宝くじは300円当たったヨ
そうですね。まー何事もないようにハデに動かないようにするかね
>心を強くもっていれば、大凶は大吉に変わるんだよ。
・・「さようなら、青い鳥」のフラッシュを見た直後なだけに、感動しますた。
あの私の分身が勝手に出て困ってるんです。
目撃情報によるとチャリと着ている服の「色まで同じ
友人と一緒に行くはずの場所に足を捻挫して行けなかったのですが
友人によるといたそうです。
私はチャリでニコニコ笑って逃げたそうです。
友人が追いかけたらプっと消えたといいます
私はその場所に行きたいと念じていましたが・・
私の子供の頃の恐い体験を聞いてください…
小学校低学年の頃でした
それまで兄弟3人で一つの部屋で寝ていた自分は
親から、そろそろお兄ちゃんは一人でね、と言われ
別部屋で一人で寝ることになったのです
もともと恐がりで、夜も豆電球を点けないと眠れなかった自分は
その部屋の電気に豆電球がないのが嫌でした
つまり寝る時は真っ暗になるということです
でも弟たちの手前、恐いから嫌だとは言えず
仕方なく初めての晩を迎えたのです
つづく
寝る時間になるとさすがに不安が募り、
寝間着に着替えながら母に
「電気がないんでちょっと恐い」みたいなことを
小声で話しましたが、母は笑って電気をパチッと消して
出ていってしまいました
私は一人、シーンとなった部屋でほとんど見えない天井を
見上げながら、暗闇の距離感のなさに面食らっていました
車が通るたびに一瞬途切れる窓からの街灯の明かりも、
カラカラと風で回る換気扇の音にさえもビビってしまいます
いつもならすぐに眠ってしまう純朴な少年の私も、さすがに
緊張したまま眠れません。
そしてあまりにも長い夜に絶望を感じ始めた頃、
私は何かが階段を上ってくる気配に気付いたのです
つづく
全神経を耳に集中させていると、
かすかにミシッミシッとゆっくり階段を昇ってくる音がします
二階の自分の寝ている部屋は、階段を昇りきってすぐです
私は首筋と布団の中の手にどっと汗をかきました
起きあがって電気を点けようと思いましたが
電気のスイッチは扉のそばにあります
そうこうしているうちに音は階段を昇りきり、
私は足下の方向に見える扉が開くのを、
半ば予感しながら必死に見つめていました
すると「ガチャッ」と扉が開き、階段からの電灯で逆光になった
黒い人影が顔をのぞかせました
つづく
怖くないし、長文うざ。
そんなことないよ!待ってるから早く続きキボンヌ
続き来て(・∀・)イイヨイイヨー
怖い怖くない以前に
中途半端なのが一番むかつくのだが
マジでざもびるかと思った。
っていうのも、ロイカで凍傷したのが2年前。
今年になってセトムでざもびりそうになった時
絶対もうダメだと思った。
しばらく家でウェスタンかも
続編まだぁ?
必死で作りましたがオチがいまいちで
なんか書けや。
これは10年以上前の話になるんだけど、当時おれは小学校低学年。
共働きだったので家に一人でいることが多かった。そんなある日、宅急便
で荷物が届いた。開けてみるとそこには外国製らしき人形が丁寧に梱包
されていた。
頼むから中途半端はやめれ。
話の途中で「つまらん」とか言われても放棄しちゃいかん。
ということで906の続き希望。
自分にも同じシチュエーションの思い出があるんで
期待してたのに...
邪魔した奴のチ○ポを輪切りにして、イーピンにしてやる!
イーピンの呪い怖い!
さあ、君もイーピン切る時は大きな声で
「チンポの輪切り!」
と宣言しながら切りましょう。
その他、
「一萬のバカ」
「四萬の涙」
「浅間三索事件」
あ〜つまんね。早く続き書いてちょ。
- 、 - 、
_,, -― "⌒ヽ-、 ヽ \
-=≡ ,,-" i ヽ ヽ ヽ.ヽ
-=≡ / ,,-ヽ .i i i i ii
-=≡ ./ / / i |.i | | i ii
-=≡ / ./、Д , )./ | '⌒/⌒)(_ヽ ! ! !!
-=≡ | |/ ̄∨/ ゙ -/ /-⌒) i
-=≡, 〜⌒| | ⌒l/ / | | ヽ (ヽi ぐるんぐるん
-=≡ー-ヽ | | | | / .| | し' ( i i
-=≡ ./ノ|) | | |_∧、_つ i | i
-=≡ (__| |.| .| / | Д`) .i i lもうつかれたー!!
⌒ヽ -=≡ ! ヽ \ / / / / //
⌒ヽ -=≡ ヽ \ ヽ、 / / / / .'
'"⌒ヽ -=≡ \ ⌒ヽ⌒ン / _,,-'' ,,-"
ヽ ヽ、_-=≡ \ ,, -" _,, - '' - "
)__ノ⌒ -=≡ ゙ ー---- "
ー" ゴロゴロロロ・・・
┌───┐
│ 千 │
│ 破 │
| 矢 |
| 之 |
│ 馬 │
│ 鹿 │
┌┴───┴┐
│ │
┌┴─────┴┐
│ 平成十五年 │
│一月十三日永眠│
┴───────┴
幽霊の住む家を話させていただきます
私も家で勉強してると誰も居ないのに肩をもまれる
感触がしたり、肩が重くなったり
背後で男の声が聞こえたりする。
もうそんな事日常であたりまえ≠ナ そいつと
な か よ く な っ て し ま った
それは
全然恐くなくて涙が出るぐらい優しいひとですた。
守護霊 ???!!!
ストーカー
全然怖くない話です。
これは、私が大学に入って一人暮らしをしている時、
体を壊して家で寝ていました。
医者へ行って薬をもらって
家に帰って横になっていました。
嘔吐と腹痛に耐えながら、うなっていると
意識が朦朧としてきました。
気が付くと髪の長い白い服を着た綺麗な女の人が立っていました。
本来ならば、見ず知らずの人が部屋にいるのでびっくりするはずなのですが、
何故かその時は、妙に安心してその人を見ていました。
その人は優しそうな感じでしたが、
ちょっと悲しそうな表情で私のおでこに軽く口付けをするとどこかへ行ってしまいました。
気が付くと朝になっており、体の具合も良くなっていました。
夢だったのかもしれませんが、あのおでこに口付けされた感触は今でもはっきり憶えています。
ぼくのも聞いてくらはい。
夜中の午前2時ころでしが、金縛りにかかりますた。
きれいで乳輪の大きい女の人が僕の上でアヘアへいっていました。
金縛りが解けた後、ぼくには何の快感も感じなかったことを覚えて
いましゅ。
学生時代に恐山に行ったときの話をしましょう。
忘れもしない大学2年の夏、ヒマを持て余していた
サークル仲間六人でどっか肝試しに行こうかということになりました。
それまでにも夜の火葬場で花火をしたり、
幽霊が出ると評判の廃墟で酒盛りをしたりしていた我々。
先輩に「オイK(私)、青森で一番怖いとこつったらどこよ?」
と聞かれ、とっさに「恐山じゃないっすかねえ。」と答えてしまいました。
よし、んじゃ今から行くかってことで先輩のワゴンに六人乗り込み、
青森県弘前市から恐山へ。その時すでに二十一時半過ぎだったと記憶しています。
弘前市から恐山まではまあ、三時間もあれば着くだろうと。
青森市を抜け、恐山のある下北へむかう国道279号を走る頃には
もう対向車もなくなっていました。
そう言えばこの道もよく車の上にボロボロの着物を
着た老婆がのっているのが目撃されているとのこと。
取るに足らない都市伝説だとしても、このえんえんと続く
暗闇の一本道の途中では思い出したくない話です。
ちょっと重くなった空気の中、先輩が怖い話を始めました。
先輩の友人が金縛りに遭い、さんざん霊に苦しめられたとか、
そういうありがちな話。ただ、その話の中の友人が
毎晩金縛りに遭うのだけれど、決まって金縛りが始まる時刻が
午前2:14だった、というのが妙に頭に残りました。
むつ市を抜け、「恐山」と書かれた道路案内を頼りに進むと、
いつの間にか辺りはすっかり山道です。一本の街灯もなく、
山道特有のつづら折れの道になりました。
と、急カーブにさしかかった時、車のライトが何かを照らし出しました。
・・・何体も並んだ地蔵です。その後もカーブを曲がるたびに
地蔵が立っていました。なかなか怖い雰囲気になってきました。
恐山に到着したのが午前一時ごろだと思います。
車を停め、でかい門の前にきたものの門は固く閉じられていました。
とりあえず門の前で記念撮影。
さて、せっかくここまで来たのに入れないのは悔しい、と全員で
中に入れないかどうか辺りをうろうろしていると、
門から少し離れたところに簡単に通り抜けられそうな木の柵が。
実を言うとその時点で私自身は恐山の不気味な雰囲気にのまれ、
一刻も早く帰りたい気分だったのですが、先輩たちはみんな中に入って
しまいました。こんなところで一人待つのはもっと嫌なので
ヤケクソで先輩たちのあとを追いました。
少し歩くとでかいお寺のようなものがありました。真っ暗なので
頼りは先輩の懐中電灯だけです。
お寺の脇を抜けるといきなり世界が一転、岩だらけのごつごつした
何とも気味の悪い場所に出ました。よく見ると
足下には小さな石を積んだものがいくつもいくつもありました。
たしか幼くして死んでしまった子どもために親が積んだものだとか。
さらに気味が悪いのは無数にある風車。恐山は火山であるため、
風車は火山特有の硫黄臭く生温かい風に吹かれてまわっています。
暗闇でからからとまわり続ける無数の風車・・・
それを見ただけで私は本当に引き返したくなりましたが
先輩Mは何を思ったか足下にあった風車を
あろうことが抜いてしまったのです。
「先輩、やめた方がいいっすよ。」と言う私に
「記念に、と思って」と言って歩き出すM。
思えば、それがよくなかったのでしょうか・・・。
岩場を抜けると普通の道に出たような気がします。
なにぶん真っ暗なので頼りない懐中電灯の明かり以外、
本当に何も見えません。とにかく道なりに歩いて行きました。
私はマジで怖かったので隣を歩いていたSと雑談して
なんとか気を紛らわせていました。が、いきなり先輩が
「しっ!!」と言いました。立ち止まる六人。
オーンオーンオーンオーンオーンオーンオーンオーン・・・・
最初聞こえるか聞こえないかだった低い音は
不定期に近くで聞こえたり遠ざかったり・・・お経です。
本当に怖いと声も挙げることができないのだと
そのとき初めて知りました。誰かが何か言っただけで
絶対パニックになることは間違いありません。
だれもが恐怖で動けず、実際は一,二分の出来事だったのでしょうか、
我々を取り囲んでいたお経は次第に遠ざかりいつしか止んでいました。
静寂。先輩が「もどろう」と言いました。
帰り道は誰もが無言。車に乗り込んだとき、
本当にみんなホッとしていました。
先輩がエンジンをかけました。
走り出した車の中、全員疲れ切った様子でした。
さっきのことを誰も話そうとはしません。
いきなり、本当にいきなりです。エンジンが止まりました。
止まってしまった車。わけが分からず、
みんな運転手のSを見ました。Sもあわててキーをまわします。
キュウルルキュウルルルル・・エンジンはすぐかかりました。
が、今度はいくらアクセルを踏んでも車が前に進まないのです。
リアタイヤが空回りする音だけが響きます。
誰も何も言わない・・・言えない時間。
ふと運転席の近くにあったデジタル時計が目に入りました。
2:14でした。
表示が15に変わった瞬間、いきなり車は発進しました。
その後、車は一度も止まることなく進み、むつ市の明かりが見えたとき
やっと先輩が「怖かった・・・。」とつぶやきました。
翌日現像した、みんなで門の前で撮った写真には
我々の前を通り過ぎる長い光の筋のようなものが写っていました。
以上が私の恐山での体験です。その後別に不幸事などはなく
平和に暮らしていますが、もう遊び半分でああいうところに
行くことはないでしょう。
恐山の話についてですが、地元民としてはあそこに遊び半分で行って欲しくない。
平日とかいった事ある人はわかると思うんですが、遊歩道というか、
歩くコースみたいな所があるんですよ。
そこにお地蔵さんだとか、観音様があるんですけど、それらに向かって腰を曲げたおばあちゃんが、
お供え物をしてる姿を見たことがありますか?
周りの地蔵や観音様全部にお供え物するんですよ。
恐山大祭ともなればたくさん人が来ます。
我々にとって恐山というのは死んだ人間にとっても、生きている人間にとっても
大変重要な場所なんです。
そういう意味でもイタズラとかしないで下さい。
積み重ねた小石を壊したり、浄土ヶ浜の砂を持ち帰ったりすると、必ず祟りが起こります。
名前の書かれた小石もありますしね。
死んだ人間のみならず、生きている人間(供養してる人)の念も、
恐山には凝縮されているんです。
遊び半分で恐山には行かないで下さい。お願いします。
おれが、自衛隊にいた頃の話。
かれこれ、23年ぐらい前だ。
だいぶ記憶が薄れているので、自衛隊の専門用語や呼称に
誤りがあるかもしれないのをあらかじめご了承ねがいたい。
埼玉県の熊○の教育隊での基礎教育を終えて、
次の専門教育を受けるため
名古屋の小○基地にある第○術科学校で約3ヶ月学んだ。
そこは航空自衛隊の管轄する学校だったが、陸自、海自から
も同じ職種につく隊員が派遣されてきていた。
7月から9月までの、くそ暑い時期だった。
ところで、自衛隊には、不寝番という当直のシステムがあります。
専門教育を受ける為の学校だったが、
我々、学生もも各課程ごと、交代で不寝番についていた。
夜間、控え室で他の課程の隊員たちと談笑したり、怪談話しをしたり
して、時間がきたら隊舎の周りを二人1組で見回るというもの。
先輩隊員(教育期間が1年の課程)と組んだりすると、
おもしろい話を聞くことが多々あるので、新兵だった私は
結構楽しみにしていた。
そんなこんなの8月のある日のこと、
名古屋の夏はくそ暑い、ましてや小○基地は反対側が名古屋空港
という位置だから、隊舎の真横はもう滑走路という場所。
昼間の訓練と座学でへとへとになり、寝たいところだったが、
今晩は不寝番である。
夕飯を食って、いつもならTシャツ、短パンでくつろぐところだが、
制服(作業服という奴)のアイロンをかけ、当直幹部の指摘が
ないように入念に装備の準備をした。
夜9時の点呼の後、当直室で幹部からの指示を聞き、申し送り事項を
確認。一緒に組む陸自からの派遣できている、2歳年上の隊員と
控え室に入った。
彼と組むのは今回が初めてだった。
私「陸自って、WACの数も多いし、美人ですよね」
彼「それは、空自より隊員の数が多いからだろ、間近で見ると
それほどでもないぜ」
注)WAC,WAVE,WAFとは陸、海、空の婦人自衛官の略称
若い隊員の話題と言えば、そんな他愛ないものだ。
私「不寝番、今日で3回目なんですけど、いつもちゃんと
見回っていますか?(怖いので途中省略する俺)」
彼「あっ、あぁ、まぁな・・・・・おまえさぁ、西側の○○って、
中入ってみたことあるか?」
私「えっ?・・・・いや、外から懐中電灯で奥を照らすだけです
(照らすけど、怖いからその部分は視線をそらして見ていない)」
彼「ここも昔は米軍が使用していたから、いろいろとあるだろうな」
私「・・・(わかっちゃいるけど)・・、えっ?何がですか」
彼「いやな、朝鮮戦争やベトナム戦争の時って、戦死したり、重傷の
兵士を本国に送る途中で、必ず日本に立ち寄ってたわけだ」
(昔の輸送機だから、航続距離が短いし、日本に作った基地には
前線から後方ということで病院なんかもあった)
彼「こういう昔からあるバラック(兵舎)は、当時は応急の
病室にしたり、安置室にしたりってことが往々にしてある」
私「・・・・・(そうだろうよ)」
彼「海自の奴に聞いたんだが・・・・、どうも、出るらしい」
私「・・・・・(アンタ、今から俺たちが何するのか分って言ってんのか??)」
彼「あそこの廊下のつきあたり、奥に通じるドアのところ板で塞いであるだろ」
私「・・・・・(照らすけど、見ていない)」
彼「あの奥って、遺体の安置室だったそうだ」
私「・・・・・(あーっ、やめてぇーー中には出さないでぇ!!)」
彼「で、結構、見ている奴がいるそうだ、おまえ霊感強い方か?」
私「・・・えっ、まぁ、金縛りとか、ありますけど」
彼「そうか、俺も感じるほうなんだけど、」
そこまで話たところで、見回り開始の時刻を告げる、腕時計のアラームが
鳴った。
彼「・・・じゃぁ、行くか・・・」
私「・・・(無言で頷く)」
部屋を出て、隊舎わきの通路に出る、隊舎は木造2階建、全部で10棟ぐらい
だっただろうか。
端の建物から順番に見て回る。10棟のうち、隊員が居住しているのは
東側の5棟のみ。西側の5棟は真っ暗だ。
どうしても、明かりがまだ点いている建物から回ってしまうのは
仕方ないだろう。
東側5棟は順調に見回りを完了。
さて、通路を挟んだ西側の建物に向かう。
懐中電灯のか細い明かりが、頼りない。
私「じゃぁ、行きますか・・・(いやだぁ)」
彼「・・・おぅ!・・・(声までか細くなる)」
西側の端の建物の周囲を見回り、建物内部を照らす。
異常なし。
次も、
異常なし。
さて、3番目の隊舎・・・。
この建物だけ、建物内部の通路が途中、ドアで区切られている。
おまけに、そのドアは板で打ち付けられ中を見ることはできない。
周囲から始めて、さて、問題の内部である。
彼がドアを開けて、内部の廊下を照らす。
彼「・・・あれか」
私「・・・(なるべく見ないようにしている)」
名古屋の8月は夜でも、超がつく熱帯夜である。
外は蒸し風呂のような暑さだというのに、
その建物に入った瞬間、冷蔵室のようにひんやり
している。
私も彼も背筋がゾクッとしたようで、彼の体がぶるっと震えたのが
分った。
彼「・・・・それにしても、凄い打ち付け方だな」
私「・・・・(声も出ない)」
彼「あそこまでいくぞ」
私「!!!!!(うんにゃノット! 私の最大級の否定形)」
彼が歩き出し、懐中電灯の明かりの輪が揺れながら廊下中を照らす。
私はフリーズしかけていたが、懐中電灯は彼しかもっていなかった。
その場に残るのはいやだったので、
床を見つめながら、彼の後を追った。
つきあたりのドアまでは20mぐらいあるだろうか。
ついにドアの手前2,3mまで近づいた。
彼も私も言葉もなく、立ちすくんでいる。
間近で見る、その閉ざされたドアは、本当、オカルト映画に
出てくるようなおどろおどろしい雰囲気だった。
まるで、邪悪なものを封印しているかのようだ。
・・・・・・・・
その場に何分立ちすくんでいたか分らないが、
彼は照らしていた懐中電灯を下に向け、
彼「ダメみたいだ」
私「???(何が!!・・・やっぱり)」
彼はその場で、回れ右状態で「戻ろう」
と言い、私の袖をつかんだ。
私も回れ右して、彼に続いたというより、後ろがいやだったので、
横にぴったりとついて足早に出口のドアに向かった。
彼「・・・振り向くな(とても厳しい声)」
私「???(だ、だから何なのよー!って、わかっちゃいるけど)」
数十歩でいきつける廊下がとても長く感じた
出口のドアのガラスからは外灯の明かりが差し込んでいる。
それだけをしっかと見て、二人で出口のドアに近づいたその時、
ぐぅぅぅぉっ、うーぅ、シュゥーーー
聞いてしまった。
重低音のうめき声と風が耳を吹き抜けるような音。
ドアノブをこじ開け、二人とも飛び出すように建物の外へ。
彼「かなり、やばい・・・・」
私「・・・・そ、そうですね」
二人とも、凍り付きそうな震えをおぼえて、
残りの建物2棟のことなど忘れて、当直室に駆け込んだ。
当直幹部に型どおりの報告をした後。
彼は幹部に尋ねた。
彼「あの、○○、内部の見回りしたんですが」
幹部「・・・うっ、あぁ・・・」
彼「あそこのドア、何か謂われがあるのでしょうか?」
幹部「・・・俺は、ここに着任してまだ日が浅いから詳しい
ことは何もしらないんだが・・・あそこで、死んでいる
ということだ・・・自殺だ・・・」
翌日、ここの基地の古株みたいな教官に、同様なことを
尋ねてみると、表情を曇らせながらも、10年以上前の
自殺事件について語ってくれた。
自殺した隊員とは、
親が自衛官で、おまけに旧日本海軍のパイロット
そんな家庭に育ったある青年が航空自衛隊のパイロット
になることを親に迫られ、やむなく、航空学生として
入隊をしたそうだ。勉強はとても良く出来たらしい。
理科系が不得意な私は受験をしたが、問題を見た瞬間に
これはダメだと諦めたぐらい、難しい試験だった。
(呼称を俺→私になおさせていただきますね、普段、
俺って言わないからしっくり来ない)
彼は一応、順調に課程をこなしていったが、2年目ぐらい
に訓練中に怪我をしてしまった。普通ならなんともない
だろうが、自衛隊のパイロットになるためには、健康チェック
も厳しく、途中でコースアウトするのもザラであった。
腕を骨折して、その回復が思わしくないということだったらしい。
骨の中に空洞などが出来ると、高空上での圧力変化で激痛が走り、
操縦不能になるという。(聞いた話しです)、
初期課程の修了を待たずに、航空学生を辞して、
航空管制官のコースに編入、名古屋の小○基地に来たそうだ。
親からは半ば勘当、失望され、同じ課程の奴からも、
パイロット崩れとして、冷やかされたりして、
まじめな性格のその隊員は、
だんだん、鬱病のようになり、入退院を繰り返し、ついには
航空管制官としての課程すら修了できない状況になってきた。
教官の幹部がその話しをしようとした矢先、彼は隊舎の
一室で首をつって、自殺した。
これが、私達が教官から聞いた話しだった。
映画「愛と青春の旅立ち」のシチュエーションと似ているが、
こんな自殺話、軍隊にいれば当然いくつもあるものだ。
全然、怖くない。そう、ここまでは。
これは、後日、私の身にふりかかる出来事の
序章にしかすぎないのだから。
私の
心霊体験
聞いてくれますか?
997 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/29 00:20
998 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/29 00:21
1000げとー!
1000げと
1000 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/29 00:22
1000
1001 :
1001:
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