169 :
名無しさん@ピンキー:
臨死体験の話
臨死体験とは、事故や病気で人が仮死状態になった時に、死後の世界とおぼしき光景ををかいま見るといった体験のことである。
170 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:14:14 ID:5ZNkFPcN0
たとえば、心が体から離脱して自分が横たわっている姿を見下ろすとか、暗い洞窟をぬけて明るい光の世界に入りかって味わったこともない至福の体験をするとか、
171 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:15:08 ID:5ZNkFPcN0
美しい花園や三途の川を見るとか、すでに亡くなった人や自分をいつも見守ってくれている霊的な存在に出会う、といった体験である。
172 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:17:31 ID:5ZNkFPcN0
そして、この世とあの世との境にたどり着き、自分がまだ死ぬ時ではないことを告げられて息を吹き返す、という結末になる人が多い。アメリカでの調査によると、臨死体験は普通に考えられているよりはるかに多くの人が体験しているという。
173 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:18:24 ID:5ZNkFPcN0
この臨死体験を、立花隆氏はあらゆる角度からを取材して「臨死体験」という上下二冊の本にしている。この本をもとにして臨死体験の概略を述べてみたい。
174 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:19:28 ID:5ZNkFPcN0
実例
175 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:20:43 ID:5ZNkFPcN0
まず一つの例を挙げてみる。これはペニシリンの副作用で危うく死にかけた前東大医学部教授・豊倉康夫氏の体験である。
176 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:22:21 ID:5ZNkFPcN0
「いま意識を失ったらこのまま死んでしまう。なんとしても頑張らなくては駄目だと自分に言い聞かせながら、それはもう死の恐怖にたいする必死の格闘であった。
177 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:23:19 ID:5ZNkFPcN0
ついに刀おれ矢つき、ああこれで我が一生は終わる。それにしても短い一生だったなと一瞬おもった。それから先が問題である!
178 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:24:13 ID:5ZNkFPcN0
なだらかな坂を下るように、地面に吸い込まれるように意識がなくなったのだが、問題はその短いあいだに味わった何ともいえない恍惚感のことだ
179 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:25:07 ID:5ZNkFPcN0
まず頭に浮かんだのはお茶の水の聖橋のあたりの光景、結婚後まもなかった河田町のせまい借家の様子、そのあとは、ただ極楽の花園をさまよい、天上の光を浴びるといったような恍惚の境地だけである。
180 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:25:57 ID:5ZNkFPcN0
もはや呼吸停止の苦しみも死の恐怖も、一切感ずることはなかった。もし死んでいれば伝えることのできなかった不思議な体験である。倒れてからここまでの時間がどれほどであったのか、その記憶も実感もまったくない」。
181 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:26:37 ID:5ZNkFPcN0
死は苦しみか?
182 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:27:25 ID:5ZNkFPcN0
最後の最後まで苦痛と恐怖に苦しめられながら私たちは死を迎えるのか、というとそうでもないらしい。実際にはある地点を通過してしまうと苦痛はなくなり、反対に、それまで体験したことのない快さと満ち足りた安らかさを感ずるようになるという
183 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:28:17 ID:5ZNkFPcN0
人によっては神々しい光にあふれた、筆舌に尽くしがたいほど美しい、永遠の真理に満ちあふれた世界を体験し、それこそが死後の世界に間違いないと断言している。だから臨死体験者のほとんどは、この世に戻りたくなかったと言っている
184 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:29:15 ID:5ZNkFPcN0
そして死を苦痛に充ちたものとして恐れていた人でも、臨死体験した後は死ぬことを恐れなくなる。それは必ずしもあの世の存在を信じるようになったからではなく、臨死体験は幻覚だと思っている人でも死を恐れなくなるという。
185 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:29:58 ID:5ZNkFPcN0
臨死体験の影響は研究者にまで及び、立花隆氏もその一人であるが、臨死体験の話を聞いているうちに死ぬことが怖くなくなったという人が少なからずいる。中には自分がどのような臨死体験をするか、死ぬのを楽しみにしているという人までいる。
186 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:30:42 ID:5ZNkFPcN0
ただし不安や恐怖などを体験する人も極めて少数存在するが、それは浅い臨死体験の人だと言われている。
187 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:31:29 ID:5ZNkFPcN0
人が亡くなる時の表情を調査した記録によると、七割をこえる人が安らかな表情で亡くなっており、苦痛のつづく末期ガンでもこの値はほとんど変わらない。苦しみの表情で亡くなる人は一割程度であるという。
188 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:32:01 ID:5ZNkFPcN0
臨死体験とは何か
189 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:32:47 ID:5ZNkFPcN0
臨死体験を突き詰めていくと、死後の世界が本当にあってそれを見てきたのか、あるいは単に断末魔における幻覚に過ぎないのか、という問題にたどり着く。著者の立花隆氏は幻覚説に傾いてはいるが、どちらとも結論は下していない。
190 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:33:28 ID:5ZNkFPcN0
どちらからでも説明できるし、どちらにしても矛盾点は残るということである。
191 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:34:23 ID:5ZNkFPcN0
しかし最近の研究で分かってきたことは、どうやら人間の脳には臨死体験をする機能が備わっているらしい、ということである。それが脳のどの部分にあるのかもだいたい分かっている。
192 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:35:13 ID:5ZNkFPcN0
人が死ぬ時には、脳に組み込まれた回路が作動して臨死体験が起こる。死にゆく人は、臨死体験により死の恐怖や苦しみをのり越えて、安らかに死ぬことができる。すべての人にやがて訪れる死は、私たちが想像して恐れているほど苦痛に充ちたものではない。
193 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:36:31 ID:5ZNkFPcN0
私たちは何も心配せずに、全てを臨死体験回路にお任せして死を迎えればよい。と理解してもいいようである。
194 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:37:16 ID:5ZNkFPcN0
人はなぜ死を恐れるか?
195 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:38:10 ID:5ZNkFPcN0
人が死を恐れる理由を、立花隆氏は三つあげている。それは、自分の存在が無くなってしまうことに対する恐怖、死ぬときの苦痛などに対する恐怖、死んだ後いったいどうなるのかという死後の世界に対する恐怖、の三つである。
196 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:39:24 ID:5ZNkFPcN0
人は知らないことに対しては恐怖心を持つもので、ちょっと海外旅行をするのでも始めての時にはかなり不安を感じる。ましてやあの世に旅立つのだから、恐怖心を持つのは当然であろう。
197 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:40:01 ID:5ZNkFPcN0
人間が死を本能的の恐れる根底には、死が誰にとっても未体験の未知の世界だということがある。
198 :
名無しさん@ピンキー:2006/10/15(日) 01:41:01 ID:5ZNkFPcN0
ただし仏教では、すべての生き物は始めも分からない過去の過去から、生まれ変わり死に変わりの輪廻を続けて来たとされているので、死は日常茶飯事と考えるべきである。ただその事を記憶していないだけなのである