(〜^◆^)<東京の巨大地下街、地下通路

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806コピペ
55 名前: 奈々氏 投稿日: 2001/07/14(土) 01:41
日比谷線の三ノ輪駅の近く。
浄閑寺には今でも井戸があります。まだ水が涌くのかは知りません。

江戸時代このあたりは堀があり、その堀を渡ると吉原でした。
三ノ輪から吉原までの通りを年寄りは土手通りと言います。
天丼で有名な伊勢屋の屋号は「土手の伊勢屋」と言うくらい。
吉原は地方の貧しい農家から売られてきた遊女と言う売春婦がいたのは
  皆さんご存知の通り。
浄閑寺はその遊女の駆け込み寺だったのです。

寺に駆け込んで逃げおおせた遊女もいましたが、
あまりにも辛い身の上を怨んでその井戸に身を投げた遊女も数知れず。
この寺には貧困に対する怨念、男にもてあそばれた女の呪い、
遠い家族を思う情念が渦巻いているのです。

話は江戸時代のことではありません。

この浄閑寺のすぐ横を日比谷線が通っているのです。
日比谷線の三ノ輪の次の駅は南千住。
南千住はやはり江戸時代は罪人の首切り場でした。処刑場だったのです。
八百屋お七の墓があります。安政の大獄で処刑された志士の墓があります。
昭和の誘拐殺人事件、吉展ちゃん事件にまつわる地蔵があります。

日比谷線はこの浄閑寺の怨念と南千住の怨念を結ぶ地下鉄なのです。
悪いことに三ノ輪駅は地下で南千住は地上。
線路は浄閑寺の横で地下から地上に出ます。
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57 名前: 奈々氏 投稿日: 2001/07/14(土) 02:00
つまり日比谷線は遊女の身投げした井戸の底から、
罪人が処刑された首切り場へ出て行くのです。

この工事をするにあたり、南千住近くの、当時山谷と呼ばれた日雇い人夫プの街から
  たくさんの工夫が借り出されました。
ある雨の激しい日に掘削途中のトンネルが崩れたといいます。
何人かの人夫が生き埋めになりました。
その人夫の遺体を掘り出す時たくさんのツルのような木の根がまとわりつき、
なかなか綺麗に掘り出せないため、
近くの木をかなり伐採してしまいました。

ドクロを根に持つ木は良く育つ。
上野の山の桜が美しいのは、
  彰義隊が明治維新軍に殺戮された時のドクロが埋まっているからです。
木はドクロを包み込み、霊は包まれて安心する。
木は死人の念を養分に花開く。

工事ではその木を切ってしまったのです。
それからです。
このあたりの年寄りは、
雨の日は傘をさして日比谷線の高架トンネルを通りません。
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58 名前: 奈々氏 投稿日: 2001/07/14(土) 02:13
雨の日の日比谷線の高架下を通ると、
めまいがするようにトンネルの出口が遠く見えるのだそうです。
ほんの5メートルぐらい先の出口がです。

高架下に漂う霊たちが、トンネルを通る人を、傘をさした人を、
木に抱かれた羨ましい霊と思って寄って来るからだそうです。
身投げした遊女の霊と、出稼ぎに来ていた人夫の霊。
男と女の霊が絡み合い、その場に留まらせようと。

実際に三ノ輪から南千住まで線路脇を歩いて御覧なさい。
鰻の好きな人は知ってるでしょう。
尾花という有名な鰻屋が南千住の近くにあるのを。
その鰻屋の近くに、一本だけ残った大きな柳の木が目に付きます。
それも不自然なところに。

何故この柳だけ切られなかったのか。

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59 名前: 奈々氏 投稿日: 2001/07/14(土) 02:32
柳の木は吉原の入り口にもありました。
有名な『見返り柳』です。

吉原で一晩愛しい遊女と過ごした男達が、
明け方帰るときに吉原の出口で今まで一緒に寝ていた遊女を振り返るから
その柳の木を『見返り柳』と言うのです。
一本だけ残った柳はこの見返り柳と関係があったのでしょうか。
浄閑寺の遊女の霊を吸い寄せたようにいつも艶々しています。
この柳だけは山谷の人夫たちは切る気になれなかったようです。
切ろうとすると不思議と力が抜けてしまったそうです。

このために工事が遅れることに苛立った役人の山郷某が自ら切ろうとすると、
足場が崩れて転倒した。
運悪く立てかけてあったツルハシに頭をぶつけて大怪我をした。
このためお払いをしてこの柳を残したそうです。

雨の日の日比谷線の車内から、
  この柳の木のそばに女の人が立っているのを見る人は多い。
まるで地の底から天に上る日比谷線の車両を
  羨ましがるような目で寂しそうに見上げているそうです。

雨の日、日比谷線で南千住方面に行かれる方は
  連れて帰らないように気をつけてください。