【時空の】サンジェルマン伯爵【旅人】

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50好爺
…続き
その後はアンスバッハのシュワバッハに住み、ブランデンブルグのアレクサンダー
辺境伯の庇護を受け彼の城に豪華な一室を与えられ化学の実験に専念していたが、
彼をペテン師だと中傷する者を信用した辺境伯に見捨てられ、ライプチッピ、
ドレスデン、ハンブルグを転々としたあと1774年に新しくフランス国王となった
ルイ16世とマリー・アントワネットに会う為にパリに戻った。
二人の状況を見て失望した彼は二人に「国政に注意しないと取り返しのつかない
ことになりますよ」と警告してフランスを去った。
1777年にドイツのヘッセン・カッセルでカッセル泊チャールズの庇護をうけ
錬金術のための研究所を立ててもらい、世間から遠ざかって錬金術の研究に励んで
いたが、1784年2月に世を去った。死因はリューマチと鬱病だったといわれる。