【京都】プルプル倶楽部&ハウスPART53【斜陽】

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607名無しさん@ピンキー
島津の兵達柵は、を渡り味方の死人の上を走り渡り、内の柵を攻破り、十七日夜寅の刻に三の丸二の丸も打ち破り、 宮部一党を本丸へ引籠らせた、命を惜しまず防ぎ戦い。
夜已に明て十八日の朝には、。義弘は攻め詰めて困っていた。大和大納言秀長卿は五十町計り離れて居たが、三万計りの兵を連れて耳川のはたまで惜しい出て見渡せは、
根白の砦は島津の軍兵雲霞のことく取囲んで、鉄砲矢叫ひの音声相交って天地も響くばかりであった。秀長この姿を見て「このまま見捨てれば宮部一党討ち死にする、耳川を渡って後詰しよう。」と馬を川へ打入れられた。
尾藤左衛門尉知宣馬より飛下り、秀長卿の馬の口にすかり「今義弘の軍勢を見るに、武田勝頼が長篠のから設楽原へ出て行ったときと違いが無い、此強みの鑓先には関白様も恐らくは適わないであろう。川を渡ってはいけません」と諌め申し上げた。