52 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/12 22:53
自分って言う概念が出てる時点で、盗むって考えが成り立つのでは?
・自分の金が取られた、取り返した。
・2人の間でモノが移動している=1つの世界(=神?)
上の二つは同じことでしょ。後者のほうは自分っていう
概念がないだけで。
>>48 あの鐘を鳴らすのは、あな〜た♪
>49 基本的に新社会を構築するために書いてるからね。
これがいいことかどうかははっきり言って疑問。
でもこの新社会は社会と呼べるにふさわしい社会になると思う。
大ちゃん、ステキー。
こっち向いて〜。
キャー。
55 :
ダヌル・ウェブスター:01/11/12 22:57
>あの鐘を鳴らすのは、あな〜た♪
正しくは
ハの鐘を鳴らすのは、ハなぁ〜た♪
マジレスすると。
『そは、めしい(盲)が、めしいを導くものなり。』
>52 そうだね。自分ていう概念が出てるということは、自身を認識してるってこと。
つまり他者がいるってことだね。でもね、神は自分ていうのがわからない。
自分を認識できない。つまり他者もないから盗むってことはないでしょ?
ここら辺は私の説明不足だな。あしからず。
>51 わかんねえ。
59 :
ダヌル・ウェブスター:01/11/12 23:05
>56
そばめしは、めしなり。
なにげに楽しく読ませてもらったよ。
スレ立てるほどの内容ではないと思うけど
「神の名のもとに新会社を設立するスレ」と
思い込んで来てしまいましたよ。
62 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/14 22:53
>>1 早くも俺は新社会の脱構築を模索してるよ(笑)
63 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/14 22:56
>>50 つまりコルホーズでの過労死も偉大なる五カ年計画の人柱として無駄ではないとゆー事だな。
さーて、第六回目。
前回、すべてが一つであることを書きました。
今回は少し話を戻し、現代社会に関係させながら話していきます。
第一回目で、完璧ということは何も認識できないことと説明しました。
でも、現代社会では完璧という意味をどのように捉えているでしょうか?
最も最上のものとして捉えてるんじゃないかな?
例えば、A「お前テストどうだった?」
B「完璧だった。」
A「そいつはすげーな。」
のような使われ方がされるんじゃない?
だから、この場合Bは満点取る自信があってこう言って、
それに対してAは満点ということを最も最上のものとして捉えました。
しかしですね、完璧ということは、何も認識できないこと。
テストの100点というのは、30点や40点などの100点以外の他の点があるから
認識できるわけなんです。
みんながみんな100点取ってしまったら、100点ということを認識できないのです。
それにみんな100点取るなら、テストをやる意味がなくなってしまいますよね。
つまり、100点も10点も50点も全ての点数はそれ以外の点数を認識させる上でとても重要なのです。
よって、どんな点であろうとすべて等価値なわけです。
でも現代の社会は100点がよくて、0点が悪いとしてる。すべては等価値なのに。
ここまででおわかりのように、この現代社会っつーのは、いろんなところに様々な言葉、形態、物体、行為があるのだが、
ほとんどの場合それらに、それら自身の意味以外の価値をつけているのです。
やせてる方がよい、太ってる方がよくない。
背が高い方がよい、背が低い方がよくない。
明るいのがいい、暗いのはだめ。
頭がよい方がよい、悪いのはだめ等々。
様々なことに対して、これはいい、あれはだめ。としているのです。
しかし、すべては等価値なのです。対象を認識するためにすべて存在している、ただそれだけ。
すべての価値は同じ。そしてさらにそのすべてというものは究極的にひとつなのです。
その展開は流石に無理
>64長かったな。
>65
だめかい?
68 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/15 04:46
>>1は「認識」について語るだけで「存在」については何も語っていない。
これじゃどんな結論が出ても単なる言葉遊び。
第七回。
すべてが等価値であり、私たちが認識するためにすべてがあるとするなら、
人を殺すということも人を生かすということと同じように重要なんだということに気づくだろう。
殺害。社会にとってこれほど悪なものはないとされています。
みんなが殺し合いをすれば、社会は成り立たなくなる。
でも、すべては等価値なんだから殺して悪いわけじゃない。
人を殺すことが間違っているわけじゃない。
ただ、私たちが安心できる安全な社会を築こうとするならどうでしょうか?
人を殺すなど他人に害を及ぼすようなことはしないだろう。
私たちの目的が人々が安心して暮らせる社会を築くということなら、人を殺したりはしないだろう。
つまり、目的というものがあって初めて、やるべきこととやるべきでないことが決まってくる。
だから、この新社会を構築するに当たって、(私は人々が安心して暮らせる社会を構築するつもりなので)
人を殺すことはやるべきでないことになる。よって殺人はしない。他人に害をもたらすようなことはしない。
>>68そう。神の存在とかについて追求はしないよ。
証明できないし。でもね、私は新社会の構築を本来の目的にしてるから、
神についてそれほど話す必要はなくない?
要はすべてがひとつだということ、すべてのものは等価値なんだってことを
理解してもらおうとして神の名を語ったのだよ。
71 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/15 04:57
>>69 >私たちが安心できる安全な社会を築こうとするならどうでしょうか
いままでの論理を無視して、いきなり前提を設定すんなよ
今までの話がどんな話でも成り立つ結論じゃん。
>>71 私の説明不足。前提でもあるんだが「たとえ」でもある。
第七回は目的というものについて話しました。
このことを簡単なたとえで言うと、
例えばさ、ある人が新潟にいるとするでしょう?
その人が今電車で東京に行こうとしてる。
でも、その人は間違って大阪行きの電車に乗ってしまった。
その場合この人はどういう状態か。乗り間違えたという状態だろう?
東京へ行くという目的で大阪行きの電車に乗ったということは「間違った」ということだろう。
しかし、間違ってはいるが悪いわけじゃないだろう?罰せられるわけじゃないだろう?
ただ間違っただけなのさ。これを
>>69のことと照らし合わせると、
「人々が安心して暮らせる新社会を築くという目的」があるときに、「殺人を犯す」とはどういうことを意味するのか?
この「目的」に到達するために、「殺人」というものは行き先違いの電車に乗るということなのだよ。
ただそれだけ。殺人が悪いというわけじゃない。行き先を間違っただけ。そうただ間違っただけなんだよ、ということ。
このことを言いたかっただけ。まだ説明不足かも。
>>71の続き。
それで、「人々が安心して暮らせるような社会を構築する」というのが
みんなの目的になれば、殺しというものはなくなってくるんだよ、ということ。
みんながこの目的に賛成してくれるために、すべてはひとつだとか、すべては等価値なんだよ、という道具を使っていくわけさ。
74 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/15 06:09
>>72-73 「人々が安心して暮らせるような社会を構築する」ことと、あなたの認識論にどういう関係があるのだ?
悪いのではなく間違っただけなどという「認識」はどうでもよい。それによって罰せられるかどうかという「評価」も問題ではない。
なぜ「人々が安心して暮らせるような社会」をあなたは目的とせねばならないのか?
認識を共有することと目的を共有することとは別だ。
布教してんじゃねえよ。
自分でHP立ててやれ。
76 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/15 09:02
>1
分かりやすいしおもしろい
どんどん書いてくれ
77 :
マッハぽりあんな:01/11/15 10:44
ふむ。
神を以て社会を統治するわけでは無いのですね・・・。
あのさ、そんな社会実際通用しないよ。
甘えが容認される、情実主義がまかり通る、ふやけた社会だ。
誰もまじめに働かない、まともに評価されないのでは。
27でも言ってるけど理想だけを追うとそれは共産に行き着いちゃうよ。
78 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/19 17:56
あれ?また死んでる・・・。
がんばれ1。
期待してんだぞ。
79 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/20 13:01
80 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/20 15:32
揚げます。
カラッと。
81 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/20 19:36
リノール油age
82 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/20 19:53
ごま油
83 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/20 20:23
おれ?
えーっと・・・。
ラードで。
84 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/21 11:38
エクストラバージンオリーブ油age
85 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/21 11:55
コーン油揚げ
86 :
満潮 ◆wmmanCHo :01/11/21 12:08
読んだけど意味がよくわからなかった。
87 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/21 20:59
菜種油揚げ
88 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/22 12:55
べ、紅花あぶら
>>72-73 74「人々が安心して暮らせるような社会を構築する」ことと、あなたの認識論にどういう関係があるのだ?
悪いのではなく間違っただけなどという「認識」はどうでもよい。それによって罰せられるかどうかという「評価」も問題ではない。
なぜ「人々が安心して暮らせるような社会」をあなたは目的とせねばならないのか?
認識を共有することと目的を共有することとは別だ。
↑なるほど。どうして私がこのことを目的とするのか。
どういえばいいかな。相手から束縛を受けたりするのはいやじゃない?
自分がしたいことを誰かに妨げられるってことはいやだろう。
あなたがこうしてすばらしい意見を書けるのは、あなたが書くことを誰も妨げなかったから、でしょ。
でも、もしだれかがそれを妨げたとしたら。やっぱむかつくんじゃない?
そういう気持ちになる場合がこの社会では多いんじゃないかな。
だから現代社会は病んでいるとか、ストレス社会とか言われるのだろう。
これが第一の理由でしょ。
また、誰かが妨げるってことは妨げていない状態を認識する上で重要な意味がある。
だから妨げられるということも妨げられないと同じように意味があるんだな。
>>74 第二の理由。それはやっぱすべてはひとつだからかな。
ある人が「何かをしたい」というとき、だれかがその何かをさせないよう
常に妨げるとしたら、その「何か」はできないままになってしまう。
まったくできないなら「何か」は認識できない。
また、常に妨げる人も常に妨げられる人も同じひとつだから、
妨げる人は常に妨げられる状態になる場合が、妨げられる人は常に妨げる状態になる場合がいつの日か
でてくる。つまり、お互いが妨げあう状態に陥ってしまうんじゃないかな。
お互いが何かをしたいと欲してるのに、お互いがお互いを妨げている。
これではいつまで経っても進まないよ。様々な認識をしたいという欲求を達成できない。
これでどうかな。
>>75 意見を書いてるだけだよ。ぶっちゃけ広めようとしてるが強要はしてないから
いいでしょ。許して。
>>76.78.79...
ありがとう。ちゃんと生きてます。またそのうち長い文章を書くことになります。
>>80-85 上げてくれてありがとう。助かった。
94 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:01/11/27 03:41
半分くらいまでしか読んでないんだけど
「神との対話」だよね?
面白いんだけど、rememberのことにしても
英語圏の人が書いたから英語にしか触れてないんだよね。
77
今の社会が通用してしまうのに私の考える社会は通用しないかな?
本来の意味すらほとんど薄れ、良い悪いだけの価値だけの言葉を交わし、行為をし、形になる、そのような
現社会が通用するのに、本来の意味を忠実に再現しようとしてる私の考える社会は通用しないと?
なかなかおもしろいことを言いますね。
甘えが容認される?じゃあ、そもそもどうして甘えるのか?
今ある状況がつらいからじゃない?苦しいからだろう。厳しいことばっかりだからだろ。
だからひとは甘えたいと望むのだろう。
もし状況が一変してつらくなくなったら、苦しくなくなったら、厳しくなくなったら。
ひとは甘えたいと望むだろうか?あまり望まなくなるだろう。
ふやけた社会?何をもってふやけた社会というのか。
みんながしたいことをする社会がふやけていると思うのはおかしい。
みんなが価値にとらわれず、あれやりたいこれやりたいって欲するんだから。
あれはやりたいけどこれはやりたくないっていう一般的な「価値の差」があると、
したいことに偏りが出てきてふやけてしまうんだよ。(
>>64参照)
でもすべてが等価値だという認識を持っていれば話は全然違ってくるのさ。
みんなまじめに働かない?まじめに働くってどういうことだい?生活のためにしたくもない仕事を、
規則で縛られて文句言わずすることかい?
すべてのものに価値の偏りがなければ、すべてが等価値であればみんないろいろなことをするだろう。
例えば農業さ。現社会では農業ってあんまよく思われてない。若者が都会に出ていって後継者がいなくなってる。
若者は、農業で花や植物を育て、みんなの食欲を満たし、生命をはぐくむことができることをダサイと感じる。
そして都会での便利で洗練された生活のほうが良いと考えている。つまり農家の価値は低く、都会の生活は高いわけさ。
この「価値の差」が存在したまま、なんでもやっていいよ、っていわれたらみんな都会に行っちゃうよ。
でもすべてが等価値の場合、何でもやっていいよっていわれたら農業をしたい人は農業をし、都会に行きたい人は都会に行くだろう。
つまり、「価値の差」がないからある一方に偏らない。よってみんないろいろ働く。というよりもみんなしたいことをやるというのが正しいだろう。
こんな感じです。
>>94その通り。
すばらしいね。やっと元ネタ知ってる人に出会えた。
このスレッドの内容は「神との対話」という本に書かれた内容を元にしています。
そして、この「神との対話」に書かれてる新しい考えを社会に応用するというのが私の目的です。
第八回
みなさんカルマをご存じでしょうか。
私は詳しくは知らないのですが、要するに因果応報という意味です。
自分が誰か(あるいは何か)にやったことが、自分に返ってくるよ。という意味です。
誰かに優しくすれば、優しさが返ってきて、誰かを傷つければ、自分が傷つく。
一部の宗教で(よくは知らないですが)カルマというものがあると信じられています。仏教かな。
でも仏教といったような宗教に頼らなくても、私(あるいは私たち)はカルマというものを
説明できます。ね。
どうしてカルマが存在するのか。すべてはひとつだからです。
>>46 >>50で書いてある通りです。
>>46 >>50で書いてあることもカルマのことなのです。
「すべては自分に返ってくる。」
私は新社会を構築するためにこのカルマを利用したいと思います。
私が言う新社会、人々が安心して暮らせる社会を構築するには、安心を与えればいい。
安心を与えれば安心が返ってきます。
その繰り返しが社会を再構築させることになります。
人を安心させること、優しく語りかけたり、困ってる人を助けたり、
誰かが失敗しても褒め称え、様々な体型に対して美しいと答える。
すべての言葉が、行為が、形がすばらしいんだと思えるとき。
例えばスリムな人を美しいと答えられるのと同じように太った人を美しいと答えられるとき。
例えばある人がスリムだねと言われてうれしいと思うことと同じように太っているねと言われてうれしいと思うとき。
そのとき社会は変わり、再構築された新社会が誕生します。
そして、その社会が構築されるまで私はひとつのすばらしい標語を提示します。
これは私たちの先人がのこしてくれたものです。
「情けは人のためならず。」
情け(やさしさや親切)を相手にかけてやるとその情けがめぐりめぐって自分に返ってくるよ、という意味です。
これで私たちの新しい道が開けると思います。
安易に「全ては一つ」というのは危険だと思われます。
何故なら、もし唯一神が存在したとしても人間個人がそれを直接認識するのには無理があるからです。
あくまでその間には多数のそれを「取り次ぐ存在」があり、個人によってもその認識は違うものとなるからです。
すなわち、「全ては一つ」と複数の人が言ったとしても、すべて違うものとなります。
人間自身、「取り次ぐ存在」のことも分からないものです。
って、「神との対話」って言う本のスレかいな。
失礼しましたぁ〜っと。
あ、やっぱり大ちゃんだ。(笑)
北海道でおばちゃんをチョメチョメしちゃった事件の裁判はどうなったんだろ。
書けませんよ( ̄ー ̄)ニヤリッ