っちまうだろ、このご時世の発達した現代医療で風邪こじらせて
肺炎で死んじまったんだよH君は。病み上がりの体をおして学校なんかに来るから
また風邪なんかひいちまうんだよ、馬鹿だよほんと馬鹿だよ俺。わかってたんだよ
H君は自分の命はあと余命いくばくもないって、だから俺と会ったあの日はずっと
話し掛けてきてわざわざ切符まで買って俺と同じ電車にも乗ってきて、少しでも
俺と一緒にいようとしたのに俺はたかだかバイトあけでねみーからなんて思ってて
目を閉じながらうんうんなんて言ってたんだよ。ほんと馬鹿だよどうしようもない
くらい。
人間の命って儚いから尊いんだなんて偉そうなこと言ってるわりには、やってる
ことはそんなことで自分自身が一番自分の言ってることの意味を全然わかってねーよ。
逆に、自分がいなくなる立場だとすれば
「いつまでも後悔しないで、悔やまぬ様に毎日を生きれ!」
と言うと思うので出会いを大切にして欲しいと思った。自分も。
28 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/24 16:05
女子高生です。
2年前に母親を癌で亡くしました。
病気ひとつしない上に忍耐強い人だったので
亡くなる4ヶ月くらい前まで病院に行っていず、
ただ『頭痛がする。風邪か更年期障害かな?』なんて言って普通に会社に行っていました。
でも、私も父も、夜母が台所で苦しそうに吐いているのを知っていました・・・。
母が寝込むようになって一ヶ月たったころ(冬休みでした)、昼間父から
電話があって、母に救急車を呼んでやれと電話がきてそのとおりにしました。
一緒に救急車に乗って病院に行き検査の結果を、かけつけた父と半日待っていました。
検査の結果、どうやら脳出血か何かのようだと言われましたが、
もっと精密な検査結果をまって欲しいと言われそのまま母は入院することに。
その時検査を終え横になっていた母が言ったのを覚えています。
『大丈夫よ、お母さんはそんなに簡単に死なないから』
年末だったため正月休みに大掛かりな検査はできなかったので
年明けに検査をし、その結果を伝えるから家族そろって病院に来るよう連絡がありました。
親戚も来たので悪い予感はしたのですが・・・
末期癌を宣告されました。
『余命3ヶ月、長くもって半年』といわれました。
泣いて目が腫れた私を見て、いとこは『今日は(母に)会っちゃだめだよ』と言いました。
それからの日々は悪夢のようでした。
母は日に日にやつれ、急速に視覚・聴覚を失ってゆき、
一日中痛みとたたかっていました。
毎日お見舞いに行くのがとても辛かった。
3ヶ月と言われていた余命は1ヶ月なく、最期は五感を失っていました。
晩年母が頭痛に耐えながら作ってくれた料理を精一杯褒めたこと、
寝込むようになった母に近所のケーキ屋さんでショートケーキを買って
あげたら喜んでくれたこと、
それから、それまでの色々な出来事を思い出すと胸がいっぱいになります。
今は、母の冥福と、父の健康を祈っています。
全部読んでくださった方、ありがとうございました。
31 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/24 23:39
今日は祖父の命日です。七年目になると思います。
何もできなかった。しようともしなかった。「子供だから」って自分に言い訳して、大人(親)に全部負担を押し付けて。
歩けなくなって、喋れなくなって、だんだん惚けてきていた祖父の世話なんか全然しないでさ。最後のコミュニケーションだって思い出せないの。
そもそも、あったのかすら思い出せないんだよ。
そのくせ葬式ではいっちょまえに涙流してやがったの。
今日も、父からメールもらうまで命日だって忘れてたの。ほんと最低。何年目かもはっきりと思い出せないんだ。
心から祖父のことは尊敬していますし、誇りに思っています。これは本当の気持ちです。
そのくせ、どうせこんなモヤモヤした後悔みたいな想いも数日したら忘れちゃうんだろ?って思ってる別の自分がいて。
何なんだよ私?馬鹿じゃねえの?って。
なんか、うまく言えなくてごめんなさい。
なんかスレ違いでごめんなさい。
sage
33 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/25 19:14
31
私も、祖母が死んだのが反抗期真っ只中だったから冷たく当たった。
最後のやりとりも思い出せない。
ジュース買ってきてって言われて嫌そうに行ったら「それあげる」って
自分が立てないから私にあげられる物がないと思ったんだと思う。
それすらその頃はうざいと思ってしまって。
最期の日々は本当後悔してる。
祖母が死んだ事より後悔でかなり泣いた。今でも。
でも人前では泣かなかった。
冷たい子だって親戚に言われたけど事実だからこそ我慢した。
でも泣かないのも母を傷つけるのかな…なんて。
本気で好きじゃなかったと見えたら…。
34 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/25 20:21
ガセネタばかりでよく続くな・・・・
>>33 なんか気持ちわかります。
てゆうかおばあさんが『それあげる』って言った時の(33さんとおばあさんの)
気持ちを想像すると胸がいっぱいになります。
私も母に反抗した事何度となくあったけど今すごい後悔してる。
でも今もたまに父親に反抗しちゃってます・・・
こればかりはどうしてもコントロールできないんですよ。。
彼が亡くなった後ぜっったい後悔すると思いますけど。
私は母が死んだ時は泣きませんでした。
姉とフツーに病院の近くのコンビニに行ってこれから来る親戚に
お茶などを買いに行きました。
母の死後最初に泣いたのはいつか忘れてしまったけど
葬式で友達とその子のお母さんに声をかけられた時はおもわず
涙を流してしまったのを覚えています。
母が入院して、病状を知った時が一番泣いたかな・・・
>>34 信じてもらえなかったらしょうがないけど、本当の話です。
>>18 ちぃっとは脚色されてるかもしれんが、凄いおっさんだな
スレ違いスマンね
>>33 ああ、あの涙は後悔の涙だったのかな…。今気付きました。ありがとう。
>>28 家族といっても違う人間同士だから、ぶつかり合うことは仕方ないんですよね、きっと。
なんかこれ以上書くとスレ違い一直線なので退散します。失礼しました。
3年前の夏。
友達が実家に帰るっていうから久しぶりに会おうって約束した。
待ち合わせのファミレスに行ったら友達も丁度来たところで
しかもご両親と一緒だったので「どこに行ってきたの。」って
聞いたら「市民プールまで泳ぎに行ってきた。」って。
体育会系の元気な家族で仲良くて良いなって思った。
そんで次の年の早春、その友達はお父さんをガンで亡くした。
ほんの半年くらい前に会って元気だったのに。
で、こないだその友達に子供が生まれた。
先日出産祝いもって遊びに行った。
彼女の実家でお父さんらしい人影をみた。
いろいろ話をしてて「新居のほう改修工事がなんでだか
なかなか進まなくて引越しできないんだ。」と友達。
私にはなんとなくわかった。
(孫と娘にもう少しここにいて欲しいと思っているんだな。
多分もうすぐ命日だからそれまでは孫みていたいんだな。)と。
このことは友達には言っていません。
言わなくていいことだよね。
私がなんだかそう感じてしまっただけで確信もない事だし。
日付が混乱してしまいました。
最後にあったのが真夏、
病気の発見が早春
亡くなったのが梅雨入りの頃です。
阪神大震災のとき、私たち(東灘区)のアパートはでっかいX印のひび割れが出来て、
外が見えるようになった。
慌てて夫の実家(兵庫区)に電話したら、義父がウチも外が見えてるが、大丈夫と
言ったので安心していた。
18日(翌日)になって漸く夫が様子を見に行ったら、2階建てのお店の2階の床が抜けて
いて全壊。
義父夫婦と同居していた親戚は近くの小学校に避難していた。
息子夫婦に心配かけないように大丈夫と言ってくれていたことが分かって、言葉も
出なかった(電話は奇跡的に無傷だった)
夫はそのまま義父・義母・親戚計5人をアパートにつれて帰って来た。
義母はいつもは元気いっぱいで、陽気なおかみさんそのままな人だった。
でも、アパートに避難してきた義母は、小学校で風邪をひき、店が全壊した衝撃で
別人のように落ち込んでいた。
何とか暖まってもらおうと思ったが、狭いアパートに合計9人がひしめき合い、
ガスも水も無い、それに近所の病院は重い怪我の患者や、検死待ちであふれ、
風邪の患者は診てもらえないのでのでどうしようもなく、翌日義父たちには
大坂の親戚に避難してもらうことにした。
今から出ると言うそのときに、見送りに出た私と娘(当時幼稚園の年長)に義母が、
「Kちゃん、おばあちゃんあんたのランドセル買ってあげられへんかも知れないか
ら、今お金あげとくね」と言い出した。
義父も夫もびっくりして、「今だけやん、春まで時間があるし、大坂のデパートで
買ってもええやんか、それに避難先で何にお金がいるかわからんし」と説得したが
いつもはそうでない義母がどうしてもと言って、私にお金を渡した。
夫は「おかあちゃんが安心するならもらっておこう」と言ったが、義母は避難した
親戚宅で心臓発作を起こして亡くなってしまった。
おかあさん、ありがとう、ごめんなさい。あのお金はどうしても使えませんでした。
でも、今年中3になる娘の机の横には今でもおばあちゃんの買ってくれた、ピンクの
ランドセルがかかっています。
46 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/28 01:34
。。・゚・(ノД`)・゚・。
1
私が小学校の低学年ときで、私の祖母が短期間入院していた時期がありました。
妹はまだ幼稚園にも入園していなく、母方の実家に預けられていました。
低学年は学校は早く終わるので私は、下校途中にある祖母の実家
寄って、母の仕事が終わるのを待っていました。
そこにいる祖母の義理の妹(私もよく分からないのですが
祖母は弟と血が繋がっていない)
の叔母に面倒を見てもらっていました。
土曜日は給食が無いので叔母にご馳走になっていました。
今でもその叔母さんが、オムライスを作ってくれた事を覚えています。
私は大きくなるにつれて、そこと交流がなくなっていきましたが、
中・高と通学途中だったので会釈ぐらいはしていました。
その叔母の家は小さなガソリンスタンドを経営しており、高校生のとき
バイク通学だった私はそこのスタンドで給油をしていました。
2
そんな時、その叔母さんは体の不調を訴えて病院にいってみると、
癌であることが分かりました。すぐに入院して手術をして、
それから半年ぐらい病院で生活して一応直り、退院して家に帰ってきました。
それからまた、1年ぐらいした頃に、その叔母さんはまた体がだるい・足が重い
などの体の不調を訴えて病院にいきました。そのとき医者は大丈夫だと
いって薬を処方して、通院してくださいと言っただけでした。しかし、叔母さんの
体の具合はなかなか良くならず、起き上がるのも辛い状態になり、
ちゃんとした病院で精密検査を受けてみるとやはり癌の再発という結果で、
リンパなどにも転移していて、どうにもならない状態だったそうです。
医者も紙袋にいくらか包んで、自分のミスだと謝ったそうですが、そこの叔父は
こうなってしまったんだから、どうしようもないと言って受け取らなかったそうです。
3
大学生になって実家を離れていた私は、車の免許を持っていることもあり、
この前の春休みで実家に帰ったときに何度か、うちの祖母を連れて病院に
叔母をお見舞いにいきました。最初の入院のときからは高校の部活や大学入試
で忙しかったので、癌になってしまった叔母に会うのは初めてでした。
そこで会った叔母は本当にやせ細り、顔色も悪く、昔とは別人でした。
食事も食べた後吐いてしまって余計に辛いというので、
葛湯のようなものがやっとだと言うことでした。
そんな中でも叔母は私に気を使ってくれて
「わざわざ来てくれてありがとう。」
とかいって、お見舞いにもらったのジュースと私に勧めてくれました。
3度目にお見舞いに行ったとき祖母の病室は個室に移っていました。
なんでも、薬が合わない(効かない・苦しがる)ということで
どんどん悪い方向にいっていました。
私の春休みが終わりが近づき、大学に戻らなくてはいけないので
最後のお見舞いに行きましたが、そのときも、
「次にこっちに戻ってくるのは夏休みやなぁ。」
とかいう話をして帰りました。
50 :
自分がこっちを書くとは。。。:03/05/28 03:32
4
しかし、私はその時、夏休みになって私が実家に帰ってくる頃には
もう叔母はこの世にいないだろうという話を父や祖母から聞かされていました。
そのときの私はどうすることも出来ず、気の利いた言葉も特にいえず別れました。
大学の授業が始ってしばらくして家からのメールで、叔母が何日も意識不明で
いつ死んでもおかしくないという事をしりました。それから1ヶ月がたち、
今さっき、叔母が死んだというメールが来ました。
分かっていたことだけどやはり悲しいです。
これを書いている途中に涙が溢れてきました。
長文・駄文すまそ
51 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/28 04:04
ちくしょうないちったじゃんかよ!
>>44-45 あの時幼稚園で、今、中学生?
何か計算合わなくない?
・・・って一瞬思ったが、もうその位になるのかぁ。
>>あのお金はどうしても使えませんでした。
>>でも、今年中3になる娘の机の横には今でもおばあちゃんの買ってくれた・・・
ここんとこがよくわかりませんでした。
>>52 上の娘さん、ということでは?
その娘さんが小学生になる頃はまだご健在だったでしょうから。
54 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/29 21:51
阪神大震災は1995年。
今年は2003年。
そうか8年か・・・・(*´∀`)
>>52 おばあちゃんから貰った紙幣そのものは使うことができなかった
ってことだろ
形見みたいなもんだし
56 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/30 01:33
大学3年の夏、バイクを買った。すごく気に入ってていつも磨いてたし、遠くへのツーリングも何度も行った。
大事にしてたので機械の調子は良かったのだが、4年の秋に卒業旅行の資金作りのため、泣く泣く手放すことに。
バイク屋に買取ってもらうために家を出る時、セルを何度回してもエンジンがかからない。
今までどんなときも一発でかかっていたのに・・・
「あー機械にも心はあるんだ。」と思った若き日の俺。
微妙なスレ違いでスマソ。
他にも、事故った日に限って、いつも持ってるお守りをウチに忘れてたりとか。
57 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/30 04:08
良すれハケーン!
58 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/30 04:35
3年前の大晦日、年越し20分位前に爺が病院に運ばれたって電話があった。
親父、母さんはもういままで見たこと無いような顔してた。
で、その10分後位に死んだって電話があった。
母さんが電話取ったんだけどその場で泣き崩れた。
親父は黙って机にあった腕時計みて「11時50分か・・」つってた。
ちなみに父方の親。
3人兄弟なんだけど、兄貴は旅行、俺と姉貴がその場にいたけど勿論なにも言えなかった。不思議と悲しみもなかった。というか信じられなかった。
何でかって言うと、大晦日の昼には爺のとこにいた。全然元気だった。
毎年ダチとかと過ごしてたけどなんか気まぐれで何年かぶりに大晦日に爺のとこ行った。
で、爺「えーだれだー○○(兄貴の名前)か!」
俺「いやとも(自分の名前)だって!」とか何気ない会話したりもしてた。
で、夕方帰るとき、久々に行ったもんだから何年かぶりにお年玉もらった。
袋に手書きで「たま」って書いてくれた。俺の名前、ずっと「たま」って呼んでたから。
ほんとうに忘れてたのかもしれないナァ。
死因は不明。検査?するとき多少調べてもらったけど解からなくて「頭も調べますか?」ってきかれたけど流石にそれはかわいそうってことになってやめた。
お風呂で湯船につかって、眠るように死んでたって。
苦しまず、逝けたのはよかったなぁと思う。
だ、ダセェ。書いて泣いちゃってるよ。
数年前、昔バンドを組んでいたGtの友人が交通事故で亡くなった。
葬儀も出し終わった後日、音楽つながりの友人だけを集めて内輪で
「ライブハウスを借りきって送別会をやってやろう」という話の
運びになった。
後日みんなで集まり、ステージで様々な友人のバンドが演奏し、
みな悲しみを吹き払うように呑んで騒いでいた。
そして亡くなったGtの親友のバンドがステージに上がり、弔辞の
ような事を喋り演奏しようとしたその時、
パリ−ン!!キィィィイイイーーーン!!
いきなりライブハウスの証明が割れ、Gtアンプがハウりだした。
その後も次々と怪現象があらわれ、みんなパニックになってその
ライブハウスを我先にと逃げ出した。
それほど大勢の人間がいたワケではなかったので誰一人大事には
至らなかったが、最後にステージで演奏しようとしていたその友人
だけは驚愕よりも恐怖の表情を浮かべて佇んでいた。
そして騒動が落ち着いた後、それとなく「どうかしたのか」と聞くと
「あいつ・・・やっぱり怒ってるんだ・・・。」
「へ?何で?この送別会が気に入らないって事?」
「いや・・・俺、最近メジャー系事務所のオーディションに受かった
だろ・・・?
さっき演奏しようとした曲・・・。
アレ・・・アイツの曲をパクったんだ・・・それで・・。」
「そうだったのか・・・・。でも気のせいじゃないのか?
だからっていくらなんでもこんな・・・。」
「違う!俺聞いたんだよ!
あの騒動の時逃げようとしたらGtアンプから”それは俺の曲だっ!!”
って・・・・。」
な〜んて話を何かの本で読んだよ。
お金は今でも封筒に入れて、リビングに飾った義母の写真の横に置いてあります。
それでも娘にとっては、ランドセルはおばあちゃんに買ってもらったものです。
64 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/31 16:21
>>61 マターリ良スレにガクブルな話(・A・)イクナイ
いやありがとう。
65 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/31 17:10
ここ読んでたらとイテレーターという言葉が思い浮かんだ。
会話じゃないけど親父が倒れて3日くらい意識不明だったんだけど
意識戻って(呼吸器つけてるから会話できず)翌日大学の講義あるから
1日2日下宿に戻らなきゃって時に、親父の手握って「ほんじゃすぐ来るから」って
言って握り返してくれたけど、2日後病院戻った時には又意識混濁で
そのまま逝っちゃたなぁ。あの時の温もりは何年経っても忘れられない
このスレ読んでると家族が死ぬときは絶対そばで見守ってやりたくなるなぁ。
ということであげ
68 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/31 18:16
このスレ読んでると、自分が死ぬ前にどんなこと言うのかなって思っちゃうよ
69 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/31 18:17
70 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/31 19:51
弟(享年19歳)を12年前に事故で亡くしました。
亡くなったのが木曜日。その前の日曜日たまたま実家に子供と帰ってて
その時、いろいろ話したはずなのに全然覚えてなくて・・・。
その前に会った時は、車でどこかに送ってもらったんだけど
お気に入りのカセットがあるらしく、私に聞かせようとしてたのに
初心者だったんでハンドルがふらついて「危ないから止まってる時に探してよー!」と怒っちゃった。
結局、弟はカセットテープ探すの諦めてしまったんだけど、あの時私が探してあげて
どんな曲がお気に入りだったのか一緒に聞きたかった。ほんとに残念。
いつも会えると思ってると、ついつい邪険に扱ってしまったり、適当に聞き流したりしますよね。
本当は言葉の一つ一つだ大事な思い出になるんだな、と弟が死んでからわかりました。
弟が事故で死んだ時、実家の母もでかけてて連絡が遅くなって、一番最初に連絡のついた父が
救急病院に着いた時には「一足遅れでした」とお医者さまに言われたそうです。
あの時誰か1人でも連絡がついて耳元で名前を呼んであげられたら・・・。
朝、普通に出かけた人でも、あっけなく死んでしまうんですよね。
12年たっても、すべてが後悔ばっかり。
こんな思いはもうしたくありません。
71 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/31 20:37
>>70 どれだけ相手に尽くしていても、居なくなってしまえば
後悔は残る。いい思い出も残るけどね
後悔が大きい分愛情も大きかったんじゃなかろうか?
仲間の一人が殺されてしまいました。
彼はそいつを倒しに行って返り討ちにあったようです。
生前、その殺した犯人の居場所を調べているとき、彼はオレに
「サンキュー、恩に着るぜ」なんて言ってキスしてきたりして、
オレも「○○!油断禁物だよ」なんて言ってました。
そして彼が戦いに行った後、しばらくしても彼は戻らないので、
オレはもう一人の仲間のFに「○○帰って来た?」と聞いたのですが、
まだ戻って来ていないようでした。
Fは「心配無用ね。あいつ簡単に死ぬタマ違うよ。」なんて言ってましたが、
結局彼は戻らず・・・。仲間のNは特に彼の死を悲しんでいました。
やっぱりあの時オレもついていけばよかった・・・。
73 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/31 23:21
私が小6の時、祖父が93歳で死んだ。
元気だったじいちゃんが、朝、突然植物人間のようになってしまって、即入院。
手術をしようとしたけど、歳がもうやばいから、危ないってことでやめたらしい。
今思えば、かなりもう死ぬ事を予測されてたけど、私は
絶対私の身内の人は死なないって思っていた。
ある日、夢に突然じいちゃんがでてきた。
水色の背景にじいちゃんが浮かんでいて、一生懸命私に何か喋っていた。
「なに?じいちゃんー、何いっとるかわからんわー」とか言ってたら目がさめた。
起きたら、父母がいなくて、兄に聞いたらじいちゃんが死んだから出掛けたと言ってた。
兄に、「今、じいちゃんが夢にでてきた」といったら、兄も「僕もじいちゃんでてきた。」
といっていてビックリした。
「何してた?」てきいたら、「じいちゃん、金くれた。」といっていた。
私にはくれなかった…。しょぼーん。
でも、じいちゃん私達の事心配してるんだなー…と思った。
長い上に、わけわかんなくてゴメン。
74 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/31 23:23
コピペ臭いなぁ
じいちゃんのずっと貯めてきた通帳だかが、見つからないらしい…。
もしかして、兄が見つけるのかも…と思っていたら、悔しかったです…藁
76 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/05/31 23:59
自分がまだ小学生の頃、叔父が父に電話をくれた。
何度も父が「え? え? なに?」を繰り返してるので、その会話は小学生
の自分が聞いても不自然だったので今でも覚えている。
電話を切った父は「なんだが兄貴が何言ってるんだかわからない」ってつぶやい
てました。叔父の方は電話を切ったすぐ後に「ちょっと頭が痛い。寝る」
って背広姿のまま寝てしまったそうです。大いびきにはっとして
叔母は救急車を呼びましたが、いちども目を開けることなく逝ってしまいました。
最後に話したのが弟(私の父)というのが不思議です
79 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/01 08:45
家のたった一人の孫が ここ何年もヒッキーで
同じ家に居ても なかなか顔を見たことが無い
私がもし 死んだ時でも 葬式に出てくれない状態だと思う。
親戚の手前もあるし 困ったもので 孫の引きこもりが 治るまで
何とか老体に 鞭を打ってでも 生き延びなければと 思う。
81 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/02 02:00
祖母が亡くなる三日程前、出かけようとしていた俺に
「○○、今日は気分がいいから起こしておくれ」と言った。
起こしてやりながら、当時妻のお腹の中にいた長女の話をした。
生まれて来たら抱いてみたいねえ、なんて言っていた。
「じゃあ、行って来るわ。」「気を付けてな。」
これが最後になってしまった。
こんな何の取り柄も無いヘタレ孫を最後まで気にかけてくれたばーちゃん。
お礼と言っちゃあなんだけど、最後の約束は守ったぞ!!
>>79 かなりのご老体と見たが、がんがれ!
でももしかして孫も2ちゃんねらーだったら、2ちゃん上で知らないうちに
コミュニケーションとってたりしてそれはそれでほのぼの。
>>56 同驚!
私も車売る事になって、
引き取りに来てくれた日、バッテリーあがって動かなかった…。
原因的にはよくあるけど、私的には初めてだったし、偶然とは
思えなかった。
けど56同様、微妙にスレ違いでゴメンナサイ…。
しかしみなさんのはホント泣ける
85 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/03 15:38
ほんと、ココ来ると大事に生きようって思う
俺最近嫌な事ばっかで「死んだら楽だろな〜」みたいな事考えてた・・・
けどもうやめにする!もがいてでも生きてやる!
じいちゃん、ばあちゃん つまんない孫でごめんよ!
もっと話しとけばよかった アンタ達に似て酒はメッポー強くなったよ!
デカイ男になるからみててくれよ!
って全然スレタイに沿ってないね スマソ・・・
86 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/04 19:56
「じゃあね、バイバイ また会おうー」
っていって、死ぬのが、漏れの理想でつ
入院しててあんまり具合もよくないのに体の自由がきく
ところまで出てきてくれて、笑いながら手を振ってくれ
たのが最後かな。「じゃね、また見舞いくるから」って
言ったらニコニコしながら「おぉー」って返事してた。
次の日、緊急手術したら容態が急変。年齢がイキすぎ
てて耐えられなかったようだ.
まったく臨終の場に立ち会えないでツライ思いをする
人も沢山いるけど、最後、お互い、笑い合いながら
手を振って別れを告げた瞬間はきっと忘れないだろう。
おじいちゃんは私たちの住んでいるところから、
かなり遠くへ住んでいるので
危篤状態の時に、ひ孫を見せに行くような状態でした。
もう意識が朦朧としている状態なのですが、
私たちのことは、わかったようです。
どうしても子供と一緒の写真を撮っておきたかったので
病院のベッドの横に立って写真をとりました。
写真が出来上がって気がついたのですが、死の瀬戸際に
おじいちゃんは、ひ孫の横で、両手でピースマークを
作っていたのです!
頑固者で生真面目なおじいちゃんにしては
考えられないお茶目さで、写真を見て笑い泣きしました・・・。
3ヶ月ほど前に祖父が亡くなりました。
その前に1年くらい入院していたんですが、パーキンソン病を患っていたせいで、
口も不自由だったし殆ど寝たきりでした。
私は学生で実家を離れているので帰省した時しかお見舞いに行けなかったんですが、
それでも帰省中は殆ど毎日お見舞いに行っていました。
亡くなる前の最後の休みに帰省した時、私は大学に戻る前に病院を訪れて
「おじいちゃん、今から帰るけえね」と声を掛けました。
そうしたら、もう喋ることも殆どなくなっていた祖父は私の方を見て
「気ぃつけてな」と微かに声をかけてくれたんです。
危篤状態で呼び戻された時にはもう反応すらないような状態だったので、
それが私と祖父の最後のコミュニケーションでした。
初孫の私を誰よりも大事に可愛がってくれた祖父の優しさだったんだなあ、と
今になってしみじみと思います。
お棺の中には、小さい頃に一緒にごっこ遊びをしてくれた時に使っていた
学習ノートを入れました。
私は優等生の役、祖母が先生の役、祖父はいつも出来の悪い生徒の役でした。
祖母が作ったテストではいつも態と間違えてくれて、そのたびに私が
正解を教えてあげていました。
おじいちゃん、本当にありがとう。大好きです。
90 :
名無し募集中。。。:03/06/05 22:33
年末だったため正月休みに大掛かりな検査はできなかったので
年明けに検査をし、その結果を伝えるから家族そろって病院に来るよう連絡がありました。
親戚も来たので悪い予感はしたのですが・・・
末期癌を宣告されました。
『余命3ヶ月、長くもって半年』といわれました。
泣いて目が腫れた私を見て、いとこは『今日は(母に)会っちゃだめだよ』と言いました。
91 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/05 23:31
じいちゃん病院でしょっちゅうバァさんに会いに行くって言って目をつむって
マジかよ!!?ってみんなが注目すると「嘘じゃわい」ってネタやるんだがまさ
か家族の方をって医者に呼ばれた直後にもそのネタするとは思わなかった。
5分くらいしてからホントに死んだけど
92 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/06 00:19
>>91 うおおおおお。
それはきっと最後のその瞬間にその台詞を
言いたかったがためのじいさんの打った布石だぞ。
深読みだが何だかキタ……。
94 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/06 02:08
毎朝「また今夜ね」と飼犬に声をかけて出勤するのが日課だった
ある日たまたま声をかけなかった日があった
帰ってきたら
犬 が 死 ん で い た
声をかけてれば生きてたのかなー・゚・(ノД`)・゚・。
悲しいなそれは
死に行く日だからこそ、さりげなく、静かに別れたかったのかもよ。
それが無意識に、94に伝わっていたとか…?
死期がくると、姿を消したがる犬タンもいるし。
97 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/06 02:50
漏れが高2、4年くらい前の時だっけな。
ある日突然田舎ばあちゃんから20万もの金が入った封筒が届いたんた。
母親は感謝の言葉と、なぜそんな大金を送ってきたのかを聞くため電話してたんだけど
別の部屋で本を読んでた俺を突然母親が「おばあちゃんが電話変わってだってよー」と呼び出した。
で、電話を受け取ったらおばあちゃんが「ター君(あだ名)やー、最近来ないねー、おばあちゃん達が嫌いになったのかー?」とか
普段とてもじゃないが言いそうにないことを言い出したのでちょっと困惑し「いや、、、そういうわけじゃ、、、ハハハ、、、」
と苦笑まじりで応え、その後は淡々と学校の話とかしてすぐ話終わった。
今は千葉県の東京にほど近い場所に住んでいて昔は年に一回ほど行ってたのだが母親の姉の子供達も大きくなり
あまり田舎に来なくなって遊び相手がいなく、岩手の山奥ということもあって正直退屈になってしまうのは目に見えてたので
数年行ってなかった。
次の日学校行って家に帰ってみたら母親がいなかった、テーブルに置手紙があるのに気づくと
母親の字で「田舎に行ってきます」と簡潔に書かれていた。
一体何があったんだろう、ふと昨夜の電話の事を思い出し、嫌な胸騒ぎがして
すぐに田舎に電話する、すると電話に出たのはおじいちゃんでもおばあちゃんでもなく
近所に住む従兄弟のおばさんだった。
「あの、今日母がそちらに向かったんですが何があったんですか?」とおばさんに聞く。
電話の向こうは大勢の人の声、足音で騒がしい。
「あぁ、おばあちゃんね、倒れられたのよ・・・」
「え?どうして急に?何か病気ですか?」
「・・・・・・・」
「ター君には教えてもいいのかな・・・」
「おばあちゃんね、首を吊って、、、、うん、、亡くなられたの、、、、」
それから先、おばさんは語ろうとしなかった。
頭の中が真っ白になり、何も考えられなかった。
岩手の山奥で何十年と暮らしたおばあちゃん、一体何が原因で自殺を選んだのか、今も誰もわかってない。
今となって思うとあの20万円という額は香典と家族3人の交通費だったんだな。
>>97 なんかおばあさんが自殺って、あんまり聞いた事ないような気がする・・・
孫にしてみれば衝撃だよね・・・(´Д⊂)
>97
寝たきりになったら・・・とか考えちゃったんですかね...。
101 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/07 08:52
>>100 だって日本には交通事故死者の3倍ぐらい自殺者いるんだし、
報道される自殺事例はよっぽど特異なものだけ。
102 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/07 09:40
5年前になるけど私のおじいちゃんが亡くなりました。
季節は冬で前日はクリスマスでした。
私は12月の初めに結婚しました。結婚式会場が車で1時間ほどかかる
場所だったのでおじいちゃんは最初っから式には出ないっていってたの
そして結婚式前日 おじいちゃん 何を急に思ったのかタンスの引き出しを
開けはじめて ワシも出席すると言い出した どうしても行きたいと
そんな急に言われてもって困惑してたんだけど礼服がサイズ合わなかったのね
やっぱり無理なのかなぁって おじいちゃんつぶやいてた
その晩家族に出席したがってたことを話すと 少し遠いから(会場)
無理しないほうがいいよって みんな説得されました
結婚式が無事に終わり私も新居に移って2週間目のことでした 続きは次
103 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/07 09:46
以上、いつもの妄想でした
104 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/07 09:47
実家から日付前くらいに電話があっておじいちゃんが倒れたとのこと
まだ危篤状態ではなかったものの お見舞いに行かなきゃって思いました
次の日の朝に家を出てもよかったんだけど
なぜか不思議に今すぐ家を出ないといけないやって直感しました
夜中に病院について3時すぎぐらいまで病院にいたんだけど
大丈夫そうなので一旦実家の家で寝ることにしました
朝になって見舞いに行くとおじいちゃん 必死に私たち夫婦のことや兄夫婦のことを
語り始めて 鼻歌も歌ってたくらい陽気でした
昼前になったころでしょうか
息子(私の父)はいまどこにいる?ってしきりに言い始めて・・・
父は私たちと交代で家に帰り睡眠をとってたんですよ
旦那が(うそなんだけどね)もう父はすぐすこまで来てるから
もうちょっと待ってねっと
5分後くらいになるとおじいちゃん危篤状態でそのまま永眠されました
後日談は続き
105 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/07 09:53
後日談です
結婚式をあげてからというものおじいちゃんはとても寂しそうだったと
倒れた日のことも後から聞いたけど泣けました
その日いつものように畑仕事をして近くの農協でもうすぐ正月だから
私たちや兄夫婦にお年玉をあげようとお金をおろしてたんです
帰りに畑をもう一度のぞこうとしたら 倒れてしまい
そのまま病院へ・・・
父がお年玉は生前にあげようとした気持ちをくんで お年玉を渡すと
言ってきました。
金額は2万円 おじいちゃんありがとうって生きてるうちに言えなかったけど
ほんとにありがとうね
結婚式に出たかったのも もうそろそろ時期がきてるとおじいちゃん
わかってたのかもしれませんね
106 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/07 13:10
おじいちゃんっ(涙
自分はおじいちゃん生まれる前に二人とも亡くなってて知らないので
この話しはちょっと悲しいけど、こんなやさしい思い出があるだけ羨ましいです。
>>102−105
いい話なんだけど、時間軸と文章を整理しないと少しわかりづ(ry)
泣けるね・・・ここ、不覚にも読みながら号泣しちった。
去年逝った親友を思い出して涙が止まらないよ。
俺も書きたいけど、このスレの主旨が「最後の何気ないコミュニケーション」
だとするなら、微妙にスレ違いなのかな・・・。
だって、そいつとの思い出は何もかもが特別なものだから・・・
ダメだ、また泣けてきた。逝ってきます。
109 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/11 03:07
すまん。。。オレのワガママだ。上げさせてくれ
110 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/11 03:17
おじいちゃんおばあちゃん関係の話はたまらないよ・・・。
涙が出てくる・・・。
おばあちゃんはくも膜下で突然亡くなりました。小さい頃から正月会いに行くと 毎回戦争の話を聞かされていました。正直 またか‥って思ってたけど
親戚一同みんな楽しく過ごす中、ふちでポツンと一人で座っている姿が淋し気で 相手してあげなきゃ。と思い、毎年同じ話を聞いていました。
続き
その後 私の知らない間に おばあちゃんは施設にいる と、聞かされました。何故施設へ行ったのか父に聞くと 曖昧な答えが返ってきた。私はその時分かった。きっと同居していた父の兄夫婦が面倒見きれなかったんだろう。以前から邪魔扱いしていたから。
許せなかった。面倒大変だろうけど許せなかった。まだその頃は健在だったおじいちゃんにも会わせてもらえないまま、おばあちゃんは。。
続き
おばあちゃんが亡くなって2年後、おじいちゃんが癌で亡くなった。おじいちゃんもおばあちゃんと同様、いつもみんなの姿を隅っこで見ていて 笑顔だった。たくさんの孫達の写真撮ったり、小さな工具でいろんな物作ってくれた。そんなやさしいおじいちゃん。大好きだった。
続き
おじいちゃん、みんなは忘れてたけど、おじいちゃんの使ってた工具、形見としてもらったよ。後、いつも新聞読む時使ってた虫めがねも。
おばあちゃん、大切な話聞かせてくれてありがとう。いつも話しながら剥いてくれたりんご、おばあちゃんのぬくもりいっぱいで おいしかったよ。
じいちゃん、ばあちゃん、会わせてあげられなくてごめんね。
そして、ありがとう。
続き(最後)
おじいちゃん、おばあちゃん、今は一緒に居るよね?よかった。
また会いに行くからねっ!!
皆さん、長文スマソ。ここで書き込む事で
また祖父母に気持ち伝えたかったんで。。
人間の話じゃなくて済まないんだが。
僕が高校に入学した年のゴールデンウィークに、家族で金沢に旅行に行った。
早朝の兼六園を散策していると、大きな犬(多分ラブラドールレトリバー)と散歩
している人がいて、犬を触らせてもらったりして、少し話をした。
「うちでもあんな大きい犬、飼いたいねー」なんて言っていた、その一ヶ月後。
親父がデカイ犬を連れてきたw
知人に頼まれて子犬を探していた親父が、保健所へいってみると、檻の中にいる一匹の
デカイ犬と目があったそうな。
聞けば、その檻は、明日薬殺される犬たちの入っている檻だった。
「そう聞いたら堪らなくなってなぁ。連れてきたよ」
って親父オイ!いくら何でもでかすぎだろコイツは。
なんせ立たせれば170cmの僕の肩に前足を掛けられるほどの体長だ。
どー見ても成犬だ。ここまで育っちまったら、懐くものも懐かんだろう。
続き
だが、その犬はあっさりと懐いたw
さすがにコロコロと環境が変わったせいだろう、しばらくは落ち着かなかったが、一ヶ月
もすると、何年も我が家にいたような顔をして日向ぼっこをしていた。
犬種はどうもイングリッシュセッターのようだ。図鑑を見たら、そっくりな犬が描いてあった。
世界最高の鳥猟犬という説明書きが付いていたが、うちの犬は全くもってバカ犬だった。
確かに鳥に対しては敏感に反応するんだが、それだけ。
車が好きで、乗せると降りようとしないんだけど、一旦ドアを締めて、五分位して
「着いたよー」とドアを開けると喜んで降りてくるのだw
女の子が好きで、足にすがりついて腰振るしw
でも、人間が好きな犬だった。
捨てられて、殺される寸前までいったくせに、そんなことを全く感じさせない位、初対面
の人にも愛想がよく、甘えん坊だった。
僕は犬が笑うのを初めて見た。
続き
遊んでもらえる時の嬉しそうな顔。しかられる時の情けない顔。
犬ってこんなに豊かな感情を持ってるもんなんだって、すごく驚いた。
生まれてからこのかた猫派だったお袋は、あっさり犬派に乗り換えた。
そして、僕は高校を卒業し、実家を出て大学生活を始めた。
ゴールデンウィーク、夏休みと帰省する度、嬉しそうに僕を出迎え、散歩をせがむ犬。
ただ、体の調子が良くないようで、いつも通りの散歩コースの途中でへたり込んで
しまう事が多かったのが気懸かりだった。
そして、1月22日。
授業が終わって寮に帰り、飯の支度をしていると、電話が鳴った。お袋だった。
犬の様子がおかしいから、親父が病院へ連れて行った、と。
ラスト。
だが、僕にはどうすることもできなかった。
すでに午後6時過ぎ。手元に金は無いし、借りていた親の車も年末に返してしまった。
心配だったが、どうしようもなかった。
午後9時。お袋から電話。「駄目だったよ…」と。
僕もお袋も、その後は声にならなかった。
電話を切ってから、ぼんやりといろんな事を考えていた。
三時間か。
改めて涙が出てきて、止まらなくなった。
三時間あれば、高速を使えば帰れたのに。なんであの時、帰る算段をしなかったんだろう。
車を持ってる友達はいたんだから。
何よりも、車が好きな自分が、何も出来なかったことが自分にとってショックだった。
車さえあれば、せめて最後に間に合ったかも知れなかったのに…
そして、僕はガソリンスタンドでバイトを始めた。
整備も随分できるようになって、友達の車の面倒も見るようになった。
車に関する頼まれ事は、どんな事でも引き受けるようにしている。
「あのとき車があったら」なんて思いは、してほしくないから。
長文スマソ。
120 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/11 08:06
ここはこう、涙が出そうになる書き込みが多いね。
漏れは今年祖父が亡くなったんで
>>111〜
>>115も、
犬も飼ってるし
>>116〜
>>119の気持ちもよくわかるよ。
朝から目が赤くなってきちゃっただろうがゴルァ…(´Д`;)
121 :
メージロウ ◆n3VYsMSBOQ :03/06/11 08:23
122 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/11 10:11
当時一ヶ月後に結婚を控えていた同僚に聞いた話。
子供が出来た事を結婚が決まっていた彼に伝えると、
「そうかぁ、これで俺が死んでも〇〇(彼女の名前)が生きていれば、
命は続いていくんだなぁ」
と嬉しそうに言われたそうです。
その時は縁起でもないと怒ったそうですが、
彼は次の日の新入社員歓迎会の帰り道、
車にはねられて亡くなってしまいました。
普段は殆ど酒も飲めない筈の彼が、
その日に限って浮かれていたんでしょうか。
酔い潰れて車道で寝てしまっていたそうです。
同僚は何度も堕胎と自殺を考えたそうですが、
死ぬ前日の彼の言葉を思い出し踏み止まりました。
同僚の娘は今では5歳になりました。
私をおばさんとさえ呼ばなければ(w とっても可愛いです。
天国から見てるかな。
敢えて書く。
ほのぼの話ばかりでは、オカ板に存在する意義がない。
意味があるから、続いてるんだよ、このスレは。
どんなに凄まじい人生の中にも、ホッと息を付いたり泣いたりする瞬間があるだろ。
オカ板にとって、ここがソレだ。
>>116〜
>>119 犬の話は辛いやね……俺も、田舎で犬が死んだときに電話をくれたのは母親だった。
父親は……泣いちゃったらしくて、電話に出ようにも泣いたことを知られたくなかったのかな。
もう危ないかも、そう聞いたときに田舎に帰ろうと思ったさ。
ただちょっと、距離があってね。日本の真ん中から、日本の端まで大移動だったもんで、さ。
自分も動物好きなので、いっぱい書きたいことはあるが、
遠慮しています。
一応、前々スレくらいから、動物ネタは、スレがあれたり
又、動物ネタなら大体の人が経験があるために
カキコが動物ネタに偏ったりしてしまいスレ違いになりがちなので
一応、禁止となってます。(過去スレ参照)
>>126 同意。このスレのタイトルは
死んでしまった”人”との最後の何気ないコミュニケーション
だからね。
>>122 ウチにも幼い娘がいます。彼女が生まれてから氏ぬのが怖くなった。
怖くてしかたないです。愛娘の顔さえ見られず亡くなった彼の
胸中を思うと、つらいですね。
ここ読んでると人の命は、はかないなぁと思う。特に若くして
亡くなられた人の命は。愛犬の話は微笑ましかったなぁ。うち
のも女好きでよく追っかけてってるよ。それもブス専門で
す(w畜生っていうぐらいだから人の容姿とはかけ離れた女性
が趣味なのかもしれない(www
>>126-127 済まなかった。
ただ、この事はその後の僕の人生観に大きな変化を与えた出来事だったものだから、
つい書かせて頂いた。
動物の話は、もうしないよ。
そうだね。でも、凄くいい話だったよ。仕事がんがれ!
132 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/14 23:05
弟、享年33歳
昨年8月交通事故で亡くなりました。
どちらかといえば仲の悪い兄弟で、弟との思い出といえば
取っ組み合いの喧嘩をしたことのほうが記憶に残っています。
弟が亡くなる1週間前の夜、実家に電話をかけたところ、
弟が電話に出ました。
他愛の無い会話の後、ひょんなことから電話で言い争いになって
しまい、普通なら弟が捨て台詞を残して乱暴に電話を切ってしまうのですが、
その日に限って「兄貴、すまなかった、気にしないでくれ。ちょっと
苛ついていたんだ。」
私も弟の意外な言葉に「俺も大人気なかった、気にしないでくれ、
また電話するよ。」と答えて電話を切りました。
133 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/14 23:17
10年前に亡くなったじいちゃん。たまたま家族、親族が集まった日があって
すごく楽しそうだった。途中寝ちゃったんだけど、枕高くしてずっと寝ながら
みんなを見てるの。「いいな、家族って」なんて言いながら。
じいちゃんちは自宅兼工場だったんだけど、翌日、もう何年もおりてない
1階におりてきて、工場で何か磨いてた。「何してるの?」とお母さんが
声をかけたら「んー」と言っただけ。
134 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/14 23:22
続き。
私はたまたま大学受験を控えてて、祈願にいく日だった。
でも途中雨が降ってきて、傘もなかったし、お母さんに引き返そうと
言われたんだけど、たいした雨じゃないし、もう明日帰ってしまうし(私らが)
どうしても行きたいと強引にいった。
そして帰宅したら、台所で180センチもあるじいちゃんが倒れてた。
瞳孔は開いてて、お母さん曰く「もう死んでる」と思ったらしい。
やっぱり救急車で運ばれたけど、手当のかいもなく亡くなった。
67歳。孫たちの結婚式を楽しみにして「このままだったら見れるね」
なんて言ってたのに、結局誰ひとりの結婚式も見ずに逝ってしまった。
頑固で詩吟と戦争の話が大好きだったじいちゃんだった。
長文スマソ
135 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/14 23:33
>>132の続き
それから1週間たった午後のことでした。
取引先との商談の最中にマナーモードにしてあった私の携帯電話が
ブルブルと振動しはじめました。
会社からの連絡であればすぐに切れるはずなのに、いつまでも
振動し続けていたので、商談の席を外させてもらって着信先が
父であることを確認して電話に応答しました。
「早く、早く戻ってくれ。○○(弟の名前)が・・・・」
「○○(弟の名前)がどうしたんだよ!」
これはただ事でないと感じた私は、商談に同席した上司に
身内に事故があった旨を耳打し、取引先にお詫びの言葉を
遺して実家へと向かいました。
136 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/15 00:18
>>135の続き
ようやく実家につき、放心状態になっている父を心配して
残っていて下さった警察官の方から事故の状況説明を受けたあと
すでに棺に入ってしまった弟と対面しました。
何か悪い夢を見ているようで、不思議と悲しい気持ちにはなりませんでした。
通夜に見えた方々が帰り、父を休ませて、私一人で弟の棺の前で線香を絶やさない
様にしていました。
棺がカタッと音を立てたように思ったので、棺の顔の部分の扉を開けて
弟に「悪い冗談だぜ!」と声をかけると私には弟の顔が微笑んだ様に
見えました。
弟が生前に吸っていたショートホープを1本とって火を着け、
「お前には線香の煙は似合わない。」と言葉を掛けてそれを咥えさせてあげました。
絶対に忘れることの無い最後のコミニュケーションをとることとなりました。
長文、失礼致しました。
いつも仲良しだった友達と別れるときに仕事の違いで口論になり、次に同窓会で会うときに決着付けようと喧嘩気味で別れ、
三年後の同窓会で出世した俺の立派な姿を見せてやろうと、スーツに革靴で決めていったらそいつが居なくて、逃げたんだよとか冗談混じりで、今だに覚えていた自宅電にかけたら、
おばさんがでて2分くらい雑談したあと、あいついる?逃げんなよって言ってあげてよ。というと、そうだよね…と言って黙ってしまったので、何かあったの?と言ったら
聞いてないの?と言われた。その一言でピンと来て、耳鳴りがした。
手紙は送ったと言っていたので引っ越したときにどたばたしていたのを思い出し、挨拶して電話を切ったあと同窓会のメンバーに謝ってすぐ自宅に戻った。
狂うように押し入れからア○ト引っ越しセンターの箱を撒き散らし、中身を確認した。
中から間違えて持ってきてしまった表札のカバーと3通の手紙が入った封筒をみつけた。
二つは広告で、もう一つの封筒は彼の親からのものだった。この時初めて涙がでた。
中には葬式等の日程と彼の手紙が入っていた。
汚い字で、彼女ができたとか書き途中でどうみても私宛てに書いた手紙だった。
涙で濡らさないように注意しながら読み、再度おばちゃんに電話した。
次の日会社を休み、彼の書いた日記のコピーと私からの手紙を持ち墓の前で酒を飲んだ。別れたのは高校で酒を飲んだことが無かったので、たっぷりとかけてやった。
日記に書いてあった話を読み、会話した。確かに彼がいたと思う。
一日墓の前で話をしたあと、おばさんと線香を上げて帰った。
次の休みに親しかった友達と一緒に花火を見せた。
なんとなく楽しかった。
後悔はしたけど、彼は許してくれたと思う。写真を取って帰ったが何も映ってはいなかった。
今でもデスクで、あの頃は目立ちたがりだったのにな、と冗談を言いながら墓の写真を見ている。
あれからだいぶたったけど、事故で死んだ所に花を添えに行っている。
出世した自分を見てもらえなかったのが悔しいけど情けない時に写真をみながら笑うのが好きになった。
二年後だったからだいぶ顔かわってただろうなぁ。
さっき引き出しから埃かぶった日記のコピーを見て、薄くなっていたので来週辺りにまたおばさんちにいってコピーしなおそうと思う。なにせ感熱紙だったから…
長文スマソここの板はなかなかイイです。
テレビより…
141 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/16 12:31
>137-140
(゚д゚)
142 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/17 03:38
俺が高1の時の話。
夏休みに突然、父が俺と2人きりで旅行に行くと勝手に決めた。
はっきり言って、全然乗り気で無かったが行く事となった。
行き先は母親の田舎だった。車で向かいながら、パーキングエリア
で寝泊りした。高1だったってのもあって、車の中で父と2人きり
で眠る事とかが、正直嫌だった。目的地に着いてからも、その近辺の
観光地のような所に行ったりしたが、俺はわざと単独行動を取ろうとした。
一つ覚えてるのが、父がある風景をバックに俺の写真を撮ろうとした時、
俺はメチャクチャ不機嫌な表情でカメラに写ったという事だ。
面倒だったし、何で写真なんか撮るんだよって感じでイライラしていた。
それから2年後、俺が高3の時に親父は癌で死んだ。
母が親父の荷物を片付けている時に手帳の日記を発見した。
そこには、俺との旅行の事が「これが最後の2人きりの旅行になるだろう」
と書いてあった。写真の事とか思い出して、マジ後悔した。
親父が死んだ事に関する強烈な思い出の一つだ。
最後のコミニケーションって訳じゃなく、ごめんなさい。
「これが最後の2人きりの旅行になるだろう」
。。・゚・(ノД`)・゚・。 エーン
144 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/17 14:37
去年の年末あんなに元気でまめに稼ぐばーちゃんが亡くなった。
白血病で入院していた。でもお見舞いに行くといつも強がって…
亡くなる一週間前にお見舞いに行ったときもお正月帰ってくるって言ってたのに…
それが最後だった。俺はその時最後の面会だと知ってるはずも無いのに病室で泣いてしまった。
何故涙が出てきたのかは今でもわからない。
俺は小さい時から迷惑ばっかりかけていたのにも関わらず、何もしてやれなかった…
死に目にも会えずに…ばーちゃん最後までバカな孫でごめんなさい。
亡くなってからばーちゃんの存在の大きさに気付いたなんてホントバカだよね…
見たいと言っていた成人式の姿とか結婚したときの姿とか、ちょっと遠くなっちゃったけど必ずみせるからねばーちゃん!
145 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/17 19:56
142さんのお父さんは、すでにその旅行に行くと決めたとき自分が癌であることを
知っていたのかな・・・それでも哀しいし、偶然だとしてもやはり哀しい・・・
146 :
グランドクロス ◆XXXAXAQILI :03/06/17 22:12
>>142 泣きました。本気で泣けます。ありがとう。
高校を卒業して上京し15年が過ぎた頃、正月も田舎に帰らない俺と両親はほとんど
音信不通になっていた。ある晩、残業で夜遅にアパートに帰った俺はすぐにベットに横たわってしまった。
その晩、夜中にトイレに起きて用を足しているとき、玄関から物音がしたのだが、気にせず眠ってしまった。
次の日、会社から帰ると、留守電が入っていることに気づいた俺はそれを聞いた。
父からのものだった。母が入院したからという内容だった。
2度目だったのであまり気にせず、次の朝、父に連絡したのだが、母は容態が急変し亡くなったと聞かされた。
あっけなかった。入院するときかされて、何も出来ずに母は逝ってしまった。
父は、入院してからあれこれ忙しく、俺への連絡はまともにできなかったと話していた。
実の母は一人しかいなく、母と俺はいつもすれ違っていたが、さすがに悲しかった。
通夜が終わり、東京に戻った日、ポストに封筒があることに気づいた。
切手は貼ってなかった。内容は、xxちゃん、元気? ちゃんとごはん食べてる?
仕事はどうなの?? 等という内容だった。母からのものだった。
不思議に思い、父に尋ねたところ、入院する前日に母が一日だけ行方不明になったそうだ。
おそらくその日にそっちにいったのだろうと話していた。
母は、足が悪く買い物もろくに出来なかった。その足で、東京まできたのだ。
いつも、母と俺はすれ違っていた。最後までそうだった。
おそらくあの晩、母は俺のアパートの前で待っていて俺と話をしたかったのだろうが、
俺が疲れて夜遅く帰ってきたので、声もかけずに手紙だけをおいていったのだろう。
あの晩の物音、たしかに郵便やさんが郵便をポストに入れる音と同じだった・・・
しかし、今は母とすれ違うことはない。なぜなら、母は俺の中で生きているから。
このスレ悲しすぎてみてられねえ、泣きそうになるよ。
149 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/18 02:16
>137-140
長いよ(泣
親の愛は無限なんだって信じられる、ここに来ると。
あれはちょっと違う話になるが、私が会社に入りたてで、帰りに同僚と飲んでいたとき。
仕事のについてあるだけ話し、上司の悪口になっていた頃、携帯がなった。
父からだったので抜けて入り口で話していると、笑いながら元気か?たまには帰ってこいよ。とありきたりなことを言うので暇なんだろうと思って、来週顔見せに行くから。と強引に話をおわらせた。父は最後にお得意の臭い台詞を並べたあと、電話を切った。
気にせず飲みなおして、来週行くかと思っていたが、仕事が入ったので再来週にした。
二週目の木曜の朝、自宅への電話で起きた。
こんな朝から親父も暇だな。と受話器を取ると、妹は馬鹿。の一言。
気になって会社が終わったら新幹線で実家に戻ったときはもう親父はいなかった。
カレンダーの来週行くと言った日曜日が大きな丸でぐちゃぐちゃになっていた。
顔を見せるって言ったのに…
154 :
名無しさん@お腹いっぱい:03/06/18 14:33
>実の母は一人しかいなく
>>147 フツ〜はそうだろ誰でも
155 :
名無しさん@お腹いっぱい:03/06/18 14:35
>自宅への電話で起きた。
>>152 自宅からの電話 だろ?
156 :
名無しさん@お腹いっぱい:03/06/18 14:36
すんまへんな〜。
エエ話に水差してもて
うわぁ、駄目だ、全部読むまで10回泣きそうだ・・
ああ、ただアレだ。
普通にイイ話なのに妙な怪奇現象を織り交ぜるのはイクナイ。
いや、本当にあったのかもしれんけど。
>>157 159のような書き込みを何と言うかご存知ですか?
蛇足(だ・そく)って言うんですよ!(^-^)
>>158 泣いたり泣き止んだり感情の起伏が激しい人ですね。
>>160 160のような書き込みを何と言うかご存知ですか?
野暮(や・ぼ)って言うんですよ!(^-^)
163 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/18 22:14
>>162 162のような書き込みを何と言うかご存知ですか?
必 死 だ な って言うんですよ!(^-^)
>>162 162のような書き込みを何と言うかご存知ですか?
粘着厨(ねんちゃく・ちゅう)って言うんですよ!(^-^)
つか、どうでもいいよ。。('・c_・` )
>>152 ・゚・(ノД`)・゚・
このスレ読んだら泣かずにはいられない。
漏れの親がいつか死んだときも
同じ気持ちを味わうんだろうな、きっと。
もっと普段から大切にしてやらないとな。
高校生の頃、仲の良い友人が交通事故で死んだ
俺はそいつにCDを借りる約束をしていたが、そいつは約束を果さずに死んでった
しかし約束のことを親に言っていたらしく、後日そいつの母親が俺にそのCDを渡してくれた
「いつも息子と遊んでくれて有難う。」
葬式のときは実感が無く涙が出なかったの、そのCDを見て号泣した
今までで一番泣いた
今でもCDは持っているが一度も聞いていない
聞くと泣いてしまうと思うから
泣くと、あいつに笑われる気がするから
スレ違いかな?スマソ
いいじゃない
聞いて泣いて友達に笑ってもらおうよ・・・
>>166 その友達も聞いてほしいから貸す約束しただろ?
聞いて思いっきり泣いてやんなYO
親の手紙とか、手料理ものは泣けるよね…(つД`)
最後の手料理は味噌汁だったな…忙しくてほとんど飲まなくて後悔したよ
みずさしてすみませんが、2ちゃんねる系イベント等で本だしたり、ホームページ作りませんか?
結構話題になるかも…
>>167>>168 そいつは、とても明るい奴で、いつも笑顔で周りを笑わせてくれた
俺がちょっと落ち込んでいると満面の笑顔で
「暗い顔してると、よくない事がよって来る。だから笑ったほうが良いことあるよ」
と励ましてくれた。
だから、俺が泣いたりしたら
「泣くなよ、笑ったほうが良い事があるぞ」
と言われそうだから
ここを読んだせいか母の夢を見ました
母は癌で亡くなったんですが、死後父から姉、僕にそれぞれ手紙が渡されました。
遺言でした。遺言と言うと大袈裟ですが僕への最後の言葉が記されていました。
僕の生まれた頃からの思い出が書かれていました。帝王切開で大変だった、
なかなか泣かないで心配したとか、小学生の頃は病弱で沢山心配をした、中学
高校の頃などは喧嘩が絶えず悲しかったなど。特に僕がお腹の中にいて、日々成長
していくのを体感できるのがとても幸せだったと書いてありました。
その後は病を患ってからの心情が記されていました。母は病室では落ち着いていて、
それでいて悲壮感とかもこちらは感じなかったのですが、
子供のように夜の闇が怖いとかただ死を待つだけの自分に悔しくて泣いた日々が
続いたなどの告白が続いていました。でもそれを乗り切って、今この手紙を書いています
とあり締めくくりの文「嬉しい事悲しい事色々有りますが、あなたを産めてあなたを育てる事が出来て幸せでした。
もう思い出の中でしか会えないでしょうが、どうか悲しまないで下さい。
あなたが私のお腹の中にいたように、今度は私があなたの心の中にいます。
来世でも親子だったらいいね 久美子 」
この手紙を読むといつもどうしようもなく悲しくなって
一人潰されそうになります。だから思い切って書いてみたんですが
やっぱり悲しみは癒えません。
>>173 やっぱり親の存在は偉大ですね。失ってから気付くんですけどね。
>171
話題にならなくても伝えたいことはある。
本みたいにして売るのも良いんでないか?
手伝うけど
>>173 マジ泣きしました
俺の母も5月初旬に癌で亡くなったんだけど、すごく進行が早く手遅れで、173さんの
ご母堂のように何かを遺す余裕もなく、すぐにモルヒネ投与でとにかく苦痛だけを抑え
てやるしかなかった。当然モルヒネをたくさん使えば昏睡になり、人というより「物」
になってしまう。
でももしかしたら、外からは昏睡のように見えても、あのとき母親の魂(というもの
があるとしたら)はどこかで俺たち家族のことを思っていてくれたんだろうか。
そしていまはどこにいるんだろう。
>>173 自分は父を亡くしているけど
少し羨ましいです。
お母様自身の言葉であなたに手紙で残されているって羨ましい。
自分も父ともう少し話がしたかったし
父が自分に対してどう思っていたのか
今更ながら聞いてみたかったって凄く心残りです。
手紙みると今は辛いかもしれないけど
その手紙みていつか勇気がわいてくるようだといいですね。
ここは本当に良いスレです。もうかなり下に落ちましたが、
サゲでも書きこんでいる限りdat落ちしないんでしたっけ?
ちょっと心配なほど落ちていますけれど。
179 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/23 14:47
良スレあげしておきまつ
180 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/23 14:55
祖母の最後の言葉は
綺麗なお花畑だね
あ、白い人達が呼びに来た
でした。
如何にも臨死体験手記風でびびりました
゚・(つД`)。・゜どれも切ねえよぅ。
>>171,175
頼むから、ここで商売っ気の話をしないでくれ
林歯
185 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/26 00:23
「また暇が出来たら遊ぼうねっ!」
事故で死んじまった友人…
無理矢理でも時間作るからまた遊びたいよ
中学校に入学して最初に仲良くなった他小学校出身の奴がいた。
でもそいつは人のものを盗んだりするかなり性格の悪い奴で、
小学校時代は嫌われていたらしかったんだが、俺は鈍感で何も
されなかったし全く気付かなかった。でもそのうち周囲の雰囲気が
だんだん俺にも分かってきて俺もそいつを避けるようになった。
そいつはいつの間にかいつも教室で一人ぼっちになっていた。
ある日俺は思い切ってそいつに話し掛けた。そいつは嬉しそうに
「なに?」って聞いた。俺はこう答えた。
「SAGA2返せよ」
その頃爆発的に流行っていたGBのソフトを借りパクされるのが嫌で
一刻も早く返して欲しかったんだ。次の日、無言でうつむきながら
そいつはそのソフトを返してくれた。家に帰ってソフトのセーブ
データを見てみるとまだクリアしてなかった。
もしかしたらクリアしたら返すつもりだったのかもしれない。
これが俺とそいつの最後のコミュニケーションとなった。
(続く)
(続き)
そいつは3年間友達がいなかったようだ。
そんなそいつは高1のとき俺ん家の近くで交通事故で死んだ。
自転車に乗っててひき逃げされたらしい。
俺は救急車の音を部屋の中で聞きながら「おー救急車のサイレン!
何か事故!?」とワクワクしてた。情けない。
今、ようやく20代前半も終わろうとする歳になって改めてそいつに
申し訳ないことをした。周りに流されてそいつを何故か意味なく
嫌ってしまった。別になにもされてないのに。むしろ明るくて
面白い奴だったのに・・・今はもうそんな過ちを犯すまいと俺は心に
誓っていきています。
良い話でなくてゴメン。
190 :
エコロジー@核弾頭 ◆2ZPF7jkkXc :03/06/26 23:06
このスレのせいで半泣きです。
鼻水も止まらない。
胸も痛いです。
何か無理に悲しい〜って感じの方に靡かせてる感じだが
別に良い話でなくても構わないんだよ
俺はそいつ自業自得だろと思う
君借りパクされてたよ、間違いなく
クリア後だったら売られてたかもね
嫌われ者だったからそういうことするんじゃなくて
自分に興味持って欲しいから悪さするっていう事あるよな、子供って
大人になれば反省したり笑い話に出来るようなことを
思い出にも出来ないうちに若いまま死んでしまった友達のことを
悲しく思ってるんじゃないのか187は
191はちょっと観点が違う
193 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/28 02:24
ほんの2週間前、3年振りに祖母が訪ねて来た。
その日はあまり料理の得意でない私が下手ながら腕をふるったものの、
案の定レシピとは似ても似付かぬ料理が完成。 それでも祖母はおいしいと完食。
別れ際に
「また来るね」
「また料理作るね」と言葉を交して別れた。
先週、脳こうそくで祖母が急逝。本当に安らかな死に顔を前に、下手でももっと料理作ってあげたかったと涙が出た。
脳梗塞ってことは、前兆とか自覚症状は事前にないと思うので(ですよね?)、
それってやはりお祖母様が無意識のレベルで自分の死を予期して
「なんとなく」193さんの家を訪問されたのでしょうか。
きっととても美味しかったと思います。193さんのお料理。
>>194 ありがとうございます。そう言って頂けると少し気も晴れます。
言われてみると、いつもはせっかちな祖母があの日はやけに穏やかだったり、
犬嫌いのはずなのに「70過ぎたら怖い物は無いねぇ」と飼い犬をなでたり… 今思うと合点が行きます。
やはり何か感じ取っていたかもしれませんね。
196 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/06/30 10:21
おもいっきりガイシュツかも知れないが、変なとこに貼っていたので。
29 :名無しさん@お腹いっぱい。 :03/06/11 20:56 ID:JjyduaUn
1年前、機械音痴の母がデジカメを買った。
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく
「どうすればいいの?」と遠慮気味に相談してきたが、
「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」
とも言ってしまった。
そしたら「・・・ごめんね」と一言。
そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて
何撮ってたのかなあと中身を見たら
俺の寝顔が写ってた・・・
涙が止まらなかった。
>196
コピペをコピペするアホな人。
゚・(つД`)。・゜コピペでも切ない。
スレ違いスマソ。何気ないコミュニケーションが出来なかった話。
私は祖母が危篤の時、呼んでもらえなかった。弟は呼ばれたのに。
確かに私は弟と比べて、それほど祖母とは親しくなかったが。
悲しくて納得いかなくて怒っていたら、あとから母に謝られた。
しかし母は、駆けつけた孫たちに祖母からということで
親戚から小遣いが渡され、私はそれが貰えなかったから
怒っているのだと思っているらしかった。
私は鬼かなんかだと思われているのですかね?
このままでは母が亡くなる時にも、
致命的な齟齬が生まれそうで嫌だ……
>>199 たったいま、ちゃんと説明なんでしない?(なぜ怒ったのかを)
199は誤解されやすい人みたいなので言うが、こういう場合
自分からどんどんわかってもらえる様にしないと、
あとで後悔するよ。
このスレ読んで、4時間かけてばあちゃんに会いに行ってきた。
ばあちゃん、長生きしてね
202 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/02 17:53
p
うちのじいちゃんが脳梗塞で倒れた。
なんとか歩けるくらいまで回復したんだけど、もう二回目で次はないと言われた。
こんなときはどうやって接すればいいでしょう…
このスレに書き込まなきゃいけなくなるのもまじかかと思うと…
次が明日か10年後かは分からんわけでしょ?
>>203 2回目で歩けるまで回復したなんて
めっさすごいじゃん。
この病気だと出来ないこと考えて暗くなりやすくて
鬱になりやすいんだよね。
だからあなたはなるたけ明るく
おじいさんが出来ることをすこしでも増やしてあげて
すごいって素直に褒めてあげて。
すこしでも明るい話題をみつけてあげるといいと思う。
正直、孫の励ましは一番だし。
あなたが暗くなっててどうするの?
204タンのいってるとおりだよ。
家族に脳梗塞経験者のいるもののマジレスです。