天正の末年(1585頃)備後の沼隈郡神村に石井又兵衛と言う男がいた。又兵衛は潔く武士を
捨てると弟と力を合わせて荒地を開拓し、ついにはこの地きっての富豪になった。
そして安芸の宮島の遊女おややを身請けすると、正式な妻の座にすえた。これは、遊女としては
破格の厚遇だった。だが、おややは又兵衛の目を盗んでは男遊びにうつつを抜かすばかり。
ついには村の修験者長覚と人目をしのんで逢引を続けていた。二人の仲は誰一人知らぬ者はなく、
コケにされたのは亭主の又兵衛。ある日又兵衛はおややの後をつけ、長覚と密通の現場を押さえた。
こうなっては、おややも申し開きはできない。「どうぞ、お気にすむようにしてください」
と殊勝に申し出たが、それは、言後を絶するものだった。
又兵衛はまず、大きな桶を用意させた。中には百足と毒蛇がうようよと詰め込まれている。
ここに真っ裸にしたおややと長覚を放り込み、さらに上から酒をつぎ込んだのである。
…続き
酒気を帯びた百足や毒蛇はあたりかまわず蠢きまわる。無論、手と言わず脚といわず、
体中食い荒らされ、おややも長覚も遂には狂って死んでいった。この様子を見物していた
村人達も、あまりのむごたらしさに目をそむけたと言う。
長覚の命乞いに駆けつけた山伏達は、憤死した二人の無念をはらそうとおややの血を
長覚の法螺貝に注いで吹き鳴らした。其の血しぶきをあびたものはことごとく、奇妙な
行動をするようになった。おややと長覚の二人は伊勢山の麓に埋められたが、この塚の
あたりでは、夜毎に、青い人魂が燃え、人魂はやがて中空に浮かび上がると、石井家の
屋根に泊まり、一晩中動こうとしなかった。屋敷の中でもわけのわからない異変が相続いた。
又兵衛が客を招いて、馳走をしようとしすると、突然、膳のものが赤く血にまみれてしまう。
しかも、血に汚れた器や膳はいくら洗っても絶対に落ちなかった。
…続き
さらに又兵衛の家に、近隣では評判の色男が招かれたところ、男はその夜から一言も物を
言わなくなり、日に日に石のように固くなり、遂には死の床についてしまった。
そして、今際の際に又兵衛の屋敷で起こった出来事をようやく語り始めた。
宴席の途中で尿意を催し、厠を借りた。ところが厠に入ったとたん、眼の前に女がいたばかりか、
女は、股を開いて強引に男に迫ってきたのだという。逃げようにも逃げ場は無く、しかたなく
女の誘いに応じると、女は思うまま男をむさぼり、ようやく男を解放したにのだが、
別れ際に凍りつくような声でこう言った。「このことは誰にも言うてはならぬ。もし、口外すれば、
お前の命はその場で耐えるぞ」どうやら、こうした目にあったのはこの色男だけでは無いらしく、
又兵衛の屋敷に招かれ、帰宅すると床につき、やがて無くなるという怪奇な例が相次いだ。
…続き
そして、ある日、おややは又兵衛に襲い掛かった。その日宴席を開いていた又兵衛は、
満座の客の眼の前で突然「おやや、化けてでたな」と叫部なり悶絶し、そのまま乱心してしまったのだ。
又兵衛はその日から空を見つめては「おややが髪振り乱して私に食らいつく」と口走るばかりに
なってしまった。こうした出来事からついに神村平の常福寺では、おややと長覚の二人の
ために夫婦塚をつくり、二人の霊をねんごろに供養した。
だが、それでも怨念は消えないのか、不義密通している者がこの塚の前を通りかかると
何処からともなく青い人魂が現われ、家に着くまでつきまとい、その上男も女も知らぬ間に
もとどりを切られ、ざんばら髪になってしまうのである。
それが怖さに、この塚の前を大きく遠回りして通る人が少なくなかった。村人はおややの
怨霊を慰めようと、今度は神村八幡神社の中におやや大明神を祀って供養したという。