伝説または逸話

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610好爺
天正の末年(1585頃)備後の沼隈郡神村に石井又兵衛と言う男がいた。又兵衛は潔く武士を
捨てると弟と力を合わせて荒地を開拓し、ついにはこの地きっての富豪になった。
そして安芸の宮島の遊女おややを身請けすると、正式な妻の座にすえた。これは、遊女としては
破格の厚遇だった。だが、おややは又兵衛の目を盗んでは男遊びにうつつを抜かすばかり。
ついには村の修験者長覚と人目をしのんで逢引を続けていた。二人の仲は誰一人知らぬ者はなく、
コケにされたのは亭主の又兵衛。ある日又兵衛はおややの後をつけ、長覚と密通の現場を押さえた。
こうなっては、おややも申し開きはできない。「どうぞ、お気にすむようにしてください」
と殊勝に申し出たが、それは、言後を絶するものだった。
又兵衛はまず、大きな桶を用意させた。中には百足と毒蛇がうようよと詰め込まれている。
ここに真っ裸にしたおややと長覚を放り込み、さらに上から酒をつぎ込んだのである。
611好爺:03/01/17 02:18
…続き
酒気を帯びた百足や毒蛇はあたりかまわず蠢きまわる。無論、手と言わず脚といわず、
体中食い荒らされ、おややも長覚も遂には狂って死んでいった。この様子を見物していた
村人達も、あまりのむごたらしさに目をそむけたと言う。
長覚の命乞いに駆けつけた山伏達は、憤死した二人の無念をはらそうとおややの血を
長覚の法螺貝に注いで吹き鳴らした。其の血しぶきをあびたものはことごとく、奇妙な
行動をするようになった。おややと長覚の二人は伊勢山の麓に埋められたが、この塚の
あたりでは、夜毎に、青い人魂が燃え、人魂はやがて中空に浮かび上がると、石井家の
屋根に泊まり、一晩中動こうとしなかった。屋敷の中でもわけのわからない異変が相続いた。
又兵衛が客を招いて、馳走をしようとしすると、突然、膳のものが赤く血にまみれてしまう。
しかも、血に汚れた器や膳はいくら洗っても絶対に落ちなかった。
612好爺:03/01/17 02:20
…続き
さらに又兵衛の家に、近隣では評判の色男が招かれたところ、男はその夜から一言も物を
言わなくなり、日に日に石のように固くなり、遂には死の床についてしまった。
そして、今際の際に又兵衛の屋敷で起こった出来事をようやく語り始めた。
宴席の途中で尿意を催し、厠を借りた。ところが厠に入ったとたん、眼の前に女がいたばかりか、
女は、股を開いて強引に男に迫ってきたのだという。逃げようにも逃げ場は無く、しかたなく
女の誘いに応じると、女は思うまま男をむさぼり、ようやく男を解放したにのだが、
別れ際に凍りつくような声でこう言った。「このことは誰にも言うてはならぬ。もし、口外すれば、
お前の命はその場で耐えるぞ」どうやら、こうした目にあったのはこの色男だけでは無いらしく、
又兵衛の屋敷に招かれ、帰宅すると床につき、やがて無くなるという怪奇な例が相次いだ。
613好爺:03/01/17 02:20
…続き
そして、ある日、おややは又兵衛に襲い掛かった。その日宴席を開いていた又兵衛は、
満座の客の眼の前で突然「おやや、化けてでたな」と叫部なり悶絶し、そのまま乱心してしまったのだ。
又兵衛はその日から空を見つめては「おややが髪振り乱して私に食らいつく」と口走るばかりに
なってしまった。こうした出来事からついに神村平の常福寺では、おややと長覚の二人の
ために夫婦塚をつくり、二人の霊をねんごろに供養した。
だが、それでも怨念は消えないのか、不義密通している者がこの塚の前を通りかかると
何処からともなく青い人魂が現われ、家に着くまでつきまとい、その上男も女も知らぬ間に
もとどりを切られ、ざんばら髪になってしまうのである。
それが怖さに、この塚の前を大きく遠回りして通る人が少なくなかった。村人はおややの
怨霊を慰めようと、今度は神村八幡神社の中におやや大明神を祀って供養したという。