今回の話、星進一の小説で読んだよ。
あいつの小説は全部星自身のオリジナルだと思ってた。
>>952 まあ、知らないで似た話を書くと言う場合もありますし・・・。
古典なんかを読むと似た話満載でも、パクリかオリジナルかの区別は難しいです。
954 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/05 23:09
>>951 >医者も要らないし努力する必要もねーんじゃねーのかー
それはないが、努力する気は失せるな
『古蛛怪異(こちゅうけい)』―新御伽裨子より―
美濃の国、本巣と言う所の近辺に、道の左右に高い木が生い茂っている所があった。
此処を夜中に通る者は必ず死ぬとの噂があり、日が暮れてからは、あえて通る者はいなかった。
本巣に浪人がいて、ある事情があって、武門を出て、暫くこの場所に住んでいた。
下僕に言いつけて
「今宵、急用があってある所に行ってもらう。早く行ってきてくれ」と言った。
この下僕は、特に臆病であって、彼の松原を通る事を思うと身震いして恐ろしがった。
しかし、迂回して行くと大きく険しい場所を通って、しかも二里余も余計に行かねばならなかった。
さらに、急用であるというには遅くなってしまう。大事な役目であるから、ここはしかたがないと
思いながら、力なく松原にさしかかり、足が地についていなかった。
…続き
ここに大きな榎の木が松に争うように生え出ているところがある。この下を通る時、何とは
知らず、黒く丸くて一尺余の物が鑵子(かんす:茶の湯の釜)などがひらめくように、榎の木から
するすると下りてきた。星さえ出ていない暗い夜に物凄い雨まで降って来て、この男は
進退きわまった。この木のそばを眺めると、七尺余の女が、色が白くみどりの髪の毛を振り乱すと
眼もない顔が忽然と出てきた。男は一目見るなり「あっ」と言って、うつ伏せに倒れて気絶した。
主人は、下僕の帰りが遅いのを不思議に思って、他に使う下僕もいないので、松明を取って、
自ら、この道に行ってみると、下僕が木の下に倒れていた。主人は驚き、水をかけたりして
呼びかけると、ようやく人心地ついて、事の次第を語った。
連れて帰ろうとすると彼が倒れていた場所に怪しい物があった。火をかかげて見ると、針の
ような毛の生えた物凄く大きな蜘蛛が死んでいた。思うにこれは、下僕が気を失って倒れた
所を狙って、取って食べようとして木から下がる時にあやまって倒れ込んだ下僕に押しつぶされ
死んだものであろう。怪我の功名で手柄をたてたと考えられる。
…続き
本当に前々からこのあたりで魔物が出て、人を取るといわれていたのがこれであろう。
見事にこの蜘蛛を自分が退治したと披露して、勇敢な者であるとの評判をあげ、今一度、知行に
あやかろうと思った。下僕を生かしておいてはためにならないと心臓のあたりを刺し通し、死骸を
死骸を荒野のなかに深く埋め、この蜘蛛を引っさげて里に帰えった。近所の者達を呼んで手柄を
語った。人々は皆、肝を潰して、強力の人だと褒めたたえた。
ところが、死んだ下僕が里中の者の夢に出てこう言った。
「私は、このような事によって非業の死をとげた。疑う気持ちがあるならば、この松の根を掘って
見てください」
人々が集まって夢を語ったが、皆同じ夢を見ていた事におどろいて、不思議に思いながら
彼の松原に行ってみると、実に新しく埋めてある土の場所があった。掘って見ると下僕の屍体で
あった。このため浪人は捕まり、殺害された。
958 :
日本不思議発見:03/03/06 01:18
昔話スレからこんばんは。日本不思議発見だよん。よろしく!
『しぶくなったカキ』
ある日、欲張りな村の長者の家にみすぼらしい旅の僧が現れた。
長者は見るからに汚らしい僧を追い出すため、玄関へと向かった。
僧が言うに
「私は旅の途中なのですが…よろしければ今夜一晩だけでも止めていただけないでしょうか?」
「断る! 今日は大事な客があるのだ。そうそうに立ち去れい!」
「…では、せめてあの木に実ったカキを一つ恵んでくだされまいか?」
「カキィ〜? ダメだ、ダメだ! あれは全部シブくて食えん!」
そう長者が言うと、僧は残念そうにまた旅立っていった。
もちろん客が来るというのも嘘であるし、カキがシブくなっているのも嘘である。
カキは長者が長年成長を待ち続け、やっと今年実がなったばかりだったのだ。だが…。
「こ、これは!? 全部シブくなっておる! 全部シブガキじゃあ〜!」
僧が立ち去ったあと、本当にカキはシブくなってしまったのである。
実はあの時の僧は豊後の国を巡礼していた、彼の弘法大師であったのだ。
それ以来、この家のカキは毎年必ず全てのカキが渋くなってしまったそうな。
空海も中国語がペラペラなだけでなく超能力もあったのか。
>>958 ずうずうしい頼みごとをして、断られたら逆切れして呪いをかける。。。
う〜ぬ、DQNの香り。
『幽霊来たりて子を産む事 付亡母子を憐れむ事』―片仮名本・因果物語より―
羽州最上の山方(山形)に霊童と名づけられた者がいた。彼のいわれを聞くと最上の商人が京に上り
女房を持っていたが、その女房を捨てるようにして最上へ戻った所に、京の女房が訪ねて来た。
このとき、山方の女房と別れて、京の女房を家に置き、子供を一人儲けた。
その後、また京へ上って、京の女房のいた場所へ行ってみると、そこの亭主が男を見ると
「貴方の女房が亡くなられて三年にもなります」と言った。男はこれを聞いて
「なんと不思議な事を云われる。その女は最上へやってきて、あまつさえ子供を一人いますよ」と言った。
女の父はそれを聞いてとても喜んだ。急いで最上へやってきて、彼の家に行くと、部屋には女房はいなかった。
父は、あまりのことに部屋を見渡すと、京で立てた筈の卒塔婆があった。戒名年号に間違いなかった。
このことによって、その子の名前を霊童と名づけた。
…続き
摂州、大阪の近所に、死んだもとの女房がやってきて子供の髪を結う事が三年続いた。
ある時来て、今の女房の舌を抜いた。今の女房がいろいろ養生して良くなると、離別してよそへ行った。
紀州にてある人の内儀が難産にて死去した。しかし、子供は生まれてきた。
この母の亡霊がやって来ると子供を抱いて、乳を飲ませ、三歳になるまで育てた。
女房は十七歳の年に亡くなったが三年過ぎても十七歳のように見えた。
その子が十七、八の頃見た人が確かな事だよと語った。顔色が少し悪い男だったとも言った。
963 :
日本不思議発見:03/03/06 13:30
『瓜生島』
昔、豊後の国(今の大分県)は別府湾に瓜生島という島があった。
今の長さにして東西約4キロメートル、南北2キロメートルあまりの大きさだった。
島には1つの町と12の村があり、およそ千戸の家があったそうな。
大名が大友氏の時代には日本国内だけでなく、遠く異国からも色々な品物を持った
異人が船でこの瓜生島に乗り付けていた。
島長は幸松勝タ忠という人で、彼の屋敷を中心に広がり、大変なにぎわいだったよいう。
宇佐八幡宮の影響で寺社やお宮が多く、威徳寺・阿含寺・住吉神社・菅神社・蛭子社
などがあった。
そして、この瓜生島には一つの伝説があった。
「蛭子社にある蛭子様の像の顔が赤くなると、天変地異が起こり、島が沈む」
というものだった。この伝説は親から子へ、子から孫へと言い伝えられてきた。
大人同士の口論も
「そげなことしとると蛭子様ん顔があこうなるぞ! こん島が沈んでもいいんか!?」
という一言で収まっていた。そのため、この島には争いがなく、何百年も平和が続き
人々が楽しく暮らす楽園のようだった。
しかし、この島に一人だけ伝説を信じない者がおった。
加藤良斎というオランダ帰りの医者だった。
「海を越えて異国に行ける今頃、そげな馬鹿なことを信じてどうするんじゃ。迷信に決まっておるわ!」
良斎は異国で様々なものを見てきたため、この島の伝説に懐疑的だったのである。
「良斎さま、なんちゅうことを言いなさるか。お医者様ともあろうあなたが、そげなことを
おっしゃるとは…とんでもねえことでございますよ!」
「ふん、島を沈める力なぞ、石像が持っちょるわけないじゃろうが!」
とうとうある晩、良斎はこっそりと蛭子社にしのびこんだ。
「これが迷信の主か。島を沈められるなら沈めてみいや!」
964 :
日本不思議発見:03/03/06 13:52
良斎は持っていた紅がらを蛭子様の像の顔に塗りたくった。
そしてニヤニヤと笑いながら、何食わぬ顔をして家に帰って行った。
次の朝、島は大騒ぎだった。
「大変じゃあ、蛭子様ん顔がまっかになっちょるぞ!」
「おおごとじゃあ、島が沈んでしまうぞ!」
「はよう逃げんと!」
島中が大騒ぎになり、気の早い人は荷物をまとめて船をこぎ、別府や府内(今の大分市)
の親戚のもとに避難し始めた。
だが、1日経っても、2日経っても、10日経っても島には何も起こらなかった。
島から逃げた人たちも結局また戻って来た。
「ほうら、言わんこっちゃない。やはり迷信じゃあ、オランダん見てきたワシが言うんじゃ。迷信じゃあ!」
が、慶長元年(1596年)の6月ころ、島が揺れた。7月に入って揺れは更にひどくなった。
そして7月12日、島は大揺れになった。家屋や木々が倒れ、海が荒れ狂った。
見ると別府や府内の町も揺れ、由布岳や鶴見岳もさかんに天に向かって火を噴いている。
が、夕刻になるとそれはぴたりと嘘のようにやんだ。人々が恐怖のあまり地面に座り込んでいると
真っ白い馬に乗った老人が現れ、人々に言った。
「島が沈むぞう! 瓜生島が沈んでしまうぞう! はよう陸に逃げよ!」
人々は思わず立ち上がり、我先にと船に飛び乗り、府内や別府を目指した。
その間にまた激しい揺れが来た。そして潮が引いた。このあと、何が起こるのか。そう、津波だ。
船に乗り遅れた人々は干上がった海を陸に向かって走った。
やがて、老人の言った通り、大津波は最期まで残っていた医者の良斎もろとも瓜生島を飲み込んだ。
夜が明けると、別府湾には何も無かった。瓜生島のほかに大久光島や小久光島も無かった。
こうして、瓜生島は沈んだ。
965 :
日本不思議発見:03/03/06 14:02
この話、医者ではなく島の悪ガキのパターンも存在する。
また、京極夏彦の「怪・赤面ゑびす」でも小説・映画の両方あったりして
割とメジャーな気が。
でも瓜生島は本当にあったのよ。島の宝物とか今でも大分の寺にあるし、
何十年か前に某大学の研究チームが別府湾に潜ったら家とか船とかの残骸が
ゴロゴロしてたって。
まあ、大分は地層的に見てもプレートが多いから地震で沈んだのは間違いないね。
あとは津波かな。
966 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/06 22:26
967 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/06 22:32
石像の一部が赤くなって、村が水没する話はたくさんのヴァリアントがありますが、
元々は中国から来た話なんでしょうね。
捜神記にもたしか、いくつか話が話があったし。
968 :
日本不思議発見:03/03/07 00:24
『なくなった川の水』
昔、豊後の国(今の大分県)の野津町今俵を1人の旅の僧が腹を空かして歩いていた。
すると、川のほとりで女がサトイモを洗っていた。
僧が
「サトイモを1つ分けてくださらんか?」
と言うと、女は土のついたサトイモを僧の足元に投げた。
そこで僧はわざわざ土のついたサトイモを投げたということは川の水は必要ないだろう、
と思い、不思議な力で川の水を干上がらせ、再び旅路に戻ったという。
実はこの僧こそ豊後の旅を巡礼中の彼の弘法大師であったのだ。
それ以来、その川の水は干上がって2度と水が流れることはなかった。
弘法大師、今度は川の水まで干上がらせちまったよ。パターン的には
>>958 と同じだなぁ。
『私をいたしける手代の事』―平仮名本・因果物語より―
越前国敦賀の町に、米問屋仁兵衛というものの手代に、作十郎という者がいた。
長い間奉公をしていおり、しかもよろずの事に才能があれば、万事、作十郎にまかせて
商いを切り盛りさせていた。
その間に私利私欲をかまえて、金銀を貯えて、ひそかに己の商いをして、損をすれば、主人の損に
かけてしまった。この者は、私欲の為に商売をしていると評判になってしまったので
主人の仁兵衛は大いに戒め、叱って
「ゆめゆめ、さようの事、致してません」と神仏に対して起請文を書き、血判を押した。
こうして二十日あまり過ぎた後、作十郎の身に大きな瘡が出来た。身が熱くなる事は
火に焼かれるようで、痛む事はいえないほどであうめき悲しんだ。薬を与えてもらったが
直ることはなく、七日目についに死んでしまった。屍の臭い事はたとえ様もなく。
をしほの西福寺に送って、土葬にして上に卒塔婆を立てた。
…続き
さて、初七日にかの仁兵衛夫婦の人や永々なじみの者が、不憫に思って、涙を流し坊主をよんで
経を読んで、それから、西福寺から墓に回ると、作十郎の卒塔婆がおびただしくべきべきと鳴った。
モミの木の板は、日の照らされている所が乾き縮んでめためたと鳴り出した。
「こんな事もあるかも知れぬ」と云うものもいれば「けしからず鳴る事は、事情があるに違いない
凄まじい事だ」という人もいた。大勢伴って行ったが、だれ一人も近くによって見ようとする人は
いなかった。卒塔婆が動き出て打ちたおれて、墳が崩れて、死骸がはね出て、反りかえって、臥した。
人々は肝を冷やして、逃げ惑った。
けれども、捨てて置く事も出来ないので「火葬にしよう」と人を頼んで、薪を積み重ねて焼くと
火の中からはね出て二三度もこのようにしていたのをようやく灰にしてもとの墳に埋め
ねんごろに、弔えば、その後は別に何も起きなかったと言う。
元和中年の頃、糸屋宗貞がそう語った。
息を吹き返したんだな。
972 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/07 20:56
もうそろそろ次スレの時期だが、くれぐれも機種依存文字は使わぬように。
『艶書の執念、鬼と成りし事』―諸国百物語より―
伊賀の国、喰代という所に寺が六十軒あった。一休禅師が修行に出ていて、この場所で
日が暮れたので、宿を借りようとして寺々を見たが人が一人もいなかった。一休は
不思議に思って残らず寺々を見て回ると、ある寺に美しい稚児が一人いた。
一休はそこに立ち寄って「宿を貸してもらえるかな」と訪ねると
「かまいませんけれども、この寺には夜な夜な変化の物が来て人を取り殺します」と言った。
一休は「出家の身であるので、かまいませんよ」と言った。
「でしたら泊まってください」と言って客殿に入れて、稚児は次の間に眠った。
夜半頃、稚児の寝ていた縁の下から手毬ほどの火が幾つともなく出てきて、稚児の懐へ
入ったかと思ったら、たちまち二丈ばかりの鬼となって、客殿にやって来た。
「今宵、この寺に泊まった客僧は何処にいるのか。取って食おう」と探し回った。
…続き
一休はもとより仏事に専念していたので、鬼は一休を探し出す事が出来なかった。
ほどなく夜も明ければ、鬼も稚児の寝間に帰るかのように消えていった。
一休は不思議に思って「貴方の寝ておられる縁の下を見せてもらえますか」と言って
見てみると、縁の下には血書で書かれた恋文が数知れずあった。
事の次第を尋ねると、方々からこの稚児を恋忍んで、寄せていた文を返事もせずに、
縁の下に投げ入れたままにしていた。その文主の執念が積もり積もって、夜な夜な稚児の
懐に通って、すなわち鬼となっていた。一休はこの文を取り出して、積み重ねて焼き払い
経を読んで、さとし戒めれば、それより後は変わった事は起こらなくなった。
稚児って何?
ちご【稚児】1.幼児 2.寺社の祭礼・法会の行列に参加する子供
3.召使いの子供
この場合は、寺の中にいた子供なので、2の意味での稚児です。
977 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/08 01:32
稚児って、実質的にホモの女役のこととして使われる。
『板垣の三郎高名の事』―曾呂利物語より―
駿河の国に大森、今川藤と云われていた人がいた。府中に在城していたが、ある夜の徒然に家の家来達を集め
酒宴が数時間過ぎた頃、
「さて、誰か今夜千本の上の社まで行ってくる者はいないか」と言ったが、日頃手柄を立てる者は多くても
この場所は、噂に聞こえた魔所であるので、あえて行こうという者はいなかった。
此処に、甲斐の国の出身で板垣の三郎という、代々弓矢をとっては隠れ無き勇者がいた。
彼が、「私が行きましょう」と言った。
…続き
頃は九月中旬の事であったので、月はとても白く、木の葉が降り積もっていた森を過ぎて
石段を通って、杉の木より小さな物が一つ、ひらめいて足もとに落ちた。怪しんでこれを
見ると、へぎ(杉または檜を薄く削って作った板)一枚であった。このような所に何かあるな
と思いながら、踏み割って通っていった。割れた音が山彦のようにおびただしく聞こえてくるのを
不審に思いながらも別に何事も無く、上の社の前にて一礼して、記の札をたてて置いて帰ろうと
したが、何処とも無く、白き練りの一重を被っている女が一人来た。さては、音に聞こえた変化の物が
我をたぶらかそうとして来たのだと思って、走りよって被っている衣を引き剥がして見ると
大きな目が一つあって、振り乱した髪の下より、並んだ角が生えていてが、薄化生にお歯黒をつけていた。
恐ろしいとしか言いようがなかった。
けれども板垣は少しもひるまずに「何者だ」と言って、太刀を抜こうとしたら、かき消すようにいなくなった。
不審に思ったが、しかたがなく立ち返って、大森の前に戻って
「証を立てて帰ってきました。お確かめに何方か立ててください」と申しあげた。
「まことに板垣でなければ、無事に戻ってこれなかっただろう」と一同感じた。
…続き
「さて、何か逢いはしまなかったか」と尋ねると
「いや、何事も怪しい事はありませんでした」と言った。すると、座敷からも見えていた月夜であったが
俄かにかき曇り、降る雨はは車軸を流すようであった。虚空にしわがれ声で
「いかに板垣、さっき、我の腹をなぜ踏み割った。誤るが良い」と声がした。
そこで全員車座になって、面々がせめると板垣は千本であった事を残さず話した。
けれども、風雨はなお止まず、稲妻おびただしく、雷さえ鳴り、殿中が物騒がしくなった。
「どう見てもこのままだと板垣を取るつもりだろう」と思い、唐櫃の中に板垣を入れて
各々番をして、夜が明けるのを待った。さて、雷も次第に止み、天の光も晴れ出して、五更(午前3時〜5時)
も明けた。「板垣を出してやれ」といって、櫃の蓋を取ってみれば、忽然として何も無かった。
「これは、どうしたことだ」と皆、奇異の思いをしている所に、虚空から二、三千人の声でどっと笑った。
走り出て見れば、板垣の首が縁上に落ちてきた。
最後の部分って他の物語にも使われてるね。
次スレキボン
私では、なぜか、次スレ立てられませんでしたのでご希望の方
次スレ立ててください。
984 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/09 09:35
スレタイどうする?
985 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/09 11:57
どうもです!・・・
最近、呆けが多くて。
『別れた女に逢って命を落とす話』―今昔物語より―
右少弁藤原の師家という人がいた。その人がお互いに思い思われて通っている女がいた。
良くできた女で、嫌な事があっても顔に出さず、心持のおだやかな人柄であったから、
弁は何事につけても、女から疎ましく思われまいとして心をつかっていたが、なにぶんにも
公時に勤める身では多忙に紛れることもあり、他の女性に引き留められる夜もあって、
つい足が遠のく事が多くなった。女はそういう目にあったこともなかったので、うとましく
思い、打解けた様子も見せなくなったが、そのうちにようやく、男が尋ねて来る事も稀になり
もう昔のような事はなくなった。憎いわけではないが、寂しさが高じて心良く思わなくなった
ために、お互いに嫌いになったわけでもないのに、とうとう絶えて女の家に出入りすることが
なくなってしまった。
…続き
それから半年ばかり過ぎて、弁がその女の家の前を通り過ぎたことがあった。
その家に使われている者が、たまたま外出から帰ってきたので、すぐさま女主人に
「弁の殿がちょうど家の前をお通りになりました。こちらにお通いになっていた頃の事など
思い合わされて、悲しゅうございます」と告げたので、女主人は行き過ぎる弁の跡を追わせて
「申し上げたい事もございますから、暫くお立ち寄りくださいませんか」と言わせた。
弁はそれを聞くと、昔はここに足しげく通ったものだと思い出して、車を戻してその家に
入ってみると、女は経箱に向って法華経を読んでいたが、しなやかな衣に静しげな生絹の袴など
をつけ、それも男の来るのに慌てて身づくろいをしたという様子ではない。
目、額、口つきなども美しくて、見るからに振るいつきたいようである。
…続き
弁はまるで初めて逢う人のような心地がして、どうして今までこれほどの女をおろそかにして
いたのかと、返し返すも口惜しく、女が経を読んでいるのを押しとめてでも早く寝たいものだと
思ったが、この月ごろ疎遠になっていたのに無理強いな事をするのも気が咎めて、
何やかやと言葉をかけて気を惹いてみるが、女は返事もしない。読経が終ってから、ゆるゆる
話をしようという気色である。やさしげな顔立ちの美しさ、もし過ぎ去った昔の気持ちを
取り返せるものならば、今すぐにでも取り返したいと、恥も外聞もなく思いつめ、今日からは
このまま女の家に滞留して、以後もしこの女を疎んずる様な事があればいかなる天罰も受けよう
などと、心の中で百万遍も宣言を立ながら、このごろ無沙汰に過ぎたのはけっして本心では
なかったなどと、言い訳を繰り返したが、女は相変わらず読経三昧、返事もせず、やがて
七の巻になって、薬王品を繰り返し繰り返し三度ほども読んでいる。弁もついにあきれて
「どうしてお経ばかり読んでいるのですか。早く読み終わりなさい。話したい事も沢山あるのに」
と言った。
…続き
その時女が読んでいたのは
「於此命終。即往安楽世界。阿弥陀仏。大菩薩衆。囲遶住所。青蓮華中。宝座之上。」
というところで、ほろほろと目から涙をこぼした。弁は驚いて
「あきれたものだ。尼さんみたいに仏心がついたんですか」とひやかしたところに
女の涙の浮かんだ目がはたと自分の目と見合った。露に濡れたとみえるその風情に、
ああ悪かった、月日ごろどんなに薄情な男と恨んでいた事だろう、と思ううち、自分も
忍びかねて落涙した。もしやこの後この人に逢えないとしたなら、どんなに悲しかろうと
今までのことが思い合わせて、慙愧に臍をかむ思いである。
そのうちに、女は経を読み終わって、沈香木の数珠に琥珀の飾りをつけたのを押し揉んで
しきりに祈念していたが、やがて目を見上げたその様子が今までとは打って変わって気味が悪いから
どうしたことかと見守るうちに女は口を開いて、
「今一度お顔を見たいと思って、お呼びいたしました。もうこれまででございます」
と言ったかと思えば、もう命は絶えていた。
…続き
弁はびっくりして
「どうしたんだ。誰かいないか」などと大声で叫んだが、急を聞きつけてくる人もいない。
しばらくしてから、やっとのことで年かさの女官が
「どうしました」などと悠長な声をしながら顔を差し出したが、弁が入るのを見てびっくりし
「おや驚いた。これはいったいどうしたことです」と慌てふためいた。
今となっては手の下しようも無く、死人の出た家にいるわけにもいかないので、弁はそこを引き上げた。
生きていた頃の女の顔が面影に浮かんで悲しく思うにつけても、こんな事になろうとは、
神ならぬ身の知るはずもなかったのである。自分の屋敷に戻ってからしばらくも経たないうちに
病みつき、数日後とうとう死んでしまった。
『人玉の事』―義残後覚―
確かに、人の一念によって炎のように燃え上がる怒りと怨みと云うものがあるという事は
僧においても、俗人においてもその説は数が多い。しかし、ついに目に見た事の無い者は
疑う者も多い。目前にこれを見るに、後生ふかくその事を大事に思ってしまう。
これをあわせて考えると、人ごとに人玉という物の有る事を数々の人が歴然にのように
話しても、確かに信じがたく思われる。
北国の人が言うには、越中の大津の城とやらを佐々内藏介に攻めている時に、城側も強く
防いではいたが、多勢の軍勢で手痛く攻めているほどに、城中が弱って、すでにはや明日には
討死しようかという時に、女や童が泣き悲しんだ。まことに哀れに見えていた。この時に
にはすでに日も暮れかかっていれば、城中より天目茶碗ほどの光っている玉がいくらという
数かぎりなく、飛び出るほどに、寄せ衆はこれを見て
「もはや城中は死の用意をしているぞ。あの人玉の出ている事をみよ」といって
我も我もと見物した。
…続き
ここにおいて、降参して城を渡し、一命を取り留めて、さまざまの条件を受け入れたので
内藏介は、それに同意して、戦は終った。「良かった」と城中の者喜んだ。
そして、その日の夕暮れには昨日飛び去っていた人玉がまた何処ともなく出てきて
城中目指して飛び戻った。これを見たものは何千という数しれず。不思議な事であった。
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7
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9
(・3・) 〜♪ 1000だYO!
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。