【名古屋】マザーズ恋女房妻遊記ノアセオリーエターナルパッション49
748 :
名無しさん@ピンキー:
上海日本総領事館の領事(46)=当時=が中国当局が用意した色仕掛けにハメられ、昨年5月に自殺していたことが分かった。
27日発売の週刊文春によると、亡くなった領事は外務省と領事館の暗号通信を担当。
領事の自殺は暗号解読をねらった中国当局の執拗(しつよう)な恫喝(どうかつ)が原因だったとみられ、中国政府の外交官に対する非道な工作活動に波紋が広がるのは必至だ。
週刊文春によると、領事は昨年5月6日午前4時ごろ、上海総領事館の宿直室で首をつって自殺した。
領事は旧国鉄出身で、分割民営化後に外務省に入省した。
米・アラスカのアンカレジやロシアに勤務した後、平成14年3月に上海総領事館に単身赴任した。
赴任後、領事は同僚に連れられ、外国企業が多く集まる虹橋地区にあるカラオケクラブに足を踏み入れる。
そして、1人のホステスに魅せられ、足しげく出入りするようになった。
クラブは事実上、個室で、ホステスが“接待”してくれる。
そのうち、ホステスは中国当局に摘発され、取り調べで上客だった日本人の名を供述するよう強要された。
供述の中に領事の名前があることに目を付けた当局は、15年6月、このホステスを利用して情報機関に所属する工作員の男に領事を接触させた。
当初、工作員は機密レベルの低い情報提供を要求。
領事は昨年4月に外務省へ転属願を提出し、ロシアの総領事館に転勤が決まったが、工作員の男は、ホステスとの関係を「領事館だけでなく、本国にバラす」「(女性との)関係はわが国の犯罪に該当する」と何度も脅迫した。
同年5月に入り、工作員の脅迫はエスカレートし、転勤先のロシアの情報も提供するよう迫られた。
きまじめだった領事は工作員と深い付き合いとなってしまったことに責任を感じ、総領事や妻、同僚に計5通の遺書を残して自殺。
総領事あての遺書には「自分はどうしても国を売ることはできない」などと記されていたという。
領事は外務省と総領事館の衛星通信や情報伝達を担当する「電信官」で、総領事しか知らない国家機密も把握。
特に衛星通信に使われる極めて複雑な暗号の解読方法を熟知していた。
749 :
名無しさん@ピンキー:2008/04/30(水) 18:17:48 ID:07BAQyPx0
(⌒⌒⌒⌒⌒)
( (´∀` ) )
( 劉備 )
〜〜○〜〜
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関羽大好き 逃がさんわ o
(操・∀・) -=≡( ゚Дメ) -=≡ ( ´┏┓`)
(ルール)
関羽して1時間夏侯惇されなければ一の関を突破したことにします。その後に夏侯惇されても一の関を突破した功績は消えません。
その人が次にトライする時は名前欄やメル欄や本文のどこかに一の関突破していることを記入しておきます。
でニの関を突破するにはやはり1時間夏侯惇されないことが必要になります。
ニの関を突破したら名前欄やメル欄や本文のどこかにその旨を記入して三の関突破を目指します。
関羽をする人はageてください。その繰り返しで合計5時間夏侯惇されなければ晴れて五関を突破したことになります。
ズルしちゃい甘寧。それぞれの関羽と夏侯惇の良心にお任せします。
トリップつけるのもいいかもしれません。
深夜ルール:午前2時から午前6時までの(´┏┓`)は2時間で一関突破です。
午前2時前の(´┏┓`)なら通常通り1時間、午前6時前の(´┏┓`)は午前5時以降のものは午前7時にて突破となります。
持ち越しルール:前スレで突破しきれなかった場合、残りを−1して持ち越せるものとします。一関突破の場合はそのまま持ち越せます。
750 :
名無しさん@ピンキー:2008/04/30(水) 18:19:29 ID:07BAQyPx0
本能寺の変の後、光秀が毛利に送った密使が秀吉軍に捕えられなかったら、
秀吉は討たれていただろう。その後も、柴田勝家らによる暗殺の危機など、
賤ヶ岳の戦いの前に秀吉が討たれる歴史のIFが何度かあった。
もし秀吉が討たれていたら、天下統一はなく、形ばかりの足利幕府が再生し、
日本は8つ程度の大名による分国体制になり、欧州のような状態になっただろう。
そして、各大名がそれぞれ自由に領国を経営し、海外貿易にも乗り出す。
その場合、九州を制圧した島津は、琉球を支配し、台湾に植民し、南蛮貿易に
邁進して、欧州とも交易して発展。
キリスト教に入信していた可能性が高い伊達政宗は、支倉常長の遣欧使節船派遣に
みられるように、西洋との交流を深め、蝦夷地開発に乗り出しただろう。
そして、ジャガイモ栽培など、西洋の文化・科学技術をいち早く導入して人口が急増し、
漁業その他資源豊富な北海道、樺太、千島、カムチャッカ、アラスカに植民していった
ことだろう。オホーツク海沿岸のシベリアの一部にも進出。そしてロシアとの紛争勃発。
その後、日本は北方、南方での西洋諸国との抗争の中で統一するが、その頃には、
西欧化した伊達を筆頭に、人口、科学・工業技術、経済力で史実を遥かに上回っており、
日露戦争ではバイカル湖まで、あるいは、クズネツク工業地帯の資源を狙って
エニセイ川あたりまで占領・領有できただろう。
アラスカの油田もあることだし、日本は第二次大戦に巻き込まれることなく、その状態を
キープして今日に至る。
751 :
名無しさん@ピンキー:2008/04/30(水) 18:22:00 ID:07BAQyPx0
明治に始まった北海道開拓の歴史が終えんしようとしている。
この10年間に起こったさまざまの事件(北海道拓殖銀行の破たん、夕張市の財政破たんなど)は、
その原因を個々にたどるより、日本の人口増が止まる中で北海道の経済価値が縮小していった過程として見た方が理解しやすい。
北海道経済は公共事業削減の影響をもろに受けたといわれるが、今更公共事業を増やせるわけがない。
財政が許さないだけでなく、北海道で山林を切り開き、交通を整備して農業や鉱工業を興す意味がないからである。
明治以来の北海道開拓は、今になって見ると、多くが無駄だった。だが、人口560万人、国土の22%を占める北海道をどうするのか。
道路、港湾、河川などの整備は完全にやめ、既存の施設の改修なども選択的にすべきだ。
農業も競争力のない分野からは撤退し、その農地は元の森に戻した方がよい。漁業は水揚げを東京など消費地ですれば生き残れるだろう。
こうした努力によっても北海道人口は、数十年で半減するのではないか。
一方、土地の大半は緑あふれる森林に戻っているだろう。
北海道から真剣に日本の将来を考えてみる必要があろう。